15.真実

 緊張した面持ちで、マリンはたくさんの手紙と向き合っていた。


「あのとき君たちが手当をした兵士たち、一人ひとりから、感謝の手紙が届いていてね」


 マリンの雇い主である病院の医院長は、一旦そこで言葉を止めた。

 じっと手紙の束を見つめるマリンの様子を窺い、手に取るのを待つべきか、読み上げるべきかと逡巡する。

 この一年、あの日の話を頑なに拒否してきたマリンたちの心情に、医院長も出来得る限り寄り添ってきた。

 そしてようやく向き合えるようになったのかと安堵したのだが、マリンの顔色は酷く悪い。


「先生。あの時、あたしは確かに見たんです。兵士の方が、魔物に襲われて……」


 その時の光景を思い出し、マリンは震えながら口を閉ざした。


「無理をして思い出さなくてもいいんだよ。怖かっただろう?」


 マリンの肩が小さく震えていることに、きっと泣いているのだろうと医院長は優しく声をかけた。


「本当に……彼らは助かったんですか? だってあんなに大怪我で……そのまま魔物に向かって行って……」


 涙声でマリンが必死に言葉を紡ぐ。

 そんなマリンを慰めるように、目尻の皺を深くして、医院長は殊更明るく声を出した。


「ああ、もちろんだよ。皆元気にしているし、辞めていったミランダは、あのとき助けた兵士のひとりと結婚して、もうすぐ子供が産まれるそうだよ」

「……へ?」


 余りにも驚きすぎて、マリンは思わず変な声が出てしまった。


「あれ? そっちには連絡が行っていないのかい? 同期のアンジュとエレナなら知ってると思ってたから、マリンも知っているのかと思ってたよ」


 さらりと言われた言葉に、マリンは思わず絶叫した。


「え、えええええ! 知りませんよ、そんな話! 私はずっと、ずっと、あの人たちが死んでしまったと思っていて! 私たちを逃がすために、死んでしまったんだと……ずっと……ずっと……」


 叫んでいたはずの声は、最後の方は萎んで呟くほどに小さくなった。


「え! そうだったのかい? それは申し訳ないことをした。ちゃんと説明をすればよかったね。ごめんね、マリン」


 マリンが今まで、あの日の話を拒絶していたのは、恐怖からだと思っていた医院長は、それが大きな勘違いだったと気づき、狼狽えた。

 自分たちのせいだと、この一年間、ずっと罪悪感に苛まれていたのかと思うと、とてもじゃないが冷静ではいられなかった。


「じゃ、じゃあ、アンジュとエレナもそう思って、手紙や褒賞を受け取らなかったのかい?」

「え?」


 あの日の話は、この一年、誰も口にしなかった。

 それはマリンたちだけではなく、他の看護師もだった。


 あの時、マリンたちは必死の思いで逃げ帰り、彼らが病院に運ばれて来るのを待っていた。でも、彼らは誰一人、病院へ運ばれては来なかった。

 日が経つにつれ、一番最初に壊れてしまったのはミランダだった。

 部屋に閉じ籠もり、ずっと何かを呟いて、食事も摂らなくなってしまった。

 見兼ねた医院長が実家に連絡を入れ迎えに来てもらい、それ以来、戻っては来なかった。

 ミランダのあとを追うように、ライラとメリル、そしてサリーも病院を去っていった。


 その一番最初に病院を去ったミランダが、あのとき助けた兵士と結婚していたなどと、誰が思うだろう。

 伴侶探しに必死になっているアンジュが聞いたら激怒しそうだとマリンは思った。


「エレナはともかく、アンジュがその話を聞いていたら、大暴れしそうですが……」

「ああ、確かにそうだね。じゃあ、知らないのかな? だとすると、二人もマリンと同じように苦しんでいたのか……」


 項垂れる医院長に、マリンは本当にそうなのだろうかと首を傾げた。

 それは昨日の二人の行動を思い出しての疑問だった。


 昨日、ダンジョンでまた魔物暴走が起きかけた。この一帯に避難指示が出され、患者たちを連れて避難していた最中に、二人はダンジョンのある森へと向かったのだ。

 もし自分だったら、とてもじゃないがあの森に入る勇気はない。あの日のことを思い出し、また同じことを繰り返すかもしれないと思ったら、絶対に近づくことはしないだろうと考えた。だからこそ、二人は自分とは違い、彼ら兵士が生きていたことを知っていたのではないかと思ったのだ。

 時々、悪夢に魘されているのは、あの恐ろしい魔物たちを目撃したからであって、彼らの最期を夢に見ているわけではなかったのだと、マリンは結論付けた。


「でも、アンジュはミランダのことを本当に心配していましたから、結婚が決まって、ホッとしているのかもしれません」

「そうだね。ここを去ったときのミランダは、本当にボロボロだったからね……」


 あの時のミランダは本当に酷かったと、マリンは思い出すたび胸が痛んだ。そんなミランダが、もうじき母親になるだなんて、信じられない思いと共に、マリンの心は温かくなる。


「本当によかった……」


 今までの罪悪感が取り払われ、安堵に胸を撫でおろしたマリンは、静かに涙を流した。

 それを優しく見守る医院長もまた、安心したように笑顔をみせる。


 そんな穏やかな雰囲気で会話を終えた二人は、結局のところ、この事実をアンジュとエレナに告げることはなかった。

 お互いに、『ミランダの結婚』を二人が知っているものだと思い込んでしまったからだ。

 だから二人はまだ知らない。

 この先もアンジュとエレナが苦しみ続けることを。




◇ ◇ ◇




 重苦しい空気の中、アンジュと向き合ったエレナの父、ロブは、不機嫌に言い放った。


「それで、どうしてこんな考えに至ったのか、聞かせてもらおうか」


 あれからアンジュは、エレナとハロルドにも話をし、エレナの父親に会うことが出来ていた。

 エレナに渡してもらった手紙にも同じようなことを綴ったが、エレナの命が危ぶまれるといった内容に、流石に穏やかではいられないロブは、アンジュを睨みつける。


「隣国の状況は、十分に把握されているかと思います。そして、この結論に至るのも至極当然なことかと。それは私より、あなたの方がよくご存知なのではないですか?」

「あの馬鹿どもが、この国に来るなど、あり得ないことだ」

「逆に何故そう言い切れるのか、教えて頂きたいですね」


 軍の直属の上司であるジェイクから、アンジュには軍の機密に当たる話をしていないと聞いていたロブは、この質問の答えを口に出来なかった。だからアンジュの納得のいく答えを出さなければと、昨夜から考えていた言葉を言い募る。


「暴徒化した民を鎮めるためには、奴らを公開処刑するしかない。そうしなければ益々国は荒れる」

「本当に、その本人たちを処刑するかは分かりませんよ? 例えば、似たような容姿の者を用意することだってできるかもしれませんし。隣国の貴族は随分と平民を見下しているのでしょう? その平民のために、貴族が本当に処刑されるのか、甚だ疑問です」


 アンジュの言葉は尤もだった。実際、そのつもりでいるのだろうとも、ロブは思っていた。だがそれに賛同するわけにもいかない。


「だが流石に今回は、貴族側もあの馬鹿どもには腹を立てているはずだ」

「だからこそ、尻拭いをさせるために、この国に寄越すのでしょう。この国に来て殺されても構わないのでしょうし、運良く説得出来て、あなたを国に戻せれば万々歳です。そこにハロルド・コールズ様までついてくれば言うことなしでしょう。どちらにしろ、損はありません」

「こちらに来た時点で国際問題だろう。寧ろ損しかない」

「既に滅びに向かっているのです。この国、若しくは他国が隣国に手を差し伸べない限りは、どの道終わりです。国際問題になったところで、王侯貴族たちは逃げ果せてしまえばいいだけですからね。その時間稼ぎという意味合いもあるのかもしれません」

「時間稼ぎ?」

「この原因を作った人物が処刑さたところで、事態が収束する訳ではありません。そこに処刑されたのが実は偽物で、隣国に逃げたのだと噂を流せば民衆はもっと大きな暴動を起こすでしょう。それを兵に抑えさせ、その間に逃亡を計るのです」

「はっ! 子供の浅知恵だ。そんなに上手くはいかんよ。それに他国がそいつらを受け入れるとは思えん」

「隣国の平民たちの生活は、酷く貧しく、苦しいものだと聞いています。学もないのでしょう? だとしたら、経済的にも身体的にも余力のある貴族が、民衆から逃れることは容易ではないのでしょうか? まあ、他国が彼らを受け入れるかどうかに関しては、私にも分かりませんが」


 ふうっと息を一つ吐き、アンジュはこの考えが酷く突飛なものなのだということに、気づき始めた。前世の記憶に引っ張られて、好きだった異世界悪役令嬢の物語と現実の区別がつかなくなってしまったのかと、項垂れる。


「……それで、もし馬鹿どもがこちらに来るとして、何をそんなに心配することがある? 運良くこの国に入れたとしても、エレナに接触するのは不可能だろう。それにエレナが私を説得するなど、それこそあり得ないことだ」


 アンジュの考えを真っ向から否定していたロブが、急に軟化したことに、アンジュは目を瞠る。その表情に、ロブは気まずそうに視線を外し、ボソリと小さく呟いた。


「エレナのことを、心配してくれて感謝する」


 照れくさそうにそう言ったロブに、アンジュは笑みを零す。きっと隣国にいた頃は仕事に明け暮れて、家族のことは二の次になっていたのだろう。だからあのような事態になり、この国に亡命するまでになってしまった。それがエレナたちにとって良かったのか悪かったのかは分からないが、少なくとも、エレナはハロルドに出逢い恋をして、両親との時間も多く持てるようになったのだから、きっとこれで良かったのだろうとアンジュは思う。


「人質を、取られる可能性はありませんか?」


 ジェイクから、人質の話は必ず父親から聞けと言われていたアンジュは、神妙な面持ちでその言葉を切り出した。そしてその言葉に、ロブは大きく反応を示す。

 眉間にグッと力を入れ、沈痛な面持ちで手を握り込んだロブに、アンジュは居た堪れなくなってしまった。


「……エレナから、聞いていないのか?」

「オールディス様にも同じことを言われました。そしてこのことは、エレナではなく、父であるあなたから聞いた方が良いとも」

「……ああ……ああ……そうだな。私から話そう」

「お、お願いします」


 少し動揺しているロブに、アンジュも思わず狼狽えた。


「……取られるような人質は……もう誰もおらんよ」


 『もう』という言葉に、アンジュは察した。それでも心優しいエレナのことだ、民衆が苦しんでいると訴えかけられたら、居ても立っても居られないのではないかとアンジュは思った。


「エレナが孤児院のある教会に、よく赴いていたのは知っているか?」

「はい。そこで炊き出しや、洗濯、絵本の読み聞かせなどを行っていたと、婦長から聞いていました」


 隣国からの亡命者で、しかも貴族となると、同僚となる身からしてみれば、不安が大きかった。それは先輩たちも同じだったようで、婦長が気を利かせてエレナの人となりを説明してくれたのだ。そのお陰で、エレナは快くあの病院に受け入れられ、すんなりと馴染むことが出来ていた。アンジュもまた、エレナの性格を知り、父親の説得に一肌脱ぐまでになっている。そのことに、知らずアンジュは頬を緩めていた。


「婚約破棄と国外追放の理由は、その教会の者たちを虐げ、惨殺した罪に問われたからだ」

「え? 惨……殺……?」


 事の重大さに、アンジュは驚愕した。そして何故そうなったのか、逡巡する。

 エレナとの婚約破棄をしたかっただけでなく、そこに怨恨のようなものを感じ、どう返していいのか言い淀む。


「エレナを嵌めるためとはいえ、それは余りにも……」

「それだけではなかったのだよ。私をあの国に縛り付けるための道具にされたんだ」

「縛り付けるって……国のために頑張っていらしたのでしょう? 何か疑われるようなことが?」

「ダンジョンの魔物が増え始めると、当然のことながら繋がっている隣国との連携が必要になってくる。その頻度が一気に増して、疑いを持たれたという訳だ」

「そんなつもりもないのにですか?」

「はは……そんなつもりはあったさ……何故私ばかりがと、ずっと思っていたからな……」


 ずっと一人で前線に立ち続け、心も身体も疲弊していたのだろう。家族にも会えず、孤独の只中で命を落とすなど、馬鹿馬鹿しく思えたのかもしれない。


「正直言って、あの惨殺事件は、私にとっては有り難かった。国を出るにしても、きっとエレナにはあの教会の者たちを残して行くのは忍びなかっただろうから。私は酷い父親だ」

「本当にそうでしょうか? 人をそんなふうに殺せる人たちです。きっとその国を出ていなかったなら、エレナは殺されていたかもしれませんよ?」

「なっ!」


 アンジュの言葉に、ロブが大きな声を上げた。本当にそうなる可能性があったかは分からないが、アンジュは仮定の話をしてみることにする。


「恐らくエレナは、というか、あなたの家族全員が人質だったのでしょう。それを知らしめるために、エレナを殺すつもりでいたと思いますよ。国外追放だと安心させておいて、エレナの遺体をあなたに見せて、この国から逃げたら他の家族もこうなると、脅すつもりだった筈です。現にあなたの奥様は王宮で働いていたのでしょう? 監視しやすい場所にいて、逃げることも難しいでしょうから。というか、よく逃げて来られましたね?」

「はは、その妻が、王宮の牢に閉じ込められたエレナを救い出し、私のもとへ駆けつけたのだ。それからは怒涛の一日だったな」

「奥様、すごい!」


 母は強し!これに尽きると、アンジュは興奮した。その時の武勇伝をいつか聞いてみたいと、拳を握る。


「色々と話をしましたが、きっとこれは杞憂に終わるのでしょうね。何だか引っ掻き回してしまったようで、申し訳ありません」


 ソファーから立ち上がり、深々と頭を下げるアンジュにロブは緩く首を振った。


「謝る必要はない。可能性は充分にある。そこに気づけただけでも有り難かった。亡命したからと、安心して油断していると足元を掬われることだってある。助かった。ありがとう」


 そう言って、座ったまま軽く頭を下げたロブに、アンジュは笑みを向けた。そして最後に、ここに来た一番の目的を口にした。


「今までの話は、あくまでも仮定の話ではありますが、万が一ということもあります。出来ればコールズ様に助力をお願いしてみては如何でしょうか?」

「助力?」


 あからさまに嫌そうな顔をするロブに、畳み掛けるようにアンジュは言う。


「はい。もしエレナに接触を図るとして、考えられるのはエレナを拉致することです。わざわざ国の奥に位置するあの病院にまで、密入国した死刑囚を連れて行くのは危険でしょうから。だったらエレナを拉致して連れて行った方が楽でしょうし」

「……まあ、そうなるが……」

「用心に越したことはないですから。それに一番信頼出来るのもコールズ様ですし。エレナのことを大事にしてくれているのは確かです。しかもお強いのでしょう?」

「ああ、化け物並みにな」

「それは心強いですね。あなたも安心して任せられるのではありませんか?」

「むう……だが……」

「この国の貴族は、皆紳士ばかりだと聞いています。婚前に無体を働くようなこともないでしょうし」

「なっ! あって堪るか!」

「ですから、安心してお任せできるでしょう?」


 ニッコリと笑顔を向けてくるアンジュを憎憎しげに見遣った後、ボソリとロブが呟くように言った。


「頼まれたのか?」

「いいえ。純粋にエレナを心配して言っています。使える駒があるのなら、使えばいいんです」

「ふっ、駒か。この国の守護者と言われる化け物を、駒扱いとはな」

「それくらいの気持ちで、頼んでみては如何ですか? コールズ様なら二つ返事で請け負ってくれますよ」

「ふー、何だか本当に馬鹿馬鹿しくなってきた。エレナのためにと思ってやって来たことが、全て空回っていたのだからな」

「あら、いいじゃありまんか。エレナにとっては父の愛を感じられて、嬉しかったと思いますよ」

「そ、それはエレナがそう言っていたのか!」

「いいえ。でも、そう感じていると思いますよ」


 アンジュの言葉に、ロブの瞳が潤み始めた。

 ずっと自分のせいでと、苦しんでいたのだろうと思うと、アンジュも目頭が熱くなる。


「あなたのような父親を、尊敬しない娘などいませんよ」


 もっと言葉を尽くすべきかとも思ったが、泣いてしまいそうで、アンジュはそれ以上は何も言えなくなってしまった。

 だがこれは良い切欠になったと、この流れで勢いをつけてアンジュはもう一つ、言いたかったことを口にする。


「エレナの妹さんを、オールディス家に嫁がせるつもりはありませんか?」

「は?」

「ご存知かもしれませんが、私はジェイク・オールディス様から求婚されています。ですが、これには思惑があるのだと確信しています」

「は?」

「まず、一つ目はエレナとコールズ様の橋渡しです。そしてあわよくば、父親の説得。エレナと仲の良い私が間に入れば、事が上手く進むと思ったのでしょう。そしてこれが上手くいったら、エレナの妹をオールディス様とくっつける作戦です。ここからは、エレナに協力を仰いで、妹とオールディス様を出逢わせて、あわよくば婚姻まで持っていければと、考えているのではないかと思っているんです」


 早口で言い募ったアンジュに、ロブはポカンと口を開けて呆けてしまう。だが次の瞬間、大笑いをした。


「ぶわははは!」


 今まで厳つい表情だったロブが突然笑いだしたことに、アンジュは面食らう。


「いやいや、本当に、想像力が豊かなお嬢さんだ」


 今までの話もさることながら、また突拍子もない話を始めたアンジュに、苦しそうに笑いながら、ロブが大声で言う。それに呆気に取られながらも、笑い事ではないとアンジュが反論しようとした。だがそれよりも早くロブが口を開いた。


「エレナに妹はいないよ。いるのは弟だ。そして、亡命の際、変装のために女装をしていた。そのことは勿論、彼等も知っている」

「え?」

「それと、ジェイク・オールディスは、本当にお嬢さんに惚れている。魔導部隊の仲間が引くほどにな」

「えっ!」

「仕事中もお嬢さんのことばかりでな。私にさえ、恋愛相談をしてくる始末だ。ほとほと参っているよ」

「なっ!」


 衝撃の発言に、アンジュは酷く驚いた。そういえば、少し前に軍の会議で自分の名前が出たとエレナから聞いたことを思い出す。あれはきっと、なにかの作戦の一部だろうと思っていたのだ。

 だとしたら、今までのジェイクの態度は演技ではなく、本当に自分に向けられた本物の好意だったのだろうかと、アンジュは逡巡した。そしてロブの言葉がじわじわとアンジュの心に染みていく。それと同時に、アンジュの顔も赤く染まった。

 居た堪れない思いで、アンジュは慌てて顔を俯かる。


「恐らく、外堀は完全に埋められている。お嬢さんの両親にも会いに行ったと言っていたし、親同士の顔合わせも済んでいるらしい」


 そういえば、母親から送られて来た手紙に顔を合わせたと書いてあったなと、アンジュはぼんやりと思い出した。だがそれは、父親と兄が軍のどこかでジェイクと軽く顔を合わせた程度だとアンジュは思い込んでいた。まさか親同士で挨拶を済ませていたなどと、思ってもみなかったアンジュは顔を上げ、ロブを見遣ったまま固まった。


「そうそう、お嬢さんの父親とお兄さんかな? 彼等は軍馬の獣医も兼ねているので、よく東部の軍支部へと来るのだが、そこにしょっちゅうオールディス隊長も来るそうだ」

「え? あそこは騎馬兵である剣術部隊しかいないはずでは?」

「ああ、その通りなのだが……。二人の仕事が終わる頃合いを見計らって、飲みに誘っているらしい」

「飲みに!」


 いつの間にそんな親密な仲になったのかと、アンジュは驚きを隠せない。そんなアンジュの表情を見遣り、ロブは小さく息を吐く。


「まあ、逃げるのは諦めた方がいい。伊達に隊長をやっているわけではないからな」


 ニヤリと笑ったロブに、アンジュの顔が引き攣った。


「そ……それはまた……貴重なお話を……ありがとうございました……」


 動揺を隠せないアンジュだったが、とりあえずお礼を言っておく。先程とは打って変わって、心配そうな顔をするロブに、アンジュは自分の父親を重ねた。


「一度実家に顔を出してみます」

「ああ、それがいい」


 大きく頷いたロブに、アンジュも神妙な面持ちで頷き返した。

 そしてゆっくりと立ち上がる。


「では、私はこれで失礼します」

「ああ、ありがとう。エレナのことを、これからもよろしく頼む」

「ええ。もちろんです。そしてこちらこそ、これからもよろしくお願いします」


 軽く会釈をしてから、アンジュは静かに扉を閉めた。

 廊下の隅で不安げな面持ちで待っていたエレナが、慌てて駆け寄ってくる。


「アンジュ……どうしたの? 顔が青いわ! ごめんなさい、父が酷いことを言ったのね」

「ふふ、違うのよ、エレナ。色々と、私自身も知らなかったことが聞けて、あなたの父親には感謝しかないわ」

「そうなの? なら良かったわ」

「良いお父さんね」


 そう言ったアンジュに、照れながらもコクリと頷いたエレナは、次いで満面の笑みを浮かべた。




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