第18話 我慢【魔獣ジュリアス視点2】

 明日晴れますように――。


 誰もいない地下の部屋で僕は天気の魔法を唱えた。


 くらりと眩暈がして、魔法陣の床に両膝をつき、そして両手をつく。


「ハァ……、ハァ……」


 四つん這いの状態になると、床の魔法陣が目に入る。


 今日一日で、すべての魔力を使い切ったようだ。


 召喚魔法は、気力も体力も大量に消耗する。


 顔を上げると、彼女が持って来てくれたシルバートレイが机にあるのが見えた。


「あの机まで――」


 なんとか、這うようにして机まで移動した。


 そして気力を振り絞り、椅子に座る。


 机の上にあるシルバートレイには食事があった。


「はぁ、はぁ……、すごいな」


 お肉やパン、デザートまである。


 どれもおいしそうだ。


 まずは、お肉をいただこう。


 フォークやナイフまで用意されていた。


 僕は彼女に感謝しながら、ナイフとフォークを持って、大きなステーキ肉を切った。


 フォークで刺して、お肉を口に入れる。


 おいしい――。


 なんて、おいしいんだ。


 冷たいお肉なのに、しっとりと柔らかい。


 パンをちぎって食べた。


 すこし硬いが、小麦の香りがして、とってもおいしい。


 こんなにおいしい料理は久しぶりだ。


 どれも冷たい料理だったが、体の芯から温まるような気がした。


 さっきまで限界だった体力や気力が漲ってくるようだ。


 すべての料理を平らげると、魔力まで全回復していた。


「すごいな……、これも彼女のおかげだ」


 食事を食べたのはもちろんだけど、彼女が持って来てくれた嬉しい気持ちと、幸せな気持ちで、こうして不思議と僕のすべてを回復してくれたのだろう。


 シルバートレイをもって、部屋を出て、洗い場に向かう。長い廊下を往復する。そしてもう一度、洗い場に行って今度は全身を洗った。


 そうして身体を乾かしたあと、魔法陣の床で横になった。


 いくら寝返りを打っても、お腹がいっぱいになっても眠れない。

 目は覚めたままだ。


 明日のことを考えると、ドキドキして、ソワソワする。


 あの人と一緒に、街へ出かけることが本当に出来るのだろうか。


 ハロルド王子やロドリック様から、外に出る許可が下りるのだろうか。


 彼女が話を付けると言っていたけれど、ダメだったときにショックを受けるから期待しないほうがいいのかな……。


 でも……、久しぶりに外へ出られると思うとワクワクする。


 ううん、ちがう。


 本当は、彼女と会えることが嬉しいんだ。


 そんなことを考えて魔法陣の上で寝返りを打つ。


 うつらうつらしたころ、壁に掛けかけてあるハト時計が、ポッポーっと出てきた。


 もう朝?


 ウキウキしたり、がっかりしたり、そんなことの繰り返しであまり寝られなかったけれど、昨夜の料理のおかげですごく元気だ。


 でも、なんだか夢心地で、寝っ転がったまま、魔法陣の床で、ぼうっと天井を見る。


 いつごろ出発するのだろう。


 ここへ彼女が迎えに来てくれるのだろうか。


 あ、そうだ。


 彼女は本のことを僕に聞いていた。


 僕は勢いよく立ち上がり、本棚の前に立って読みやすい本を何冊か選んでいると、女性が喧嘩しているような声が廊下から聞こえた。


「博美様もおっしゃっていたではありませんか。ロドリック様が博美様の部屋にいらっしゃったときに様子がおかしいと」


「そうだけど……」


 顔をのぞかせると、黒い服のメイドさんと青い服のメイドさんが、こちらに向かって歩きながら話している様子が見えた。


 何やら揉めているようだ。


 僕は身体が強張った。お仕置きだろうか――。


 何か失敗をしてしまったのだろうか。


 あれ……?


 もしかして、彼女は……?


 よく見れば、黒いワンピースを着ている人は昨日の彼女だった。


 こんなに早く、彼女と会えて嬉しい。けれど、どうしてメイドの格好をしているのだろう……?


「博美様、こんなことって何ですか!」


 青いワンピース姿のメイドの人が、彼女のことを博美様と呼ぶ。


 博美様……、それが彼女の名前らしい。


 素敵な名前だ。


 それに黒のワンピース姿も、よく似合っている。


 長い髪を下ろしているときも似合っていたけれど、あのようにセットした髪型も、とても愛らしくてカワイイ。

 博美様は、どのような服装でも似合うだろう。整った顔だから、ドレスにも負けないぐらい華やかで美しいだろうな。

 真っ白なドレスなら、凛と美しい、ひときわ輝くお姿になるだろう。


 僕は、ぶんぶんと首を振る。


 ぼうっとしている場合じゃない。


 そうだ、どうして博美様まで、メイドの格好をしているのだろう。


 僕は気になったが、二人が何やら言い争いをしていて、聞けるような状況でもなかった。


「もし毒入りパンを召し上がっていたら、今頃、博美様は倒れられていたのですよ……。いいえ、お命さえ危なかったのです」


 えっ、毒? 


 僕はぎょっとして、目の前に来た博美様を見たが、優しく微笑み返してくれた。


「ごめんね、魔獣さん。こんなに朝早くから押し掛けちゃって。エミリーって心配性で、魔獣さんにどこか異常がないか魔法陣で見てもらった方がいいって言うの」


「魔獣さん、まずは博美様をお願いしますね。その後、証拠の毒入りの食事をお持ちするのでそちらを次に見てください。食事に毒が入っていたら、証拠となり、ロドリック様を問い詰めることができましょう」


 そう言ったエミリーさんというメイドは、足早に来た道を戻って行った。


 博美様は下を向いたまま、毒のことを何も言わない。

 僕は、心配で彼女の身体に毒が入っているか見てみた。


 うん、大丈夫。


 毒は見当たらない。

 でも、僕は、どうしようかと思っていた。


 彼女がなんだか、すごく辛そうな表情をしているからだ。


 そっと尋ねることにした。


「どうされたのですか?」


「実は、今朝の食事に……」


 彼女はそう言って顔を上げた。


 涙でその目が滲んでいる。


「ごめんね、ちょっとこうしていいかな」


 突然、僕に抱き着いてきた。


 ドキドキ、バクバク――。


 僕の心臓が苦しいぐらい速まっている。


 でも、博美様が僕の胸で泣いているのがわかった。


 胸が苦しくなって、切なくなる。


 どうしたらいい? 僕に出来ることはない?


 そんな思いで、僕は彼女の頭にそっと触れた。


 彼女のぬくもりが伝わってくる。


 胸の中で、彼女が話してくれた。


「あのね……」


 彼女の話を聞いて、悲しくなった。


 同時に怒りも湧いてくる。


 どうして彼女をそんなつらい目に合わせるんだ。


「聞いてもらって、ありがとうございました」


 彼女が顔を上げた。


「いえ、僕で良ければ、なにか出来ることがあれば」


 心から僕は彼女に言った。けれど、彼女の頬は紅潮し、目が潤んでいるのを見ると、彼女のオデコにキスしたくなって、その顔に手を伸ばしかけた。


 ダメだ!


 いったい、こんなときに僕は何を考えているんだ。しかもこんな姿の僕なのに……。


 でも、どうしても、彼女に触れたくて……、ぐっと我慢していると、もぞもぞと彼女の方が僕の腕を触っていた。


 ん?


 腕をひっぱられ、丸椅子に座らされる。


 正面に立った博美様は、僕の手を持って、自分の頬に押しやった。手の甲に生えた僕の獣毛を自分の頬に摺らせるように、スリスリしている。


 すごく気持ちよさそうな顔をしているから、このままでいいのかな?

 でも、一応、声をかけていた方が……。


「ええっと」


 声を掛けたけれど、博美様には僕の声が届いていないようだった。


 そのうち、なんだか頭まで触られて、僕はされるがままだった。


「魔獣さん、いったいその頭はどうなされたのですか?」


 声のする廊下へ視線を向けたら、エミリーさんが、驚いた表情で僕たちを見ていた。


 ハッとしたような表情で博美様が言う。


「いや、これは、ちょっとね。何もないよね、魔獣さん」


 そう言いながらこちらを見る博美様の眼力が強くて、僕は思わずウンウンと頷いた。

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