14.妄想再び
飛竜が病院の前に降り立つと、そこには静寂が広がっていた。普段人通りの多いこの通りは、夕刻のこの時間は特に色々な音が聴こえていた筈だった。
「静かですね」
「まだ避難解除はされていませんからね。直に元の生活に戻りますから、安心してください」
笑顔を向けてくるジェイクに、ずっと疑問だった今回の魔物襲撃について、アンジュは躊躇いながらも聞いてみることにした。
「今回の騒動は、とても急で驚きました。何か良くないことが起こってるんでしょうか?」
「ええ、まあ……そうですね」
「あ、すみません……無理に話してくれなくても……」
ジェイクの歯切れの悪さに、慌ててアンジュが言葉をかけるが、ジェイクはそのままゆっくりと話し始めてしまう。それに罪悪感を抱きながらも、アンジュはその理由に恐怖した。
「隣国から亡命したリドリー家が原因だと言ったら、語弊がありますが、まあ正直、隣国はもう駄目でしょうね」
「えっと……? エレナたちが亡命して来たせいで、隣国は魔物が抑えられなくなった……ってことですよね……。それと今回のことと、どう繋がるんでしょうか?」
エレナの父親が居なくなり、隣国の魔物を抑えられなくなったことはアンジュも知っていた。そんな国の『守護者』であるリドリー家の令嬢を蔑ろにするなど、考えられないことだが、実際そのせいで隣国は滅びかけている。だがそれとこの国の、しかも田舎に近いこの場所のダンジョンから魔物が溢れることが全く繋がらず、アンジュはただ首を傾げるばかりだった。
「余り知られていないことですが、ダンジョンはずっと奥の方で、色々な所と繋がっているのです。そしてここのダンジョンは、まさに滅びの一途を辿っている隣国と繋がっています。あちら側の魔物がどんどんと増えて行くにつれ、こちら側にもその影響が出て来ている、という訳です」
「なるほど……そういう理由でしたか」
「ただ、思っていた以上に魔物の数が多く、今現在、その繋がっている部分を塞いでしまおうかという話が出ています」
「それは……こちらとしては有り難いですが、それによって隣国は……その……」
隣国の行く末を案じ、アンジュは口籠る。例えそう思っていたとしても、自身の暮らすこの町にとって、命の危険がなくなることは喜ばしいことだ。
建前で隣国を憂いているようなことを口にした自分自身に嫌気が差しながらも、国を護る軍の決定に従うのも民の努めだと、心の中で言い訳をする。自分を正当化する卑しさに、アンジュは呆れながらも、そっとジェイクを窺い見た。
「……まあ、自業自得ですし、助けるつもりもありませんから」
ほんの少しの間を置いて、ジェイクが言葉を紡ぐ。
「でも、国民はどうなりますか? 何も知らない民は……」
「少なくとも、ダンジョン周辺の住民は、ロブの部隊の存在は知っていたはずです。まあ、知っていたとしても、何も出来なかったのかもしれませんが……。そしてもう、手を差し伸べる段階はとうに過ぎてしまっています」
「だったら、もっと早く、何とか出来なかったでしょうか?」
「他国には他国のやり方がありますので。助けを求められれば、何かしら対処が出来たかもしれませんが、それもなかったので」
軍の機密にも関わる部分があるため、アンジュに全てを話せないことを心苦しく思いつつ、話せる範囲で話そうと、ジェイクは努めた。
「でも、エレナたちは亡命をしてきたんですよね? だったら、そういう状況だって分かっていたはずです。それなのに……」
「ええ。ですから、助けを求めてきたリドリー家は、助けましたよ」
ジェイクの言葉選びに、ほんの少しだけ、アンジュは反感を抱いてしまった。貴族特有の上からの物言いに聞こえてしまい、つい前世の価値観に置き換えてしまう。
ジェイクの責務は大変なものだということは、魔物から救ってもらったアンジュからしてみれば、十分すぎるほど理解していた。
頭では分かっているのだが、前世の記憶が邪魔をする。それも創作小説の中の貴族像だ。
素直に言葉を飲み込めない自分に嫌悪感を抱きつつも、そういう風に言わせてしまった自分の発言にアンジュはハッとした。ジェイクを攻めるような言い方だったのだと気づき、項垂れた。
「すみません! 知ったような口をきいて……」
「いえ、隣国とこちらは違うのでしょうし、リドリー嬢から聞いて、色々と思うこともあるのでしょうから」
エレナから聞いたというよりは、前世の思い込みから来るものだが、上手く否定も出来ずに、アンジュは曖昧に笑みを浮かべた。
エレナが誤解をされてしまうかもしれないと危惧しながらも、流してしまった方が面倒も少ないと思ったからなのだが、ここで一つの懸念がアンジュの脳裏を掠めた。
「その……ダンジョンの奥を塞いだ場合、隣国には報告をする義務があるんでしょうか?」
「義務はありません。ただダンジョンの一部を封鎖することは、暗黙の了解で禁止されているので、反発はあるかと。そして、報告をしなくても、こちらにいる隣国の間者が知らせると思います」
「間者……。どこの国にも、そういうのは居るもんなんですね……」
「ええ、まあ……」
平民が間者の存在をそういうものだと認識していること自体、可笑しな事なのだが、アンジュはそのことに気付かず、深刻な表情でジェイクに問いかけた。
「だとすると……エレナとコールズ様の関係も、隣国は把握している…ってことでしょうか?」
「ええっとー……ハロルドとリドリー嬢のことが隣国に報告されているかは分かりませんが、もし伝わっていたとしても、特に問題はないのではないでしょうか?」
「いえ、大問題です!」
アンジュの勢いに押され、ジェイクは困惑気味に首を傾げた。
「大変だわ……エレナのお父さんに会って、話をしなくっちゃ!」
「えっ! 父親にまで話をしなくてはいけないのですか?」
「ええ。これはコールズ様にも関わってくることですから、エレナの父親にしっかり話を聞きつつ、今後の対策をしなくちゃいけません!」
「え? ハロルドにも関わってくるのですか?」
「はい、それはもう、思いっきり!」
「はあ……そうですか……」
急なアンジュの話に戸惑いながらも、ジェイクは一つ頷いた。ただ問題は、そう簡単にエレナの父親に会えるかということだった。
「ですが、彼女の父親、ロブは、リドリー嬢の件で人間不信に陥っていまして…いくらリドリー嬢の同僚でも会えるかどうか……」
「そこは、大丈夫だと思います」
「その……随分と自信があるのですね…そういえば以前、ハロルドと結婚させるための説得が出来るようなことを言っていましたが……」
「ええ、絶対に結婚させられますよ。しかも、エレナの父親が、コールズ様に頭を下げて結婚をお願いするくらいの説得が」
「なっ!」
頑なに首を縦に振らないあのロブを、懇願させるほどの説得が出来ると言い切るアンジュに、ジェイクはとにかく驚いた。
「お節介はやめようと思っていましたが、そうも言っていられなくなりました」
「んー、それは、ダンジョンの奥を閉じるのが前提の話なのですよね」
腕を組んで目を閉じたジェイクは、思案げにアンジュに問いかける。
アンジュが何故ここまで危機感を抱いているのか、その答えはダンジョンの奥を閉じることにあると思ったジェイクは、ダンジョンの件は少し待った方が良いのではないかと考えた。
「ええ、まあ。でも、それをしなかったとしても、隣国はもう持たないんですよね?」
「はい。時間の問題かと」
「だとしたら、既に行動に移している可能性があります」
「それは、どんな行動ですか?」
「聞いた話によると、エレナの元婚約者とそのお相手は、公開処刑が決まっているのだとか」
「……ええ、そのようです」
また話が違う方向へと飛んだことに、ジェイクは戸惑う。
「しかも、一番残酷な火炙りで……」
「はい。三日にかけて行うそうです。一日目は足を、二日目には腹まで、三日目は頭まで全て。最後の日まで死なないように魔法をかけるそうですよ」
「そ、それはまた……」
アンジュは余りの残酷さに顔を歪めた。その表情に気づき、ジェイクは浅慮だったと申し訳ない気持ちが込み上げる。
「そうなると余計に、助かりたい一心で、世迷言を鵜呑みにする可能性があります」
「世迷言?」
「ええ。例えば、エレナの父親を国に戻せれば、処刑は見逃してやるとか」
「国に戻すと言っても、どうやって?」
「恐らく、エレナに直接接触するのだと思います」
「それはいくら何でも無理でしょう。隣国の死刑囚が我が国に入れるとは思いません」
「本当にそうでしょうか? 間者がいるのだし、抜け道も無い訳ではありませんよね」
確信を持ってそう言ってくるアンジュに、ジェイクは目を瞠る。確かに可能性はあるかもしれないが、失敗することを考えれば、そんな行動には出ない筈だと思った。だが、残酷な処刑方法を目の当たりにして、あわよくばそのままこの国に逃げ果せればと考えている可能性もあり、誰かが手引きさえすれば出来ることだと考えを改めた。
だがそれは、『本当に処刑される』場合の話だ。
「まあ、確かに……やりようはいくらでもありますね……」
「もし接触出来たならば、情に弱いエレナに今の国の現状を伝えて、父親の説得をと考えているかもしれません」
「だとしても、無理でしょう。どんなにリドリー嬢が泣きついたところで、ロブは頷いたりしない筈です」
「はい。きっとそうなるでしょう。そしてここで、コールズ様が出てきます。父親が駄目ならば恋人を、と。恐らくはこちらが本命でしょう」
エレナとハロルドの関係が知られているのならば、父親よりもハロルドの方を国に取り入れたいと考えているのではと、アンジュは思っていた。
エレナの父親は隣国では最強だったようだが、この国では下っ端の兵士と大差ない強さだとエレナから聞いている。それを思えば、ハロルドをと考えるのは至極当然のことに思え、アンジュは自信満々にジェイクにそう告げた。
「ははは。それこそ無理でしょう。もしハロルドが隣国に行くとなった場合、それは我が国が、隣国を侵略するという意味になりますから」
「えっ! 侵略! 属国や傘下に入るとかではなく?」
「我が国の王は、そこまで優しくはありませんよ。この国が大国なのは、そうやって国土を拡げていったからです」
「な、なるほど……。ですが、隣国の者がエレナに接触する可能性は否定できません。それこそ人質など取られでもしたら、エレナは……」
エレナはその人質のために自分の持てる全てを投げうってしまいそうだと、アンジュは危惧する。
「人質……ですか……。ベントさんは、知らないのですね……」
「え? 何をですか?」
急に暗い表情になったジェイクに、アンジュは酷く嫌な話を聞かされるのではないかと身構えた。だがその前に、エレナとハロルドの姿が目に入り、ジェイクが大きく手を振った。
「遅かったじゃないか!」
大声を上げたジェイクに、ハロルドは片手を軽く上げることで応える。
だんだんと近づいてくる馬の速度は、相変わらず遅いままだ。二人が如何に離れ難いかが窺えてしまい、アンジュはニヤつく頬を隠せないでいた。
先程までの暗い話を払拭するように、ジェイクが二人を揶揄う。
「離れるのが惜しくて、こんなに時間がかかったのか?」
「そう言うな。お前だって、二人でゆっくり話が出来て良かっただろう?」
その言葉に、ジェイクは曖昧に微笑んだ。アンジュもまた、どういう表情をしていいのかと、複雑な顔をする。
そんな二人を見遣り、何かあったのかと、ハロルドが訝しむと、ジェイクが先に口を開いた。
「色々と大変なことになりそうだ。先ずは、リドリー嬢に話すところから始めよう」
ハロルドが馬から降り、エレナに手を差し出す。抱きかかえるように馬からエレナを降ろすと、二人が並んでジェイクに目を向けた。
「ベントさん、先程の話の続きは、リドリー嬢ではなく、ロブから聞いてください」
先程の、と断りを入れたのは、人質についてのことだろうと、アンジュは素直に頷いた。きっとエレナにとっては酷く辛い出来事があったのだろうと推測し、神妙な面持ちになる。そんなアンジュの表情に、エレナは堪らず声をかけた。
「アンジュ、何かあったの? 大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。ただ、聞いてほしいことがあるの。そして、エレナの父親にも話がしたいわ」
「ええ、話はもちろん聞くわ。……その……父にも話があるの?」
「ええ、そう。とても重要な話がね。大丈夫よ、絶対に会ってもらえるし、話も聞いてくれるから。手紙を書くから、読んでくれるように頼んで欲しいの。同僚からの手紙だと言って、警戒されないようにしてね」
「そ、そう。分かったわ」
困惑気味にハロルドを見上げながら、エレナが頷く。それを確認したアンジュは、飛竜の顔を撫でながら、今後の対策を頭で練り始めた。
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