第2話 ドンです

「明日が契約日なので、その後の段取りもありますから。それが終われば少しゆっくりできると思いますので」


 博美が言うと、電話の向こうの今川部長も納得した。


「ああ、そうだね。しかし、さすがカマもっちゃん。契約後の段取りも兼ねて見据えるとはさすがだな」


 博美が働く経営コンサルタント会社で、明日、譲渡契約が結ばれる。買い手企業と売り手企業の双方の代表者によって契約書がわされる。


 売り手側は化粧品メーカー、買い手側は通販会社で、契約成立となったあかつきには、担当する博美のコンサルタント会社にもM&Aの仲介手数料が入る。


 この案件は、一年前、今川部長から、個人的に付き合いのある化粧品会社の福本社長との会食の場に博美が呼ばれたことで担当が決まった。詳しい話を聞くと、七十五歳の福本社長は化粧品会社を一代でおこした人で、自分の年齢を考えると夜も眠れないと言うのだった。

 最近では、よくある話だった。中小企業の代表者は、多額の個人保証している。自分が居なくなったあとの債務や会社将来を考えると不安になるのだろう。当時、大手企業の最終打合せで手が回らない今川部長の代わりに、博美がコンサルタントとして、福本社長の化粧品会社へ通い続けた。


 会社の経営状況や数字の実情を調べ、福本社長を含めた役員たちに右肩下がりの現状を説明した。現在のじり貧状態では負債は膨れ上がる一方で、人員整理をすべきだと話をした。だがその後も、役員たちは、なにも対策を取ろうとせず、他人事の様子に福本社長は落胆らくたんした。そして、福本社長からM&Aを進めてほしいと言われ、社内に何かと問題はあったが、博美は一つ一つ解決しながら、買い手企業を探すことにした。


 しかし、買う方も慈善事業ではない。なにかしらの旨味がなければ企業など買いたいと思わない。


 今回の売り手企業である福本社長の化粧品会社は、日本での売り上げは右肩下がりだが、中国相手に順調に売り上げを伸ばしていた。中国相手に長年の販売実績があるのは強みだった。販売ルート、そして決済方法などのノウハウがある。


 博美は中国での販売に興味がありそうな企業へ話を持って行った。興味を示した企業に資料を渡し、話を進める。何社か名乗りを上げてきたが、話が煮詰る前に流れるパターンが繰り返された。そして最後まで興味を示した通販会社が残り、いよいよ売り手の化粧品会社の最終段階の買収監査に入ると、博美は弁護士や会計士などの打合せなど休日返上で仕事をする日々だった。そうして、苦労の末、明日の契約まで持ってきたのだ。


 ハードな仕事だ。


 だが、うまみもある。


 今回の譲渡契約じょうとけいやくは五億円。片方から五%ずつ、合計十%の手数料が博美の働くコンサルタント会社に入る。

 そうなれば、博美のふところにも報奨金ほうしょうきんが出る。そのためには契約後のフォローをしてもお釣りが出るぐらいだ。


 報奨金! 報奨金!


 フフフッ! アハハハハ!


「もしもし、カマもっちゃん、聞いている? 明日の昼食は、福本社長にも言ってあるけど、あの寿司屋予約してあるから」


 おおっと、忘れていた。今川部長との電話中だった。


「ありがとうございます!」


 契約成立後、ご褒美の高級寿司が食べられると思うと、一気にテンションも上がる。


「今回の仕事、カマもっちゃんに回して本当に良かったよ。じゃ、明日はよろしく」


「はい、失礼いたします」


 今川部長との電話を切ってから気が付いた。


 あれ? 部長、なんの用件だったんだろう?


 もしかして、また、どこかの会社を紹介してもらえるとか?


 それなら、惜しいことをした。


 でも、ま、いいか。


 他にも何件か抱えている案件がある。しばらく休んだ後、本腰を入れよう。


 博美は、赤信号になった大通りの交差点で足を止めた。


 まずは明日の契約だ。


 朝十時から、博美が働くコンサルタント会社で双方の代表者が来て、最終譲渡契約を結ぶ。


 これまでの苦労が実を結ぶのだ。


 自然と笑みがこぼれた。


 社内の男たちの風当たりが、ますます強くなるだろう。


 だが、そんなことはどうでもいい。


 ただのねたみだ、ひがみだ、嫉妬だ。


 出来ない奴らは、そうやって陰口を叩いていればいい。


 その間に、こちらは契約成立だ!


 ざまぁみろ!


 そのときだ、ドン――。


 誰かに強く背中を押された。


 弾かれるように、博美の身体は赤信号の交差点へ飛び出した。


「え?」


 ブブブブ――!!!


 眩しい車のライトが目に入る。


 次の瞬間、ぐわん――。


 強い衝撃を受け、クラクションが鳴り響く中、身体は宙に浮いていた。


 すべてがスローモーションに見える。


 交差点の歩道で、こちらを見上げている男と目があった。

 あれは、たしか……。


 そう!


 福本猛ふくもとたける


 明日の契約で、売却する化粧品会社の専務#だった__・__#男だ。

 

 半年前、化粧品会社・社長である父親の激高げきこうに触れ、専務を解任され、会社から放り出された。


 あの男が、わたしの背中を押した――?


 なんで? どうして? なんでわたしなのよ!


 自業自得でしょ! それに恨むなら父親じゃない!


 死ぬ……、の?


 わたし、死ぬの……。


 マジ!? うっそ――!


 あれほど苦労したのに、あそこまで話を持って行ったのに、明日契約書を交わすのに。


 なんでよ――!


 報奨金は――!? ご褒美の寿司は!?


 こんなのあり得ない――!!!


 博美の意識は、そこで途切れた。

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