5.貴族の事情

 馬車に乗り込んですぐに、ジェイクはアンジュへと頭を下げた。


「申し訳ありません。まさか父があんな言い方をするとは思っていなかったので、ベントさんには不快な思いをさせてしまいました」

「頭を上げてください。私もまさか、オールディス様が貴族だとは思わず、声をかけてしまいました。申し訳ありませんでした」


 カレン夫人といい、ジェイクといい、貴族が平民に軽々と頭を下げるものではないと、アンジュは大いに慌てた。

 そして自分の浅はかさに猛省する。


「そんな! 僕はベントさんが声をかけてくださって、本当に嬉しかったのですよ!」


 必死な表情でそう言ったジェイクに、アンジュは複雑な想いを抱いた。

 顔も性格も好みのタイプで、魔導士ということもあり、収入も安定している。危険と隣り合わせの職業だが、この国にある三大部隊の内、剣士や武闘家よりも結界魔法や治癒魔法が使える分、生存率は非常に高い。

 今回の討伐も、前回の悲惨な状況を踏まえ、魔導部隊を派遣したのだろうと容易に想像出来た。

 それ程までに魔導部隊は戦闘に特化した部隊なのだ。そしてアンジュは思う、本当に残念だと。心の底からそう思わずにはいられなかった。


「先ずは、今の貴族の現状について、お話します」


 真剣な顔で話し出したジェイクは、膝の上で拳を握る。緊張しているのがアンジュにも伝わり、思わず背筋を伸ばした。それでも、今、貴族の間に何かしら良からぬことが起きているのだろうと察し、巻き込まないで欲しいと、ついアンジュはそんなことを考えてしまった。


「僕たちの世代の貴族は、極端に女児の出生率が低かったのです。実際、僕の双子の妹以外、女児は生まれませんでした」

「……なるほど、それは由々しき問題ですね」


 意外にもしっかりとした理由があることに、アンジュは少しばかり安心した。


「近隣諸国から嫁いでもらうにも、人数は限られます。実は他国でも、女児の出生率が低下しているという報告もあり、余り強く出られないというのが現状でして」

「そうなのですね。それでも我が国は大国です。縁を繋ぎたいと思っている国は多いのではないですか?」


 この国は治安も良く、温暖な気候のため過ごしやすい。

 軍事国家でもあるこの国は、貴族の責務が大きい分、優遇もされている。そしてジェイクの見目は可愛いという言葉がピッタリだが、整った顔をしていた。性格も穏やかで優しい。そんな優良物件と縁を結びたい者は多い筈だと、益々平民との結婚を望むことにアンジュは疑念を抱いた。


「ええ、その通りです。だからこそ、厄介なのです。形振り構わず、既成事実を作ろうと、必死になって襲ってくる者が多くて……。正直、辟易しています」

「襲ってくる?」

「はい、襲って来ます。特に夜、寝ている時に……」

「ああ……」


 『夜這いか』と、アンジュは遠い目をした。それでも、魔導部隊の隊長を務めるジェイクに、そんなことをしようとすることに、必死さが伺えて、思わず背筋が寒くなる。

 国際問題になりかねない事態だが、それほどまでに縁を繋ぎたいということなのだろうと、アンジュは瞑目した。


「す、すみません! 女性にする話ではありませんでしたね」

「いえ、大丈夫ですよ。それよりも、よく女性不審になりませんでしたね」


 そんなことが頻繁にあるのならば、女嫌いになってもおかしくはないと、アンジュはジェイクに尋ねずにはいられなかった。


「ええ、まあ。実は、女性不審には陥りました。それでも貴族として、子を成して血を繋がなければなりませんから」

「そうですよね。本当に、貴族の方々には頭が下がります」


 この国の貴族は、噂によれば堅実で、国の為、民の為にと身を粉にして働いていると聞いている。

 平民を護るのも、国が定めた法律だ。その法律を作ったのも貴族だと言われている。

 だがそれならば何故、平民を貴族から護る機関があるのかと、アンジュはその矛盾に首を傾げた。

 人間誰しも、清廉潔白とはいかないものだと、改めてそう思ったアンジュだった。


「でも、それだと、私以外の平民の方でもいいんですよね? 正直私には、貴族の責務というのは重荷でしかありません。出来れば他の方を探してほしいのですが」

「そんな! 僕はベントさんが良いのです! どうか、そんなことを言わず、僕との未来を考えてください」


 『他の平民』と言われ、ジェイクは過去のことを思い出し、青褪める。

 今までに平民の中からそれなりの家柄の女性とお見合いをしたことはあった。両親が連れて来た女性たちということもあり、安心していたジェイクだったが、蓋を開けてみればそれはそれは酷い人格の者ばかりだった。

 

 顔で選らんだ者は、男性には媚を売るが、女性には厳しく、嫌がらせをする。

 頭で選らんだ者は、人を常に見下す。

 大人しそうな者を選べば、従順を装いながらも権利だけは主張する。

 気の強い者を選べば、我儘で他人と衝突ばかりと、散々な結果だった。


 そして、貴族たちが平民の女性の中から結婚相手を探しているという噂が流れ、王都では連日、魔導部隊の本部が置かれている隊舎で出待ちをする者まで現れた。

 貴族子息たちはいつも女性たちに追い回されて、逃げ回っている状態だった。


 ごく普通の、本当に普通で何も問題のない女性を探すことが、如何に大変かを思い知った貴族たちだった。


「そう言われましても……。それに、オールディス様は一目惚れなのでしょう? きっと私の本性を知ったら、オールディス様の方から別れてくれと懇願するようになると思いますよ」


 その言葉に、ジェイクの脳裏に、ある人物が浮かぶ。いくら断っても、蛇のごとくしつこく付き纏ってきた女性のことを。

 だが、アンジュは今、その逆を行っている。自分から離れようとしているのだ。だがジェイクは、アンジュの本性を知ったからと言って、離れるつもりは微塵もない。ほんの少し、付き纏っていた女性の気持ちが分かった気がしたジェイクだった。


「本性ですか。是非とも見せてください。その方がお互いに距離が縮まると思うので!」


 引かないジェイクに、アンジュは溜息を零した。だが、本性を知ってもらった方が早いと結論付けて、大きく頷く。


「分かりました。ではお互いに、本性を曝け出してお付き合いしましょう。それで私に幻滅したら、すぐに言ってくださいね。私もなるべく早く結婚したいので、ずるずるとお付き合いをするのは嫌なんです」

「分かりました!」


 暗にジェイクが駄目だったら、すぐに違う男に乗り換えると言ってみたのだが、ジェイクには伝わらなかったようだ。そのことにアンジュは肩を落とす。こんな不誠実な女に引っかかってしまったジェイクを憐れに思いながらも、アンジュは早くジェイクを開放してあげなければと、使命感に燃えた。

 

 それと同時に、貴族に目をつけられて、本当に無事でいられるのかという不安も押し寄せる。

 優しそうなジェイクは何とか言い包めることは出来ても、父親であるドミニクの逆鱗に触れればそれなりに報復しそうだと、アンジュは憂鬱な気分になった。

 それでも本性を、と言ったことで、緊張も解けて漸くアンジュに余裕がうまれた。そして気付く。


「あの、オールディス様。今日はお休みなのですよね? 何故ローブを着ているのでしょうか?」


 まさかこれが普段着だとでもいうのか?と、今日はデートの筈だったと首を傾げた。


「その、一応正式に両親へベントさんを紹介するということで、正装をしようと思いまして」

「……」


 確かに制服は正装になり得るが、そんな話を聞いていないアンジュは、思いっきり普段着だ。それでも貴族とのデートということもあり、アンジュの持っている服の中では一番上等な物を着てきたつもりだった。もちろんその程度の物、貴族の目から見たら『みすぼらしい』代物なのだろう。両親への紹介を知っていたところで、服装だけはどうしようもなかったなと、アンジュは重い溜息を吐き出した。だがそれよりも。


「何故いきなり、両親への紹介になるんですか? それも私の了承もなく。流石に勝手が過ぎます」

「す、すみません!」


 有言実行というように、アンジュは早速本性を顕にする。これで引いてくれればと思い、容赦なく本心をぶつけた。


「平民だから、結婚を断れないと考えてのことかもしれませんが、そういう強引なやり方は困ります。まあ、声をかけた私も悪かったんでしょうけど」

「そ、その、弁解をさせてください! 平民だから断れないと思ったとかではなく、本当にベントさんと結婚がしたくて、気持ちが急いてしまっただけです! 両親を安心させたかったというのもありますが……僕としては、ベントさんを逃したくないという一心で……。その、本当にすみませんでした!」


 引くどころか真摯に謝られてしまい、アンジュは項垂れる。


「まあそのうち、幻滅するでしょうからいいですけどね」

「そんな日は絶対に訪れません!」

「はいはい」


 恋は盲目とはよく言ったものだと、アンジュはこれ以上の問答は意味がないと諦める。

 少し心に余裕の出来たアンジュは、ふと疑問に思ったこを口にした。


「その、先程のお屋敷って……王都にある本邸ではないですよね?」

「え? 王都の本邸ですよ。別荘はいくつかありますが、この地域には持っていないので、本邸の方にお招きしました」

「……ええっと、ここから王都までは、馬車で三日ほどかかるかと思うのですが?」

「ああ、この馬車には少し細工がしてありまして。転移の魔法陣が埋め込まれています」

「な、なるほど……」


 高級な馬車ということだけでなく、魔法陣まで付いた特別仕様という事実に、アンジュは目眩を覚える。


「ということで、いつでも家に遊びに来てください! そしてベントさん! これからどうぞよろしくお願いします!」


 意気揚々と笑顔を見せるジェイクに、アンジュは何とも言えない表情になる。早く目が覚めてくれればと思いながら、大きな溜息を吐き出した。

 貴族に関わったことで、これから先どうなってしまうのかという不安にかられながら、明るくない未来を想像し、アンジュは馬車に揺られていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ねえ、あなた。ジェイクは大丈夫でしょうか?」

「正直、難しいだろうな。あの娘は、随分と手強そうだ」

「ええ、そうですね……」


 アンジュが帰った後の応接室では、暗い表情をしたジェイクの両親が、項垂れていた。


「あのアンジュって娘は、本当にただの平民なのか?」

「ええ、確かに。どこか良いところのお嬢さんではないのかしら?」


 扉の前に立っていた執事に目を向け、二人が確認を取るように聞く。それを受け、執事は数枚の紙を懐から取り出した。


「間違いなく、ただの平民でございます。実家は国の外れの小さな村ですし。両親は牧場を経営していますが、規模は小さく、軍に飛竜を卸したり、軍馬の獣医であること以外、特記するような事項はなかったとの報告を受けています」


 淡々と告げられた内容に、二人はただ困惑した。


「いくら親元を離れて働いているとはいえ、あそこまでハッキリと貴族に物申すというのも不可解なのよね」

「ああ、護ってもらっているという認識がありながら、貴族を否定する物言いは、かなり珍しいな」


 今までに出会った平民は、媚びへつらう者ばかりだった。そして見合いをした平民などは、自分が選ばれたことを大いに喜び、婚約もまだだというのに、周りに婚約者だと言いふらして回る者ばかり。地位と権力を手に入れたいと、欲望が顔に出ている者ばかりを見てきたせいか、真っ当なことを言うアンジュが酷く珍しい者に見えて仕方がなかった。


「ただ単に、世間知らずなだけではないでしょうか? 若いからこそ、我慢がきかず、無鉄砲なことを仕出かします。それに、あそこまで気が強いと、後々面倒なことになりそうです」

「そうなのかしら? アンジュさんが言うことは、全て正論だったわよ。実際、守られる側から守る側になるのは、想像よりも遥かに大変だわ。それを理解している辺り、世間知らずとは言い難いわ」

「無鉄砲というのも、違うな。あれは後々のことを考えて、敢えてああ言ったのだろう。貴族の事情に巻き込まれるのはごめんだと、態度に出ていたしな」


 執事の棘のある言葉に、二人は苦笑する。

 だが、執事が憤慨するほどに、貴族の前で自分の意見をしっかりと言い切ったアンジュに、二人は感心していた。

 そして、貴族の話を鵜呑みにしない、思慮深さもまた二人にとっては高評価だった。貴族というのは、それなりに面倒な部分も多くある。それを分かっているような口ぶりだったアンジュに、二人は是非とも嫁いできて欲しいと思ったのだ。


「だが、あの話し方は平民ではなかなか出来ない芸当だ。正直、ドレスでも着せて社交界に出したとしても、誰も平民とは気付かないかもしれない」

「ええ、本当に。それにあの容姿だもの、ドレスがとても似合いそうで、私、本当に楽しみだわ!」


 カレンの双子の娘は、ジェイクと同じく魔力量が多いため、否応なく魔導部隊へと入れられた。そして今現在、戦場を駆け回っている。それが性に合っているようで、双子たちは毎日魔物の討伐数を競い合っているほどだ。

 そんな娘たちに、ドレスを着せる機会など、年に二回程度だ。だがアンジュが嫁いでくれば、一気にその回数が増えると、カレンは兎に角喜んだ。


 とここで、執事が一番下にあった紙を取り出した。


「実は、彼女の職場に、ロブ・リドリーの娘が働いております。もしかしたら、その娘の影響かもしれません。二人は同い年で、とても仲が良いそうなので、色々と込み合った話もしている可能性があります」

「ロブの……。確か、名前はエレナだったか。全くロブめ、見合いを何度も断りよって」

「仕方がないじゃない、婚約破棄だなんて……。もう貴族とは結婚したくないと思うのは、当然だわ」

「だが、隣国の元貴族だ。これ以上、条件の良い娘などいないだろう」

「そうですけれど、ジェイクはアンジュさんを見初めたのでしょう? さっきは乗り気だったみたいだけれど、やはり平民は嫌なの? 私は是非、アンジュさんに嫁いできてほしいのだけれど」


 不安げにそう言ったカレンに、ドミニクは即座に否定する。


「まさか。私も彼女は気に入った。ジェイクに、ではなく、アイツの倅にロブの娘を嫁がせたい」

「まあ、ハロルドに?」


 ハロルドはジェイクの幼馴染みで、もうひとつある魔導部隊の隊長だ。同じ貴族であるハロルドもまた、伴侶探しに苦労していた。


「アンジュとロブの娘が同僚で、しかも仲が良いのであれば尚更だ。お互いに助け合って、家を盛り立てていけばいい」

「まあ、いいわねえ! そういうの、私、大好きよ!」


 声を弾ませるカレンに、ドミニクはやれやれと肩を竦めた。

 その後二人は自室へと戻り、応接室には執事が一人だけ残された。


 応接室の奥にある窓へと向かうと、そっと窓を開ける。小さな鳥が執事の目の前に現れると、執事の手から嘴を使って紙を咥えた。


「これを至急、ハロルド様のもとに」


 そう呟くように執事が言うと、小さな鳥はすぐに飛び立ち姿を消した。

 その様子を目で追いながら、執事はひとり、ほくそ笑んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る