【モネ】第6話 真っ白

 拝啓、お母さん。私に告白してきた男の子が、別の女連れてました。敬具。


「あ、青井君? その子はお友達?」

「そうです! オリエンテーションで知り合って――」

「あの、あなたこそ誰なんですか? ヨウ先輩の何なんですか?」


 がっつり彼女ムーブかましてくるじゃん。でも、すごい可愛らしい子だな……。幼気で真面目な女学生って感じ。こういう子がタイプなのかな……


「ルミリ、この人は僕の家庭教師の先生! 受験の時にお世話になったの!」

「あー、そうなんだ! ごめんなさい、失礼なことを……」


 は? るみり? どういう枕詞? いや、接続語か? そんな言葉、私は教えた覚えがないけどな……


「はじめまして。ヨウ先輩に仲良くしてもらってる、川谷ルミリと申します」

「映像研のオリエンテーションで知り合ったんです! アニメとか映画の趣味も結構合って――」


 え? るみりって女の子の名前? 会って一日で!? 私なんか一年関わったのに、『先生』だよ? 固有名詞ですらなく、一般名詞だよ? ダメだ。幼気で真面目な女学生じゃなくて、盗人猛々しい女狐にしか見えなくなってきた。


「まあ、立ち話もなんだし一緒にご飯食べようよ! よ、ヨウと川谷さんが良ければでいいけど……」

「ぜひぜひ! ルミリもそれでいい?」

「うん、先輩がそっちの方がいいなら」


 やっばい……今更下の名前で呼ぶのって超恥ずかしい……。世の男女はこんな高難易度ミッションをクリアしてたのか……。今まで目を逸らしていた壁が、急に目の前に現れたような気分だ。


「何でも注文していいよー! 若人のお腹くらいお姉さんの経済力で満たしてあげよう!」

「やったー! じゃあソースカツサンドとバニラアイスで!」

「ルミリも先輩と同じやつで」


 あお……ヨウって本当にアイス好きだよね。浪人時代も、毎回バニラの棒アイス買ってたし。てか、なんで同じやつ注文してんだよ。匂わせしてる――きっしょいインフルエンサー(笑)の女かよ。


「よ、ヨウはいつもバニラ食べてるよね! お腹とか痛くならないの!?」

「お腹は大丈夫ですけど……なんでさっきから下の名前で呼んでくれるんですか?」

「え!? いや! 大学進学を機に……みたいな! ずっと青井君呼びってあれかなーって! 嫌だった……?」

「嫌って言うか、慣れてなくて気恥ずかしいです……」


 こういう光景を見て、昔の人は眼福という言葉を作ったんだろうな。手をモゾモゾさせながら、下目遣いして小さくなってる。もっといじめたい。Sな私が目覚めそう……サディスティックな私が目覚めそう……


「じゃあルミリは、ヨウちゃんって呼ぼうか?」

「何それー! ちゃん付けは照れるよー!」

「冗談だよ、冗談!」


 女狐ええええええ!! え? 兵十ってもいい? 南吉っちゃってもいいですか? この生意気なごんぎつね、火縄銃で穴だらけにしていいですか? この勢いだとヨウに、栗は栗でも全く違うを食べさせそうだし……


「お待たせしました、ソースカツサンドです。バニラアイスの方は、またお声がけください」

「か、川谷さんは趣味とかあるの……?」

「うーん、ずっと家でアニメかマンガ見てますね。外に出て何かするってタイプじゃないので」

「そ、そっか……」


 ダメだ、会話が思いつかない……。『あいつ(ヨウ)のことどう思ってんのよ!?』みたいなツンデレヒロインみたいなことは言えないし――


「あの! 先生はヨウ先輩のことどう思ってるんですか!」

「ど、どうって……?」

「先生とはいえ、年齢も近いし……異性として先輩を見たことはないんですか!」


 正直、私が私に聞いてみたい。異性としての気持ちで、ヨウを取られたくないと彼女を否定しているのか。姉みたいな気持ちで、弟が取られたくないからと彼女を否定しているのか。頭が五里霧中で、どれだけ探しても私の気持ちを表現できる言葉を見つけられない。


「ルミリ! はやくソースカツ食べよ! 冷めちゃうと美味しくなくなっちゃうし……」

「え? あ、そうだね。ごめんなさい先生。変なこと言ってしまって……」


 声帯が動かなかった。私は大人なんだ。否定しなくちゃいけないのに……。『異性としてなんて見てないよ』って言わなくちゃいけないのに……。でも、ヨウの言ってくれた好きって言葉が、今も耳小骨に響いて、止まない。フェードアウトなんかせずに、ずっと耳の奥にへばりついてる。


「――もし異性として見てるって言ったら、川谷さんはどうする?」

「ど、どうするって言われても……」

「それに、そういう話は本人の前ですることじゃないよ。また二人っきりの時に青井君の愚痴でも言い合いましょ?」

「は、はい……」

「え!? 愚痴って何ですか!? そんなに僕ってダメなところが――」

「こういうのは女同士で話すものなの! 男子禁制です!」


 やっぱりヨウって呼ぶのは慣れないや。届いたバニラアイスの色は、私のごちゃごちゃした心とは対照的に、とても真っ白だった。


「先生、ごちそうさまでした」

「いいのいいの! カフェくらい奢れる余裕はあります! じゃあ川谷さんもまたね」

「はい……またどこかで」


 心臓のところで言葉や想いが詰まってるような気分だ。川谷さんの紹介をしている青井君は、今日の学校の出来事を教えてくれる――弟のようだった。勝手に二人の間に入って、変な雰囲気にして、私は何がしたいんだろう。


 家に帰った。いつものように勉強して、いつものようにご飯を食べて、いつものようにお風呂に入る。入浴剤で白くなったけど、どこか透き通ったようなお風呂。浴槽の縁を枕にする。真っ白な天井と乾燥機が見える。


「寂しい」


 いつもと同じように過ごしてるのに、なんでこんなに寂しんだろう。一人は嫌いじゃない。たぶん比較的に好きな方だ。映画も普通に一人で行く。


 でもそれは、私に孤独な瞬間がなかったからだと思う。家に帰れば居る家族、慕ってくれる同僚や後輩、そして大好きな生徒。私は一人の時はあっても、独りじゃなかった。体が穴だらけになって、体温がどんどん逃げていく気がした。今日は長風呂してしまった。


 浴室から出た瞬間の寒気が、布団に入ってもずっとついてくる。体の中で、大きな氷山が生まれたかのように。温めて欲しい。抱きしめて欲しい。繋がって欲しい。満たして欲しい。愛して欲しい。独りにしないで欲しい。物で溢れた自分だけの城で、誰かも分からぬ人にそう願った。


 枕で視界を塞ぎ、三角形を作るように腰を上げ、脚を開く。布団の下から富士山でも作るように。じめじめとした樹海に指をゆっくり入れて、誰にも気づかれないように鳴く。独りじゃない時の思い出に浸りながら。


 気持ちがいい。

 


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