20.謝罪

 足取り軽く寮へと戻って来たアンジュは、手土産を持って病院へと向かった。

質より量で選んだ焼き菓子だが、見た目はなんとも美味しそうだと、満足気に笑みを浮かべる。


 寮から出て、病院の裏口から入って行ったアンジュは、先程会った魔導部隊の副隊長補佐の姿を認め、思わず柱の陰に身を隠した。そして耳をそば立てる。


「すみません。こちらにお勤めの、アンジュ・ベントさんに会いたいんですが」

「アンジュは今日、お休みですよ」

「どうしても会いたいんですが、彼女がどこに住んでいるかご存知ありませんか?」

「ええっとー、流石にそれをお教えすることは出来ませんが……」


 副隊長補佐であるレイチェルの対応をしているのはアンジュとは違う病床を担当している先輩看護師、フィリーネだ。

そのフィリーネが困ったように眉を寄せても、レイチェルは引く気配がなかった。


「そこをなんとかお願いします!」

「ええっとー、もしかして、魔導部隊の隊長さんのことで、話があるとかですか?」


 レイチェルの制服姿を見遣り、そう質問したフィリーネは明らかに勘違いをしていた。

 魔導部隊の隊長に好意を抱いていて、アンジュに突っかかるつもりでいるのかもしれないと、警戒する。


「いえ、違います」


 きっぱりと言い切ったレイチェルを、不審げに観察したフィリーネは、次いで寮のある裏口の方へと目線を動かした。

とそこで、柱の陰に隠れて顔だけを出しているアンジュと目が合ってしまう。


 お互いに気まずそうにしながら目を逸し、俯いた。一瞬の逡巡の後、アンジュはフィリーネの元へと歩き出す。

 ジェイクと出会ってから、面倒事ばかりで病院に迷惑をかけているだけに、逃げることは出来ないと腹を括る。


「先程はどうも」


 そう言って、にこりともしないアンジュに、フィリーネはやはり厄介事かと息を吐き出した。


「アンジュ・ベントさん……その、先程は、申し訳ありませんでした」


 絞り出すように謝罪をするレイチェルに、アンジュはなんとなく事情を察した。

 白昼堂々と一般人に向けて魔法を放ったのだ。あの通りは通行人も多く、当然のことながら目撃者もいただろう。憲兵に通報の一つやニつ、あって然るべきだ。

 その通報が魔導部隊に届くのに、そう時間はかからない。魔法で通信が出来るこの世界では、情報はあっという間に然るべき場所に届けられるのだ。

 きっと上司に絞られたのだろうと、アンジュは呑気にそんなことを考えていた。だが次のレイチェルの言葉に、二人は唖然とする。


「あたし、知らなかったんです。仕事以外で、攻撃魔法を使っちゃいけないって……」


 申し訳無さそうに俯きながら紡がれた言葉に、アンジュとフィリーネが信じられないというように目を見開いた。

 魔法で人を傷つけてはいけないことなど、小さな子供でも知っている。そして魔力量が多い魔導部隊の隊員は一般人に対して魔法を使うことは禁止されていた。例えそれが法を犯した者でもだ。特例として、軍の上層部の許可がおりれば別だが、そんな事態に陥ることは早々ない。


「え! 知らなかった! 嘘でしょう!」


 フィリーネが甲高い声を上げた。アンジュも驚きはしたが、もしかしてという思いがあったため、逆に押し黙る。

 そんなアンジュを見遣り、フィリーネは確認を取るようにレイチェルへと言葉を投げかけた。


「ええっとー、それって攻撃魔法をアンジュに向けて放ったということ?」


 恐る恐るフィリーネが問えば、小さくレイチェルが頷く。

 肯定するレイチェルに向かって、フィリーネがとても、それはもうとても低い声を出した。


「あ゛あ゛? 何してくれんだ、てめえ!」


 急に豹変したフィリーネに、レイチェルが顔を青くさせた。それに構わずフィリーネが何かを言おうとしたことを察し、慌ててアンジュが間止めに入る。


「落ち着いてください、フィリーネ先輩!」


 久々に『切れ』たフィリーネを見て、アンジュが必死に押し留めた。滅多にないのだが、フィリーネは切れると手に負えない。言葉で精神的にどこまでも追い詰め、心を折らされるのだ。もちろんアンジュもその被害者の一人である。その恐怖を知っているからこそ、止めに入った。

 アンジュが宥めようとするが、それが功を奏した試しはない。それは何度も経験済みだ。ここは早々にレイチェルを連れて、この場を去るしかないと、アンジュは強引に話を打ち切った。


「ここでこんな話をするのはどうかと思うので、私の部屋に行きましょう」


 レイチェルの腕を引き、逃げるように足を進めたアンジュに、フィリーネの声が追いかける。


「待って、アンジュ! まだ話は終わってないわ!」

「いえいえ、先輩。仕事の邪魔になってしまいますので、彼女を連れていきますね。じゃあ、そういうことで!」


 スタスタと早足で歩きながら、アンジュは振り返りつつ退散の挨拶をする。


「もう!」


 地団駄を踏むフィリーネに構うことなく、病院の裏口から出ると、アンジュはホッと息を吐き出した。


「あの……」


 遠慮がちに声をかけてきたレイチェルに、アンジュは「取り敢えず部屋へ」と言葉を遮った。



 部屋につき、椅子を勧められ、手際よくお茶を淹れるアンジュに礼を言い、レイチェルはおずおずと椅子に腰を下ろした。


「それで? 上司に叱られたの?」

「……ええ……というか、叱られた程度では済まないようで……」

「まあ、そうでしょうね」


 看護師仲間にと買ってきていた手土産の袋を開けながら、アンジュが同意する。

 そして観察するようにレイチェルをマジマジと見つめた。

 先程会ったときとは違い、しおらしく話してくるレイチェルに、酷い違和感を抱いた。だがそれは口にせず、アンジュは疑問に思っていたことを聞くことにした。


「ねえ、さっき言ってたことって本当なの?」

「え? あ、うん。魔導部隊の隊員は魔法を使う際、特に制限はないって聞いてたし、攻撃魔法を一般人に使うことが禁止されているなんて、知らなかったのよ」

「それはまた随分と……世間知らずというか、なんというか。ああもしかして、あなたって良いところのお嬢さんなの? ほら、魔法も全属性を使えるのを知らなかったようだし、使う必要がなかった環境なら、知らなくても当然だしね」


 恐らく魔導部隊の方でも、初歩的な教育を省いたのだろうと、アンジュは安易に考えた。一般人に魔法を放つなど、それほど有り得ないことなのだ。そんな当たり前のことを知らなかったとなると、お金持ちの箱入り娘で、自身で魔法を使わなくても生活できる環境にいたのではないかと思ったのだ。


「ううん。あたしは南側の田舎出身で、家は農家よ」

「え! そうなの? だったら、普段から魔法を使ってたでしょう? 水やりだったり、料理のときには火を出したり」


 水やりは水魔法以外にも、遠くに飛ばすために風魔法も使用する。魔導部隊に入れる程の魔力持ちなら、尚のこと色々な魔法を同時に出すことも出来ただろうと、アンジュの疑問は更に募った。


「あ……あ……確かに……使ってたわ……あれ? でも……使えないって……」


 額に手を当て、困惑気味に紡がれる言葉に、アンジュは焦って言葉を放った。


「待って、待って! 思い出さなくていいわ! それよりも、聞きたいことがあるの!」


 その言葉に、ホッと息を吐き出したレイチェルを見遣り、やはりという思いで、アンジュは慎重に質問を投げかけた。


「あのとき、私に魔法を放ったのは、どうして?」

「え? えっと……キャサリン様に、魔法で脅せと言われたから……」


 泣きそうな顔で、レイチェルが視線を逸しながら答えた。


「ああ、やっぱりそうなのね。あのとき、確かにあなたは激昂していたのかもしれないけど、魔法を放つほどでもなかったかなと思ってたの。かなり早い段階で魔法を放ったし、ちょっと気になったのよね」

「昼休憩だったし、早く帰らなくちゃという思いもあって」


 少しずれた返事をしてくるレイチェルに、アンジュはもう少し踏み込んで聞くことにした。


「それは『命令』を早く遂行しなければと、焦ったってことかしら?」

「……そうだと……思う」


 視線を逸したまま、『命令』という言葉に特に反応せず、肯定したレイチェルに、アンジュは戦慄する。だがまだ確かめることがあると、質問を続けた。


「魔法を放つとき、私の顔を狙ってた?」

「うん。キャサリン様が……二度と見られないような顔にしてやればいいって言ってたから……」


 アンジュはあのときの、レイチェルの不自然な動きが気になっていた。自分の腕を押さえつけて、下に向かせたことが。あれは恐らく、レイチェルの『良心』がそうさせたのだろうとアンジュは苦い表情をする。

 それにあの後、キャサリンに会って話をしたのかも気になっていた。そしてもう一つ、キャサリンは魔法で人を傷つけることが禁止されていることを、知っていたのだろうかと、疑問に思う。知っていてレイチェルに『命令』したのか、レイチェルと同じようにキャサリンも知らなかったのか。

 今その話を切り出すべきか悩んだアンジュは、一先ず自分の『仮説』が正しいのかどうか、確認することにした。


「そう、ありがとう。色々聞かせてくれて。それでね、一度、この病院の医院長にあなたを診てもらいたいと思ってるんだけど、時間は大丈夫かしら?」

「え? みてもらう?」

「そう。恐らくだけど、あなた、精神に作用する、何らかの魔法をかけられていると思うの」

「は?」


 思いもよらなかった言葉を聞き、レイチェルは自分の耳を疑った。だが、アンジュは真剣な顔で、レイチェルに言い聞かせる。


「洗脳魔法の一種だと思うわ。さっき、実家の話をしたとき、思い出そうとしても上手く思い出せなかったでしょう? それが洗脳魔法の特徴でね、無理に思い出そうとすると、記憶が改竄されたりするの」

「洗脳……?」


 看護師になる際、そういった魔法の知識も叩き込まれる。全属性の魔法が蔓延るこの世界ならではの知識に、アンジュは前世の記憶を思い出したとき、興味と好奇心とで、猛勉強をしたのだ。それが今、確実に実を結んだ。それに興奮したアンジュの鼻息はとても荒い。それはもう、レイチェルが引くほどに荒かった。


「取り敢えず、先生に診てもらいましょう! それで、もし本当にそうだとしたら、あなたの罪も軽くなるわ! でもそのためにはまず、そうだと証明しなければならない! ね!」


 話の内容を消化しきれていないのだろう、レイチェルは瞬きばかりして、返事ができないようだった。そんなレイチェルをアンジュは強引に立たせる。


「私に謝罪に来たんでしょう? だったら、それを受け入れる条件として、診察を受けてもらうわ。それなら、文句も言えないでしょう?」

「う、うん」


 押し切るように言うアンジュに、レイチェルは及び腰になる。それをいいことに、アンジュは尚も押しまくった。


「よし、決まり。行くわよ!」


 そう言って、まだ開けていない幾つかの手土産を持って、アンジュはレイチェルを連れて部屋を後にした。



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