2.魔道部隊の隊長が可愛いんですが

「おはようございます」


 勤め先の寮を出て病院に向かったアンジュは、看護師たちの集まる場所、ナースステーションに入ると、丁寧に朝の挨拶をした。

 優しい笑みを浮かべ、物腰柔らかくされた挨拶に、一同が目を疑う。


「ア、アンジュ、どうしたの? 何か悪いものでも食べた?」 


 心底心配しているというように、真っ先に声をかけてきたのは、アンジュの教育係であるマリンだった。


「ひょっとして、拾い食いとか?」

「どこかに頭を打ったとか?」

「まさか、男に振られたからとか?」


 マリンに続き、真剣に聞いてくる先輩方に、アンジュは笑顔のまま固まった。


「もう、失礼ね!」


 一応、いつも通りのアンジュでいようと思ってはみたが、精神年齢は四十路一歩手前なのだ。今までのような振る舞いは、流石に羞恥の方が勝る。

 それでもそれらしく返事を返すと、あからさまにホッとされ、なんとも言えない気持ちになったアンジュであった。


「申し送りを始めますよ」


 婦長の一言で、全員が仕事モードに切り替わる。

 かくゆうアンジュも、性格はガサツでも仕事はきっちりと行う、信頼に足る働きをしていた。


「昨日遅くに、国軍の方から連絡が入りました。本日早朝より、大規模な魔物討伐が行われるそうです。なんでも、下層部分で見たこともない巨大な魔物が現れたとか。恐らく負傷者も多く出ることでしょう。皆さん、気を引き締めていきましょう」

「「「はい!」」」


 その場にいた全員が緊張した面持ちになる。

 一年前も似たようなことがあり、一同はその時の記憶を思い出していた。


 当時の悲惨さは忘れることが出来ないほどに酷かった。ここにいる誰もが、あの時のことに口を噤む。

 それはここにいる看護師全員の心に、暗い影を落としたからに他ならない。

 特に、マリンとエレナ、そしてアンジュには、一生忘れることの出来ない程の深い傷を負わせたほどだ。

 誰もが暗い顔になる中、婦長が大きな声で言う。


「私たちがやれることを、精一杯、頑張りましょう!」

「「「はい!」」」


 病院ということもあり、こんなにも大きな声を出す婦長は珍しい。それでも、皆を奮い立たせるためのその声は、確かに全員の心に響いた。




 今回の討伐は、主に魔導部隊を中心として編成されたようで、病院に運ばれた兵士たちは皆ローブを纏い、命に関わるような大きな怪我もなく、一年前のような悲惨な状況にはならなかった。

 だがそれでも、いつもよりは負傷者が多く、病床は満床状態になっている。

 そして、魔導部隊と聞き、アンジュはこの世界には魔法が存在しているのだと改めて気付かされた。


 この世界では誰もが魔法を使うことが出来る。かくゆうアンジュも魔法を使えた。

 前世で好きだったゲームや漫画、小説には、魔法がよく出てきていた。魔法が使えたらと思ったこともよくあったと、アンジュはまたどうでもいいことばかり思い出すことに、笑いが込み上げてくる。

 ただ、自分が使える魔法が、派手な魔法ではなく、生活魔法しか使えない現実に肩を落とした。

 それでも、魔法が使えるのだ。しかも全属性。少しばかり怖いが、闇魔法だってやろうと思えば出来るのだ。

 これから少しずつ、色々な魔法を使ってみようと心に決めたアンジュである。


 それはさておき、アンジュは今現在の状況に歓喜した。目の前には派手な魔法が使える魔導士たちがいる。お近づきになれれば、凄い魔法を見せてくれるかもしれない。あわよくば、お付き合い程度なら出来るかもしれないと、俄然やる気が出てきたアンジュである。



「体調は如何ですか? 気分が悪かったり、痛みが酷いなど、何か気になることはありますか?」


 看護師たちは朝一番に、受け持っている各病室をまわり、患者の様子を伺う。アンジュも申し送りの後、いつものように病室をまわり『天使の笑顔』を振りまいていた。

 アンジュは顔だけは良いのだ。文字通り、天使のような笑顔に、入院している魔導士たちが顔を赤らめる程度には。


 魔導部隊は、滅多にお目にかかれない貴重な存在だ。

 魔力量の多い者はとても少ない。幼少期に教会で魔力量を測定した際、魔力量が多いものは成人後、強制的に軍への入隊を余儀なくされる。

 平民であろうが貴族であろうが、否応なしに軍隊へ入れられてしまうが故に、教会での魔力量の測定時は阿鼻叫喚となることが殆どだった。


 そんな貴重な魔導士たちと縁を結べれば安泰だと、昨日の討伐で新たに入院してきた患者たちに、それはそれは良い笑顔で愛想を振りまいていたアンジュだった。

 だが、午後になると一転、アンジュの機嫌が一気に下降する。


「大丈夫なの、ミック。心配したわ」

「ああ、こんなに怪我をして。グレイ、痛くない?」

「無事で良かったわ、ニール。お水飲む?」


 各病室の扉は、容態が急変した時すぐに駆けつけられるように、常に開けられている。そのせいもあり、病室内の声はだだ漏れだ。

 そこここから漂って来る甘い雰囲気に、天使の笑顔はどこへやら、鬼の形相でアンジュはカルテを握りしめていた。


「アンジュ、顔、顔」

「分かってます、マリン先輩」


 余りの恐ろしい形相に、思わず声をかけずにはいられなかった同僚のマリンに、引き攣った笑みを見せるアンジュ。ヒクヒクとしている口元に、マリンは「もうちょっと自然に」と困ったように付け足した。


「大丈夫です。仕事はちゃんとやりますから」


 引き攣った顔のまま、一つ目の病室へと足を向けたアンジュは、だがすぐに無表情へと変わる。アンジュが病室に入った後も、イチャイチャを止めないバカップルのせいだ。

 

 今回の討伐隊の魔導士たちは、実は随分と若い。カルテを見る限り、十八~二十歳と、アンジュからしてみれば、入れ喰い状態だった。

 左薬指に指輪をしていないことを確認して、午前中は声をかけまくったのだ。そうなると今お見舞いに来ているのは、『彼女』か『婚約者』だろうと当たりをつけたアンジュだったが、張り合ったり、奪ってやろうなどとは微塵も思わない。

 生憎と他人のものには興味はなかった。だから余計に笑顔が引っこんでしまうアンジュである。


「失礼します。ご歓談中のところ申し訳ありませんが、お薬の時間です」


 開けられている扉を軽くノックしてから声をかけると、患者の恋人が目にも留まらぬ速さでアンジュに駆け寄って来た。その素早い動きに、アンジュが固まる。


「ご苦労さま。薬はあたしが飲ませるから、任せて」

「いえ、そういうわけには……」

「大丈夫よ。もし心配なら、飲ませるところを確認すればいいわ」

「はあ……」


 結局言われるがまま、薬を飲ませるところを見る羽目になったアンジュは、押し切られたことを酷く後悔した。


「はい、ミック。お薬よ」

「ありがとう」


 イチャイチャしながら薬を飲ませ、挙げ句「口移しの方がいい?」などと聞いている。「駄目だよ、人前だよ」などと満更でもなさそうな患者の表情が、やたらとアンジュの鼻につく。


 そして残念なことに、他の病室でも薬を奪われ、同じように仲睦まじい姿を見せつけられてしまった。絶賛恋人募集中のアンジュからしてみれば、かなりの苦行なのだが、患者たちからすれば、そんなことは知ったことではない。


 げっそりとした顔でナースステーションに戻れば、皆が同情するくらいにはアンジュはやつれていた。


「アンジュ、お疲れ様。はいお水」

「ありがとうございます、マリン先輩」


 椅子に座り、一気に水を飲み干すと、アンジュは机に突っ伏した。


「まあ、いつものことだし、元気だして」

「……はい」


 そんな会話をしていると、少しばかり病室の方が騒がしいことに気づく。

 それを不審に思い、アンジュが顔を上げると、マリンと目を見合わせた。


「何かしら?」

「さあ……」


 様子を見に病室の方へ向かうと、一際大きな声が響いた。


「隊長! わざわざお見舞いに来てくださったんですか! ありがとうございます!」


 一つの病室を覗くと、そこには魔導部隊の制服である濃紺のローブを纏った背の高い男性が立っていた。後ろ姿しか見えていないが、隊長と呼ばれていたことを思えば、うんと歳上なのだろうと、アンジュの興味はすぐに削がれる。


「見舞いが遅くなってすまない。皆には本当によく頑張ってもらった。感謝している。早く良くなって、また元気な姿を見せてくれ」


 落ち着いた穏やかな口調は、なかなかに慈愛に満ちていて、患者である魔導士は感動の余り涙ぐんでいる。


「ありがとうございます」


 小さな花束を受け取り、頭を下げる患者に、「ゆっくり休んでくれ」と言葉をかける。

 そして病室を移動するために、アンジュたちの方へと振り返った。


「あらやだ、カワイイ」


 そう呟いたのはアンジュだ。隣りにいたマリンが「こらっ」と言って、思わずアンジュの脇腹を肘で小突く。


 アンジュたちに気づく様子もなく、次の病室に入ると、同じように患者に声をかけた。そうして全ての病室を回り終えると、隊長と呼ばれていた人物が、アンジュたちのいる方へと歩いて来る。


「看護師の方々ですか?」

「はい」


 先輩であるマリンが返事をした。その隣でアンジュは隊長と呼ばれた人物を上から下まで舐めるように観察する。その不躾な視線に、マリンが冷や汗をかいた。

 魔導部隊の隊長なのだ。それなりに『お偉い様』な人物の不興をかうのではと、アンジュの態度にマリンは内心で竦み上がっていた。


「我が隊の魔導士たちがお世話になっています。どうぞ完治するまでよろしくお願いします」

「はい、お任せください。精一杯、お世話しますのでご心配なく」


 マリンがこれでもかというくらい愛想よく返事をし、アンジュもその隣でニコリと適当に笑顔を見せた。

 魔導部隊といえば、エリート中のエリートだ。今入院している魔導士たちも勿論そうで、女どもが放っておくはずもなく、現に全員彼女持ちだ。当然のことながら、目の前の人物もそうなのだろうとアンジュは項垂れる。隊長ともなれば、それこそ選び放題だろう。

 アンジュは目の前の人物が随分と若いことと、アンジュ好みの大人しそうな可愛い容姿を見遣り、本当に残念だと肩を落とした。


 そんな中、患者の彼女の一人がこちらに歩み寄って来た。手には薬の箱を持っている。わざわざ返しに来たのかと、マリンが一歩を踏み出そうとしたところで、その女性はアンジュの方へと素早く移動し、手首を掴んだ。アンジュの手に無理やり薬の箱を握らせると、ぐいっと顔を近づける。

 ぎょっとしたアンジュを他所に、耳元で女性が小さく囁いた。


「隊長は独身よ。頑張って」


 その言葉に目を見開いたアンジュは、素早く立ち去る女性の後ろ姿を見送り、次いで薬の箱を無言でマリンに押し付けた。


「ん? なに?」


 その行動の意味が分からず、マリンが首を傾げる。そんなマリンを気にもかけず、アンジュは魔導部隊の隊長へと声をかけた。


「お見舞い、お疲れ様でした。入り口までお見送りします」


 先程の適当な笑顔ではなく、渾身の笑顔だ。それを見たマリンは『アンジュも懲りないな』と思いながら苦笑する。


「ああ、いえ、お気遣いなく」


 少し驚いたように返された返事に、アンジュはめげずに言い募る。


「大丈夫です。私の担当の患者さんは皆さん、彼女さんが来ているみたいなので、お邪魔してしまってもいけないので」


 尤もらしく言っているが、看護師の仕事は患者のお世話以外にも沢山ある。そのことはおくびにも出さずに、「さあ、こちらです」と隊長を促した。


「はあ……」


 強引なアンジュに促されて歩き出すと、すぐさまアンジュが行動を起こす。


「魔導部隊の隊長だなんて、大変そうですね」


 ここで愚痴の一つでも零してくれれば、それに共感して話題を広げられるとアンジュは打算した。


「そうですね、楽ではないです」


 当たり障りのない返答に、アンジュは大きく頷いてみせる。


「他の魔導士の方もそうですが、命の危険のある前線に立つというのは、私には想像もつきませんもの」

「ああ、確かにそうですね。初めて前線に立った時は、想像していたものと遥かに違ったのを覚えています」

「そうなんですね」


 上手く会話が出来ているのか、いまいち不安であったアンジュだが、次の言葉で隊長の態度が一変する。


「とても優しくて、頼りがいのある隊長さんがお見舞いに来てくださって、皆さんとても喜んでいましたね」

「そ、そうでしょうか?」


 少し頬を上気させ、照れながら言う隊長に、アンジュはここは攻め時だと勢いに乗る。


「上官の方がお見舞いに来ることは、あまりないんですよ。隊長さんは、皆さんのこと、とても大事に思っているんですね。それに、皆さんからもすごく慕われているようですし、良い上官なんですね」


 褒め殺しという言葉が、アンジュの脳裏を掠める。それが功を奏し、隊長は益々可愛らしい顔を赤くした。


 階段を降りると、すぐに病院の入り口へと着いてしまう。アンジュは少し焦りながらも、大事なことを聞かなければと、意を決して口を開いた。


「隊長さんって、モテるでしょう? 恋人さんはどんな方ですか?」

「い、いや。恋人はいないし、モテもしないです」


 顔を赤くしたままぶんぶんと頭を振って否定する姿は、草食系男子そのものだ。アンジュは押せばコロリと落ちそうだと、最低なことを考える。


「またまた~」

「いえ、本当に……。仕事ばかりで、そういう時間を作れなかったというのもあるのですが……」

「そうなんですね。じゃあ、私が立候補してもいいですか?」

「は?」


 そのアンジュの言葉に、先程とは打って変わって、スッと表情がなくなった。

『ああ、これは脈なしか』と、真面目さ故に、こういう軽薄な誘いに嫌悪感を抱いたのだろうと、アンジュは即座に理解した。


「冗談ですよ! では、お仕事頑張ってくださいね」


 こういう手合は落とせないだろうと、早々にアンジュは諦めた。そしてちょうど病院の入り口に辿り着く。


「では、また!」


 本当に冗談だったのだと思わせる為に、アンジュはそそくさとその場を後にした。だがそれが功を奏したのか、隊長は大きな勘違いをする。


「本当は忙しいのに、僕が迷わなように、入り口まで送ってくれたのかな?」


 などと見当違いな呟きを零し、暫し呆然と佇んむ隊長だった。



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