17.滅亡

 ヒヤリとした空気が、一層深まったことに、女が声を上げた。


「な、何? ここ、どこよ!」


 目隠しをされた状態で、後ろ手に縛られている女は、見えていないにも関わらず、頭を左右に動かし、情報を得ようとした。

 囚人である男女の周りを衛兵が固めてはいるが、女の口を塞ぐことはしなかった。

 転移魔法で『処刑場』へとやって来たハロルドたちは、そんな女の問いかけを無視し、歩みを進める。


「ロブ、待たせたな」

「いえ。お気遣いなく」


 軽く目礼をしたロブ・リドリーは、かつて自分の娘の婚約者だった男へと目を向けた。


「久しいな、マルコ」


 目隠しをされていないマルコは、蹲った態勢のままゆるゆると顔を上げ、ロブと視線を合わせた。その瞳には生気はない。


「……だ……れ?」

「エレナ・リドリーの父親だ」


 ロブがそう答えても、特に何も反応を示さなかった。

 外見上は特に変わったところはない。精神面に何か影響を及ぼす魔法でも使ったのかと、ロブは思わずハロルドへと視線を投げた。


「コールズ隊長、何かしたのですか?」

「大したことはしていない」


 ハロルドはうっそりと笑顔を浮かべながらそう言った。


「……そうですか」


 常人とは違う化け物並みの魔力と腕力で何かをしたならば、それは『大したこと』になるのだろうが、ロブは敢えて指摘はしなかった。

 

「ちょっと、いい加減、手を解いてよ!」


 先程から喚いている女を見やり、ロブが小さく呟いた。


「この女が……」


 その呟きを聞き逃さなかったハロルドが、ロブへと問いかける。

 とてもいい笑顔で。


「ロブ、ここでこの女を殺しても構わないが、どうする?」


 その言葉に、女がひゅっと息を呑む。

 それに気分を良くしたハロルドが、ロブの返事を聞く前に、口を開いた。


「ああ、わざわざロブの手を汚すこともないか。向こうで魔物に喰い殺される方がお似合いだ」


 ロブは確かにそうだなと納得する。この女はエレナが通っていた孤児院の者たちを惨殺したばかりでなく、今までに気に入らない人間を何人も殺してきた。しかも自ら手を下していたと聞く。そんな女を手にかけて、娘に『同類』だと思われては適わないと、ハロルドの言葉にロブはすぐに同意した。


「私もその方が、溜飲が下がります」


 そのロブの言い様に、口角を上げたハロルドの表情は、まさに魔王のようだと、その場にいた全員が竦みあがった。


「そうか。では、そうしよう」


 ハロルドが目で合図をすると、控えていた衛兵たちが動き出す。

 薄暗い『処刑場』は、本来の処刑場ではなく、隣国と繋がっているダンジョンだった。

 奥の通路は行き止まりで、壁だけが見て取れる。そんな壁に向かってハロルドが歩き出した。それに続くように衛兵たちが蹲っていた男、マルコを強引に立たせ、女の腕を引き、歩かせる。

 

 ハロルドが掌を壁へと向けると、赤い魔法陣が壁に浮かび上がった。と同時に壁の向こう側に通路が現れる。

 衛兵が二人を突き飛ばし、その通路へと押し込めた。そして赤い魔法陣がゆっくりと回転しながら徐々に消えていく。その消えていく速度に合わせながら、通路に壁が出来上がっていった。


 





「ここは……王城?」


 先程まで、目隠しと手を拘束された状態で『処刑場』にいたはずだったと、急に明るく開けた視界に女は思わず首を捻った。

 ここはどこだろうかと辺りを見回すと、何度かマルコに連れられて来たお茶会の時に使用していた王宮内の庭らしきところにいるのが分かり、女は小さく息をつく。だが助かったという思いは抱けなかった。

 それは近くにある建物に目を向けた瞬間、一抹の不安が過ったからだ。自国の王城と認識したものの、その佇まいは女の知るものとは大きくかけ離れている。

 至るところが崩れ、瓦礫と化している部分もあり、女はただ困惑した。


「お戻りになられましたか」


 後ろから声を掛けられ、女がビクリと肩を跳ねさせた。振り返れば、声をかけてきたのが隣国に潜入した際、手引きをしてくれた間者の一人だと気づき、安堵した。

 それも束の間、間者の目つきが剣呑なものに変わり、言葉使いも荒くなる。


「この国はもうおしまいだ。全部あんたたちのせいだ」

「は? 何を……」

「あんたたちがあの男の娘を追い詰めなきゃ、こんなことにはならなかった!」


 胡乱な目で女を見やり、間者が一歩、女へと近づいた。

 女はその異様な間者の雰囲気に呑まれ、一歩後ろへと下がる。


「本当に、どうしてこんなことになったんだ」


 そして今度はまた違う場所から声が上がった。

 女が横を向けば、自国の宰相が足を引きずりながらこちらへと向かってきていた。王城が崩れていることから、倒壊に巻き込まれたのだろうと女は暢気に考えた。

 だが憎々しげにこちらを睨む宰相に、女は言葉を掛けるのを躊躇う。


「がっ……ぐっ……」


 ふと、足元の方から呻き声が上がった。それがマルコのものだと気づいた時には、首から鮮血が噴出していた。


「え?」


 何が起きたのか分からず、女はただ鮮血を吹き出すマルコを呆然と眺めていた。


「今現在、王都にも魔物が溢れている状態だ。直にこの国は魔物に呑み込まれ、滅びる」


 宰相が苦り切った表情で吐き出すように言った。


「は? 魔物?」


 今の状況を把握しきれていない女は、何故王都に魔物がいるのか分からず、聞き返した。そんな女の疑問には答えず、間者がその後を引き継いで淡々と話を続ける。


「ことの発端は、お前たちがロブ・リドリーの娘を陥れようとしたことだ。冤罪を被せ、処刑しようとした。そのことをロブ・リドリーが知り、隣国に助けを求めた。彼の妻が娘を牢から救い出し、一族を引き連れて亡命した」

「冤罪なんかじゃないわ! あの女が……」

「そういうのは、もういいんだよ!」


 苛立ったように声を荒げた間者の迫力に押され、女が黙り込む。だが納得がいかないと不満げな表情は隠さなかった。


「今までこの国の守護者は辺境伯だと言われていたが、それは大嘘だ。本当の守護者はロブ・リドリーだ。その守護者が国を出ればどうなると思う? 当然のことながら、魔物を退治できる者はいなくなる。守護者が亡命してすぐに、辺境伯は魔物に喰い殺され、あっという間に魔物が蔓延った。そして今も増え続けている。その増えた魔物を退治できる者はもうこの国にはいない」


 その時、どおんと大きな音と共に建物が崩落した。

 瓦礫が飛び散り、女の肩に直撃する。


「ぎゃっ!」


 直撃した勢いのまま、女が後ろに仰向けの状態で倒れた。そして、空に視線が向かったとき、大きな翼を広げ、空を飛ぶ魔物の姿を認めた。


「うそ……ワイバーン……?」


 そして目が合う。


「ひっ……」


 小さな悲鳴を上げたと同時に、ワイバーンは女目掛けて急降下をした。そして女の腹に喰らいつく。


「ぎゃーーー! やめて! や……ぎゃっ」


 大声を出す女がうるさかったのか、ワイバーンが腕を薙ぎ払い、女の首が飛んだ。

 地面で弾んだ頭は、その後コロコロと転がり、宰相の足元で止まった。

 気づけばもう一体が間者の身体を貪っている。


「いいざまだ」


 それが宰相の最期の言葉だった。




◇ ◇ ◇




 ハロルドは報告書を手に、息を吐く。


「終わったか」

「はい」

「この後のことは、陛下の指示待ちだ」


 興味がなさそうにそう言ったハロルドに、報告に来た魔導部隊の隊員は恭しく頭を下げた。


 隣国と繋がっていたダンジョンの穴を塞ぎ、こちら側に魔物が流れないようしたのは、あの二人が密入国をしたと情報が入ってすぐのことだった。アンジュの助言を受けてはいたが、まさか本当に密入国をしてくるとは思っていなかったハロルドたちは、迅速にダンジョンの穴を封鎖し、然るべき場所へと報告をした。間者を通して亡命者であるエレナに接触を図ろうとしている事実を確認する頃には、国王は隣国への制裁に舵を切っていた。


 隣国の半分は既に魔物に占拠されている。その半分の中に、王都も含まれ、王族も王侯貴族たちも魔物の餌食になった。


 王を失った隣国は、実質、亡国となった。


 残り半分の国土にいる国民を助けるのか、そのまま放置するのかは、まだ協議中だと聞いている。

 こんな国など滅べばいいと思っていたハロルドだったが、エレナのことを考えると胸が痛んだ。


「自国が滅亡するというのは、どんな気分なんだろうな?」


 大国の『守護者』であるハロルドには、まったく想像がつかなかった。そして報告をした隊員もまた口を閉ざしたまま、そのハロルドの問いには答えられないでいる。


「もし陛下が、隣国を更地にしろとご命令されたら、どうなさいますか?」

「どうするも何も、従うまでだ」

「そうですか」


 『守護者』であるハロルドとジェイクのどちらかが、本気を出せば国ひとつなど容易く壊せる。だが今までに王の命令に背くこともなければ、異を唱えたこともない。それは王や国に忠誠を誓っているわけではなく、王の意見に特に否やを唱える必要性が見い出せなかっただけだった。だが今回は、少し複雑な想いを抱えているのではないかと思った隊員は、そう聞かずにはいられなかった。

 想い人の故国ともなれば、反発もあり得るのではないかと思った隊員は、それが杞憂であったことに胸を撫でおろす。それでも、もし反発したならばどういう結末になるのか、少し見てみたいとも思った隊員だった。


 とここで、ノックの音とともに扉の方から声がかかる。


「ロブ・リドリーです」

「入れ」


 静かに扉が開き、ロブが入室すると、報告に来ていた隊員がハロルドに頭を下げ、入れ替わるように退室した。


「どうした?」


 特に呼んでもいないのに訪ねてきたロブに、ハロルドが訝し気に問いかける。ロブはジェイクの魔導部隊に所属しているため、直接的なやり取りはしたことがなかったから尚更だった。


「お礼を申し上げに参りました」

「礼?」

「個人的に、どうしても言っておかなければと思いまして」


 胸に手を当て、恭しく頭を下げたロブは、次いで感謝の言葉を口にした。


「此度のこと、本当にありがとうございました」

「祖国が滅びるというのに、礼とはな」

「未練など、微塵もありはしません」

「そうは言っても、良い思い出もあるだろうに」

「家族と親族は、私の傍に皆いますので」

「そうか」

「はい」


 ダンジョンの穴を塞いだのは、ハロルドの独断だ。国には承認されたとはいえ、事後報告なのは間違いない。そして、国王の『制裁』という言葉を引き出す切欠にもなってしまったことは否めなかった。だからこそ、少しばかりハロルドには罪悪感がある。


「娘には、ただ、故国が滅びたとだけ伝えました」

「ああ」

「それと、隣国の滅亡の顛末も説明して頂いたとも聞いています。ずっと自分のせいであの国から『守護者』を奪ってしまったと思っていた娘にとって、その話は心の重りを軽くするには十分だったようです」

「すまないと思っている。ただロブの隣国への貢献を知ってもらいたかったという、我々の浅慮から来た発言だったと、今でも後悔している」

「いえ、感謝こそすれ、恨んでなどいませんよ。妻と娘には浮気をしていたと疑われていましたし、国の為に頑張っていたのだと労われて、正直私は良い気分でしたしね。娘には辛い思いばかりさせて、本当に不甲斐ない父親だったと、反省しています」


 お互いに顔を伏せ、暗い表情をする。

 だがここで、ぐいっと顔を上げたロブが、意を決したように声を上げた。


「ハロルド・コールズ様。どうか娘を、よろしくお願いいたします」


 深々と腰を折り、目を閉じた。


「え?」

「今回のことで、痛感いたしました。娘を任せられるのは、貴方しかいないと」

「え? え?」


 突然のことに、ハロルドは狼狽えた。それどころか、驚きすぎて疑問符以外の言葉が出てこない。そんなハロルドに、思わずロブは顔を上げて、眉を顰めた。そして、呆けているハロルドを見遣り、息を吐き出す。

 その様子で、ハッと我に返ったハロルドは、次いで破顔した。

 言葉の意味を漸く理解し、一気に脳に染み渡る。


「はい、こちらこそよろしくお願いします! お義父上!」

「まだ早いわ!」


 握手を求めてきたハロルドの手を跳ね除け、ロブは叫ぶようにそう言った。



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