8.ダブルデート

 アンジュの目は、死んでいた。


「ほら、エレナ。これも美味いぞ。食べてみろ」

「ありがとうございます、ハロルド様」


 目の前で繰り広げられているイチャつきに、アンジュは既に辟易していた。


「ベントさん、はい、これも美味しいですよ。どうぞ」


 ハロルドの真似をして、懸命にアンジュの気を引こうとジェイクも躍起になっている。そんなカオスな状況に、アンジュは一人項垂れた。


 ハロルドとの約束通り、アンジュはエレナを誘い、今に至る。物凄く渋るかと思われた今回のダブルデートは、エレナの「いいわよ」という一言で、余りにも簡単に、そして軽く了承された。

 拍子抜けしながらも、誘えて良かったと胸を撫で下ろしたアンジュだったが、蓋を開けてみれば、二人はとても仲睦まじく、ハロルドが何をそんなに悩んでいたのかという疑問しか浮かばない。

 誘拐までされて、挙げ句戦闘に巻き込まれて怖い思いをしたアンジュからしてみれば、納得出来ない部分が多くあった。


「私が間を取り持つ必要ってありました?」


 思わず恨み節が出てしまう程に。


「勿論だ。何度もリドリー家に面会の要望を出していたが、断られてばかりだったからな」

「別にエレナは平民なんだから、普通に会いに来れば良かったじゃないですか」

「それはそうなのだろうが、心象が悪くなる。その点、友人たちと出かけるという体ならば、問題ない」


 そうだろうか?と思いながらも、幸せそうに笑い合う二人を見て、まあこれで良かったのだろうとアンジュは思う。それでも、釈然としない部分もあるアンジュは思わず恨み節を再開した。


「というか、名前で呼び合うような仲になってるなら、先に言っておいて下さいよ。エレナを誘う特、物凄く気が重かったんですからね」

「そうか、すまない」


 素直に謝ったハロルドだったが、アンジュの「名前を呼び合う」という言葉に、戸惑いをみせた。それは照れているわけではなく、平民であるはずのアンジュが、その理由を知っていることにあった。

 本来貴族は、余程親しいか、婚約者以外の異性を名前で呼ぶことはない。それを知っていてのアンジュの発言に、ハロルドは思わずエレナをチラリと見てしまう。その視線を受け、自分がアンジュにそういう話をしたことはないという思いで、エレナは首を横に振った。

 そんな二人のやり取りなど見ていなかったアンジュは、そのままの勢いで思ったことを口に出してしまう。


「エレナもエレナよ。何が恋愛に興味はないよ。しっかり彼に恋しちゃってるじゃない」


 その言葉で、エレナがキョトンとした表情になる。次いで、ボンっと音が出そうな程に真っ赤になった。


「え? あれ? あちゃー、図星だったかあー。ごめん、本当、ごめん。私のこういうところ、本当、直さないとだわ……」


 ガサツだからこそ、デリカシーもないアンジュは、ほとほと自分の性格に嫌気が差す。だが落ち込むアンジュを、ジェイクは必死にフォローした。


「いえいえ、そういうところも、ベントさんの魅力のひとつですよ! はっきりと物事を言うところ、僕も見習わないとです!」

「いいえ、そうじゃないです、オールディス様。人の気持ちを無視して余計なことを言ってしまうのは、良くないことです」

「そうかもしれません。ですが、うじうじして遠回りするよりも、ズバッと確信に迫った方が物事はすぐに解決しますし、無駄な時間も省けます」

「それは事務的なことに関しては有効かもしれませんが、人の心を踏み躙るような言動は避けるべきだと思いますよ」

「うーん、本当にそうでしょうか?」


 首を傾げたジェイクは、ハロルドとエレナに顔を向けた。二人とも真っ赤な顔のまま固まってしまっている。だがこれは、お互いに意識をしている証拠で。


「ちなみにハロルドは、既にリドリー嬢に告白していますから、相思相愛です」


 サラリと言われた言葉に、アンジュは思い切り驚いた。


「えっ! 告白してたの!」


 未だ固まっていた二人は、益々顔を赤くさせた。


「だとすると、問題はエレナの父親かしら。お母さんは大丈夫なんでしょう?」

「え、ええ。母は父を説得しようと頑張ってくれているの。でも難しいと思うわ」


 真っ赤な顔で、何とかアンジュの質問にエレナが答える。そしてその答えは、エレナがハロルドとの未来を思い描き、母親に相談しているということに他ならなかった。みずくさいわーなどと親戚のおばちゃんのようなことを考えたアンジュであった。


「まさか、婚約破棄の相手をエレナが好きだったって誤解してるの?」

「いいえ、それは流石にないと思うわ。私、結構態度に出していたし、父にも何度も婚約解消をしたいと願い出ていたしね」

「案外、エレナが強がってそう言っていると思っていたりして」

「まあ、有り得なくはないかも」


 そこでアンジュは思い悩む。ここで下手にお節介を焼いては、先程のデリカシーのない発言と一緒だと。だが、父親を説得、そして納得させられるだけの術をアンジュは持っていた。

 どうしたものかと、腕を組み、アンジュはうーんと唸りながら目を閉じた。


「どうかされましたか、ベントさん?」


 心配そうに聞いてきたジェイクに、アンジュは目を開くと小さく呟く。


「解決策はあるんですけど、お節介かなって思ってしまって…」

「なっ! ロブを説得出来るのか!」


 その呟きに食いついたのは、ハロルドだった。


「ええ、まあ……」


 だがアンジュはチラリとエレナを見遣る。これがお節介であるならば、言わないでおこうと思ったのだ。そしてエレナの表情はアンジュには少し困った感じに映る。


「まあそこは、焦らずゆっくりと行きましょうよ。二人だって、もっと一緒の時間を過ごしたいでしょう? 下手に父親に干渉されるよりは、のびのびと恋愛を楽しんだ方が良いに決まってます」

「だが……」


 諦めきれない様子のハロルドに、ジェイクがアンジュの後を引き継いだ。


「いくらロブが反対したって、二人はどうしたって結婚することになると思うよ。それは二人も薄々勘付いてるよね? だったら今を楽しめば良いだろう」


 こくこくと隣で頷くアンジュに、ジェイクはアンジュの役に立てたと、嬉しそうに顔を綻ばせた。

 そんな二人に、ハロルドは仕方がないかと諦める。エレナもどこかホッとした様子で頬を緩めた。


「じゃあ、次のデートはいつにする?」

「え?」

「もっと一緒の時間を過ごしたい。だから出来得る限り、積極的に時間を共有しよう」


 真剣な表情のハロルドに、エレナは顔を赤らめた。それはハロルドにとっては確かな手応えで、この選択は間違っていなかったと実感させた。


「今度は二人きりでお願いね。目の前でイチャイチャされるのはもうお腹いっぱいよ」


 テーブルに並ぶ食事を平らげ、アンジュが呆れ気味にそう言うと、ハロルドも顔を赤らめる。「ごちそうさま」と食事と二人のイチャつきにニンマリと笑いアンジュが言うと、ジェイクも負けじとアンジュを誘った。


「ベントさん。僕らも積極的にデートをしましょう!」

「うーん、まだ私に幻滅してないんですか?」

「幻滅だなんて、あり得ません! 僕はベントさんに会う度に、どんどん惹かれていってますよ!」


 いきなりなジェイクの発言に、アンジュは先程のエレナと同様に顔を真っ赤にさせた。


「あらアンジュ、こちらも貴方たちのイチャつきにはお腹いっぱいよ」


 先程のお返しとばかりにエレナがアンジュを揶揄う。

 お相子だというようにエレナが笑えば、アンジュも「もう!」と言いながら笑い返した。


「さて、そろそろ時間です。名残惜しいですが、仕方ありませんね」


 ジェイクがそう言って立ち上がると、アンジュに手を差し出した。その手に自身の手を重ねるアンジュの様子を、ハロルドはじっと見つめた。そしてハロルドもまた、同じようにエレナに手を差し出す。エレナが自分の手に手を重ねる仕草を見遣り、頬に朱がさす。

 それぞれが店を後にし、馬車へと歩いて行った。


「この後お仕事なのに、わざわざ付き合わせてすみませんでした」


 アンジュが軽く頭を下げると、エレナも同じように頭を下げる。


「とんでもない! 誘ったのはこちらですし、しかも仕事の都合で半日しか居られなくて、こちらこそすみません」


 眉尻を下げ、申し訳なさそうに謝るジェイクは、魔導部隊の制服であるローブを着ている。そしてハロルドも同じ制服姿だった。

 それぞれ違う家紋の入った馬車に乗り込むと、窓を開け、互いに別れを告げる。


「じゃあね、エレナ。また寮で会いましょう」

「ええ、またね」


 同じ寮へと帰るのに、別々の馬車というのもどうなのだろうと思いながらも、アンジュはにこやかに手を振った。


 だがここで、ふとジェイクの視線に気づく。それは横に並んだ馬車の中のエレナへと注がれていた。

 スッと目を逸したジェイクの表情はとても悲しげで、アンジュは思わず息を呑む。そして盛大に勘違いをした。ジェイクがエレナに惹かれていたのではないかと。

 そして唐突に前世の記憶の一部を思い出す。


『悪い、結婚することになった。別れてくれ』

『彼女のことが好きになった。終わりにしよう』

『お前、女としての魅力が足りねえんだよ』


 それは、結婚まで行きそうだった相手から、ことごとく別れを切り出された記憶だった。


「ベントさん? どうかしましたか?」


 俯いて、神妙な面持ちをしていたアンジュは、ジェイクの言葉にハッとして、慌てて取り繕う。


「ああ、すみません。お腹がいっぱいで、ぼーっとしてました」

「そうですか。寮に戻ったら、お昼寝をしたら良いかもですね」

「やだ、太っちゃうわ!」

「太ったベントさんも可愛いですよ!」


 そんな軽口を叩くジェイクに、アンジュの心が反発する。どんなに愛を囁いても、結局は捨てられるのだと。そしてもう一つ、『アンジュ』の記憶が脳裏に浮かんだ。それは一年前の、魔物暴走の時のもの。たくさんの兵士を犠牲にして、のうのうと生きている自分に、そして幸せになりたいと思っている自分に嫌気がさした。

 

 そういえば、とアンジュは思わずジェイクの制服を見遣った。

 ジェイクもまた『兵士』なのだと認識する。それはアンジュにとって、恐ろしい事実だった。

 彼の同僚が死んだのだ。自分のせいで。

 そして気づく。ジェイクもあの日のことを知っているはずだと。なのに何故、求婚したのかと、アンジュは疑問に思った。

 やはりこれは復讐なのではないかと、勘繰る。田舎者の平民に求婚するなど、有りえないことが起きている今、そう思わずにはいられなかったアンジュだった。






 馬車が走り出し、一息ついたところで、ハロルドがエレナへと問いかける。


「アンジュ・ベント、彼女は本当に平民なのか?」

「はい、間違いなく平民の筈です。ですが、今日の発言や仕草などを見ていると、正直自信が持てません」


 今日の店は大衆向けではなく、貴族寄りのレストランだった。アンジュはこんな高級店に入ったのは初めてだと言っていた。にも関わらず、臆することなく、堂々と食事を堪能していた。

 本来平民ならば、マナーを知らず緊張して食事どころではなく、見よう見真似で恐る恐る食事をするのが常なのだ。だがアンジュは違った。そこそこマナーが身についているようで、どの食器を使えば良いのかをしっかりと把握して食べ進めていた。そして食べ方もとても綺麗だった。それでも、食器同士をぶつけて音を立ててしまう場面は多かった。だがそれもそこまで酷いものではなかった。

 田舎の、ごく一般的な平民とは思えない程の所作に、ハロルドはただ首を傾げる。


「何種類もあるスプーンも迷わず使っていたのには驚いたな」

「はい。それに名前呼びのことも驚きました」

「ああ、平民は姓を持たない者が多いからな。名前で呼び合うのが普通だ。だが貴族の名前呼びの意味を理解していた。実際ジェイクのことは姓で呼んでいたしな」


 考え込んでしまったハロルドに、エレナは戸惑いながら質問をした。


「平民を貴族家に入れることは仕方がないにしても、もっと適任者はいると思うのですが……」

「適任者か……正直、今まで出会った平民の中では、アンジュ・ベントが一番の適任者だと俺は思っている。だがその口ぶりだと、本人は乗り気ではないということか?」

「はい。随分と悩んでいるようでした」


 本人も確かに嫌がっている。そしてエレナとしても、嫌がるアンジュを助けたいという気持ちの方が強かった。

 アンジュは確かにガサツだが、仕事に真摯に向き合い、早く一人前になろうと努力している姿は尊敬に値する。だからハロルドの言う通り、貴族家に入ったとしてもそれなりにやっていけるだろうと、エレナもそこに不安はなかった。それでも、平民から貴族になるためには、多大な努力が必要だ。平民のままなら、そんな努力もしなくていい。  

 アンジュの性格から言って、したくもない努力はなんとしてでも阻止したいだろうと、エレナはアンジュの味方になろうと必死だった。


「だがオールディス家から逃れるのは、難しいと思う。一族総出で彼女を手に入れようとしているからな」

「まあ、随分と気に入られたのですね」

「堂々とした、物怖じしない態度に好感を持ったらしい。それに何より謙虚だ」

「堂々としているというのは言い方を変えれば図々しいとも取れます。謙虚なのは貴族という権力者と揉めれば、それなりに報復があると恐れているのではないかと思います」

「報復?」


 この国では貴族は平民を護る義務がある。隣国育ちのエレナには、その意味が分かっていないのだろうと、ハロルドは推察した。もしかしたら、アンジュもまたエレナの話を聞き、感化されてしまったのかと危ぶんだ。


「エレナは、彼女にどこまで自分の話をしたのだ? 聞くところによると、彼女は随分と貴族を敵視しているようなのだが……」

「えっ! も、申し訳ありません。きっと私の話に同情して、そう思い込んでしまったのかもしれません。軽率でした」

「いや、責めているわけではない。ただ少し、疑問に思っただけだ」


 この国の平民は貴族に護られているという意識が根付いているせいか、皆、貴族を敬う者ばかりだ。それは田舎の方がより一層、そう思う傾向が強かった。幼い頃からそう言い聞かせて育てられたのであれば、逆にエレナの話に反発するはずだと、ハロルドは疑問に思う。

 何故アンジュが貴族に対し嫌悪感を抱いているのかと。過去に何かあったのかと勘ぐるも、オールディス家が調べても特に何も出て来なかったと報告を受けている。だからこそ、余計にアンジュ・ベントという人物が、ハロルドには異質に見えて仕方がなかった。


「まあ、彼女が友人想いなのはよく分かった。それにあれだけマナーが出来ていれば、貴族としてもやっていけるだろうしな」


 そのハロルドの言葉に、エレナはここ最近のアンジュの変化について思い出した。

 つい先日から、アンジュが突然『しおらしく』なったと。切欠などは特になく、ただ突然、態度が変わったのだ。ガサツさも鳴りを潜め、急に大人びたように見えたアンジュは、今日の所作も相まって、エレナに混乱をもたらした。

 正直、今までのアンジュだったら、貴族家に入ることに自分も反対しただろう。だが、最近のアンジュを見る限り、エレナは全く問題がないように思えてきていた。


「ハロルド様も、アンジュがオールディス家に嫁がれるのをご希望ですか?」

「その方が、エレナも良いのではないか? とはいえ、彼女のフォローでエレナの負担が多くなるかもしれないが」


 そのハロルドの言葉に、エレナは目を瞠った。

 先日アンジュと話した会話を思い出し、現実味を帯びた未来の自分たちに思いを馳せる。

 それはお互いに支え合いながら、貴族としての責務を担い、共に生きていく未来。それを想像し、胸に熱いものが込み上げた。

 隣国にいた際に手に入れられなかったものを、本当の意味で手に入れられるかもしれないと、エレナの心は浮き立った。だからつい、ハロルドの口車に乗ってしまう。

 友愛を渇望していたエレナは、あっさりとその手のひらを返した。


「そこは危惧しておりません。アンジュは努力家ですから。もし本当に貴族になると決心したならば、きっと民に慕われるよう、最大限尽くしてくれると思いますよ」

「そうか」


 エレナの言葉に、ハロルドはホッと息を吐く。

 その様子に、エレナはクスリと笑みを零した。


「何だか不思議な気分です。私も今は平民として生きていますから、そこまで貴族の方々が平民に気を遣うのが意外でなりません」

「隣国とは根本的に貴族の在り方が違うのだからそう思うのも仕方がないことだ。まあそれ以前に、オールディス家も必死だからな。そして勿論、俺も必死だ」


 ここでハロルドは姿勢を正し、エレナの目を見つめた。

 急に真剣な顔で見つめられ、エレナもまた姿勢を正す。


「エレナ、どうか俺と結婚してほしい」

「は、はい」


 緊張した面持ちのハロルドに、エレナは顔を真っ赤に染めながら返事を返した。



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