13.勘違い
ザッと大きな音が、エレナとアンジュの頭上から聞こえた。
他の魔物も居るのかと、二人は堪らず竦み上がる。そして、上から何かがひらりと落ちて来た。
それがハロルド・コールズだと気づくのには、暫くの時間がかかった。
二人のすぐ真後ろに着地したハロルドは、魔物に向かって駆け出した。
巨大な二足歩行の魔物が咆哮を上げると同時に、ハロルドは大きな火球魔法を繰り出す。それは魔物に直撃し、腹に風穴を開けた。
ドオンっと大きな音を立てて、魔物が木々を薙ぎ倒しながら崩れる。その音と振動に、アンジュとエレナは身を竦め、その場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫か?!」
声も出せずに蹲る二人に、ハロルドは血相を変えて駆け寄った。恐る恐る後ろを振り返ったアンジュとエレナは、そこで漸くハロルドに気付く。呆然とハロルドの姿を見遣り、次いで魔物の残骸に目を向けた。
助かったのだと思うと同時に、身体から力が抜ける。二人揃って大きな息を吐き出すと、ハロルドも二人に怪我がないようだと確認し、安堵する。だが、言わなくてはならないことがあると、表情を引き締めた。
「何故こんなところにいる? 住民には避難命令が出されている筈だが?」
怒気を含んだ声音に、二人はハッと顔を上げた。そしてここへ来た目的を思い出す。
「ハロルド様! 医院長先生を見かけませんでしたか!」
「婦長もです! 二人を知りませんか?」
勢い込んで聞いてきた二人に、ハロルドが眉間に皺を寄せた。
「ここへの一般人の立ち入りは禁止している。医院長と婦長ももちろんここへは来ていない」
「そんな筈はありません! きっとこの森のどこかに居るはずです!」
強く言い切ったエレナに、ハロルドは訝しげに口を開いた。
「ここには結界が張られている。人が入ってくればすぐに分かる。実際、君たちが森に入って来たから俺がここに駆けつけた」
「えっ!」
ハロルドの言葉に、二人は絶句した。
「医院長と婦長は、本当にダンジョンに向かったのか?」
「……それは……」
二人は気まずそうに顔を見合わせた。気が動転していたとはいえ、浅慮だったとすぐに反省する。だがここではないとすると、一体どこへ行ったのかと、エレナとアンジュは首を捻った。
「二人はどこへ?」
「もしかして、町の外れにある教会かも?」
「……ああ、そうかもしれないわ……」
エレナの問に、アンジュが慎重に答えた。そして、二人は納得する。あの教会には、孤児と、足の悪い神父がいたと。避難を手伝う為に向かったことが容易に想像できて、二人は居たたまれなくなった。
「申し訳ありません、ハロルド様。私たちの早とちりだったようです。大変なご迷惑をおかけしました」
「……はあ……二度とこのようなことはしてくれるなよ。エレナが魔物に襲われそうになっていた姿を見たときには、本当に肝が冷えた」
「も、申し訳ありません……」
ハロルドの言葉に、エレナは反省しつつも顔を赤らめた。その様子にハロルドも堪らず耳まで赤く染めてそっぽを向く。
それをジト目で眺めていたアンジュは、少しばかり余裕が出てきた。そのせいもあり、今の現状が酷く危ういことに気付く。
「あの、コールズ様。何故こんな人里近くまで、魔物が来ているのですか?」
ダンジョンはもっとずっと奥の方にある筈だと、一年前の記憶を辿り、アンジュはハロルドに疑問を投げかけた。
「ああ、あの魔物は逃げて来たのだろう。恐らく他の魔物もこちらに逃げて来る筈だ」
だから森全体に結界を張っている。そう付け加えたハロルドに、アンジュとエレナは首を傾げた。魔物は一体何から逃げているのかと。今回の緊急避難指示は、恐らく魔物が凶暴化したことにより、人里への危険が高まったからだろうと、二人は結論付けていた。
通常、魔物が凶暴化すると、敵も味方も関係なく、ただ本能のままに破壊行動を繰り返す筈なのだ。それなのに『逃げる』という行動を取るということは、本能的に命の危機を感じたことに他ならない。そこから導き出される答えは、より強大な魔物が現れたということだ。
「……どうすれば……」
アンジュの口をついて出た言葉には、何の意味もなかった。ただ呆然とそう呟いただけで、逃げることも動くことも出来ず、恐怖で身体を縮こませるだけだった。
その時、バリバリと木々が倒れる音がする。魔物が、こちらに逃げて来ているのだろうと瞬時に理解し、アンジュとエレナは恐怖でお互いの身を寄せ合うことしか出来なかった。
「来たか」
そんな中、ハロルドの気の抜けた声が二人に届く。腕を組み、少しばかり気怠げに息を吐き出したハロルドに、二人は場違いにも苛立った。こんな時に何を呑気な、と思わずアンジュは喉から言葉が出かかる。
だがそれは大きな爆発音のせいで叶わなった。
ドオンと響いた音の後に、大きな物体がこちらへと勢い良く飛んできた。その物体はアンジュとエレナの横を勢いそのままに、バリバリと木々を破壊しながら通り抜ける。そして森の入口付近で結界に弾かれて、大きく跳ね上がると、ずうんっと地響きと共に地に沈んだ。
余りのことに、脳の処理能力が追いつかず、アンジュとエレナはただ呆然とその光景を目で追い、そして動かなくなった魔物の遺骸を見つめていた。
だがそれも束の間、次々と魔物の咆哮が上がり、こちらに向かってくる気配がする。それに、二人は再び恐怖した。そしてその恐怖は魔物の咆哮が、すぐに断末魔へと変わったことで益々膨らんでいく。
何かが弾ける音や、木々の破壊される音、地響きに爆発音が絶え間なく続き、辺りは異様な空気に包まれた。噎せ返る程の死臭にアンジュとエレナはただ身を竦める。
目の前に音が迫ると、木々が激しく上へと吹き飛んだ。それと同時に魔物の残骸も辺りに弾け飛ぶ。
目の前が一気に開け、いよいよ凶悪な魔物がすぐそこまで来たのだと身構えた二人は、そこに立っていた人物を認め、戦いた。
「オールディス様! 早く逃げて!」
アンジュが叫ぶ。凶悪な魔物がもうすぐそこまで来ているのだ。そんなところに居ては、先程の魔物のように無惨に殺されてしまうと、ただただアンジュは恐怖した。
「ハロルド様!」
そしてエレナも、縋るようにハロルドに声をかける。
「ん?」
エレナに呼ばれ、どうしたのかとハロルドが首を傾げる。その余りにも場違いな様子に、エレナは混乱した。
「あれっ! ベントさん? どうしてここに?」
そして真正面からも緊迫感のない声がかけられる。驚きの声ではあったが、そこに含まれる喜びの感情が伝わり、二人は益々困惑した。
「え? あの? え?」
慌てるアンジュを見遣り、ジェイクがハッとしてすぐに駆け寄ると、目線を合わせる為に座りこむ。そしてアンジュを上から下まで確認すると、心配げに声をかけた。
「大丈夫ですか? どこか怪我でも?」
「い、いいえ……」
ジェイクの問いかけに、アンジュはそれ以外言えなかった。それ程までに混乱し、そして安堵もしていた。
「何故こんなところに?」
アンジュにそう問いかけながらも、動揺しているのが手に取るように分かり、ジェイクは事情を知っていそうなハロルドへと目を向けた。
「一年前と同じだ。医院長と婦長を追って来たらしい。まあ今回は、依頼は出していないから、勘違いで二人を追ってきたようだが」
「それは……医院長と婦長が行方不明ってことなのか?」
ハロルドの説明に、ジェイクの眉間に皺が寄る。
「いえ、いえ、それは違うんです! 私たちの勘違いで、きっと二人は教会に行ったんだと思います」
「でもそれは、そう思っただけで、本当に教会に行ったかどうかは分からないってことですよね?」
「いえ、きっと先輩方には告げてから出かけた筈です。それを私たちが先走って、ここへ来たものだと思い込んでしまって」
アンジュの補足をするようにエレナが言えば、ジェイクは納得したように頷いた。
「なるほど。取り敢えず、ここに居るのは危険ですから、一度町まで送って行きますよ」
「えっ! ですが、魔物は? 物凄く強大な魔物が居るんですよね? だから魔物がこっちまで逃げて来たんでしょう?」
「強大な魔物? んー、そんな厄介なのは居なかったと思うのだけれど……。それに今ので最後だったし……」
言いながらハロルドの方へとジェイクが顔を向けた。
「ああ、ひょっとして、魔物が逃げて来た理由が、強大な魔物に追われてるからだと思ったのか?」
ハロルドの問いかけに、コクリとアンジュとエレナが頷いた。
「ジェイクから逃げて来ていたと言ったら…流石に引くよな……」
アンジュとエレナがジェイクを見やる。次いで辺りに散らばる魔物と木々の残骸に目を向けた。その二人の表情はみるみる引き攣っていく。
「いや! その! これでも森を壊さないように加減しました!」
「これで! しかも、魔法じゃなく、闘気術ですよね!」
ジェイクの叫びに、思わずアンジュがツッコミを入れた。
しかもハロルドに誘拐された時に見せた、闘気術を使用していたことに、憤慨する。あんなに頑張って、魔法のコントロールを教えたというのに、結局魔法を使わず、闘気術で森を破壊しては意味がないと。
「え! え! いつも闘気術を使っているので……えっと、駄目なんですか?」
「いや、あんた、魔導士でしょうが! 何で闘気術を使うのよ! というか、あの特訓は何だったのよ!」
「ええっと……つい癖で……これでもいつもよりは随分とマシなのですが……」
腰が抜けていたアンジュは、怒りの方が勝ったのか、すっくと立ち上がると開けてしまった場所を指差した。
「あ"あ"! よく見てみなさいよ! 森のずっと奥の方まで開けちゃってるじゃない!」
「えええっと、いや、その……」
ドスの効いた声でアンジュが、こめかみに青筋を立てた。それなのに怒られている筈のジェイクは、何故か照れているようで、もじもじしながら言い訳を探している。それを見ていたハロルドは、変な扉を開いてしまったのではないかと、つい考えてしまった。
そんな中、その開けてしまった森の奥から、兵士たちがこちらへと向かってやって来た。
そしてアンジュに怒られているジェイクを目にし、唖然とする。
ジェイクは魔導部隊の隊長であり、この国で最強の兵士でもある。しかも普段は鬼上官と呼ばれる程、無表情で厳しい人物だ。そんなジェイクを叱り飛ばしている少女に、全員が目を剥いた。
「もう、ちゃんと分かってるんですか! あれだけ特訓したのに、成果も何もないじゃないじゃないですか!」
「はいっ、すみません! これから、闘気術は控えます!」
気付けばその場に正座させられていたジェイクは、何故か嬉しそうに返事をする。その様子にただ困惑しながらも、ジェイクの部下たちは引いていた。
そんな彼らは、ハロルドへと顔を向ける。この状況でジェイクに声をかけるのが憚れたせいでもあるが、こちらもどうにも声をかけ辛い状況だった。
「エレナ、大丈夫か?」
「は、はい。ありがとうございます」
「ああ、服に土がついてしまったな」
「仕事着ですので、お気になさらないでください」
「怖かっただろう」
「いえ、ハロルド様がいてくださったので」
この非常時に、ちちくり合っている二人を見遣り、げんなりとした兵士たちだった。
「さて、撤収しよう」
エレナといちゃついていたハロルドが、満足したのか声を上げる。それでもエレナの肩をしっかりと抱いているあたりに、ジェイクが恨めしそうに、そして羨ましいという想いで、ハロルドに目を向けた。
その視線をさらりと躱し、ハロルドが兵たちに指示を出す。
兵の一人が空に向かって口笛を鳴らすと、大きな羽音と共に飛竜が現れた。開けてしまった森へと何体かが降り立つと、その内の一頭がジェイクへと歩み寄って行く。ドスンドスンと巨体を揺らし近づいてくる様は、見慣れていない者からすれば、恐怖でしかない。
ジェイクに説教をすることに熱中していたアンジュは、飛竜が近づいていることに気がつかなかった。
その様子を見ていたエレナが「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。
「今度からはこのようなことがないよう、気をつけてくださいね!」
手を腰に当て、正座しているジェイクに言い聞かせているアンジュに、飛竜がその真後ろへとやって来た。そして徐に、アンジュの背中をどんっと頭で小突く。
「きゃっ!」
飛竜からしてみれば、軽く小突いたつもりでも、人間の、しかも小柄なアンジュからしてみれば、それは吹き飛ぶほどのものだ。
「アンジュ!」
「ベントさん!」
エレナの悲痛な叫びと、ジェイクの焦った声が重なる。
ドンっと音と共に吹き飛んだアンジュだったが、思いの外その勢いは弱く、土下座していたジェイクに抱き留められ、事なきを得た。
「大丈夫ですか!」
「ええ、大丈夫です。ありがとうございます」
然程驚いた様子も見せず、アンジュは後ろを振り返ると、飛竜をキッと睨みつけた。
「ちょっと、どういうつもり! 人の背中を小突くなんて!」
ジェイクの腕から出て、飛竜に向かって歩いて行くと、今度は飛竜にお説教を始める。それにギョッとしたジェイクが慌てて間に入った。
「ベントさん! うちの飛竜が申し訳ありません! ですが飛竜は慣れていない人間を襲うこともありますので、大きな声は控えた方が……」
「いいえ、オールディス様! こういう時はしっかりと言い聞かせなければいけません!」
ジェイクの声に被せるようにアンジュが言えば、ジェイクはタジタジになる。それでも危険だと、言葉を尽くそうとする。
「ですが……」
そう言いながら飛竜の方を見遣れば、少し落ち込んだように頭を下げていた。そのことにジェイクは驚いた。そしてもっと驚くことになる。
「よしよし、いい子ね。遊んで欲しかっただけなのよね。これからは気をつけるのよ、アンディ」
「え? 何故、飛竜の名を?」
飛竜の頭を撫でながら、アンジュが名を口にしたことに、ジェイクは疑問を投げかけた。
「ああ、アンディは家の牧場で育てた飛竜です。元気そうでなによりです」
目を細め、気持ちよさそうに頭を撫でてもらっている飛龍がグルルと喉を鳴らす。その鳴き声を聞き、鮮やかに笑ったアンジュに、ジェイクは暫し見惚れてしまっていた。
「さて、そろそろいいかな? 日が暮れない内に、二人を送って行かなければならない」
「あ、あの、私たちは馬で来ていますので、送って頂かなくても結構ですよ。それに、勝手に森に入り込んだのはこちらですし、これ以上ご迷惑はおかけしたくありませんから」
ハロルドの言葉に、慌ててエレナが断りを入れる。だがそれにハロルドは頷くことはなく、大きな溜息を吐き出した。
「いや、送らせてくれ。ちゃんと寮に戻ったかどうか確認しないと、心配で仕事が手につかない」
真剣な表情を浮かべるハロルドに、エレナが顔を真っ赤に染めた。それを見たアンジュはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。
「馬には二人で乗ればいいし、ベント孃とジェイクは飛竜に乗ればいい。俺は帰りはジェイクと一緒に飛竜に乗って帰るから、それで問題ないだろう」
そう言った途端、ジェイクが顔を顰めた。ハロルドと二人で飛竜に乗ることに難色を示した形だ。
「俺だって嫌なんだ。そこは我慢しろ」
呆れた様子でハロルドが言えば、渋々ジェイクが頷いた。
エレナの手を引き、人里の方へと歩き出したハロルドを見遣り、ジェイクはアンジュに手を差し伸べる。
「では我々も行きましょうか」
「はい。アンディ、よろしくね」
嬉しそうにアンジュに鼻先を近づけた飛竜に、ジェイクが嫉妬する。そんなこととは知らず、アンジュはただ純粋に喜んでいた。
久しぶりのアンディの背に、「懐かしいわ」とアンジュは顔を綻ばせる。
そんな穏やかな感情は、後ろからジェイクに抱き込まれた瞬間に吹き飛んだ。密着した身体に頬を赤らめたアンジュは、意味もなく飛竜の背を撫で続けた。
ゆっくりと羽を動かし、上昇した飛竜は、森の上空で一旦留まる。
そっと下を見下ろしたアンジュは、半壊してしまった森を見遣った後、エレナとハロルドの姿を見つけた。
森の外に繋いでいた二頭の馬の片方に、二人で乗っている。もう一頭は手綱を握り、牽引していく。その様子に思わずアンジュは笑みを浮かべた。
「二人とも、幸せそう」
「僕たちも、幸せになりましょう」
背中越しに伝わるジェイクの声に、アンジュは堪らずグッと言葉に詰まる。これはどこまでが本心なのか、若しくは先日考えたように、エレナの妹との出逢いのための演技なのかと勘ぐらずにはいられなかった。
何も答えないアンジュにも呆れることなく、ジェイクは穏やかに声をかける。
「では、行きます。しっかりと捕まっていてください」
そう言うと、ジェイクはアンジュの手を取り、手綱を握る自分の手に重ねさせる。それにドキリと心臓を跳ね上げたアンジュだったが、落ち着けと何度も呪文のように心で唱え、平常心を装った。
バレていないと信じながら、アンジュは夕日に染まり始めた空を仰いだ。
◇ ◇ ◇
慌ただしく撤収作業を行う魔導士たちに、遠慮がちに一人の兵士が声をかけた。
「あの、すみません。こちらに病院の看護師が二人、来たと思うのですが、ご存知ありませんか?」
その言葉を受け、魔導士が顔を見合わせた。
「ああそれなら、隊長たちが街まで送って行ったよ」
「え! 隊長たちが……」
魔導部隊の隊長である二人は国の『守護者』だ。その二人にじきじきに送ってもらうなど、余程のことがあったのだろうかと兵士は心配になった。
「二人は怪我を?」
「いえ。全く。今頃、隊長たちはイチャついてますよ」
「は?」
意味が分からないといった兵士を置き去りに、魔導士たちはうんざりしながら持ち場に戻っていく。
その様子を眺めながら、兵士も深く考えたらいけないような気がして、お礼を言ってその場を後にした。
後にその二人の看護師が『守護者』から求婚された事実を知り、驚愕する兵士だった。
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