第10話 魔獣さんを泣かせちゃいました

「ちょっとまってね、ごめん」


 博美が手を上げ、制止している間、魔獣は素直に待っている。

 そんな魔獣を博美は、じろじろと観察した。


 クリクリとしたまん丸な目でしょ、頬が垂れ下がって、皴が寄った顔。そして口は閉じているけれど、フォルムというか、雰囲気が似ているのよね。


 じろじろと観察されている魔獣はタジタジの様子で、その視線に耐え切れず、とうとう博美に背中を向けてしまった。


 その瞬間、博美は手を叩いて、大きな声を出した。


「あっ! そうだ! 思い出した!」


 驚いたように魔獣は、ビクリと肩を動かす。


「フレンチブルドックよ!」


 恐る恐る振り返った魔獣が、聞き返す。


「それは……、どのような化け物でしょう」


「化け物? フレンチブルドックのこと? 犬よ、犬!」


「犬……、ですか。しかし、僕のように不細工な犬は、見たことはありません。もし、このような犬が街を歩けば、気持ち悪いと棒で叩き殺されるでしょうが……」


「あ、ごめんなさい。わたし、失礼なことを言っちゃった。そうよね、犬の顔に似ているなんて失礼だった。本当に、ごめんなさい」


 博美は手を合わせて謝った。


「僕に似た、不気味な犬がいるんですね。驚きです」


 博美が聞き返す。


「不気味な犬?」


「はい。これまで僕の顔を見た人からは、不細工だ、気持ち悪い、そんな化け物のような顔を見せるなと、石を投げられたこともありました。ですから、その犬に似てるっと、おっしゃったことは、気にしないでください」


「ふーん、気にしないでくださいか……。でも、そうやって誤魔化すのって、どうなのかな?」


「誤魔化す?」


「だって、犬に似ているって言われたから、不細工だ、気持ち悪いってこれまで言われたことを、持ち出したんでしょ」


「僕は、本当のことを言っただけで……」


「じゃ、同情してほしいんだ」


 博美の言葉に、魔獣は面食らったようだ。


「え?」


「自分は可哀想で、今までこんなにつらい目に合ってきました。だから同情してくださいって?」


「いえ、そんなつもりは……、僕は周りを不快にさせるだけの存在ですから」


「本当にそう思っているんだ?」


「あ、あの……」


「なんだかモヤモヤする」


 博美の言葉に魔獣が謝った。


「すみません」


「謝って話を終わらせようとしないで。自分が不快にさせるだけの存在って何? こっちに罪悪感を持たせるつもりでもなく、同情させるわけでもなく、自分でそう言っているなら、おかしいでしょ。そこまで自分自身をおとしめなくてもいいじゃない。これまで、嫌な思いや、大変な思いを沢山してきたのかもしれない。わたしには分からない苦労だったんでしょう。けれど、そこまで自分を卑下しなくてもいいじゃない。あなたには沢山、いいところもあるわけでしょ。だって、すごい魔術師だって聞いたもの」


 いつしか、博美は演技でもなく、本音で魔獣と話していた。相手を挑発し、本音を引き出し、相手との距離を縮める作戦だった。だが、途中で博美の方が感情的になっていた。


「それに、あなた、すごく優しいじゃない。わたしがわざと怒らすようなことを言っても、冷静に穏やかに訂正してきた。すごく頭のいい人で、相手の事を気遣う人だってわかるもの」


 そこまで言った博美だが、目の前の魔獣の様子に慌てふためいた。


「いや、え……、ちょっとまって……。ごめんなさい。言い過ぎました。このハンカチを使ってください」


 博美は魔獣にハンカチを差し出して言う。


「魔獣さん、わたしね、あなたとの距離を縮めるために、心理的揺さぶりをかけようとしていたの。でも、途中から、こっちが本気になっていた。余りにもあなたが自分自身のことを酷く言うから、悲しくて、切なくて……。でも、こんなやり方、あなたには必要なかったよね。あなたは素直で優しい人だもの。すみませんでした。だから、涙を……」


 博美に言われて、魔獣は泣いているのに初めて気が付いたようで、頬に手を置いた。


「涙……? ああ、ほんとうだ、僕が泣いている……。ふふふっ」


 言いながら魔獣は笑っていた。


「え? 泣いてる? 笑っている?」


「すみません。僕は嬉しかったのでしょう」


「嬉しかったのでしょうって……、自分のことなのに?」


「このような感情は久しぶりで……。あなたが怒ったから」


 なんだか、急に感情的になっていた自分が恥ずかしくなって博美は顔を赤くしていた。


「うん……、そうよね。ごめんね。自分を卑下したり、自虐的であっても、それは人の勝手だもの。そこまでわたしが言う必要なかったよね。なんだか自分の考えを押し付けすぎちゃった」


「いいえ。僕のために、ここまで言ってくれた人は初めてです。僕は、こんな見た目ですから……。ですから、僕のことを思って言ってくれる人などいなくて……、こんなことは随分久しくて。だから、うとまれ、汚らわしいと言われるのが当たり前で、そういう見方をされているのが普通だと思って、自分自身で慣れてしまっていました。だから、だから……」


 また床にポロポロ涙をこぼす魔獣に、博美は焦り出した。


「ええっと、あのね、わたしの言葉足らずだったけど、もうひとつ言いたかったのはフレンチブルドック、本当に可愛いから、それも本当だから」


「……フレンチブルドックって、かわいいのですか?」


 鼻をすすりながら聞いてくる魔獣に、くすりと博美が笑う。


「うん、すごく可愛いよ。そこにいるだけで、頬が緩むぐらい可愛いの。だから、見た目なんて、人それぞれの価値観だから」


「そうですか……、そうですね……。はい……、はい……」


 博美がもう一度ハンカチを差し出した。


「ね、使って」


「はい……」


 恥ずかしそうにハンカチを受け取った魔獣を、可愛いな、抱きしめたいなと、博美は微笑んで眺めていた。


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