第三章 はかない恋

【ヨウ】第22話 最強の手札

 『初めて』とは大抵どんなことでも緊張して、不安になるものだ。初めての環境、初めてのおつかい……そして、初めての飲酒。


 七月九日より青井ヨウは二十歳となり、今日から様々な権利と義務が降りかかります。と言っても、義務を果たすのは当分先なので、まずは権利だけ謳歌したいと思います。二十歳の権利……それは、酒! タバコ! ギャンブル! この三種の神器であります!


 でも、タバコは店員さんに番号とか言うの緊張しそうだし、ギャンブルはシンプルにお金があまりないから出来ない。だって一万円もあったらマンガが何冊も買えるしね。オタクやってるお陰で、お金をたくさん使う際の是非を『マンガと天秤にかける』という画期的な方法で判断するので、いつの間にか僕の部屋はマンガでごった返しています。


 でもお酒は違います。自分で商品棚から取って買えるし、値段もそこまで高くない。ちょっと高級なジュースと思えば、高額なものを買った後の、謎の罪悪感も和らぐ。


 さて、本日私がいただくのはアル中の登竜門――缶チューハイです。飲んだことないから知らないけど、これは飲みやすいらしい。イメージとしては、フルーツジュースにアルコールを加えましたーって感じ。これに堕ちる大学生、新社会人のいかに多いことかな……


「お、お願いします……」

「袋はご利用なされますかー?」

「あ、はい、欲しいです……」

「一枚三円となりますが、よろしいですかー?」

「はい、大丈夫です……」


 き、緊張する……モネさんがどれだけ飲むか分からないから、念には念を十本くらい買っちゃった。多いのかな? でもジュースだもんな。一人ならまだしも、二人で飲むんだから十本くらいある方が親切だろう。僕ってば、気の遣える男だぜ!


「年齢確認の方、よろしくお願いしまーす」

『ぽち』

「ありがとーございますー、合計で一三〇六円になりますー」

「あ、ヘイヘイで」

『ぴっ』

『ヘイヘイ♪』

「ありがとうございましたー」


 やった……やったぞ! 僕は勝った! 買った! 右手にかかる缶チューハイの重みが、僕の今夜のの勝利をより実感させてくれる。夜は短し歩けよ少年、僕は足早に見慣れた道を抜けていく。もう鬼ごっこをしてた青井ヨウはいない! 缶チューハイ持ってウキウキな青井ヨウしかいないのだ! 道はいつも同じ顔で迎えてくれるのに、僕だけ大人になっちまったぜ……


「ただいまー!」

「おかえりヨウ君、ちゃんと買えた……って! なんでそんなに買ってるの!?」

「そりゃ、お姉ちゃんの酔い潰して食い物にする気なんだよ。飲み会で男は、女を酔わせることに全神経を使うからね」

「よ、ヨウ君……」

「違うから! 何本くらいが相場なのか分からなかったの! だから多めに買ったの! 酔ってるモネさんなんか……まぁ見たいけど……でも違うの!」

「うん、たしかに見たいね。ヨウ君すまん、あたしが無神経だった。さぁお姉ちゃん、たくさん飲みましょうね」

「やーだ! 私はお酒弱いの! こんなに飲みません!」


 その刹那、僕たちは通じ合った。互いが無意識に、互いの方を見ていた。アイコンタクトってやつだ。ハルちゃんの言ってることがぼんやりだが、分かった。


「ごめん! ちょっとトイレに行ってくるね……」

「あ、あたしも幽霊パワーを貯めてくるね!」

「きゅ、急に? 二人とも大丈夫なの……てか、幽霊パワーって何なの?」

「え!? あー……スマホの充電的な? だから早くしないと……ああぁぁ! 消えちゃう! あたしが成仏しちゃうぅうー!!」

「た、大変じゃん! 早く行ってきて!」


 幽霊パワーの加護を受けて、何とか二人で抜け出せた。アフリカのことわざに『早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け』というものがある。モネさんを酔わせたいという邪な遠き道を、僕らは直向きに目指していくことを決めたのだ。


「どうしたらモネさんがお酒を飲んでくれるかな?」

「日本人に一番効くのは同調圧力だ。『みんなも飲んでるし、OOちゃんも飲みなよ!』と言われて、三、四年生に食われる後輩女子大生なんて、我々はいくつものエロマンガで読んできたろ?」

「た、たしかに……たまに寝取られの展開になって、萎えるまでがセオリ……って! 何言わせるんだよ!!」

「勝手に乗ってきただけじゃん……とにかく! ヨウ君には最強の手札が残っている!」

「さ、最強の手札……?」

「『初めてくらい、モネさんと一緒に飲みたいな……』だ!」

「ほうほう……」

「好きな男にこれを言われて、一緒に飲まない女はいない。あたしじゃなくて、ヨウ君の言葉で飲むことを促すのは癪だが……この際お姉ちゃんが酔っ払えば何でもいい! 頼んだぞ!」

「あ、はい!!」


 作戦会議を終えて、僕らは部屋に戻った。心配するモネさんを横目に、僕は作戦開始の合図が来るのを待っていた。


「ハル? 幽霊パワーは貯まったの? 成仏しない?」

「う、うん! 大丈夫だよ! 最近の充電器はすごいね! 時代は六五ワットの高速充電器だよ!」

「なんか色々あるんだね。とにかく、成仏だけはしないでね? 悲しいから」

「えっ……あたしをそんなに心配してくれるの……?」

「当たり前じゃない、姉妹なんだもん。今度こそずっと一緒にいようよ」


 ハルちゃんが目で僕に訴えかける。『こんな純粋な小動物を食い物にするなんて……動物愛護の観点からあなたを非難します!』って感じかな? さっきまで食い物どころか、フルコースにしようとしてた人に言われたくはないけど、僕は歩みを止めない。メインディッシュを必ずこの目に焼き付けてやる!


「もうそろそろ、お酒を飲んでみようかなー……」

「お! ヨウ君もついに大人の仲間入りだね……ほら、イッキ! イッキ! イッ――」

「こら、一気飲みはさせちゃダメでしょ。ヨウ君、ハルは気にしなくていいから、まずは少しずつ飲むんだよ?」

「うん……あ、あのさ……初めてくらい、モネさんと一緒に飲みたいな……」


 賽は投げられた……いや、自分から賽をストレートに全力投球してやった。あとはモネさんがどう出るか……


「――よし! まぁ一本くらいなら付き合おうじゃないの!」


 ば、バットを振ってきた……モネさんはフルスイングしてきたぞ! 本当は変化球――ただ飲みたいんじゃなくて、流れで酔うまで飲んでもらう、僕の作戦に気づかなかった! 


「じゃあ乾杯」

「か、乾杯……」


 壊れた打楽器のような鈍い音を鳴らし、親指が少し反る程度に力を入れて、蓋を開ける。勢いそのまま、胃に缶チューハイを流し込む。舌にはフルーツの瑞々しい甘さと、ほんのり感じるアルコールの苦味を感じる。……普通にジュースの方が美味くね? なんでアルコール入れたし。


「どう!? 初めてのお酒は!?」

「うーん……ちょっと苦いかな。これの良さを理解するのはもう少し時間がいるかも」

「そうなんだ、なんかもっと美味しいのかと思ってた。一回くらいあたしもお酒飲んでみれば良かったなぁ……ねぇ、お姉ちゃんは――」

「うぇへ? なぁにい、はぁるちゅあぁん!?」

「は、ハルちゃん……!!」

「あぁ……こ、これは……」


 めちゃくちゃ酔ってる。尋常じゃないくらいに酔ってる。呂律も全く回ってない。回そうとしてるけど盛大に空回りしまくってるから、さらにひどいことになってる。


「お姉ちゃん? 三と四を足したら?」

「えぇとぉ……さんとよんだからぁ……はち!!」

「数学じゃなくて、算数でつまずいてる……」

「ヨウ君がえっちなことしたいって!」

「ちょ!! そんなこと言ってない――」

「えぇえ! そぉなのお!? ヨウ君のえっちい!」


 酔うと思考回路がどうなるか――まだ知らないけど、少なくとも理性がなかったら絶対に抱きしめてる。何なのこの生物。イリオモテヤマネコと同じくらい保護しなきゃでしょ。国が総出を挙げて保護しなきゃでしょ。抱きしめたい。髪の分け目のところに顔を埋めて、鼻がもげるくらい――一生匂いを嗅いでいたいです。はい。


「めっちゃ可愛い、抱きしめたい」

「間違いないね……じゃなくて、このままじゃヤバくない?」

「据え膳って知ってるかね? 君は男の子だろ? さぁ行きたまえ」

「そんな代打に行ってこいみたいなテンションで言われても――」

「ハルって色気がないもぉん! 私みたいな妖艶な女が家にきたらぁ、そりゃあえっちなこともぉしたくなるよぉ!」

「は? いくら可愛い小動物だからって、あんまり図に乗るなよ? 何が妖艶だよ。幼児みたいな胸してるくせに」

「はあぁあぁ!? 幼児じゃないもぉおん! Bはあるもぉん! それにぃ、ヨウ君は貧乳好きかもしれないでしょおお!?」

「『大は小を兼ねる』という言葉を知らないの!? 貧乳しか愛していなくて、巨乳は無理ですって男がどこにいるんだよ! 貧乳好きってのは、貧乳もいけるって意味であって、貧乳が良いって意味じゃないんだよ!」


 可愛がってた近所の野良犬が、バチクソ喧嘩してた時の気持ちとよく似ている。純粋な怖さもあったけど、こいつらがここまで獰猛に相手を痛めつけれたんだなっていう――生物というものを舐めていた自分を痛感した。僕は、泥酔した人間と怒った女という、自分とは全く違う生物を完全に侮っていた。超怖い。ちびりそう。


「よおぉくん! どっちが好きなのぉ!? 巨乳か貧乳……ハルのおっぱいか、わたぁしのおっぱいかぁ!」

「え!? いや、それは、その……ノーコメントで……」

「やっぱりヨウ君も巨乳好きじゃん! よくよく考えたら、最初に会った時にもめちゃくちゃ触ってきたし!」

「いや、だからあの時は色々混乱してたから――」

「きらい……」

「え?」

「二人とも嫌い!! 何でもおっぱいで測らないでよ! ヨウ君もハルと付き合えばいいじゃん! 好きとか言わないでよぉ!!」

「ちょ、ちょっとモネさん!」


 華奢な体と比べると、相対的に大きく見えるバックを乱雑に手中に収め、モネさんは走り去ってしまった。扉が開けっ放しになった――開放感が増した部屋は、モネさんの喪失をより一層感じさせる光景だった。


「ごめんヨウ君……また振り出しに戻るかも……」
















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