【ハル】第26話 Re:『ラブコメ』をする覚悟

 数秒の短いエンドクレジットが流れた後、会場には挨拶の時よりも少し感情の乗った拍手が湧き起こった。十分程度の尺ではあったが、この四か月のことを色々と思い出す――つい感傷に浸ってしまう時間だった。


 ヨウ君は、いつも心の片隅にあたしを置いてくれている。浮世にあたしを認識できる人間が、ヨウ君しかいないという部分もあるんだろう。友達の幽霊を、また孤独に戻すのがいたたまれないのだ、きっと。お姉ちゃんと話していても、ルミリちゃんと話していても、マルカちゃんと話していても、たまにこちらへ視線を移してくれる。僕は忘れてないよって。


 そして、ちゃんと見てるよって言われたような気もした。すごく嬉しかった。無断で女湯に入っても誰からも注意すらされない――視線に飢えた幽霊にとって、見てくれることほど嬉しいことはない。正直、久しぶりに承認欲求と似た感情が満たされた。


 でも、それが仇になった。ヨウ君はハルという幽霊ではなく、式野ハルという人間について、相当に知ってしまったのだ。嫉妬深くて、礼節を欠き、人の感情を何も考えれない自己中心的な式野ハルを。『兜虫の冒険』のクワガタは完全にあたしだ。自分の利益と感情で主人公たちを陥れ、あわよくば漁夫の利を狙う――小汚い悪役だ。


 どういうことを言えば、お姉ちゃんが怒るかなんて知ってる。そんなあたしをヨウ君は見抜いたのだろう。試験に落ちてしまって、ヨウ君との関係も終わってしまった瞬間なら、数年越しにつけ入る隙があると少し考えてしまった――最低なあたしを、ヨウ君は見抜いていたのであろう。まぁ罪悪感に負けて、上映会にお姉ちゃんを招待した天邪鬼な行動まで見抜いていたのかは、知らないけどね。


 こういうのを全部知ってた上で、アネモネの花だけ束ねたブーケを背景に『僕が全力で愛そう。良き部分も、悪き部分も、全てを。あいつの分まで』なんて言われたら、何も言えなくなるじゃない。お姉ちゃんへの愛が、あたしの色んな感情を圧殺されるくらいに感じちゃったんだもん。多分……いや、絶対に勝てないや。


 お姉ちゃんに相応しいのは、ヨウ君だ。


「ねぇヨウ君、ちょっといいかな?」


 ヨウ君は何も答えずに、あたしの後に続いて人気のないところへ向かう。表情に一切のブレがない。一世一代のプロポーズを終えた後みたいな――覚悟に満ち満ちた顔だった。


「ハルちゃん、勝手にあんなこと言っちゃってごめん」

「いいの。あれを見て確信した。お姉ちゃんに足る人間は、ヨウ君しかいないよ。幸せにしてあげてね」

「うん、ありがとう」

「これからは義兄さんって呼んだ方がいいかな? ヨウお義兄さん♡」

「うげっ」

「何よその反応! あたしは二親等になるんだからね!?」

「ごめんごめん、ちょっと違和感があっただけ」

「もう……」

「じゃあ僕は残りをやってくるね。……しばらくここには来ないから、したいならするんだよ」


 ヨウ君は落ち着いた足取りで戻っていく。


 はぁ……辛い……失恋ってこんなに辛かったっけ。お姉ちゃんの幸せを考えるほど、あたしの存在の必要のなさが露呈していく。あたしはお姉ちゃんを幸せには出来ないし、お姉ちゃんであたしは幸せにはなれない。


 涙とは、本当に便利な機能だったのだと感じる。止まらない感情を追いやる場所が、幽霊になってからどこにも見つからない。ストレスを解消するには、溜めることよりも出せることをした方がいいとよく聞く。つまるところ、暴飲暴食などの体内に溜め込むことよりも、思いっきりカラオケをしたりとか、何かを体内から出す行為が効果的らしい。あたしにも効くか分からないけど、物は試しだ。やってみよう。


「くそがああああぁぁぁぁ!!!!! お姉ちゃん大好きいいいぃぃいいいい!!!! いつか後悔しても知らないからなあぁぁぁぁぁあああ!!! ばかかあああああぁぁあぁ!!! 幸せになりやがれえぇぇぇえええぇぇぇ!!! この野郎ぉおおおおおぉおおおぉぉぉ!!!」


 混在する気持ちの全てをぶちまけた後、あたしの姿はシアタールームにあった。ヨウ君たちが陣取っていたスペースには、一人の巨漢がどっしりと構えていた。どうやら、丘田さんと何か言葉を交わしているようだ。


「丘田さん、単刀直入に僕たちの作品はどうでしたか……?」

「なんだろうなぁ……中盤までは色々と拙い部分もありましたがねぇ、終盤の演出はかなり画としてカッコよくてですねぇ、かなり見入ってしまいましたねぇ」

「ほ、ほんとですか! ラストのガラスのシーンは、ルミリたちが一番こだわったところなんです!」

「でもこの感じ……最初に褒めて、後から落とすパターンじゃないの?」

「あははっはは!! そんなことしませんよぉ。今の時代の若者がこんなに一生懸命に特撮を作ってくれたのが嬉しくてですねぇ、実はちょっと泣いちゃいそうなんです……昔を思い出すなぁって……本当にありがとう」

「懐かしいですね、丘田さん。カウトラマンの監督やめさせられた時、本当にショックだったんですよ?」

「あれは庵野が仕事しなかったからだろぉ? 後半はほとんど青井が何でもしてたじゃないの――」

「え!? 僕ですか!?」

「先輩、あっちはレジェンドの一人。青井さん違いだよ」

「まぁ何はともあれ、一件落着って感じだね! 良かった良かった!」

「今更だけどさマルカちゃん、先生たちって結局どんなことで揉めてたの?」


 みんながそれぞれの会話に夢中になっている中、あたしは少し達成感を覚えていた。間接的とはいえ、二人の元戦友の友情を修復することに成功したのだ。やっぱりあたしは、人が楽しそうにしているのが好きだ。影でもいいから、人が笑顔でいられるような手伝いをするのが好きだ。恋愛マイスターをする機会はもうないと思うけど、何か別の形で人を支えられるような存在になりたいな。


 上映会を包んでいた熱りはどんどん冷めていき、いつもの物寂しいシアタールームが戻ってきた。友達のいなくなった後の家みたいな――安心感が帰ってきた感じがする。


「それでは最後に監督からありがたーいお言葉を賜りたいと思いますー! 青井監督、どうぞー!」

「えぇ、四ヶ月という短い期間ではありましたが、僕を監督として一緒に頑張ってくれて本当にありがとうございました。本当に感謝しています。ルミリは全体の調整役として頑張ってくれたし、久世さんは慣れない環境下でも、高レベルなミニチュアを作ってくれたし、透明先生も脚本から、細かな映像表現まで教授していただいて……みなさんの力がなかったら本当に完成できなかったと思います。繰り返しになりますが、今日まで本当にありがとうございました」

「いいねいいねー! たまには青井もそれっぽいこと言うね!」

「みなさん本当によく成長されました。小生も大変喜ばしいです」

「ルミリ、感動……なんかすごく最終回っぽい……」

「何を言うんだ! まだまだ僕たちの冒険は終わらない!」

「それ終わるやつじゃん。うちでも知ってるやつ」

「でも明日の打ち上げまでは終われないっしょ!」

「その意気です、青井殿。肉と魚が食べられない――小生の一押しジャンクフード食べ放題のお店を予約しましたから。そこまでは死ねません」

「うわ、ふくらはぎの脂肪を気にする女子の天敵じゃないですか。先生は野菜もダメなんですか?」

「ダメじゃないけど、あんまり美味しくないじゃないですか。結局は体に悪いものを食ってる瞬間が一番幸せなのです」


 プチ打ち上げも済み、各々が明日の本番に備えて帰路に着いた。ヨウ君はお姉ちゃんに声をかけて、あたしたちは三人でいつもの見慣れた生活道路を歩いていた。いつもより夜が更けていて、街灯の微かな光を頼りにしないと、足を進めれない――そんな道だった。本当に幽霊でも現れるんじゃないかと思うくらい……あ、別に夜とか関係なく幽霊は現れますね。


「ヨウ君! それにしても今日のやつ本当にすごかった! 戦闘シーンが本当にカッコよくて……途中でずっと鳥肌立ちまくりだったもん!」

「そう言ってもらえると嬉しいけど……やっぱり声優さん雇えば良かったかも。久世さんの好演に、僕のカブトムシが付いていてなかった感が拭えなくて……」

「そう? あれはあれで味があって、あたしは好きだよ。酢豚に入ってるパイナップルみたいな!」

「絶妙に嬉しくも悲しくもない評価だね……」

「でもさ、画面の奥で一生懸命に声を当ててるヨウ君を想像したら……すごく可愛くて、勝手に萌えてた」

「めっちゃ分かる。役作りしたのかなとか、あたしのいない時にセリフを読む練習したのかなとか、あれが生まれるまでのバックボーンを想像するのすごく楽しいよね」

「そうなのそうなの! さすが我が妹、分かってるじゃない!」

「やっぱり双子だと趣味嗜好が似ちゃうよね、なんかすごい優越感」

「なに、ヨウ君にマウント取ってるの? ハルってそういうとこが本当に可愛いよね」


 もう下手に好かれようとして、偽りの自分を演じる必要はない。久しぶりに素の自分でお姉ちゃんと話せた気がした。ただひたすらにお姉ちゃんと、ヨウ君に幸せになって欲しい。ずっと笑っていて欲しい。あたしの存在は必要ないかもしれないけど、せめて二人の幸せを願うことを――それくらいの愛情表現は許して欲しい。


「カップルになるなら価値観の一致って大事じゃん? だからあたしも可能性がまだまだあるなーって!」

「ハルが恋人かぁ……たしかにありかも。絶対に浮気も出来ないし! 時代はやはり幽霊彼女だね!」

「もういっそ、ヨウ君からあたしに切り替えよ――」

「やめてよ……」

「ヨウ君どうしたのー! もしかして姉妹でイチャついてるのに嫉妬したんじゃ――」

「うるさい!! 散々人を色恋沙汰に巻き込んでおいて、挙句の果てにこんなの見せられて……。僕がどんな気持ちだったか……本当にうざい! もう知らない!」

「あ、ちょっとヨウ君……!」


 ヨウ君は人目も気にせず、初めて見るくらいのスピードで帰ってしまった。完全にやりすぎた。まるでヒロインが新キャラの男と割と楽しげに話しているところを見て、主人公がキレるイベントみたいな……。あたしたちの恋路には、最後の最後までラブコメが付きまとってくるらしい。主人公だって人間だ。ずっと我慢してきたら、これくらい爆発しちゃうのが自然だよね。


「あぁ、どうしよう……ヨウ君を怒らせちゃった……」

「調子に乗りすぎちゃったね、あたしたち」

「まずは誰かに相談を……」


 そうだ、ラブコメだ。ラブコメで始めたのなら、ラブコメで終わるのが筋だ。あたしは誰だ? そう、恋愛マイスターだ。恋に迷える子羊がいるのなら、理想の恋愛へ――ラブコメへ導くのがあたしの趣味……いや、仕事だ! 職務は最終話まで全うしてやる!


「お姉ちゃん、『ラブコメ』をする覚悟はあるかい?」


 






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