2話「死贄・2」
対策書にほど近い住宅街、家と家の隙間にある道とも言えない場所に、その遺体はあった。侵入が難しい隙間をさらに困難に満たすように、遺体はひどい状態にある。
「なんだこりゃあ……磔か?」
「壁が突き出したところに、人体を突き刺したように見えますが。逆がしっくり来ますね」
「モノの形を変えて凶器にするタイプか。めんどくせえぞ」
「対策員なら、便利な能力なんですけれどね……」
両手を広げれば壁につく幅の通路が、両側の壁が盛り上がったことで完全に塞がっている。そして、まだ赤い血が壁と地面とを染めている。遺体は盛り上がった壁の中心、とがった部分に心臓を貫かれ、そこで支えられるようにしてぐにゃりと手足を投げ出していた。
「ものすごい出血だな。これが致命傷だってふうにしか見えねえ」
「奥さん、悲鳴を聞いたあと、それ以外の音はしませんでしたか?」
「ぜんぜん……もうなんなのよこれ、早くなんとかしてちょうだい!」
「ええ、ええ。すぐに取りかかりますので、今しばしお待ちを」
お昼時になり、義母のリクエストも聞いた主婦・奥田が昼食を作ろうとしていたとき、ちょうど勝手口あたりですさまじい悲鳴が聞こえた。驚いてすぐに見に行った彼女が目にしたものは、塞がった通路と絶叫した顔のままで死んでいる遺体だった。
「被害者に見覚えはありませんか?」
「ないわよぉ! あんなの、落ち着いてじっと見られるわけないじゃない!」
「奥さん、犯人はこんなやりにくいとこで殺人をやってんだ。見せしめの可能性が高い。見せる相手として、あんたが真っ先に挙がるんだがな」
「そんなこと言われても……。夫はふつうのサラリーマンだし、私はただの主婦で」
嫁入りした家でうまくやっており、町内会でもとくに問題が起こっていないとなると、単なる知り合いの線は薄くなる。聞き込みを続けながら、城田は怪人の性質を考えていた。
(隆起、操作……壁をか。物質操作だと因子エネルギーの消費量はバカでかいはずだな。住宅街でこんな能力を使うリスクが、あんまりデカすぎる気がするが……)
肉体的・精神的疲労によって因子励起状態が維持できなくなると、怪人は人間の姿に戻る。住宅街でエネルギーの無駄遣いができるほど強力であると測るか、あるいはこの見せしめに大きな意味があると捉えるべきか。どちらにせよ、放っておいてよい相手ではない。例の欠落体の出る周期にはまだ間があるため、こちらを優先すべきか――そう考えた城田は、大友に声をかけた。
「大友。例のやつの捜査はいったん二庫に投げねえか」
「そうですね。二庫の方と合同で捜査する機会もありましたし」
戦うことのできる対策員が多く配置される一庫こそが花形だ、と言われることは多いが、それも捜査あってのものである。地道に情報収集を続ける刑事たちは、全員が歯車としてかみ合うことで前進する。派手な活躍はなくとも、その活躍は確実に成果を挙げ続けていた。
「まずは被害者の身元からだ。こんな派手なやり口なら、かなり強い動機があるだろうからな……このあたりの住人も含めて、関係を徹底的に洗うぞ」
「裏の情報だと、このあたりはかなり少なかったはずですが……」
釈然としないものを抱えながら、彼らは聞き込みを始めた。
「おかしいですね。いや、おかしくはないんですが」
「名前をいくつか使ってる人間なんぞは、この街にはままあるもんだが……怪人じゃねえってことになると、一気に怪しくなるな」
被害者の財布に入っていた、身元確認ができそうなものはいくつかあった。保険証と運転免許証は書いてある名前が食い違っており、家電量販店の利用カードも違う名前を使っていた。銀行のキャッシュカードはというとまた違った名前であり、情報をまとめるなら四種類の名前を使っていたことになる。そして、どれが本名かを判別するための手掛かりは一切ない。
「車はデパートに乗り捨ててたみてえだが、どこのなんて店を使ってただのって情報すらろくに見当たらない、か」
「何らかの形で、怪人の関係者だとは思うんですが。この因子量ではね」
「どこに当たっても、顔見知りどころか住所すら見つからねえとはな……裏の人間じゃねえのか」
「表の人間だったら、それこそすぐにでも見つかると思いますが」
大友は、至極当然のことをつぶやいた。
身分を証明する書類を何種類も持っていながら、そのどれもが信用に値しない。そのうえ現実に存在したはずの彼を知るものもなく、その証拠も見当たらない。突如として遺体だけが出現したとしか思えないほど、あまりにも不可解な事件だった。
「カードの利用証明は出ています。ただ、日付が不安定なので、どうも……何人かで使い回していた可能性も」
「家族じゃねえやつと、か」
身元が残らない人間、そしてカードの使い回し。極貧にあえぐ人間が行き着く先だと考えればあり得るが、遺体にそういった疲れや汚れは見えなかった。そして、各種書類は偽造されたものではない、という結果も出ている。
(いよいよもって分からねえな。先生から解剖の結果が聞ければ、健康状態だの仕事だのも少しは分かるんだが……)
遺体がモノとして残っている以上、生きていた人間の情報も得られなければならない。三十代の男性は、三十年という時間を社会の中で生きてきた人間である。当然のことながら家族関係や学校、職場における立ち位置もあるだろう。各種機関に問い合わせれば身元はすぐに判明し、その居所も割れるはずである。
「いま情報が入りました、ひとりだけ行方不明届が出てます」
「誰だ?」
「この「小山内」、キャッシュカードの名前ですね。ただ、遺体の特徴を伝えたところ、別人だろうと。金髪で長髪、赤い石のピアスと右手中指のタトゥーが目立つそうです」
「確かに、えらく目立つな。全員分の名前を控えて、そいつ関連に当たってみるか」
小山内が勤めていたというバーは、城田も名前を知る店だった。
「ああ、「エリス」か。いつも行くとこのはす向かいだぜ」
「ご存知でしたか。では、すぐに」
「ああ。近場でよく知ってる、やりやすいな」
「……だといいんですけどね」
大友の不安は、的中した。
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