23.あの日への邂逅

 飛竜の話が出たせいか、アンジュはすっかり緊張を解き、笑顔さえも浮かべていた。


「飛竜だけでも十分な功績だが、それよりもベントさん自身の功績もしっかりとあるだろう?」

「私自身の功績、ですか?」


 クレアの言う功績に、心当たりなどあるはずもないアンジュは、ただ首を傾げた。


 だが、次のクレアの発した言葉に凍りつく。

 それはアンジュに現実を突きつけるだけでなく、地獄に落とすものだった。


「ああ、一年前のあの日、ダンジョン近くのあの森で、ベントさんたちはたくさんの兵士の手当てをしてくれた」


 優しく笑み、穏やかな口調でそう告げたクレアに、アンジュの心臓が大きくどくりと音を立てた。


「そういえば、セバスチャンの弟も、あの場にいたのだったな」


 真っ青な顔で、アンジュはゆっくりとセバスチャンに目を向けた。

 呼吸が苦しい。

 息が上手く吸えず、アンジュは目の前が暗くなる感覚に襲われた。


「はい。実は弟は、あの時ベントさんに手当てをして頂いていたのですよ。弟を助けてくださり、本当にありがとうございました」


 深く腰を折り、漸くアンジュにお礼が言えたと、セバスチャンはホッと息を吐き出す。

 頭を上げてアンジュを見遣れば、酷く青い顔で震えていることに気づき、狼狽えた。


 そういえば、この話は病院内では絶対に話題に出さないよう、気をつけていたという情報を、セバスチャンは思い出す。

 それは偏に、あの恐怖体験がトラウマとなっている可能性があったからだ。

 実際、心を病んだ者もいたのだ。

 そのことに思い至り、セバスチャンが声をかけようとした正にその時、アンジュが椅子から転がるように落ち、床に這いつくばった。


「も、申し訳ございません! 本当に……申し訳ございません!」


 叫びながら謝罪をするアンジュは、次いで頭を床に叩きつけた。

 ごんっという音が何度も響く。その度にアンジュが謝罪の言葉を口にする。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 謝りながら、アンジュは『ああ、そうか』とセバスチャンに初めて会った時のことを思い出した。

 アンジュを睨みつけたあの目を。

 自分の弟を殺した女が、目の前に現れたのだ。しかもそれが自分の仕える主の想い人など、腸が煮えくり返る思いだっただろう。

 そうしてアンジュは、堪えきれず、目から涙が溢れ出した。

 いつか必ず報いを受ける。

 そう思っていたアンジュは、それが今なのだろうと、覚悟を決める。愚かな自分の過去に向き合い、償う日がやっときたのだ。

 そのことに知らず安堵したアンジュは、この日を待ちわびていた自分自身に驚いた。

 これで楽になれるなどと思った自分自身に、アンジュは失望した。


「……ぐ、うう、ああ、ごめんなさい、ごめんなさい」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにして、アンジュは謝り続ける。頭を床にこすりつけると、赤い色が広がった。


 突然のアンジュの謝罪に、その場にいた面々が固まる中、ジェイクがハッと我に返った。


「ベントさん!」


 椅子から立ち上がり、蹲っているアンジュを立たせようとして肩を掴む。ゆっくりと頭を上げさせ、アンジュの顔を覗き込んだジェイクは、息を呑んだ。


 アンジュの額が割れ、血が大量に流れていたことに、目を見開いたジェイクは、酷く動揺する。

 

 ジェイクに上体を起こされ、アンジュの瞳にセバスチャンの姿が映った。

 セバスチャンも、アンジュを見つめたまま動くことが出来ないでいる。

 何故謝っているのかは不明だが、あの日のことを思い出させてしまった罪悪感に苛まれ、セバスチャンはどう対応したら良いのか分からず、ただ立ち尽くした。


「お兄様、私が」


 漸く立ち直ったクレアが、ジェイクに声をかけた。

 アンジュの流血に言葉を失ってしまったジェイクは、未だに動揺しているのか、治癒魔法をかけようとしない。

 そうして一歩を踏み出したクレアと同時に、アンジュが叫んだ。


「あなたの弟を殺してしまった罪を、私は、どうやって償えばいいですか? 私は、どうすれば、どうすれば! 許してほしいとは言いません! だから、償う方法を教えてください!」


 必死の形相でそう叫んだアンジュに、セバスチャンは耳を疑った。

 今、なんと言った?と、セバスチャンは首を捻る。

 この場にいる全員が、セバスチャンと同じことを思ったのだろう。困惑気味にお互いを見遣り、ハッとする。

 まさか彼女の中では、彼らが死んだことになっているのか?と思い至り、戦慄した。

 

「弟は生きています!」


 アンジュに負けないくらいの声で、セバスチャンが叫んだ。

 まずはここから訂正しなければと、セバスチャンは焦った。


「……え?」


 涙と血でぐしゃぐしゃになった顔で、アンジュは呆然と呟く。


「弟は生きていますよ。五体満足で」

「……え?」


 先程とは打って変わって、静かに言葉を紡いだセバスチャンは、アンジュへと近づくと、目線を合わせるためにしゃがんだ。


「ベントさんのお陰で、弟は命を落とすことなく、無事、私たちのもとへ帰ってきました。本当にありがとうございます」


 アンジュの目を見て、しっかりと伝わるようにセバスチャンが言う。

 だが、アンジュはそれに反発した。


「そんな嘘はいらないです。どうか、償いをさせてください」


 苦しそうに、アンジュが言葉を絞り出す。

 漸く償いが出来るのに、仕える主のために、弟の死をなかったことにしようとするセバスチャンに、アンジュは怒りさえもわいてきた。


「ベントさん。本当に、セバスチャンの弟は生きています。それに、一年前のあの日に、殉職した者は一人もいません」


 ジェイクの言葉に、アンジュは瞳を揺らした。

 そんな筈はないのだ。何故そんな嘘をつくのかと、アンジュは苦しさに喘いだ。


「あの日、ベントさんたちが彼らに手当てを行ってくれたお陰で、彼らは助かりました。ベントさんたちが退避した後すぐ、魔導部隊が到着して、魔物を殲滅しました。彼らがあのまま倒れ伏していたら、きっと助からなかったでしょう」


 言いながら、アンジュに治癒魔法をかけたジェイクは、考える。何故こんな勘違いをしてしまっているのかと。

 その答えを、アンジュが静かに語った。


「……ですが、あの時、私は見たんです……あの人が、魔物に襲われて……」


 そこでぶるりとアンジュが身体を震わせた。

 腕を喰われる兵士、追いかけてくる怒号と断末魔。

 振り返ることも出来ず、見捨てて逃げ帰った自分自身。

 そのどれもが鮮明に思い出され、アンジュの身体が傾いだ。

 それをしっかりと支えたジェイクは、セバスチャンへと目を向けた。

 もっと言葉を尽くせと目で訴えるジェイクに、セバスチャンはコクリと頷

く。

 アンジュを刺激しないよう、ゆっくりと立ち上がったセバスチャンは、次いで胸ポケットから、懐中時計を取り出した。


「ベントさん。弟の娘が、先月五歳になりました。その姪っ子の誕生会に、私はもちろん、一年前のあの時、一緒にいた仲間も招待されましてね。これはその時の映像です」


 セバスチャンが懐中時計の蓋を開け、文字盤をくるりと一周なぞる。淡い虹色の輪が現れて、それが徐々に大きくなっていった。

 俯いていたアンジュは、キラキラとした光が目の端に入り、ゆっくりと顔を上げる。


 大きな輪の中心に、映像が映し出された。

 小さな女の子だ。

 花束を抱えた、その女の子は、弾けんばかりの笑顔で、「お父さん! 見て、とってもきれい!」と言いながら走り出す。

 その女の子の先にいる人物は、忘れもしない、確かにあの時、あの森にいた人物だった。

 アンジュは、食い入るように映像を見ていたが、それでもこれは過去の映像で、今彼が生きているという証拠にはならないと、眉間に皺を寄せる。

 だが次の瞬間、映像に映り込んだ人物を見て、アンジュの呼吸が止まった。


「……ミランダ?」


 映像の端の方に、笑顔で女の子を見つめるミランダが、そこには写っていたのだ。


「……嘘……」


 あの森に行く切欠を作ったミランダ。

 責任を感じて心を壊したミランダ。

 殺してくれと、何度も叫んでいたミランダ。

 自分のせいでと、自傷を繰り返したミランダ。

 病院から去る直前のミランダは、もう本当にボロボロで、まるで死人のように顔色が悪く、痩せ細ってしまっていた。

 そのミランダが、映像の中で、初めて会った時と同じ姿で、屈託のない笑顔を見せていた。


「……どうして……ミランダが?」


 誰かに問いかけるつもりで発した言葉ではなく、純粋にそう疑問を口にしたアンジュに、セバスチャンが答えを告げる。


「ミランダさんは、あの森で手当てをした兵士と、結婚をしました」

「……」


 セバスチャンの言葉が耳に入らないのか、アンジュは映像から目を離さない。

 その様子を見ながらも、セバスチャンは言葉を続けた。


「心を病んでしまったと聞き、ガイルがミランダさんにお詫びをしに行ったのです。ですが、最初は幽霊だと思われたらしく、何度も謝られて、話も出来ない状態だったそうです。それでも根気強く通って、ミランダさんの心に寄り添っている内に、お互いに惹かれ合ったみたいですよ」


 ぽかんと口を開けたままのアンジュは、理解が追いつかないのか、沈黙したままだ。


「もうすぐお子さんも、産まれるそうですよ。男の子が欲しいと、言っていましたね」


 アンジュはゆっくりと映像から視線を外し、俯いた。


 目から大粒の涙が溢れ落ちる。


「……うう……ミランダ……良かった……ミランダ……」


 今でも時折、アンジュの夢に出てくるミランダは、最後に見たあのボロボロのミランダで。

 今でもずっと、自分よりももっと苦しんでいるのだろうかと、アンジュは心配していたのだ。

 

「これで信じて頂けましたか? 彼らは生きていますよ。今も元気に、五体満足で」


 顔を上げたアンジュは、まだ泣き続けている。今度は、安堵の涙だ。

 死んでいなかった。誰も。そう思った途端、アンジュの全身から力が抜けた。


「ベントさん、大丈夫ですか?」


 抱きとめたジェイクは、心配そうにアンジュの背をさする。


「でもどうして、そんな勘違いを? 軍の方から何度か感謝の手紙も出していたし、報奨も与えられた筈だが」


 ドミニクが純粋に、疑問を口にした。軍の幹部として、しっかりと手紙を出したことは確認している。しかも報奨もドミニク自らがあの病院に渡しに行ったのだ。


「全く、ガウロの奴め。ちゃんと説明をしなかったのだな!」


 憤るドミニクに、その場の全員が同調した。

 一年もの間、ずっと自分のせいだと責め続けていたのだ。その心労を考えたら、簡単に許せるものではない。


「ガウロさんの件は、また今度にしましょう。先ずはアンジュさんを、休ませてあげないと」


 放心状態のアンジュを見遣り、カレンがセバスチャンに目配せをした。

 心得たというように腰を折ったセバスチャンは、すぐに部屋を出て、メイドを呼ぶ。

 元々アンジュには今夜、公爵家に泊まってもらうつもりでいたので、客間の準備は出来ていた。

 

「ジェイク様、ベントさんをお部屋にお連れします」 


 そう言ってアンジュに近づいたセバスチャンを制し、ジェイクが「僕が」と一言告げる。

 アンジュをひょいと抱き上げ横抱きにすると、ジェイクはそのまま部屋を出て行った。


 残された面々は、大きく息を吐き出す。


「辛かったでしょうね」

「ああ、本当に申し訳ないことをしたな」

「ちょっと待ってよ。何、皆知ってたの? アンジュ・ベントがあの病院の看護師だって。しかもあの時の当事者だって!」


 クラリスが腕を組み、不機嫌にそう言った。


「私は昨日知った」

 

 クレアが呟くように言う。


「教えといてよ! 恩人に酷いことばかり言っちゃったじゃない! しかも飛竜のお姉さんなのよ! もう、私の印象、最悪じゃない!」


 本気で頭を抱えているクラリスは、涙目だ。


「言っておけば良かったと、今更ながらに後悔している。ただ、クラリスがここまで反発するとは思っていなかった」

「騙されているって思ってたのよ!」


 その発言に、両親とクレアが首を傾げた。


「何故そう思った?」


 ドミニクが心底分からないというように、問いかける。それに大きく溜息をついたクラリスが、持論を述べた。


「今まで散々、平民の女に酷い目に合って来て、今度こそはと思った相手も全然駄目だったでしょう? それなのに、急にそんないい人が見つかるなんておかしいじゃない。だからきっと裏があると思ったのよ」

「なるほど」


 三人が同意する。それほどまでに、ジェイクの伴侶探し、いや、貴族家子息の伴侶探しは難航していた。


「はあ、でも、良かったわ。今回の晩餐会、本当に良い方向に進みそうで、私の罪悪感も少しはマシになったわ」

「は? 良い方向に進んでいる?」


 先程の憔悴仕切ったアンジュを思い出し、何が良かったのだと、クレアは目を眇める。

 未だアンジュをオールディス家に入れたくないのかと、思わず低い声でクレアが問いかけた。


「だってそうでしょう? 彼女が今までお兄様の求婚を断っていたのは、多分、あの森の出来事を気にしていたからだろうし」

「どういうことだ?」

 

 ドミニクが前のめりで聞いてくる。

 カレンも真剣な顔で、クラリスへ強い視線を向けた。

 だがクラリスは、これから話す内容を、この三人が理解出来るのかと、不安になった。


 父は軍の人間だ。闘気術士ではあるが、大きな怪我をしても魔導部隊の治癒魔法ですぐに治してもらえる環境にずっといた。

 母は根っからの高位貴族で、そもそも大きな怪我など負う環境にない。外出する際は護衛がつくし、その護衛の中には治癒魔法を使える者もいる。

 双子の姉のクレアも、魔力量の多さ故、傷を負っても自己修復してしまう。 

 もちろん自分もそうだが、とそこまで考えて、クラリスは昔の出来事を思い出す。


 魔物の群れに襲われた村で、兵士の一人が村の子どもを庇って重症を負ったことがあった。

 その母親は、アンジュと同じように地に這いつくばり、何度も謝罪をしていた。一般の人間からしてみれば、もう二度と兵士には戻れず、職にも就けない程の大怪我を子どもの代わりに負ってしまった事実は、余りにも重く、受け入れ難いものだったのだろう。


 だが軍に所属していれば、魔導部隊の治癒魔法で治してもらえるのだ。

 その事実を知らない母親は、その兵士の未来を嘆き、哀れみ、償いをと泣き叫んでいた。

 まさしく、先程のアンジュのように。

 だがアンジュの場合、助けてくれた相手が、既に亡くなっていると思い込んでいた。だとしたら、その罪悪感は、想像を絶するものだっただろう。

 あの母親でさえ、人目を憚らず、泣き叫んでいたのだから。


 真意が伝わるように、意識しながらクラリスが話し出す。


「自分のせいで、兵士が死んでしまったと思い込んでいたのよ? 人の命を犠牲にしてまで生き延びて、それで自分だけが幸せになるのが、許せなかったんじゃない? 死んでしまった彼らの家族に、申し訳が立たないとか、思ってたのかもしれないわ。しかも私たち一家は軍属だし。彼女からしてみれば、身内だという認識だったんじゃないかしら」


 先程の謝罪に、そう思わせる程の強い罪悪感と恐れを感じ取り、クラリスは確信を得たように言う。


「そういえばアンジュさん、実家を出てから一度も家に帰っていないそうよ。もしかして、それも罪悪感からだったのかしら」


 カレンが母親の顔で言った。

 心配しなくても、しっかりとアンジュの心が分かっているようで、クラリスは安心した。


「きっとそうね。犠牲になった兵士の人たちが家族のもとに帰れないのに、自分だけがのうのうと帰るのは、抵抗があったのかも。それに一度帰ったら、心が折れるかもしれないと思ったんじゃないかしら」

「心が折れる?」


 カレンが聞き返す。

 ドミニクは心当たりがあるのか、苦い表情をした。


「ああ、それは私にも、経験がある」

「ええ、私もあるわ」 


 クレアが同意を示し、クラリスはそれに頷いた。


「本当に辛くて、どしようもないほど辛くて耐えられない時に、自分の家に帰るとね、もう戦場へ出たくなくなるのよね。このまま家に閉じ籠もって、逃げ出したくなってしまうのよ。彼女はそうなることが分かっていたから、帰らなかったんじゃないかしら」


 カレンが目に涙を浮かべた。

 子どもたちにそこまで辛い想いをさせてしまった後悔と、守ってやれなかった自分自身に悔しさが込み上げる。

 ドミニクも同じ想いを抱いたのだろう。拳を握り、俯いた。


「本当に、強い人だな」

「でもああいう人は、何かのきっかけで、ぽっきり折れてしまいそうで、怖いわよね」

「そこは兄が支えればいい」

「ええ、そうね。美人で責任感もあって、心が強くて、レイチェルの減刑を求めるくらい優しくて、飛竜たちのお姉さんなのよ。こんな素敵な人、もう二度と現れないわ! お兄様には頑張ってもらわないと」

「全くだ!」

「本当に!」


 クラリスの言葉に、両親が力強く頷いた。

 そして家族が一致団結する。 

 絶対にアンジュを手に入れようと。


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