11.ジェイクの幼少期
「ベントさん、その……みっともないところをお見せして、申し訳ありませんでした」
お茶会を抜けて、屋敷の中へと逃げ込んだアンジュは、落ち込むジェイクに思わず頭を抱えたくなっていた。
感情に任せ、暴力を振るった後、反省して酷く落ち込む。これは典型的なDV男だと、アンジュは結論づけた。こんなのと結婚すれば、それはそれは大変な目に遭うだろうと、目眩を覚える。本命であるエレナの妹がこのDV男の餌食になるのかと思うと、怒りさえも込み上げて来た。
これは矯正させるべきだと、アンジュは強く闘志を燃やす。親友の妹を救うべく、アンジュは立ち上がった。
「オールディス様、先程のニールとかいう方は、身分の高い方なのですか?」
「え! い、いえ、然程身分が高いとはいえません……子爵令息ですので」
アンジュに怒られると思っていたジェイクは、開口一番に問われた言葉に、酷く戸惑った様子を見せた。
「子爵……ですか。では何故カレン公爵夫人は、子爵令息様を止めなかったのでしょうか?」
その疑問に、ジェイクの顔が少しばかり歪んだ。
「彼は僕の従兄弟にあたります。幼い頃に母親を亡くし、うちの母が母親代わりとして育てたので……」
「ああ……なるほど」
ほんの少し、ジェイクとニールの関係性が見えて来たアンジュは、根が深そうだとうんざりする。
「もしかして、子爵令息様はオールディス様を目の敵にしているとか……ですか?」
「まあ、そうなるのでしょうね。ですが、僕からすればそれはお門違いもいいところなのですが」
疲れたように息を吐き出したジェイクに、アンジュは『拗れてるのかな?』と嫌な予感が頭を過る。
「僕は幼い頃から、常に戦場にいました。魔力量も多く、闘気術にも長けていたので、即戦力として最前線に投入されていました。そのせいもあり、あまり家には帰れませんでした。そして、それは僕だけでなく、双子の妹たちも同様でした」
本来ならば、どんなに強い魔力を有していても、子供を戦場に送るなど、非人道的だと非難を浴びる。だがジェイクと彼の妹たちは、公爵家の人間だ。国の為、民の為に、その持てる全てを捧げる立場の人間なのだ。
そんな彼等と自分とをアンジュは比べてみる。自分のちっぽけな存在は、ジェイクの足元にも及ばない。だからこそ、自分の役割は『囮』なのだろうと改めて納得したアンジュだった。
「僕たちが魔物と戦っている間、母は僕たちの代わりに、ニールの世話を焼いていたそうです。母も寂しかったのでしょう。そして母親を亡くしたニールも。でも僕たちだってそうでした。まだ親に甘えたい盛に、僕たちは戦場に送られ、人の生死に否応なく直面させられた」
苦り切った表情で、ジェイクが吐露する。それがとても痛ましくて、アンジュはどう言葉をかけていいのか分からなかった。
「ニールはただ、構ってほしいだけなのでしょうが、それでもやって良いことと悪いことがあります。今回は流石に許すことが出来ませんでした」
ジェイクからすれば、当時はニールに母親を取られてしまったという感覚だったのだろう。だが今は心も成長し、過去のものとして処理出来ていたのかもしれない。
実際、ジェイクはマザコンという訳でもなく、距離感としてはごく普通の親子だとアンジュは認識していた。逆にニールの方がマザコンを拗らせているのかもしれないと思うと、カレンに任せる方が得策だとアンジュは面倒ごとを押しつけることにする。
「こうなることが分かっていたのに、何故彼を今日のお茶会に招待したのですか?」
「招待はしていませんよ。どこかから聞きつけて、勝手に参加していただけでしょう。周りも母がニールを大事にしていることは知っていたので、無下には出来なかったのでしょう。それにニールには婚約者もいますし、ただ気になって見に来ただけだろうと皆思っていたのではないかと」
「なるほど」
自分の息子よりも早くに婚約者を探し、成立させていたという事実は、それだけでカレンがニールをとても大事にしている証明になる。そして今回ニールは、カレンが自分の息子にどんな女性を充てがったのかと気になり、見に来た。そして『気に入らない』と不満を抱き、先程の騒動を起こしたと……。そこまで考えて、アンジュは『子供の喧嘩かよ!』と心の中で毒づいた。
「そ、その……ベントさんは……ニールのことを……どう思いますか?」
不安気に揺れる瞳でアンジュに問いかけるジェイクに『可愛いのう』などと脳内でニマニマしていたアンジュは、ついその感情まま口を開いてしまう。
「オールディス様の可愛さに比べたら、彼は底辺もいいところですね。正直ああいう顔は好みではありません」
「え……可愛さ? それは可愛いい顔が、好みということですか?」
「えっ! ええ、まあ……」
口が滑ったと、アンジュは思わず口元を覆った。だが一度口にしたことは覆すことはできない。仕方なくそうだと頷けば、ジェイクの表情はぱあっと明るくなった。
顔の好みについて掘り下げられそうになり、アンジュは慌てて話を反らした。表情は、かなり厳し目にして。
「それよりも、オールディス様。感情的になって暴力を振るうのは、とても良くないことです。もしかして、戦っている最中に我を忘れてしまうのも、感情的になってしまうからなのですか?」
「……それは……その……そうなのですが……」
歯切れの悪いジェイクは、オドオドしながら俯いた。それでも、その原因となった出来事を話し出す。
「幼い頃から魔物と対峙して、それなりに死線を潜り抜けてきました。それでも、どうしようもないことは多々あって。……あの日は特に酷かった。周りは仲間の死体ばかり、僕の目の前には父の背中があった。魔物に殺されそうになって、父が僕を庇って負傷した。それでも父は僕に逃げろと言う。絶望しかなかったその場所に、ハロルドまでもが駆けつけた。ハロルドは果敢に魔物へと攻撃を仕掛け、片腕を失った」
両手で顔を覆い、項垂れるジェイクに、アンジュは何も言えずにただ聞いていることしか出来なかった。それでも今現在、ハロルドの腕は両腕ともしっかりと付いている。それは恐らく、治癒魔法に長けた者がすぐに治療に当たったからに他ならない。それにハロルドは、魔導部隊の隊長をしているのだ。腕に後遺症も残らずにすんでいる。そしてジェイクの父親も健在だ。その二つの事実はジェイクが立ち直るには、充分に役立ったことだろうと、アンジュは詰めていた息を吐き出した。
「僕は、とても怖かった。だから、もう何も考えられず、ただただ二人を助けることしか頭になかった」
ゆっくりと顔を上げたジェイクは、戸惑いながらも、アンジュの顔色を覗った。
「僕は元々、魔力制御がとても苦手なのです。本来ならば、幼い頃から少しずつ訓練して上達させるものなのですが、僕はこのことが切欠で、余計に魔力制御が出来なくなりました」
眉を下げ、情けない顔でアンジュを見遣るジェイクに、なるほどとアンジュが頷いた。
「オールディス様は、感情のままに魔力を使い、その危機を脱したわけですね。その成功例が、後々の魔力制御の訓練にも影響を及ぼしたと」
「はい……魔力制御をしようにも、その時のことが頭を過り、気付けば暴走してしまっていて…戦闘狂などと呼ばれるに至っています」
また項垂れたジェイクに、アンジュは態と大きな溜息を吐き出した。
「まあ、トラウマというものは、なかなかに厄介なものですからね。それでも、このままで良いとは、流石に思っていませんよね?」
否やを言わせないそのアンジュの問いかけに、ジェイクの頬が引き攣った。
正直ジェイクは、これまでの戦い方に然程問題はないと思っていたから尚更だ。
「魔力制御のやり方を、先ずは覚えましょう。それから、トラウマの克服ですが、オールディス様の場合、そう難しくはないかもしれません」
「え?」
アンジュの言葉に、瞳を瞬かせたジェイクは次いで首を傾げた。
「難しくない?」
「ええ。寧ろ、トラウマだと思いこんでいるだけで、呆気なく解決すると思いますよ」
「そう……でしょうか?」
不安そうに呟いたジェイクに、アンジュは大きく頷いた。
「問題は、魔力制御の方ですね。これは一般論ですが、大人になってから習得するのは、骨が折れると言われていますし」
腕を組んで頭を捻ったアンジュは、それでも解決策は訓練以外にないと結論づける。
「もしオールディス様が嫌でなければ、私がお手伝いしたいのですが、どうでしょうか?」
「え! ベントさんがですか!」
「ええ。一応看護師として、魔力制御の訓練方法も習いますので。先ずは初歩的な訓練方法から地道に始めてみましょう」
「はい!」
拳を握り、俄然やる気を出したジェイクに、アンジュはホッと胸を撫で下ろす。これで少しでもDV男から脱却してくれればと願うアンジュであった。
◆ ◆ ◆
アンジュのお披露目から数日が経ち、ジェイクの魔力制御は順調に進んでいた。そしてアンジュの想像通り、ジェイクのトラウマは意外なほど呆気なく解決していた。
「元々の才能と、経験値が高いことで、問題はあっという間に解決しましたね」
「はい。正直、驚いています。苦手意識が強く、ただ単に出来ないと思い込んでいたようで、恥ずかしい限りです」
魔力制御は、落ち着いて集中して行えば、そこまで難しいものではない。ジェイクが魔力制御が出来ないと思い込んだのは、仲間を早く危険から遠ざけたいという焦りから、上手くいかなかったせいだった。だが今現在、魔導部隊のみならず、剣術部隊も闘気術部隊も努力の末、魔物のせいで命を落とす者が少なくなったのも今回の魔力制御が上手くいった理由でもある。
そしてジェイクのトラウマになってしまったあの出来事は、蓋を開けてみれば、誰も命を落としてはいなかったのだ。まだ幼かったジェイクは、それが解らず、倒れ伏している者が『死んでしまった』と思ったのだ。それが強く記憶に残り、この事態を引き起こしていた。
「でも、私も知りませんでした。魔導士も、剣術士、闘気術士も、瀕死になっても死なないように、生命力を高める訓練をしていただなんて」
「まあ、一般には知られていませんからね」
実際、瀕死のまま何時間も経てば、当然のことながら命を落としてしまう。だが治癒魔法や治療魔法を施せば、難なく瀕死を脱し、数日後には歩けるまでに回復するのだ。
この話を聞き、アンジュが過去の出来事に当てはめれていれば、きっともっとジェイクとの仲は進展していたのかもしれない。だがアンジュもまた、トラウマという檻に囚われ、抜け出すことが出来なかった。
「あとは実戦で、しっかりと魔力を制御出来れば良いのですが……」
「はい、頑張ります!」
自信満々で頷いたジェイクに、アンジュもホッと息を吐く。
そんな自信に満ち溢れたジェイクだったが、途端に眉を下げ、落ち着かなくなった。
「でも残念です。もうベントさんとこうして手取り足取り教えていただけなくなるのかと思うと…」
確かにここ数日は、手を握り、魔力の流れを確認し、滞っている場所を手で撫でたりと今までにないスキンシップをとっていた。なかなかなに濃密な時間を過ごしていたなと、今更ながらに気づいたアンジュは、思わず顔を赤くした。
「もう、オールディス様! 遊びではないのですよ!」
「はい、それはもちろん重々承知していますが…」
しゅんとしてしまったジェイクに、アンジュは再度言い聞かせるように言葉を重ねた。
「実戦でもこの訓練を思い出して、周りを破壊しないよう頑張ってくださいね!」
「はい、頑張ります!」
元気よく返事をしたジェイクだったが、アンジュとジェイクにはかなりの温度差があったのだが。そのことをアンジュが知るのは、もう少し後のことだった。
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