幕間4.ベント家

 翌日の朝、ベント家はいつになく重苦しい空気を醸し出していた。


 昨日の夜の出来事を、マークは妻であるミリアに余すことなく報告した。

 母親であるミリアもまた、アンジュを案じ、眠れぬ夜を過ごした。


「はあ……アンジュは大丈夫かしら……」


 寝不足の身体を引き摺り、外へと出ると、心配そうに一頭の飛竜が近寄ってくる。


「おはよう、ルル。今日もいい天気ね。洗濯物もよく乾きそう」

「クルル」


 疲れたように笑うミリアに、ルルと呼ばれた飛竜が小さく返事をする。

 既に成獣になっているルルの体長は、四メートル近くあった。首を一生懸命に下げ、ミリアの頬に鼻先をつけるルルは、労るようにもう一度声を出した。

 何も知らない筈のルルだが、ミリアが何かに悩んでいることを察し、必死に慰めようとしてくれていた。そのことに気づき、ミリアは浅く笑みを零す。


「ありがとう、ルル」


 ルルの顎を撫でながら、思案顔でミリアは俯いた。


「ねえ、ルル。もしも……もしもこの国を出ることになったら、一緒についてきてくれる?」

「クルルル!」


 勿論だというように、ルルが元気に頷く。


「ふふ、ありがとう」


 そうならなければいいなと、ミリアは小さく息を吐き出した。そして気持ちを切り替える。

 今はまだそこまで考える必要もないかと、ルルを見上げ笑顔を見せた。


 そんなやり取りをしている中、ふとルルが頭を上げ、遠くを見る。

 その仕草をするときは、大体は誰かが訪問する時だと、ミリアは「こんな朝早くに誰かしら?」と首を傾げた。


 馬車のガタゴトという音がミリアの耳にも届く。

 段々と近付く音に、ミリアは目を凝らした。そして気づく。


「随分と立派な馬車ね……」


 嫌な予感がミリアの脳裏を過る。


「昨日の今日で、まさかそんな、ねえ」


 だが実際は、そのまさかだった。


 ミリアに呼ばれ、マークとジョージが外に出ると、そこには立派な馬車が停まっていた。

 馬車の家紋はオールディス公爵家のもの。当然、庶民であるベント家で、その家紋を知るものはいなかった。だが見たこともない立派な馬車は、貴族の持ち物だと一目で分かる。街中で見かけたら、間違いなく道の端により、頭を下げて通り過ぎるのを待たなければならないものだった。田舎ならではの光景ではあるが、そうしなければならないと、幼い頃から言い聞かされて育ってきた。

 そんな豪奢な馬車が我が家の庭先に停まっている事実に、ベント家は戦慄する。


「お初にお目にかかります。オールディス公爵家、筆頭執事のセバスチャンと申します。突然の早朝訪問、大変申し訳ございません」


 馬車から降りてきた人物は、ビシリと燕尾服を着こなし、胸に手を当て、腰を折った。

 丁寧な挨拶と共に渡されたのは、婚約の打診という主旨の書類だった。


「昨日の今日で、これは流石に…‥」


 苦々しくそう言ったマークに、執事のセバスチャンは申し訳なさそうに目を伏せた。


「はい。先日アンジュ・ベントさん自らも、婚姻をお断りされておりました。しかし、オールディス家総出で、アンジュさんを気に入ってしまいまして。なんでも昨日はジェイク様が先走ってご家族に婚姻の申込みをしたとお聞きしましたが……」

「ええ、まあ……。私もお断りしました。先ずはアンジュをその気にさせないとと思いまして。昨日の時点では、それで納得して頂けたと思っていたのですが……」

「はい。私もそう思います。ただ、オールディス家としては、アンジュさんを逃したくないという思いが強く、私の説得も聞き入れては頂けませんでした」


 アンジュのどこをそんなに気に入ったのかと、家族三人が首を傾げる。

 そのことに、セバスチャンが察したように説明をした。


「一年前、アンジュさんが勤める病院近くのダンジョンで、魔物暴走が起きたことはご存知でしょうか?」

「はい。こちらにも避難命令が出ましたから、よく覚えています」


 マークが飛竜であるルルの身体を撫でながら肯定する。あの時、ルルが自分たちを守ろうと体を張ってくれたことを思い出し、感謝の意を込めて優しく撫でた。


「あの日、たくさんの兵士が怪我を負い、それはそれは大変な討伐だったと聞いています。ですが、死者は一人も出ませんでした。それは偏に、アンジュさんたち、看護師の方のお陰なのです」

「はあ、まあ……それは仕事ですから当然のことなのでは?」


 病院に運ばれて来た兵士はとても多かったのだろう。だがそれを懸命に手当てするのは仕事なのだから当たり前のことであり、何もアンジュだけがそれを行ったわけではないのだ。その病院に勤める、医師と看護師、その関係者全ての功績だと言っていい。


「いえ、そうではなく。アンジュさんたち一部の看護師の方が、自らダンジョンへと向かい、兵士たちの命を繋げたのです」

「え?」


 家族三人は驚きの余り、目を瞠る。

 魔物が暴走するダンジョンへと足を踏み入れるなど、自殺行為だと顔面蒼白になった。


「ダンジョンへと向かう森の途中で、兵士が十人ほど、倒れ伏していました。そこへアンジュさんたちが現れて、手当をし、彼らを救ったのです」


 胸に手を当て、静かに語りだしたセバスチャンに、ベント親子はまだ衝撃から立ち直っていないながらも懸命に耳を傾けた。


「ただ、本当に恐ろしい経験をされたようで、一緒にダンジョンへと向かったアンジュさんの同期の方々は、一人を除いて皆心を病んでしまいました。そして一人、また一人と病院を去っていったのです。そんな中、アンジュさんはその恐怖体験でも心が折れることなく、今も立派に職務を全うしています」

「な、なるほど、その図太さを気に入ったということですか」

「いえいえ、そうではなく、責任感の強さと、仕事への意欲や向上心を気に入ったのだと思いますよ」

 

 物は言いようだと、三人は心の中で呟く。


「実はその兵士の中に、私の弟も含まれおりました。本当にアンジュさんには心から感謝いたします」


 未だその礼をアンジュ本人に出来ていないセバスチャンは、代わりと言わんばかりに、ベント親子へと深々と頭を下げる。


「ええっと……アンジュから何も話を聞いていないので、何ともお答え難いのですが……」

「そうでしたか。アンジュさんからしてみれば、とても恐ろしい経験でしたから、口に出すことも出来なかったのかもしれませんね」


 思い出すのも恐ろしかったのでしょうと、セバスチャンは眉を下げて付け足した。


「いやあ~、それほどまでに図太いアンジュが口に出せないなんて、余程のことがあったんですかね。逆に恐怖も何も感じてなくて、もう忘れている可能性の方が高かったりしますよ」


 いまいちピンとこないマークは、このまま婚約話をなかったことに出来ないかと、アンジュを落とす発言をした。


「いえいえ、あの経験を経て、もっと仕事に打ち込むようになったと勤め先の医院長が言っておられましたよ」

「はあ、そうですか……」


 だが見事に伝わらず、マークは項垂れた。


「さて、如何致しましょう。婚約の打診は取り敢えず、保留ということでよろしいでしょうか?」

「あー、できればお断りしたいのですが……無理ですよね?」

「恐らくは……できるのは先延ばしくらいかと」

「まあ、仕方ないですね。今は保留ということで、お願いします」

「かしこまりました」


 にこやかにそう言ったセバスチャンは、丁寧に腰を折り挨拶をするとそのまま馬車に乗り込んで帰っていった。

 その馬車を親子三人と一頭で呆然と見送っていたとき、ポツリとミリアが呟いた。


「家にも上げないで、庭先で話させてしまって、悪いことをしてしまったわね」


 動揺のあまり、碌な接待もできなかったと青くなるベント家だったが、未だ事態を飲み込めず、呆然と立ちつくしていた。


 後日、ようやく事の重大性に気づいたマークたちは、ウンウンと頭を抱えるのだった。



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