【ヨウ】第4話 LOOK OFF

「バーカ」


 その言葉は僕の胸に重たくのしかかる氷山のようだった。火照った体を冷やすには、十分すぎるほど冷血な言葉だった。


「やばい……ハルちゃん! 先生が怒ってる!!」

「ほんとだ……。おかしい……我々の叡智を尽くした名文だぞ!」


 いきなり帰っちゃうし、バカって言われるし……これは本当にやばいかもしれない……でもさ、元生徒ではあるけどバカってひどくね?


「ハルちゃん! 今から謝罪のメールを入れた方がいいかな――」

「いや、待て。今送っても恐らく火に油を注ぐだけだ! 煙が立たなくなるまで、時間を置こう……」


 苦渋の決断だ。目の前にあるのに、どれだけ必死になろうとも――細胞の一つ一つが死ぬくらい腕を伸ばしても、決して触れることすら出来ないような感じだ。僕らの間に、一枚の分厚いアクリル板が挟まったように。


「で、でも! 先生を教員採用試験へやる気にさせたのはデカい! 勉強をしようと意気込んで帰ったのかもしれないし! 今度こそちゃんと付き合ってって言おう!」

「う、うん……」


 『覚悟はしている』とは言っても、結局は自分が拒絶された時のことを考えてる人なんていないだろう。僕はその格好の例を知っている。体は自由に動くのに、どうして心はここまでコントロールが出来ないんだろう。


「いいかいヨウ君? 恋愛はヒットアンドアウェイだ」

「ひ、ひっとあんど……?」

「要するに、押して引いての繰り返しってこと。自分のことを知って欲しい、自分のことを好きになって欲しいって気持ちでずっといると、相手にとって自分の価値がどんどんなくなっていく」

「え!? なんで? 好きなら好きで言った方が――」

「違うんだよ。周りからモテまくりのヒロインが、自分に一切好意を向けない主人公に興味を持って、最終的に好きになっちゃうラブコメあるでしょ? あれと同じ」

「な、なるほど……」


 ラブコメの例えは非常に高度だけど……つまり好きって言うだけだと、周りとの差別化が図れないって意味なのかな。だから僕が、『あれ……? 意外と青井君、私のこと好きじゃない……!?」って先生が思うように謀ればいいんだ!


「なんとなく分かったよ! さすがマイスター!」

「ふふふ、そんなに褒めなくてもよい。このラブコメおた……恋愛マイスターの私からすれば造作もないことさ!」


 なんかハルちゃんと一緒にやれば、本当に先生を落とせる気がしてきた! よし、このまま明日も先生と付き合えるように頑張るぞ――


「てかさヨウ君、大学の準備とかないの?」

「あ、死のうと思ってたから何もしてなかった」

「受かったんだし行けば? ほら、それこそ先生よりも良い子が――」

「それはない!!! 断じてない!!!」

「あ、うん。そうだよね、ごめん」


 僕が合格した国立路南浦ろなうら大学映像研究学部は、そこそこ偏差値の高いところだ。倍率は驚異の九倍。近年では、映像作品に触れる機会も増えているから、それに呼応して自分でも作ってみたい人も増えてるんだろう。実際、僕もそういう人間の一人だ。


「ともかく! 先生と付き合えた後を考えると、大学は出ておいた方が安牌じゃない? 理系でバチバチに研究するって訳でもないだろうし」

「たしかに……じゃあ行こうかな」

「やったー! あたし大学とか行ってみたかったの! 華のキャンパスライフってやつ? 超楽しみー!」


 なんで行く本人より楽しみにしてんだろ、この人。すごいウキウキしてるじゃん。でもなんだろう、すごいかわいい……い、いや! かわいいはかわいいけど、好きとは違います! 好きなのは先生です! 式野モネ先生です! 勘違いしないでよね!


「じゃあスーツとか、大学に着てく服も要るんじゃない?」

「え? スーツは分かるけど、服はもうあるじゃん」

「まさか、半袖パーカーを着るつもりなの……?」

「うん」

「よし、明日服を買いに行こう。恋愛とか後回しだ。四年間を棒に振ることになる」


 ということでハルちゃんと半ば強制的に都会に来ました。オシャレでキラキラした――太陽の擬人化みたいな連中に囲まれていて、なんか緊張する。体育の授業で、優しい陽の人からボールをパスされた時の、あの感覚と似ている。


「とりあえず、LOOK OFFに行きましょう!」

「なんで? 欲しいマンガでもあるの?」

「ちーがーう! それも少しあるけど、古着を買いに行くの!」

「え? あー! たしかにあったね、服のコーナー! いつも素通りでマンガしか買わないからさ!」

「そうだよね! ヨウ君はこっち側だよね! うんうん、安心した」


 そして僕らは聖地へ向かう。本当に色んなことを知れた場所だ。諸先輩方から引き継いだ叡智の書を拝読し、そして我々も次世代へ得た知見を託す。言葉を交わさずとも分かる。こうして文化は紡がれてきたし、これからも続いていくのだ! つまり、この店の書籍の一つ一つがオタクの汗と涙と垢の結晶……あ、そう考えるとキモいわ。ごめん、諸先輩方。


「ヨウ君、自分の好きなマンガがまとめ売りでめっちゃ安く売られてた時、すごく悲しい気分にならない? あたしの青春はこんなに安いのか……って」

「うわ、超絶分かる。資本主義の弊害だね」


 学生運動でも始めそうな会話をしながら、ついに到着した。何となく、というか無意識に避けてきた未知の領域に。どの本棚にどの出版社の作品があるかは知ってるけど、どこにどういう服があるのかは本当に分からない。卒業式に在校生が飾りつけをしてくれた教室みたいな――慣れ親しんだ場所のはずなのに、全く別の場所みたいだ。


「よし! では気になる服を持ってきたまえ! あたしがチェックしてやろう!」

「はい! 了解であります!」


 何が僕に似合うんだろう……。いっぱいありすぎて、何がなんだか分からないや。とりあえず直感で気に入ったものだけ選んでみよ!


「持ってきました! 軍曹!」

「――うーん、伍長? なんで半袖パーカーしかないの?」

「え? あ、ほんとだ。つい無意識に……」

「やっぱりあたしが選ぼう……君の脳は半袖パーカーに侵されてる……このままじゃ、ヨウ君が先生に犯される日は――」

「軍曹!! 早く選んできてもらっていいですか!?」


 我らが軍曹が最低な人間として、裁定を下される前に話を遮る。紆余曲折はあったが、何とか色々な服を選んでもらった。バンダナを頭に巻き、チェックシャツをジーパンの中に入れる。なるほど! これはかっこいい!


「どうかなハルちゃん!? 似合ってる!?」

「ヨウ君! そっちはネタ! それを着てもいにしえの先輩方にしかなれないから! ほんとに服に関しては無知だね……」


 結局、ハルちゃんの選んだ数着の服と、二人で選んだ十数冊のマンガを買った。あ、スーツはマンガのせいで買うお金がなくなったのでお父さんのやつを借ります。マンガは一生ものだもんね、しょうがないね。


「でも、いざ大学生活が始まるってなると何か緊張するね」

「目標は友達百人!」

「それはキツいかな……。それに、ハルちゃんも一緒だから友達作らなくていいし」

「何それー! あたしのこと口説いてるー!?」

「え? いやいや! そういうつもりで言ってんじゃ――」

「あたし、レズっ気あるから男の子に惚れたことないの!」

「あ、そうなんだ! だから男とずっと一緒にいることに抵抗感がないんだ」

「そ! ヨウ君がずっとモジモジしてたら、あたしが先生取っちゃうぞー!」


 いやあんた幽霊だろっていう野暮なツッコミは、喉仏の下の方に追いやる。ハルちゃんって女の子が好きなんだ。もし先生と付き合ったら、どんな感じになるんだろう……


「あ、あっ……、んっ……。は、ハルちゃ……うぅん……、そ、そこぉ……好きぃ……」

「うん? モネちゃん、ここが好きなの? ……ほんとだ、こんなにビチョビチョに――」


 金は積みます。誰か同人誌お願いします。






 


 







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