6.相談しようそうしよう
翌日、アンジュはいつものように出勤し、エレナと顔を合わせた。
「おはよう、エレナ、夜勤お疲れ様」
「おはよう、アンジュ。昨日はそのう……どうだった?」
「うん。そのことで話があるんだけど、今日の夜、時間取れる?」
「ええ、大丈夫よ」
「良かった。じゃあ、今夜ね。ゆっくり休んで」
夜勤明けで疲れているエレナに余り負担はかけられないと、アンジュは早々に話を切り上げる。
足早に自分の持ち場へと向かうアンジュに、少し遠くから声がかけられた。
「ベントさん!」
病院内ということもあり、然程大きくはない声でかけられた声に、アンジュは酷く驚いた。まさか昨日の今日で、またジェイクが会いに来るとは思ってもみなかったのだ。
「隊長職って、暇なのかしら?」
思わずそんなことを呟いてしまったアンジュだった。
「おはようございます、オールディス様」
「おはようございます。あの、これ」
おずおずと差し出された小さな花束に、アンジュは苦笑する。
「ありがとうございます。……その……お見舞いの方も、していってくださいね」
チラリと病室の方へ目を向けると、魔導士たちが期待を込めた目でジェイクを見ていた。
「はい、もちろんです」
そう言ったジェイクの後ろから、オールディス家の執事が花束を持って現れた。
「うげっ……よりにもよって執事とか」
つい口に出してしまったアンジュに、ジェイクが目を瞠る。
そのことに気付いたアンジュは、ニンマリと笑ってみせた。
「これが私の本性ですよ。幻滅しましたか?」
「えっ! いえ! ただ、どうして執事に対してそういう顔をされるのか分からなかったもので」
「ああ、この人、私に随分と悪印象を持ったみたいなので、顔を合わせたくなかったんですよね」
「まさか! そんなことはないはずですよ。彼、セバスチャンもベントさんのことを気に入ったと言っていましたから」
「ぶはっ! セバスチャン! 彼、セバスチャンって言うんですか!」
執事と言えば、お決まりの名前に、堪らずアンジュは吹き出してしまった。
人の名前を聞いて吹き出すような人間に、好感を持つ者はそういない。わざとやったわけではないが、執事の好感度はだだ下がりだろうとアンジュはチラリとセバスチャンを見遣る。だが特に反応もせず、無表情でアンジュに目を向けていた。
「知り合いにセバスチャンという名の者がいるのですか?」
純粋にそう聞いて来たジェイクに、アンジュはまた笑いそうになる。それをぐっと堪えて、話を戻すことにした。
「まあ、そんなところです。ああ、それと、執事さんが私を気に入るとか、流石にないと思いますよ。執事さんにしてみれば、私のような者が主人になるのは嫌でしょうし」
「そんなことはないです! ですが、そう思わせてしまったのならすみません」
主人であるオールディス家の面々が自分を気に入ったと言ったならば、それに異を唱えることは出来なかったのだろうと、アンジュは含みのある笑みを執事に向けた。
その視線をサラリと躱し、執事は自分の為に頭を下げるジェイクのことを一瞬見た後、申し訳なさそうに目を伏せた。
その様子に、アンジュは意外と出来た執事だなと感心する。
年齢的には、四十路を過ぎたくらいだろうか。アンジュからしてみれば『同年代』だ。その殊勝な態度に、まあこの年代ならばこんなものかと、納得する。
「いえいえ、主に忠実な執事さんだなと思っていましたので、私のような者が突然現れて、困惑なさるのは当然かと」
「セバスチャンは、とても優秀な執事です。ベントさんに対しても、真摯に仕えてくれると思いますよ」
アンジュがオールディス家に嫁ぐ前提で話をするジェイクに、アンジュは堪らず話題を変えようと、笑顔で病室の方へと手を向けた。
「さあ、皆さんお待ちかねですよ」
強引にアンジュがお見舞いの催促をすれば、それを受けて、渋々ジェイクが頷く。そのあからさまな態度に、アンジュの笑顔が引き攣った。
『いや、ここ、病院だからね。ちゃんと見舞いをして行ってよね。昨日はお通夜みたいになっちゃったんだからね』
昨日、彼女たちに愚痴を零していた魔導士たちの会話を思い出し、げんなりとしたアンジュだった。
ふとそこで気付く。そういえば、ジェイクを勧めてきた彼女が、昨日はいなかったことを。そしてその彼氏である魔導士も一昨日の夜に退院したのだと聞いた。何故そんなに急いで退院したのだろうと、アンジュは訝しんだ。
「では、お見舞いに行ってきます」
アンジュが考えに耽っている間、葛藤をしていたらしいジェイクが、とても残念そうに言葉を零した。そして重い足を一歩踏み出すと、一度アンジュを振り返る。
それに満面の笑みで送り出したアンジュは『はよ、行けや!』と心の中でだけジェイクをどやした。
ジェイクが何とか気持ちを吹っ切って歩き出す。その哀愁漂う背中に執事が続いた。
執事がすれ違いざま、アンジュにこそリと言葉を呟く。
「私はあなたの味方です」
その呟きをしっかりと耳にしたアンジュは確信する。先程思い浮かべた、急いで退院した魔導士に、ジェイクへ迫るように促したその彼女。貴族家の強引な婚姻への進め方。
この結婚の裏には、必ず何かがあると。
ニコリと執事に微笑んだアンジュは、その不安を微塵も感じさせないように振る舞った。そしてすぐに両親に手紙で相談しようと心に誓う。
それは『国外逃亡』も視野に入れた相談だ。
アンジュがそんなことを考えているとは露とも思っていないジェイクは、ただ恋心を募らせ、上機嫌で部下の見舞いに勤しんでいた。
◇ ◇ ◇
「エレナ、どうしたらいいの?」
夜になり、アンジュが仕事を終え、寮へと戻ってくると、早々にエレナの部屋に押しかけた。そして開口一番、勢い込んでそう言った。
「まあ、アンジュ。どうしたの? そんなに慌てて」
エレナの部屋まで走ってきたのか、息を切らせているアンジュに、エレナは水を差し出した。
「ありがとう。あのね、結婚は出来ないって断ったんだけど、聞いてもらえないのよ」
「は?」
『結婚』という唐突な言葉を聞き、珍しく素っ頓狂な声を出したエレナに、アンジュが逆に驚いた。
「エレナでもそんな声が出せるのね。ちょっとビックリ!」
「ちょっと、アンジュ! いきなり結婚って! 何があったの?」
アンジュの驚きなど気にもせず、エレナが疑問を投げかける。
「うーん、昨日のデートで、相手の家に連れて行かれてね、彼の両親に結婚を迫られたのよね~」
「何を呑気に……」
「そうよね。呑気に構えている場合じゃないんだけど、もうどうしようもなくて。しかも何だか、お貴族様のいざこざに巻き込まれそうというか、巻き込まれたというか」
「ああ、手遅れだったってこと?」
「そうなるわね」
貴族に声をかけてしまった時点で、既に詰んでいたのかもしれないとアンジュは詳しい話をエレナにした。それに思うところがあったのか、エレナも少し、身の上話を語り出す。
「私がこの国に来た理由を話した時に、余り詳しいことは言わなかったけれど、実は亡命する際に、いくつか条件を出されたの」
「条件?」
「ええ、その内の一つに、この国の貴族との婚姻があったのだけれど、流石に婚約破棄をされて間もない頃だったから、それは取り下げてくれたのよ」
「へえ~、良心的ね」
「その代わり、条件は増やされたけれどね。それでもこの大国に受け入れてもらえるのならばと、全てその条件をのんだわ」
「因みにどんな条件なの? っていうか、そういうのって話せないか」
「別に話しても何も問題はないわ。先ずは家族親族全員が平民に落ちること。そして父の魔導部隊の入隊に、住む所を指定されたり、私がここで働くことも条件に入っていたわ。それから、母は隣国の情報を包み隠さず話すことを命じられたの。元々母は公爵家の出身だったから、色々な機密事項も知っていてね。母は喜々としてその情報を明け渡したと言っていたわ」
アンジュの言う通り、とても良心的な条件だったことは確かだった。エレナたちにとって、難しい条件は一つもなかったのだ。
元々父親は隣国の魔導部隊で馬車馬のように働いていたし、母親は王宮で文官として色々なことを捌いていた。エレナは教会で孤児の面倒や炊き出しなど、進んで慈善活動をしていたので、平民になったからといって、特に何か不自由が生じるわけでもなかった。侍女や侍従がいないのは、少しばかり不便だが、その程度なのだ。困るほどのことでもない。
「でも、母の情報は、正直役に立たなかったわ。あの国の王宮は警備が緩くてね、間者からもたらされる情報と相違なかったから意味のないものになってしまったわ。それに魔物の侵略も続いていて、あの国はもう持たないと聞いているし」
「まさに、ざまぁよね」
「アンジュったら、下品だわ」
だが実際、父からもたらされる隣国の情報は、エレナの荒んだ心を軽くした。それでもこの病院で働いているとつい考えてしまう。
隣国の兵士たちは、自分の父親を恨んでいるのではないかと。祖国を捨てた父を呪いながら命を落としたのではないかと。それ程までに隣国は、父の力に頼りすぎていたのだ。エレナはそこまで考えて頭を振る。自分たちを裏切った者のことは忘れるのだと、随分前にそう決めたのだからと。
「でも、この国からしてみれば、エレナの父親を引き入れることは最優先事項だったんじゃない? 折角優秀な魔導士がこの国に来てくれるって言っているのに、難しい条件を出して他国に行かれるよりは、ある程度良心的な条件でこの国に居着いてくれればって打算もあったのかもね」
「あらやだ、アンジュったら。父がこの国に来る前からこの国は大国だったのよ? それは即ち、父の力などなくても、十分にやっていけていたということ。そして父はこの国に来て初めて上には上がいることを知ったって言っていたわ。実は父の実力は、この国では下っ端の魔導士程度なのだそうよ」
「ええ! そうなの? でもそれじゃあ、本当に良心的だったのね」
「ええ、それはもう本当に。感謝しているわ」
その話を聞いて、アンジュは少しばかり安心した。今回の件で自分と家族がどうなってしまうのかと内心ではずっと怯えていたのだ。他国から逃げて来た者たちを快く受け入れたのならば、目をつけられたとしても、そこまで酷いことにはならないかもしれないと安堵した。
自分のことが落ち着くと、途端に他人のことが気になり始める。そんな気持ちを抑えきれず、アンジュはエレナに問いかけた。
「エレナは、その……一生独身でいるつもり? 少しは前向きになって、結婚して幸せになりたいとか、思ったりしないの?」
エレナは本当に真面目で、よく働く。周りへの気遣いも出来るし、穏やかな性格をしていた。
本来のエレナはとても見目が良い。アンジュとはまた違った、優しい感じの美人だ。髪を結い上げて、頭の上でお団子を作っているせいで、いつも目は吊り気味で、わざと地味で厳しいイメージを作ろうとしているのが分かる。
アンジュは常日頃から思っていた。『勿体ない』と。女の幸せが結婚だなんて言わないが、それでもアンジュは『孤独』を知っている。
完全に思い出したわけではない前世の記憶の中に、それはあった。
前世、親元を離れ、友人たちも子育てに追われ、会社と自宅との行き来のみになった時に、恐ろしいほどの孤独感に襲われた。ネット社会で、見ず知らずの誰かと繋がることは出来たが、一時しのぎに過ぎなかった。結婚を強く望んだのは、きっとその孤独から抜け出したかったのだろうと、曖昧な記憶の中に残る願望が、アンジュの心を締め付ける。
「私は別に、婚約者だった彼のことは何とも思っていなかったから、傷ついているわけではないの。ただ、冤罪で国外追放にされてしまったことが、一番堪えたわ。何故誰も、私の言うことを信じてくれなかったのかと、悔しくてね」
恐らくは、友人たちにも裏切られたのだろう。辛い過去を思い出させてしまったことに、アンジュは申し訳ない気持ちでエレナに向き合う。
「エレナの周りには、その程度の人間しかいなかったってことでしょう。エレナの友人を気取って、周りに流されまくる人間なんて、友人を辞めて正解よ」
なんの慰めにも、フォローにもならないことを言いながら、アンジュはニカッと笑った。
「いい気味だわ! 今頃あの国では魔物に怯えて、エレナにしてしまったことを後悔しているでしょうね!」
「それはどうかしら? 国外追放になったのは私だけだったのに、父も一緒に国を出てしまったことを逆恨みしている可能性があるわ」
「確かに。自分本位の人間は、相手に責任を押し付けるのが得意だものね。だとすと……手を打っておいた方がいいんじゃない?」
「手を打つ?」
「きっとそういう輩は、難癖をつけに、わざわざこの国にまでやって来るわよ」
「まさか」
「いいえ、用心に越したことはないわ。もっと詳しく、向こうの動向を探っておいた方がいいわ」
前世、大好きだったネット小説では、大概、戻ってこいとか言い出す話が多かった。そこでまた『ざまあ』が出来るので、今度こそそれを拝めるかもなどと考える、最低な女、アンジュであった。
「で、結局、エレナは恋に興味はないの?」
「ないと言えば嘘になるけれど、今のところはまだ……」
「そう、残念」
「でも良縁があれば、その時は、とは思ってるわ。両親を安心させてあげたいし、孫の顔を見せるのも親孝行だものね」
「エレナって本当、真面目よね。もっと気楽に生きたらいいのに」
「気楽に生きられそうにないアンジュに言われてもねえ」
ああそうだったと、アンジュは自分の置かれた現状を思い出す。
「まあ何とかなるわ。私の素の性格を知れば、すぐに幻滅するだろうし……」
それに、と言葉を続けようとして、アンジュは口を噤んだ。
『それに、私にはその資格がない』
そう言おうとしたけれど、エレナもまたそう思っているかもしれないと思ったからだ。
一年前の『あの日』のことを考えると、自分が幸せになっても良いのかと、苦い想いが込み上げる。
沢山の犠牲のもと、生かされた命の重みは、殊の外アンジュを苦しめていた。
そんなアンジュの心情を知ってか知らずか、エレナは明るく軽い感じで返事を返す。
「だといいけど」
それに救われたように、アンジュもまたおどけてみせた。
「もう、不吉なことを言わないでよ!」
「そうね。じゃあ、応援してるわ」
「ありがとう! 私、頑張るわ!」
拳を握ったアンジュにエレナはにこやかな笑みを浮かべた。そしてアンジュが応援の意味を履き違えていることは黙っておいた。
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