10.お茶会という名のお披露目会

 忙しい日々の合間を縫って、エレナとアンジュはそれぞれデートに勤しんでいた。最初は二組でというのが多かったが、最近は二人でというのが当たり前になってきている。

 そんな中、ジェイクが申し訳無さげにアンジュにお願いをした。


「ベントさん、実は母が家に連れて来いってうるさくてですね。どうでしょう、今度の休みにでも来て頂けませんか?」


 デートの度にそれとなくジェイクの母親が会いたがっていると聞かされていたアンジュは、とうとう直接的に誘われてしまったかと顔を引きつらせた。

 今日は二人きりのデートだが、相変わらずジェイクは仕事が忙しく、魔導部隊の制服を着ている。

 アンジュは未だにジェイクの私服姿を見たことがなかった。それなのに、アンジュの方はそろそろ服のバリエーションがなくなってきている。

 デートの度に、自分ばかりがあれこれと考えなければいけないことに、不満を抱いていたアンジュだった。それなのに、ジェイクの実家である公爵家に行くなどと、一体何を着て行けば良いのかと、ほとほと困り果てたアンジュは断りの言葉を口にした。


「そ、そのー、あのお屋敷に、と考えるとなかなか二の足を踏んでしまうのですが……」

「そんな、ベントさん! ご自分の家だと思って、遠慮なく、いつでもいらしてくれて良いのですよ!」


 『思えるかーい!』と心の中で突っ込んだアンジュだった。


「それと、母がベントさんに話があるとも言っていましたし。正直、余り良くない雰囲気のままベントさんを帰してしまったことをずっと気に病んでいるようでして。来ていただけると有り難いのですが」

「あれは一方的に私が悪いんですから、気になさらなくてもいいのに……」

「いえ、とんでもありません! 父のせいで嫌な思いをさせたのはこちらですから」


 眉根を下げ、申し訳なさそうに言うジェイクに『可愛のう』などと中年親父の思考を頭の中で炸裂させ、アンジュは思わず絆されてしまった。


「はあ……分かりました。今度のお休みに、お家にお伺いさせて頂きます」

「はい! 是非! 美味しいと評判の焼き菓子を用意しておきますので!」


 満面の笑みを浮かべたジェイクに、まあ悪いようにはされないだろうと、アンジュは笑みを返した。


 のだが。



「まあまあ、アンジュさん! ようこそ! さあさあ、こっちにいらして!」


 着いて早々、ぐいぐいと屋敷の奥の奥のずっと奥の方へと連れ込まれたアンジュは、危機感に思わず顔を引きつらせた。


「この前は本当にごめんなさいね。あんな形の初顔合わせになってしまって。でもね、本当にアンジュさんには家に嫁いで来てもらいたいのよ! それだけは分かってちょうだい!」


 最後の方はまさに懇願という勢いで、ジェイクの母、カレンが言う。

 屋敷の奥のサロンというような場所で、豪奢なソファーに座らされ、紅茶を出されたアンジュは顔を引き攣らせながらも、前回のことを反省し、当たり障りのない返事をしようと心がけた。


「そのような勿体ないお言葉……」

「ベントさん! 僕は本気です! どうかそのことだけは信じてください!」


 アンジュの言葉を遮り、感極まったようにジェイクが叫んだ。そのことに益々顔を引き攣らせたアンジュはとりあえず紅茶を一口口に含む。高級な茶葉を使用している美味しい紅茶の筈なのに、全く味を感じる余裕のないアンジュだった。


「それでね、アンジュさん。私ね、娘を着飾るのが大好きなの」

「確か、双子のお嬢様がいらっしゃるのですよね。魔導部隊でお忙しい日々をお過ごしだとか」


 何回か目のデートで、聞いてもいないのに、家族構成や育ってきた環境などをジェイクが話し出したことを思い出し、アンジュは即座に反応した。


「ええ、そうなのよ! 二人ともドレスとかに興味はなくって、仕事のことばかりなの。もう私、寂しくて」

「そ、そうですか……」


 この後の展開が容易に想像出来て、アンジュは思わず逃げ出したくなってしまう。

 だから奥の方に引っ張り込んだのかと納得したが、どうせ逃げられないのにと苦笑いをした。


「だからね、今日はいっぱいドレスを用意してあるの! きっとアンジュさんに似合うものばかりよ!」


 少女のように表情を煌めかせ、グイグイと迫ってくるカレンに、早々に諦めたアンジュは力なく頷いた。


「それは……ありがとうございます」


 ぱああっと顔を輝かせたカレンに、ジェイクも同じように喜んだ。


「ベントさんのドレス姿はさぞや美しいことでしょう! 勿論、今でも充分にお美しいですが!」


 拳を握って力強く言い切ったジェイクは、興奮気味に頬を上気させている。

 いっぱいドレスがあるということは、これから暫くは着せ替え人形になるのかとうんざりする。それでもここまではまだ、アンジュにも余裕があった。


 小一時間程、色々なドレスを着せられて、疲れが見え始めたアンジュは、そろそろ開放してはくれないかと遠い目をする。


「本当にアンジュさんは、何を着ても似合うわね! 特にこの真っ赤なドレスを着こなせるなんて、本当に素晴らしいわ!」

「はい、本当に! もう僕は見惚れてばかりで、上手な賛辞の言葉がかけられない程で…お恥ずかしい」


 ジェイクが頬を染めながらそんなことを言うから、アンジュとしても満更ではなかった。


「本当はもっといっぱい着てもらいたいところだけれど、そろそろ時間が迫っているの。残念だけど、仕方がないわ」


 その言葉に、やっと開放させるのかと、アンジュは思わず頬を緩めた。

 そんなアンジュの心情を逆撫でするように、カレンが爆弾を口にする。


「実は今日これから、我が家でちょっとしたお茶会があるの。そうだわ、アンジュさん! 折角着飾ったのだから、このままお茶会に参加していったらどうかしら?」

「い、いいえ、滅相もござい…」

「それは良い! 母上、僕もベントさんと一緒に参加してもよろしいでしょうか!」

「いえ、あの…」

「勿論よ! ジェイクも支度をしなくちゃね!」


 前のめりでジェイクが割って入るが、アンジュは辞退すりつもりなので、すぐに断りの言葉を紡ごうとした。そんなアンジュの言葉に被せるように、カレンが大きな声を上げる。

 『淑女どこ行った!』と思わず突っ込みそうになるアンジュであった。


「それにしてもジェイクったら! お茶会に出たことなんてないのに、急に参加したいだなんて、もう現金ねえ。でも嬉しいわ! 是非二人で参加していってちょうだい!」


 嵌められた、と思った時には後の祭りで、最初からそのつもりだったのだろうとアンジュは二人を恨めしそうに睨んだ。そんなアンジュの視線を受けても、二人は素知らぬ顔で話を進める。


「今日のお茶会は本当に身内だけだから、気負うことは全くないのよ。それにジェイクもいるし。だから、安心して」

「はい! 僕はベントさんの側を離れませんので、何も心配はありませんよ!」


 『いやいや、あんたお茶会初めてなんでしょう?心配だらけだわ!』と喉まで出かかったが、アンジュは何とか呑み込んだ。


「はあ……そうですか……。私などが参加して、お二人に恥をかかせてしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします」


諦めの境地に達したアンジュは、深く腰を折り、了承の意を口にした。すると二人は弾かれたように喜び、張り切りだした。


「こうしてはいられない! 僕も急いで用意をしてきますね!」

「さあさ、アンジュさんはこのネックレスをつけてね。あとイヤリングはこれね」


 どれもジェイクの瞳の色に似た、碧色の宝石が嵌められていることに、顔が引き攣る。だが恐らくこれも、何かしらの意図があり、そしてエレナの妹をジェイクに嫁がせるための計画の一部なのだろうとアンジュは勘繰った。

 身内だけとはいえ、平民と一緒にお茶をするなど、プライドの高い者からすれば屈辱だろうと、この後誰かに罵られるのだろうなと想像する。それをこの二人がどう受け止め、対応するのか。

 それ次第で今後の自分の身の振り方を考えなければと強く思ったアンジュだった。




「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。どうぞ楽しんでいってくださいね」


 カレン公爵夫人の挨拶でお茶会が始まると、集まった者たちは楽しく歓談をし始めた。

 中庭に設置されたテーブルの上には沢山の料理が並び、煌びやかなドレスを纏った女性たちが上品にそして優雅にお茶会を楽しんでいる。

 その様子を窓から見ていたアンジュは、隣で同じように外を眺めていたジェイクに目を向けた。

 今現在、正装をしているジェイクは、普段の可愛らしいイメージとは違い、凛々しいという言葉がぴったりな紳士に変身していた。いつもより少し髪を整え、かっちりとした服装は、大人の雰囲気に寄せて作り上げられたように感じ、アンジュはそんなジェイクにときめいてしまう。

 本当に勿体ない。そんな気持ちを抱きつつも、自分の役割を全うし、早くこんな茶番を終わらせたいとアンジュは強く思っていた。


「この中で、注意すべき人物はいらっしゃいますか?」

「そうですね。あちらにいる、赤い髪の若い女性は、きっとベントさんに言いがかりをつけてくるかと思います」


 カレンの横にずっといる、可愛らしい少女を見遣り、アンジュはやれやれと息を吐く。今日の自分の役どころは、きっと彼女を遠ざけるためのものだろうと理解し、げんなりとした。貴族相手に上手く立ち回る自信はないが、それはきっと二人がフォローしてくれるのだろう。

 何故自分がこんな目に、と思いながらも、まんまと乗せられれしまった自分自身に項垂れたアンジュだった。


「今日のお茶会の目的は、ベントさんが僕の想い人だと知らしめるためのものです。ベントさん程に美しく聡明な女性はそうそういませんからね。他の誰かに取られる前に、お披露目したかったというのが本音です。騙してしまったようで本当に申し訳ありません」


 黙っていればいいものを、こうやって正直に話すあたりも、アンジュにとっては好感が持てた。次いでに本当の目的であるエレナの妹のことも話してくれればと思ったが、そこは無理なのだろうと苦笑した。


「まだ愛想は尽きませんか……」

「はは、あり得ませんよ。前にも言いましたが、益々好きになっていますから」


 照れたように言ったジェイクに、アンジュは呆れた眼差しを返す。アンジュの過去を知っていて言っているその言葉が、嫌味のようにアンジュには聞こえていた。そんなアンジュの眼差しにめげることなく、ジェイクは真剣な表情をして問いかけた。


「その……そろそろ名前で呼び合いたいのですが、どうでしょう?」

「あら、私は平民なのですから、どうぞアンジュと呼び捨てで呼んでください」

「では、僕のこともジェイクと呼んでください」

「それは流石に……」

「そんな…。では僕も名前で呼ぶのは控えます」

「それこそお気になさらなくてもいいのに……」

「いえ、大事なことですから」


 困った表情をするアンジュに、ジェイクは譲るつもりはないと、強い意思を込めてアンジュを見つめた。


「名前呼びはもう少しお互いを知ってからにしましょう」

「……はい」


 がっかりと肩を落としたジェイクだったが、アンジュの心は冷え切っていく。

 知れば知るほど相手が自分から去っていくことを、アンジュは前世を含め、何度も体験している。だからこそ、深入りはすまいと決意した。


 ふと窓の外を見遣ると、ジェイクの母親であるカレンが手招きをしていた。いよいよ出番だと、二人は萎えた気持ちをすぐに切り替え、スッと背筋を伸ばす。


「さて、合図がきました。行きましょうか」

「はい」


 ジェイクの言葉にアンジュは頷き、大きく息を吐き出した。これからあの煌びやかな貴族の輪の中に入っていくのかと思うと、足取りは自然と重くなる。それでもエスコートしてくれるジェイクの腕に自身の腕を絡ませると、自然と体温が上がってしまった。

 アンジュにとって、ジェイクは好みどストライクなのだ。こんな状況でなければ楽しめたのにと思いつつ、こんな状況だからこそ、身体を密着させられたのだとも思い至り、アンジュの表情は複雑なものになってしまった。


「緊張してしまいますよね。でも大丈夫ですよ。僕がずっと側にいますから!」


 アンジュの表情に、緊張しているのだろうと勘違いをしたジェイクが笑顔でそう告げる。それに礼を言って、アンジュはジェイクとともに歩き出した。




「まあ、二人とも、よく来てくれたわ!」


 ジェイクがアンジュを連れて中庭に現れると、痛いほどの視線と、感嘆の溜息が二人を迎えた。

 凛々しいジェイクもさることながら、アンジュの美しさもまた人々を感動させた。何度も言おう、アンジュは顔だけは良いのだ。

 そんな二人の登場に、カレンが素早く声をかける。


「皆様、ご紹介いたしますわ」


 そう言ってアンジュの横に立ったカレンに合わせて、アンジュがジェイクから少し離れ、姿勢を正し、前を向いた。

 その堂々とした姿は、アンジュの美貌と相まって、およそ平民とは思えない程だった。


「彼女はアンジュ・ベントさん。ジェイクの婚約者候補ですの」

「ただいまご紹介にあずかりました、アンジュ・ベントです。どうぞ皆様、よろしくお願いいたします」


 少しスカートを摘み、優雅に見えるようにゆっくりと腰を落とす。長いスカートで足元が見えていないのだから、何となくカーテシーらしきものをしておけばいいかと、アンジュは先程他の令嬢たちがカレンにしていたように、見様見真似でお辞儀をした。

 当然のことながら、本物の貴族たちを騙せる筈もないことが分かっていたアンジュはとにかく笑って誤魔化した。

 そんなアンジュの笑顔に見惚れる者も多く、しっかりと誤魔化された面々は、今度は違う意味でアンジュに注目した。


「漸くジェイクにも春が来たか!」

「良うございました。これで我が国も安泰ですわね」

「まだ候補だなんて、今すぐ婚約してしまえばいいのに」

「全くだ! ジェイクは何をやっとるんだ!」


 今日のお茶会は身内と聞いていたが、本当に親戚の方たちなのだろう。男性陣は特にジェイクに厳しい言葉を投げている。そんなことを思いつつ、アンジュは『あれ? 外堀を埋められてる?』と、少しばかり青くなった。だがすぐに気持ちを切り替える。エレナの妹を婚約者にするための、謂わば親戚ぐるみの工作なのだからと自分に言い聞かせた。


「なっ! 婚約者候補ですって!」


 そんな中、金切り声が響いた。その声の主は、ドレスを摘み、急いでこちらに駆け寄ると、カレンに言い募る。


「私は何年も前から、ずっと婚約を申し込んでいるのに、これは一体どういうことですか?」


 先程ジェイクが言っていた要注意人物である赤髪の少女が、カレンに食って掛かる。それを笑顔で躱すカレンに、アンジュは内心ハラハラとしながら冷や汗をかいていた。


「まあ、どういうことと言われましてもねえ。それにこちらも何度も、何度もあなたからの申込みにお断りのお返事をしていますけれどねえ」


 『何度も』を二回言ったカレンに、周りの者たちから嘲笑が聞こえる。そのことに顔を真っ赤に染めて、赤髪の少女が声を荒らげた。


「何故です! こんな女より、私の方が良いに決まっています! それにこの女は平民ですよね! オールディス公爵家ともあろう名家が、平民の血を入れるなど、正気の沙汰ではありません!」

「あらあら、それは我が国に喧嘩を売っているようなものよ。知らないというのは恐ろしいわね」

「え?」


 カレンの言葉に、少女は勢いをなくし、辺りを見回した。アンジュもつられて同じように見回せば、睨むように少女を見ている者が何人かいることに気づく。そしてその者たちの近くで悲しそうに目を伏せる女性が二人。

 赤髪の少女がその姿を見て狼狽えた。


「その、違うんです……私はただ、この女よりも私の方が優秀で、結婚後もジェイク様を支えていくには私の方が良いのだと言いたかっただけで…」

「あなたの方が良いのだなどと、どうしてそう言えるのかしら?」

「それは勿論、私の方が教養もあり、貴族として育てられたのですから、この女よりも公爵家に相応しいのは火を見るより明らかです!」


 大声でそう叫ぶように言った少女に、益々嘲笑が向けられた。そのことに何故、と想いながら、少女はキッとアンジュを睨みつけた。

 その瞳を受け、アンジュはどうしたものかと逡巡するも、ここはカレンに任せるべきだと判断し、ただただ微笑んでいた。


「他国の、それも選民意識の強いあなたの国の貴族と、我が国の貴族の在り方は大きく異なります。平民平民と罵るあなたが、我が公爵家に相応しいとは到底思えませんわね。それが婚約に至らなかった理由だと、再三お伝えしましたのに、それを理解していない時点で、とても教養があり優秀だとは言えませんが。ねえ、皆様、そうでしょう?」

「全くそのとおりですな」

「感情的になって大声で喚き散らす辺りに、教養の欠片も感じられませんわね」

「というか、あの方、どちら様なのかしら?」


 最後の問いかけに、アンジュも大きく反応した。他国の貴族ということは会話で分かったが、それ以外のことは何も分からない。

 そっとジェイクに目を向けて、アンジュは小声で問いかけた。


「あの、あちらのご令嬢とは親しい間柄なのですか?」

「いえ、とんでもない! 名前も知りませんし、話したこともありません」


 その言葉に、少女がこれでもかと憤慨した。


「なっ! ジェイク様、私をお忘れですか!」


 金切り声を上げる少女にジェイクが剣呑な目を向ける。と同時に、強い威圧とともに、辺り一帯の温度が下がった。


「君に名前で呼ぶ許可は与えていない!」


 ジェイクの怒気を含んだ声音に、ヒュッと少女が息を呑む。

 魔導部隊の隊長を務めるジェイクは、可愛らしい顔をしてはいるが、化け物と言われる程の強者だ。そんなジェイクの殺気に近い怒気を向けられて、脆弱な令嬢など立っていられる訳もなく、その場にへたり込んだ。そして、この場にいた者たちも、恐怖に呑まれ言葉をなくす。

 だがアンジュには、それがよく分からなかった。それはジェイクがアンジュの真横にいたせいで、直接殺気をぶつけられなかったからに他ならない。


「オールディス様、やりすぎです」


 静かにアンジュが言えば、冷え切った空気が霧散する。そのことに、この場にいた誰もがホッと息を吐いた。そしてジェイクに注視する。


「すみません、ベントさん。余りの腹立たしさについ……」


 先程、名前呼びを強請られたことを思い出したアンジュは、間が悪かったなと溜息を吐きそうになる。そんなアンジュを他所に、申し訳無さそうにしながらも、どこか嬉しそうに謝るジェイクに、その場にいた誰もが目を瞠った。

 鬼上官と恐れられているジェイクは、常に無表情で、不機嫌、そして高圧的な態度が多かった。それがどうだろう。上機嫌で笑顔を浮かべ、謝罪までしている姿に、あまりの普段との違いに困惑した。


「恐れながら、カレン公爵夫人。私の存在は、やはり皆様には受け入れられないように感じます。ですので、私はこれで失礼させていただきます」

「い、いえ、アンジュさん、待ってちょうだい。受け入れていないのは、この令嬢だけよ。他の皆さんはジェイクとアンジュさんが添い遂げてくれることを心から願っているわ」


 ジェイクの放った殺気に当てられて、カレンは震える足を踏ん張らせて言い募る。だがそこに、もう一人異議を唱える者が現れた。


「俺は受け入れられないな。こんな美人がジェイクの伴侶になるなんて」


 体格の良い若い男性が一人、アンジュとジェイクの方へと歩み寄る。


「ニール」


 スッとアンジュを庇うように前に出たジェイクは、苦々しくその若者の名を呼んだ。


「お前が女に興味を持つとはな。半信半疑だったが、どうやら本当らしいな。しかも随分と良い女だ。お前の殺気にもびくともしない。正直、お前には勿体ねえよ。だから俺がもらう」

「何を馬鹿なことを」

「はっ! 物にしちまえばこっちのもんだろ?」

「ふざけるな!」


 殺気を出そうとしたジェイクに気づき、アンジュがそっとジェイクの背中に手を置いた。その温もりにジェイクは何とか平静を保つ。

 睨み合う二人に、どうにかしてくれとアンジュはカレンを見遣るが、何故かオロオロとするばかりで割って入ることをしない。そのことに首を傾げたアンジュは、ニールという男が何者なのかと逡巡した。

 カレンが言い返せない相手だとすると、同じ公爵家で向こうの方が家格が上なのか。それよりももっと上の王族だったりするのか。それにしては言葉遣いが荒い。そこまで考えて、アンジュはこの後どう出るべきかと頭を悩ませた。


「ほら、隠れてねえで出てこいよ。そんで俺のものになれ」


 前にいるジェイクに構わず、アンジュに手を伸ばそうとしたニールに、ジェイクが手を横に軽く払った。

 アンジュには、手の甲で軽く頬を打ったように見えたのだが、打たれたニールは勢いよく横に吹き飛んだ。大きな音とともに数メートル先にある木の幹にめり込んだと思ったら、そのまま木が粉砕する。木のお陰で勢いを削がれた身体は、少し転がったあと漸く止まった。

 誰もが声を失う中、アンジュが大声を張り上げた。


「なっ! やりすぎです! あれでは首の骨が折れてしまっているかもしれませんよ!」


 一瞬、殺してしまったのではないかと思ったアンジュだったが、苦しそうに身体を動かしたニールに気づき、ホッと息を吐き出した。

 だが、駆け寄ることはしない。それは未だジェイクが怒りに震えていたからだ。

 スタスタとニールの方に歩いて行くジェイクを、止めるべきかどうかを考え、アンジュはカレンを見遣る。青い顔で立ち尽くすカレンに、期待できないことを悟るとすぐに周りを見渡した。そして誰もが固唾を呑んで事の成り行きを見守っている。その表情には恐怖が滲んでいた。

 今までにもこういうことがあったのかしらと、アンジュはそう思いながら、ジェイクの後を追いかけた。


「ぐっ……」


 必死に起き上がろうとするニールだったが、思うようにいかず、呻き声をあげる。その割には、殴られた顔自体には大きな痕もなく、鼻血が少し出ている程度だった。その様子にアンジュは彼も魔力量が多く、身体強化か或いは結界が張れるのだろうと推測し、ホッとする。

 それも束の間、ジェイクが未だ歩みを止めていないことに気づき、青褪めた。

 ゆっくりと近づいてきたジェイクを、ニールが睨む。だが、その瞳には少しばかりの怯えが見えた。


「オールディス様、治療師を呼びましょう」


 そっと後ろからジェイクに話しかけたアンジュは、次のジェイクの行動に戦慄する。

 未だ転がっているニールの首元を片手で鷲掴むと、そのまま持ち上げたのだ。ニールよりもジェイクの方が背が高いのだろう、目線の高さまで持ち上げられたニールの足は地に着いていない。首に掛かる負担は相当のものの筈だと、アンジュは堪らずジェイクに縋った。


「オールディス様、おやめください! 死んでしまいます!」


 だがアンジュの声は届かないのか、ジェイクは更に首を掴んでいる手に力を込めた。

 口から泡を吹き始めたニールに、アンジュは焦る。形振り構っていられないと、声を張り上げた。


「ジェイク! 今すぐ放しなさい!」


 その声と共に小さな雷魔法をジェイクの手に落とした。魔力量故に、ちょっとした静電気程度の雷しか出せなかったのだが、それでもジェイクの気を引くには充分だったようだ。


「ベントさん……今、名前を……」


 目を輝かせてアンジュを見つめるジェイクに、アンジュは再度厳しい声をあげる。


「手を放しなさい!」

「は、はい!」


 ハッとして首から手を放すと、ドサリとニールがその場に崩れた。

 ゴホゴホと空気を求めつつ咳き込むニールに、まあこの程度ならば大丈夫かと、余りジェイクを刺激しないように、ニールを助けるのは止めておく。その間に誰かがニールに手を貸してくれればと思うが、誰も動こうとはしなかった。

 流石に医師に見せたほうが良いと思ったアンジュは、このお茶会の主催者であるカレンに、目を向ける。

 ハッと我に返ったようにこちらに歩み寄るカレンに、アンジュはホッと息を吐いた。そして、この場からジェイクを退場させるべきだと判断する。


「オールディス様、後はカレン夫人に任せて、退場しましょう」

「うう……名前戻ってます……」


 今はそんな話はどうでもいいと、しょんぼりとするジェイクに再度厳しく言い募る。


「退場しますよ!」


 言うと同時にアンジュはジェイクの腕に自身の腕を絡ませ、強引に皆の方へ身体を向けさせた。

 急いで頭を下げると、未だ突っ立っているだけのジェイクの腕を強く引き「ほら、頭を下げて」と小声で促す。

 渋々といった感じで頭を下げたジェイクを、今度はグイグイと引っ張って屋敷の方へと引き摺って行った。そんな二人の背中を呆然と見ていたカレンだが、すぐに我に返り、その場を収める。


「み、皆様、大変お騒がせいたしました。今までのことはほんの余興だと思って、これから存分に楽しんでくださいませね」


 余興にしては随分と精神に来るものがあったが、みな一様にホッと息を吐き出した。

 そして改めてアンジュの存在を噛みしめる。


「あのジェイクを嗜めるとは! これでオールディス家も、本当に安泰ですな!」

「良いお嬢さんが見つかって本当に良かったわ」

「このままジェイクの手綱をしっかりと握っていただきたいものですな!」


 思い思いの言葉を口にして安堵する面々に、未だ蹲ったままのニールは苦々しい表情をする。


「ニール、何故ここにあなたがいるの?」


 いつの間にか近くまで来ていたカレンが、困ったように口を開く。そんなカレンを睨みつけて、ニールが悪態をついた。


「うるせえな! 俺の勝手だろう!」

「ニール……」


 眉根を寄せるカレンは、哀しそうにニールを見遣る。それが癪に障ったのか、ニールは強く反発する。


「あんな奴に彼女は勿体ねえ! 俺がもらう!」

「そんなこと、思ってもいないくせに。あなたはただ、ジェイクに嫌がらせをしたいだけでしょう?」

「うるせえ!」


 図星なのだろう、声を荒らげ、そっぽを向いたニールにやれやれとカレンは肩を竦めた。


「今回ばかりは、邪魔はさせないわよ。それにあなたには婚約者がいるじゃない。このことがバレたら大変よ」

「知るか!」


 ふうっと大きな息を吐き出して、カレンは首を振った。せっかく上手くいきかけていた縁談なのにと、疲れた表情で項垂れる。それに少しばかりの罪悪感を覚えたニールは、ふらつきながらも立ち上がると、「俺はもう帰るからな!」と覚束ない足取りでその場を後にした。


「カレン公爵夫人、こう言っては何だが、少々甘やかし過ぎたのではありませんか?」

「ええ、私もそう思っておりますわ。これからは少し、厳しくいこうと思います」


 声をかけた本人は、距離を置くべきだと進言しようとしたが、それもまた違う方向に進んでしまいそうで躊躇われた。

 カレンの返事に頷くだけに留めて、そっと茶会の輪の中に戻る。


「ふう、なかなか上手くいかないものねえ……」


 頬に手を当て、呟いたカレンは、気を取り直してお茶会を再開させた。



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