【モネ】第21話 drink with her

 二十三年前、二つの天使が舞い降りた。


 五分差で生まれた姉妹。姉はモネ、妹はハルと名付けられた。同性で、双子ということもあり、彼女らは本当に仲睦まじく暮らしていた。


 天は二物を与えずとはよく言ったもので、二人はその体現者のようだった。モネはすごく真面目で、成績優秀、しかしどこか抜けているところがある。ハルはちゃらんぽらんな性格ではあるが、意外と文武両道で、抜け目がない。姉妹の中で、互いが互いの欠けている部分を補完し合える――程よいパワーバランスが構築されていたのだ。


 しかし、よくある話ではあるが、二人は高校進学をきっかけに少しずつ疎遠になっていった。予定では、姉妹で県内有数の進学校に通う予定だったが、ハルが落ちたのだ。秋の訪れと共に、自然と学内でも受験ムードが粛々と湧き上がる中、ハルだけは異彩を放っていた。


 突き進んだのだ。オタクの道を。


「あたしは並大抵の人間よりも勉強して、気づいたことがある。これは役に立たない。生きるための力にならないよ。勉強なんかするくらいなら、未来青年ゴナンを見た方が――」


 こんなことをよく言っていた。人には向き不向きがあるにしろ、せめて合格できるくらいの勉強はして欲しかった――素直に私はそう思った。高校も今までみたいに、一緒に登校して、一緒にお昼ご飯を食べて、一緒に課題をやって……という生活が出来ると勝手に信じ込んでいたからだ。


 今思えば、私はあの時かなりショックを受けていたと思う。眠い目を擦りながら、ハルが私の隣を歩いてくれる朝は、もう戻ってこないことに。ご飯粒をぽろぽろ落とすハルに、小言を言いながら給食を頬張る昼は、もう戻ってこないことに。二人でああだこうだ言いながら、一つのちゃぶ台に向かって筆を進めた夜は、もう戻ってこないことに。


 そして、私がオタク文化に負けたことに。本当に憎かった。一時期は、献血のポスターとか、電車の広告とかに、アニメキャラっぽい女の子が――妹が選んだ、自分よりも優れたコンテンツが描かれているだけで、全身に悪寒が走った。生理的嫌悪ではなく、単純な怒りだったと思う。怒りに震えて涙が止まらな……いことはなかったけど、脳から伝わった憤怒の感情が、皮膚に這い渡っていったのだろう。


 高校進学後、私は初めて友達をちゃんと作った。今まではハルが居たから……と言うか、ハルを言い訳に人間関係を広めることをしてこなかった。怖かったのだ。自分の知らないところで、自分の知らない式野モネが作られるのが。ずっと感じていた、他人の作った虚像に合わせて生きるのが辛かったのだ。ああいうのは大きくなりすぎる。


 そんなこんなで、妹離れが出来なかった私が社会に適合するために、高校というプラットホームは非常に役に立った。休み時間とか放課後に、大人数で話したり、遊んだりする楽しさを知れた。等身大で何気なく日常を過ごしても、誰にも文句を言われないことを知れた。でも強いて悔いを述べるなら、男性関係だ。一切なかった……と言うか、周りの女友達が私の強固なファイアウォールとなって、完全に箱入り娘状態で高校生活を終えた。


 ハルは高校生になってから、より一層オタク活動に力を入れていた風に見えた。私が帰る頃には絶対に家にいて、リビングのソファーでマンガを読んでいるか、自分の部屋でアニメを見ていた。部屋と言っても、元子供部屋の真ん中をカーテンで仕切っただけ質素な作りだから、アニメのセリフとかもこっちに全然聞こえてくる。たまにえっちなシーンになると、勝手に気恥ずかしく、気まずく思っていた。


 あの時にちゃんと話してたら良かったのかな。ソファーで寝転がってる時に、足元にひょいと座って、マンガの話でもすれば良かったのかな。アニメの音が聞こえたら、一緒に見よって声を掛ければ良かったのかな。


 大学入試も高校の卒業式も終えて、私も家に居ることが多くなった三月中旬。友達は履修登録や引っ越しの準備で忙しく、私は久しびりにハルとゆっくり話せた。ずっと家にいて話すネタもないので、本当に他愛もないと呼ぶに相応しい会話をたくさん重ねた。


 多分そんな時期だった。


「あのね、最近よく話すようになったじゃん? それで気づいたの。やっぱりあたし、お姉ちゃんのこと、好き」


 ハルから告白された。何気ない会話の最中に。急に、ふと思いついたように。


 何の脈絡もないし、流石に冗談だろうって思った。だって姉妹だもん。だって女同士だもん。だってハルだもん。私の人生、最大のターニングポイントで恋愛経験のなさが露呈した。


「私も好きだよ。ハルとは気兼ねなく話せるし。これからも姉妹仲良く――」

「ち、違うの……! 姉妹とかじゃなくて、異性……じゃない、人として? 恋愛対象として好きなの……」

「――ハル? それはなんてアニメのセリフなの?」


 ハルは部屋を縦横無尽に二つに隔てているカーテンの、その奥に消えていった。会話、と呼べるレべルでハルと関わったのは、あれが最後だった。


 そして私の入学式の数日前に、ハルが自殺した。飛び降りだったらしい。


 ここから先はあまり覚えていない。喪失感と罪悪感、自己嫌悪に襲われて何も出来なかった。かつての大きさを取り戻した――私たちの部屋の白さを、ただ、じっと、ベットの上から見つめていた。


「――というのが、私たちの関係です……」

「そ、そっか……」

「……引いた?」

「引いてはないよ、ビックリしただけ」

「客観的に聞いてみると、我ながら滑稽だね。ちょっとフラれたくらいで死んじゃってさ」

「そんなことないよ……元を正せば、私が悪いんだし――」

「滑稽だよ。勝手に死んで、モネさんにトラウマも植え付けて、好きな人にすべき行動じゃないよ」

「ちょっと、ヨウ君……」

「モネさんがどれだけ傷ついたと思ってるの? 一年前にもたまに話してた。過去の恋愛で良くないことをしちゃったって。ずっと悔やんでたんだよ」

「ヨウ君、君がそれを言うかね」


 こういう時、ラブコメだったら『やめて! 私のために争わないで……』って言わないといけないのかな。この状況でそんなこと言えるほど、肝は座ってないけどね。


 私から言わせれば、この二人はよく似ている。不器用な感じなのに、案外色んなことを卒なくこなしちゃう所とか。好きなことにはすごく真摯に向き合って、それを話してる時はすごく楽しそうにニコニコしてる所とか。……私のことを好きって言ってくれた所とか。無意識にハルとヨウ君を重ねてたから、男の子なのに接しやすかったのかな。


「あーやってらんね、お酒でも飲もうかな」

「ヨウ君、それはダメだよ。いくら成人になっても、お酒とタバコは――」

「お姉ちゃん? 今日はヨウ君の誕生日だよ、二十歳の誕生日。なので本日より晴れて、酒カス青井ヨウの誕生だ」

「なんで僕が酒カスになることが前提なんだよ」

「女にちょっと皮肉られたくらいで酒に逃げる男の行く末は、酒カスかホストの二択だよ。そして、君はホストには向いてない。はい論破」

「いや、まぁ、そう言われると、そうだけどさ……」


 二人のパワーバランスが垣間見える。いつから知り合いなのか分からないけど、普段もこんな感じなのかな? ハルって昔から口はすごく達者だったもんなぁ。小さい頃は口喧嘩じゃ勝てないから、私から手を出して喧嘩してたし。足も使ったし、髪も思いっきり引っ張ったりしたし。その頃に培った格闘技経験は、何一つ活かせてないけどね。いや、普通に生きてたら活きない方がいいか。


「じゃあコンビニ行こうかな。誰か一緒に行かない?」

「私は遠慮しようかな……」

「あたしもいいやー」

「えぇ一人かぁ……初めて買うから不安、ハルちゃん付いてきてよ」

「それくらい自分で行きなよ。いい加減、幽霊離れしてもらえません?」

「いつもは憑いてくるくせに……分かったよ……」


 不安と言うか、不満そうな顔をして、ヨウ君は外出用の即席的な服装でコンビニへ向かった。


 初めてヨウ君の部屋に入ったってのもあるけど、なんだか落ち着かない。色んな感情のカードはあるけど、何を場に出せばいいのか分からない。そして、相手がどんなカードを手札に加えているのかが分からない。ゲームは硬直状態に陥った――そんな雰囲気だ。


「ハルはさ、ヨウ君とはいつ知り合ったの?」

「うーんと……三ヶ月前くらいかな……あ! そうそう、お姉ちゃん知ってる!?」

「え、何が?」

「ヨウ君もお姉ちゃんにフラれて、飛び降りる寸前までいったんだよ! 人には散々言っておいて……あたしが止めなかったらヨウ君も今頃は幽霊だよ!」

「え、ええぇぇえ!! そうだったの!?」

「そうだよ! お姉ちゃんも罪な女だねぇ」

「でも、ハルがヨウ君を助けてくれたんだよね。本当にありがとう」

「うん、いいよ。ヨウ君を助けて、なんやかんや幽霊ライフが楽しくなったし!」

「ゆ、幽霊ライフ……なんかすごい言葉だね。ハルは幽霊になって何してたの?」

「女湯を覗いたくらいじゃないかな。誰とも話せなくて、どこかに遊びに行くような気力もなかったし……あ、お姉ちゃんの裸もちゃんと拝んだよ」

「へぇ、そうなん……え、わ、私の裸……?」

「うん。久々に見たけど、すごい魅惑的なスタイルになってた! でもおっぱいはあたしの方が大きいかな! 気にしてるのか知らないけど、浴槽の中でずっとマッサージしてたよね――」

「そ、そんなとこ見るな!! おたんこなす!!」


 姉妹水入らず、男子禁制の女子会は細々と盛り上がった。五年も話せなかったのだ、話だって積もる。塵も積もれば山となり、山を超えて大和撫子だ。女の子の話したい欲を舐めないで欲しい。


 ヨウ君が主役を持ってきたら始まる宴。それまでの余暇を、昔のようにダベって過ごした。楽しい記憶に引き摺り込まれたみたいな――心地の良い時間だった。あぁ、ハルともお酒飲んでみたかったな。


 


 






 

 




 



 



 

 

 


 

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