第二章 飲めない酒

【ヨウ】第13話 お客様は男を求めていない

「ヨウ君、家に帰ってから顔がキモいことになってるよ」

「えぇ!? そうかなあぁ!?」

「き、キモい……」


『私も好きだよ、ヨウ君』


 この言葉がいつまでも感覚神経から抜けない。たぶん、脳と神経の間をずっと往復してきやがるんだと思う。それも延々と――シャトルランみたいに。瞼の裏には、あの時の光景がうっすらと刻み込まれている。海に行った後に目をつむると、波打つ水面の様子がぼんやりと浮かぶ感じとよく似ている。


「だって! だってぇ! 好きって言われたんだよ!? 嬉しいでしょ!?」

「まぁ嬉しいだろうけど……でも! 浮かれてる時が一番ラブコメでは危険なんだよ!」

「え!? そうなの……?」

「ストーリの都合上、主人公とヒロインがくっつきそうになると、何か事件が起こって結局付き合えなくなるってことあるでしょ!」

「あ、ある……その引き延ばしめっちゃ見てきた……」

「何か事件の心当たりはあるかい?」

「いや……特にないけど……」

「ヨウ君、君は大切な人物を忘れている。自分の立ち位置を唯一示していない人物を」

「え? それはだ……はっ!」

「気づいたか……そう、マルカちゃんだよ」


 たしかに考えてみれば、久世さんが僕たちの恋を応援する理由がない。ルミリとかハルちゃんみたいに、僕らがイチャイチャしてるとこ見たいって訳じゃないだろうし。単純に、仲の良い先生――モネさんの手伝いをしたいだけなのかな? そんな平凡な理由ではない気がしてきた……。恋のキューピットになってあげたいとか言ってたけど、何が理由なんだろう……?


「分からない……なんで久世さんが僕たちを手伝ってくれたか……」

「いいところに気づいたね、ヨウ君。ここまでの流れはラブコメの流れとそっくりなんだよ」

「え? そんなことはないはず――」

「『私……やっぱりあいつのことが……!』ルートだよ」

「あっ!!」

「『友達だし、恋の手伝いをしてあげたい……でも、何なの……この気持ちは……。何であいつがあの子の話をしてる時、こんなに胸が苦しいの……』という、ツンデレヒロインや幼馴染ヒロインがよく陥るルートだよ。そして、そういう風に作中で葛藤するヒロインと主人公は大抵くっつく」

「久世さんはツンデレだった……!?」

「それは分からないけど……とにかく! マルカちゃんは今後、徐々に先生のことが好きになる可能性が十二分にある!」

「でも、あくまで可能性でしょ? そんなに心配しなくても――」

「ヨウ君、冴えない陰キャ主人公が好きな人と付き合えました、なんて作品はもう我が国には溢れかえってるんだよ。今日こんにち、窓際眼鏡学生と窓際眼鏡社員が求めているのは、百合だ」

「ゆ、百合……」

「みんな美少女を求めているんだ。あたしみたいなね? そこによく分からない男主人公なんて、ノイズでしかないんだ。お客様は男を求めていないんだ……」


 地味に自分のことを美少女カウントしてたことは黙殺するけど、たしかにこのままだと、謎の運命の強制力で僕が舞台から降ろされる気がしてきた……窓際じゃない、立派なスーツを着た社会人の圧力で降ろされる気がしてきた……


「じゃ、じゃあどうすればいいの!?」

「簡単さ。先生以外の――別のことに夢中にさせればいい」

「別のこと?」

「我々とマルカちゃんの最大の違いは何だと思う?」

「うーん……僕らはオタクの端くれだけど、久世さんは違うとか?」

「その通り! なので、『久世マルカ、オタク化計画』を立案したいと思います!」

「お、オタク化計画?」

「つまるところ、マルカちゃんにアニメとかマンガの素晴らしさを布教して、一緒にオタクになって楽しもう! っていうのが大まかな概要であります!」

「オタク文化に触れさせて、万が一にもモネさんのことを好きだと思わせないってこと……?」

「そういうことです! だから明日から特撮の研究とか言って、様々な名作を見させまくろう! てか、久しぶりにあたしがアニメ見たいんだよぉ! この体になってから全然見れてないんだよぉ!!」

「え、でも特撮なのにアニメ見せてもいいの?」

「いいんだよ。ああいう類の人間は特撮の魅力なんて分からないから。何で急に空中で回転するの? とか言い出すから。円目つぶらめプロの努力を全否定してくるから。そこそこ作画のいいアニメも見せれば何とかなるんだよ」


 たぶん生きてた頃に、誰かに好きな作品を紹介したことある感じだな。おすすめ教えてって言われたのに、絶対に見てくれないやつ。ちょっとコアなものを紹介したら渋い顔されるやつ。だったら木曜ロードショー見てろよってやつ。すごく分かるよ、ハルちゃん。オタクはみんな必ず通る道だ。


「よし! じゃあおすすめのアニメを厳選しよう! ハルちゃんは何か希望とかある?」

「色々あるけど……やはりアニメ初心者には『クレパス慎ちゃん』の映画とかどう? 単純明快なストーリの中に組み込まれた友情や家族愛の素晴らしさ、そして我が国の最高峰のアニメーション技術を余すことなく学べると思います、ヨウ氏」

「至高の名作の数々だね。ちなみに……ハル氏が一番好きな作品は……?」

「うわ、めっちゃ悩む……でもやっぱり『キョーレツ! 子供帝国の復讐』は外せないよね。これと『見事! ナーロッパ大合戦』は殿堂入りって雰囲気だよね」

「間違いないね。特に子供帝国は、粕我部防衛軍かすかべぼうえいぐん野薔薇家のばらけをどちらとも登場させて、主要キャラの魅力をしっかりと伝えられている。また、誰しもが抱く『子供に戻りたい』という感情をテーマにすることで、一緒に見に来た親御さんまで楽しませ、子供たちも圧倒的センスの制作陣による最高のギャグシーンにより楽しめる、という傑作だよね。特に慎ちゃんがバスの上からおしっこするシーンは……」


 ダメだ。止まらない。舌が暴走している……! まるで今の僕は放水しているダムだ……! 周囲の人間を埋め尽くすくらいの言葉が僕の口から流れ出ている! もうじき放水警報が流れる頃だと思う。


「それでヨウ氏? 結局マルカちゃんに勧める作品は何にするの?」

「うーん……子供帝国はマストだけど、あともう一つくらい選びたいね」

「じゃあ『光明たまたま大追跡』とかどう? 感動って雰囲気じゃないけど、クレ慎らしいギャグとキャラを楽しめると思います! 特にたまゆ――」

「だったら『銭湯ワクワク大決戦』の方がいいんじゃない? 巨大ロボと自衛隊の戦闘シーンや、銃を打ったりしたりするアクションシーンもあるから、画も楽しめると思うな。銭湯の精とかのギャグシーンも最高だし――」

「いやいや! 銭湯ワクワクもいいけど、光明たまたまだってアクションシーンあるもん! 侍たちとニクソンの戦闘シーンとかめっちゃ燃えるじゃん!」

「僕たちがやるのは特撮だよ!? 巨大ロボとか、大きなものを動かしてるのを見てなんぼでしょ!」

「大きくないじゃん! 虫じゃん! 昆虫でしょ!?」

「それを大きく見せるのが特撮じゃないか! ミニチュアという概念を知らんのかね!?」


 好きなもの、目指しているものは同じはずなのに、少し意見が違うだけで敵になってしまう。こんな社会は正しいのか? 他人との些細な差異を求め、敏感になってしまう現代社会。この二人のオタクの闘争は、そのような社会に対する風刺なのかもしれない……


「分かった、ハルちゃん。ここは『はら監督は最強』ってことで和解しませんか……?」

「――『湯深監督の設定デザインも最強』という文言を付け加えるなら……」

「よし! それでいきましょう!」


 こうして不毛なオタクの争いは停戦を迎え、二人は『久世マルカ、オタク化計画』に邁進するのであった……



 


 






 


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