幕間3.父と兄

 アンジュの父であるマークは、ふと空を仰いだ。天高く、翼を広げて悠々と泳いでいる飛竜に目を細める。


「俺もあんなふうに、自由に飛んでみたいな」


 そんな呟きを、息子であるジョージが拾う。


「俺も。もしかして、魔導士って、空も飛べたりするのかな?」

「どうだろうな? そういえば今夜、ジェイク殿と飲みに行く約束をしてたな。聞いてみるか?」

「はは、子供っぽい質問だと笑われそうだけどな」


 親子二人は笑い合う。最近懇意にしている、この国の『守護者』ジェイク・オールディスの顔を思い浮かべて。





 時は少し遡る。

 ベント親子は軍馬の検診のため、剣士部隊を訪れていた。


「特に問題はないですね。怪我も無いし、病気に罹っている馬もいません。みんな元気そうで何よりです」

「そうですか。それは良かった」


 マークは検診結果を剣士部隊の軍馬担当者に手渡す。これで今回のここでの仕事は終わりだと、ホッと息を吐き出した。

 後ろを振り返ると、ちょうど後片付けが終わった息子ジョージが、こちらに歩いて来るところだった。

 それを確認し、もう一度担当者へと顔を向けると、マークは軽く会釈をする。


「ではまた次回、三ヶ月後にお伺いします」

「はい。お疲れ様でした」


 お互いに、にこやかに挨拶を交わし、立ち去ろうとしたところで、マークに声がかかった。


「ベント殿!」


 呼び止められ、声の方に目を向けたマークは、意外な人物の登場に動揺した。それは剣士部隊の軍馬担当者も同じで、目を剥いている。


「オ、オールディス隊長! い、如何されましたか?」


 最初に声を上げたのは軍馬担当者だった。それはもう、狼狽ながら。


「ああ、ちょっとベント殿に話があってな。ベント殿、このあと予定は空いていますか?」

「……はい。特に予定はありませんので、大丈夫です」


 声をかけてきたのが、鬼上官で知られるジェイク・オールディスだったことに、マークは驚きを隠せなかった。

 二年前、魔導部隊へ飛竜を預けに行って以来、会っていないのだが、良く顔を覚えていたなとマークは思わず感心する。実際マークは、ジェイクの顔はうる覚えだった。魔導部隊の制服と、その胸元にある隊長職の証である刺繍を見て思い出したくらいだ。

 そのニ年ぶりに会った隊長が、声をかけてきたことに冷や汗をかく。

 魔導部隊へ預けている飛竜、アンディのことでの苦言だろうかと、緊張した面持ちで、マークは返事を返した。


「では、この近くに酒場がありますので、そちらでお話をさせてください」


 硬い表情でそう言ったジェイクに、仕事の話を酒場でするのかと思いながらも、マークは静かに頷いた。


「ジョージは先に帰っていてくれ」


 マークが振り返り、息子にそう告げるも、ジェイクが慌てたように割って入る。


「ああ、出来れば息子さんも一緒に聞いて頂きたいのですが…」


 先程、ジェイクの表情が硬いと思っていたマークは、ここでジェイクが随分と緊張していることに気がついた。

 何か良くないことがあったのだろうかと、マークもまた神妙な面持ちになる。


「帰りは僕が、馬ごと転移魔法でお送りしますので、ご心配なく」


 笑顔を作ろうとして失敗したジェイクは、口元を引き攣らせていた。

 普段、鬼上官と言われているジェイクは、滅多に表情を動かさない。それだけに、上手く笑顔が作れないのだろうと、その場にいた三人は納得する。

 ただ単に緊張していて、上手く表情に出せないだけなのだが、そんなジェイクの心情を図れる者は、この場にはいなかった。


「分かりました。ですが、わざわざ送って頂かなくても結構ですよ。そこそこ私も息子も酒には強いので」


 緊張を解そうと、マークが穏やかに言うが、何故かジェイクは益々恐縮してしまう。


「いえ、とんでもない! 誘ったのはこちらなのですから、帰りも責任を持ってお送りします!」


 隊長職に就いているだけあって、責任感が強いのだなという印象を抱いたマークだったが、ただ単にジェイクが好感度を上げようと必死になっていることは、当然のことながら知る由もない。



「ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません。魔導部隊の隊長のジェイク・オールディスです。お二人に会うのはニ年ぶりくらいですね」


 歩いて数分の酒場へと入り、腰を落ち着け、注文を終えたところでジェイクが焦りながら挨拶をする。礼儀を欠いてしまったと、謝罪までもを口にしたことに、流石にベント親子は狼狽えた。


「ご丁寧にどうも。こちらこそ、こんな田舎者の平民を、魔導部隊の隊長に覚えていてもらえただなんて、光栄です」

「いえいえ、こんな美形の親子を忘れるなと言う方が無理ですよ」


 にぱっと笑ったジェイクに、ベント親子は唖然とする。

 もしかして既にどこかで一杯引っ掛けてきたのかと疑うほどに驚いていた。

 それは魔導部隊の隊長であるジェイクの噂を聞いていたからに他ならない。その噂は、随分と恐ろしいものだった。

 表情を崩さない鬼上官で、部下からも畏怖の念を送られている。戦場に出れば狂戦士として、容赦なく魔物を屠る姿は鬼神とまで言われていた。魔法と闘気術に長け、その威力は凄まじく、周りの景色までもを一変させてしまう程だと恐れられている。

 それがどうだろう。今目の前にいるジェイクは、とてもそんな恐ろしい人物には見えない。寧ろ可愛らしい顔をしている分、人畜無害な人懐っこい優男にさえ見えるのだ。


「美形……ですか?」

「あれ? 自覚がないのですか?」

「ああ、いえ。まあ……それなりに……。女性には苦労させられましたね」


 実際、若い頃のマークはそれなりに大変だった。そして現在進行形で大変な思いをしている息子のジョージを見遣り、眉を下げた。

 その様子にジェイクが食いついた。


「息子さんは、今恋人はいらっしゃるのですか?」


ず いっと前のめりになったジェイクに、ジョージは顔を引き攣らせる。


「い、いえ。いません」

「気になる相手はいますか?」

「いえ、特には」


 ぐいぐいくるジェイクに、ジョージはタジタジになりながら答えた。


「そうですか……。それは残念です」


 何が残念なのか、皆目検討もつかないベント親子は首を傾げた。

 とちょうどそこへ、注文した物がテーブルに並ぶ。


「今日は僕が出しますので、どんどん食べて飲んでください!」


 機嫌よく、笑顔でそう言ったジェイクに、二人は未だ戸惑ったままだ。

 噂と違いすぎるジェイクに、偽物なのではと思ってしまった程だ。


「いえ、流石にそれは……」


 マークからしてみれば息子と同年代の若者にたかっているようで気が引けた。だが、ジェイクが貴族だと思い出し、言葉に詰まる。

 本来こんなふうに同じ席に着くなどあり得ないことだと思う反面、こんな酒場に腰を落ち着けている時点で今更かと、開き直った。


「まあまあ、誘ったのは僕ですし、お気になさらず! さあ、食べましょう!」


 体格が良いせいか、ジェイクはかなりの大食いだった。それに呆気にとられながらも、ベント親子も食事に手を伸ばす。


「その……お話というのは?」


 お互いに黙々と食べて、そろそろ頃合いかと思い、マークが恐る恐る問いかける。


「は、はい。……えっとですね……」


 少しばかり和やかになりつつあった雰囲気が、一気にピリっと張り詰めた。そのことを感じ取り、ベント親子が背筋を伸ばす。


「そ、その……。昨日、娘さんであるアンジュさんに交際を申し込みました。それで、お義父さんとお義兄さんに、結婚を認めて頂きたく、今日、お誘いした次第であります」

「………は? 結婚?」


 言葉を理解するのに、時間を要したマークが、暫しの沈黙の後、疑問形で返事をした。隣に座っているジョージは、フォークを握ったまま固まっている。


「あ、いえ、まだ結婚は早すぎましたよね! ですが僕としてはもう、アンジュさん以外は考えられませんので、何としても結婚にまでこぎつけたいと思っています!」


 余程緊張しているのか、色々と手順を間違えているジェイクに、ベント親子は苦笑いを溢した。

 実は、こういったことは前にも何度かあったので慣れている。顔だけは良いアンジュもまた、異性関係では苦労をしていた。

 ただ今回は、相手が地位の高い人物だということで、二人にも緊張が走る。慎重に言葉を選ばなければ、後々面倒なことになると、先ずは順を追って、経緯を聞き出すことにした。


「その、娘とは……アンジョとはどこでお知り合いになったんでしょうか?」

「えっと、病院です。部下のお見舞いの際に、挨拶をさせて頂いたのが切欠です」


 照れ照れと頬を赤く染め、モジモジと話すジェイクに、噂はどこへいったのかと、ベント親子は複雑な表情を浮かべた。


「病院ということは、アンジュの勤め先で、知り合ったと。それはいつ頃のお話ですか?」

「一昨日です」

「……それはまた……随分と最近で……」

「はい。それで、昨日デートに誘いました!」

「ほう」


 意外に手が早いなと、マークは思わず片眉を上げた。高望みかもしれないが、自分の娘を預けるのだ、相手には誠実さを求めたくなるのが親心というものだ。


「それで、うちの両親がどうしても会いたいと言うので、デートというよりは、両親への挨拶になってしまったのですが。あ、勿論、うちの両親もアンジュさんに是非お嫁に来てほしいと懇願していました」


 照れながらも満面の笑みで幸せそうに語るジェイクに、酷い温度差を感じたマークは、まさかという思いで口を開いた。


「なるほど。一つ気になったんですが、アンジュはそのデートがご両親への挨拶に変わってしまっていたことを知っていたんでしょうか?」

「あー、いえ……。急なことだったので、伝えずに実家へと連れて行ってしまいました。それについては、本当に申し訳なく思っています」

「……はあ……それはまた随分と早まったことをしましたね……。アンジュは強く反発したでしょう?」

「は、はい……。本当にすみません」


 マークはジェイクの言動に苦言を呈した。そのことに、ジェイクも焦りながら謝罪する。

 アンジュはガサツな性格ではあるが、こと恋愛に関しては慎重だった。


「アンジュも顔だけは良いので、それなりに言い寄られることが多かったんですが、性格に難がありましてね……。何度も振られてしまって、少し男性不信になっているところもあるんです。なので、アンジュとしてはじっくりゆっくりと事を進めたいと思っているようです」

「な、なるほど……そうでしたか」


 マークの言葉に、ジェイクは打ちひしがれる。伴侶探しをしていると執事から聞いていたので、ここは一気に押すべきだと判断したが、それが逆効果だと知り項垂れた。


「まあ、問題はそこだけじゃありませんけどね」

「問題、ですか?」

「オールディス隊長はお貴族様ですよね? しかも『守護者』だとも伺っています。そんな凄い方が何故、平民を娶ろうとしているのでしょうか?」


 尤もな質問に、ジェイクは頷く。自分の生まれた年の女児の出生率が異常に低いことを説明し、納得してもらおうと必死に言い募るジェイクに、マークとジョージは哀れみの表情を浮かべた。


「それは確かに、自国の平民を望むのは致し方ないことだとは思います。ですが、人選に問題があると思いますよ。アンジュが貴族になるなど…どう考えても無理ですよ」


 嘲笑するマークに、ジェイクは「そんなことはありません!」と、息巻いてアンジュの良さを語りだす。


「アンジュさんは、本当に心根の優しい、素晴らしい女性です。食事のマナーも、言葉使いも申し分なく、何より心遣いが誰よりもできる。もう何もかもが素晴らしい! まさに女神のような女性です!」


 それを引きながら聞いていたマークとジョージは、信じられない思いで聞き返す。


「アンジュが、気遣いができる……ですか? しかも言葉遣いも? ちょっと信じられないんですが……」


 アンジュが家を出て働き始めてから、一度も家に帰って来てはいないが、あのガサツな性格が一年半程で劇的に変わっているなど到底信じられないマークだった。


「アンジュはきっと、オールディス隊長の前でだけ、自分を取り繕っているのではないでしょうか」


 ずっと口を挟まずにいたジョージが、堪らず割って入った。

 そのジョージの言葉に、マークも大きく頷く。だが、ジェイクは譲らなかった。


「いえいえ、そんなことはありませんよ! 実は僕はアンジュさんに一度振られてしまっています。それなのに、しつこく求婚してくる僕に、アンジュさんは素の自分を見せて幻滅させようとしているようですが、全くもって逆効果なのですよ。先程も言いましたが、本当に気遣いも言葉遣いも素晴らしいく、貴族としても十分にやっていけると、僕も両親も確信しています」


 言い切ったと言わんばかりの晴れ晴れとしたジェイクの表情に、恋は盲目という言葉をベント親子は心の中で呟いた。

 後々ジェイクの目が覚めた時、傷つくのはアンジュだろうと、二人はどうしたものかと逡巡する。既にアンジュは、ジェイクに真実を見てもらおうと行動を起こしているのだ。にも関わらず、家族である自分たちにジェイクはわざわざ会いに来た。

 貴族という権力者である相手が、このままの勢いで婚姻にまで持っていかれたら、流石に断り切れないと、二人の胸に不安が押し寄せた。


「アンジュと出会って、まだ数日なんですよね? 流石に婚姻の話をするには早すぎます。お互いにもう少し理解を深めてからの方が良いでしょう」


 マークの説得に、ジョージも隣で一生懸命に頷いた。


「そうですよね……。それは十分に分かっています。その……僕としては、どうしてもアンジュさんと結ばれたいのです。ですから、今すぐ婚姻というのが駄目であれば、せめて婚約という形で、どうにかアンジュさんとの関係を強固にしておきたいのですが、どうでしょうか」


 なかなか引き下がらないジェイクに、マークが重い溜息を吐き出した。


「そもそもアンジュは乗り気ではないんでしょう? 先程振られたと言っていたし……。結婚というものは、どちらか一方の想いで成立するものではありません。まあ、お貴族様は違うのかもしれませんが」


 マークの言葉に、更にジェイクの肩が落ちた。

 その様子に、思わずといった感じで、ジョージが口を開く。


「ただ……オールディス隊長は、アンジュの好み、そのものだと思います」


 ガバリと勢い良く顔を上げたジェイクが、ジョージに期待の目を向ける。


「……ええーと……。顔が好みでしょうね」


 可愛らしい顔をしていることを口に出そうとして、ジョージは咄嗟にそれを回避した。男としては、その言葉は褒め言葉ではない。だが顔が好みだと聞いたジェイクは、初めて自分の顔を好きになれた。

 今までこの顔に劣等感を抱いていたジェイクは、舐められないようにと、随分と気を張って仕事に打ち込んできた。そのせいで鬼上官などと呼ばれてしまっていたが、今後は優しい上官を目指そうと、ジェイクは意気込む。


「それに、背も高いし、体格も良い。正直、モテるでしょう?」


 可愛らしい顔ではあるが、美形なジェイクは、文句なしに全てが揃っている。地位も高ければ、名声もある。おまけに『守護者』という、男ならば一度は目指してみたい最強という肩書までも手にしているのだ。


「好きな女性に振り向いてもらえないのならば、意味はありません」


 項垂れるジェイクに、これは重症だなと、ジョージは呆れてしまう。

 自分の妹は、こんなにも凄い人物に好かれるような出来た人間ではないのだ。そのことが念頭にあるせいか、ジョージは早くジェイクが目を覚ましてくれればと願う気持ちの方が大きくなる。


「婚約の話は、まずはアンジュの気持ちを聞いてからにしましょう」


 結局はそこが大事なのだと、マークがジェイクに諭すように言う。

 不満そうな表情を浮かべるジェイクに、ジョージは苦笑いを浮かべながら、妥協案を挙げた。


「まあ、早い話、オールディス隊長がアンジュをその気にさせればいいんですよ。幸いアンジュの好みに合致しているんだし、時間はかかるかもしれませんが落とせなくはないと思いますよ」


 ジョージの言葉に、父親であるマークが渋面を作った。

 アンジュの性格からして、ジェイクの目が覚めるのは遠からず来るのだ。その時傷つくのはアンジュなのだと分かっていての発言に思わずマークはジョージを睨みつけてしまう。


「こうでも言わないと引き下がらないでしょう?」


 小声でそう言ったジョージに、マークは奥歯を噛んだ。

 そんな親子の会話など耳に入っていないのか、ジェイクが満面の笑みで答えた。


「はい、頑張ります!」


 お互いに朝が早いということもあり、早々に切り上げ帰宅する。

 最初の宣言通りに馬ごと転移魔法で送ってもらったベント親子は貴重な体験に興奮しつつも恐縮した。

 礼を述べる親子に対し、ジェイクは明るく「これからも末永くよろしくお願いします」と頭を下げる。

 それに苦笑しながら、マークも腰を折る。


「娘のことを気に入ってくださり、ありがとうございます」


 今はこれだけ言うのが精一杯だろうと、敢えて「よろしく」とは言わなかった。

 いずれ来るであろう別れの時を案じ、アンジュの心を守らなければという親心でそれ以上の言葉が出なかった。


 そんなマークの心情など知らぬジェイクは、上機嫌で去っていったのだった。



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