第17話 心の整理です

「どうしてパンに毒が……」


「博美様、今から魔獣さんのところへ行きますよ」


「え? どうして急に魔獣さんのとこへ?」


「博美様のお身体に異常がないか、魔獣さんに見ていただくためです」


「いや、ちょっとまって」


 博美の言葉など聞こえないかのように、エミリーは黙々とテーブルの上に並べられた食事をまたワゴンへ戻す作業をする。


「わたしの身体は大丈夫だって。毒入りパンは食べてないんだから」


「いいえ、ダメです。先に口にしたスープがあるのですから」


「スープにはあの禍々まがまが々しい色は見えてなかったし、飲んだときも問題なかったから」


 目で追うスープ皿をエミリーは、それもワゴンへ戻してしまった。


「万が一のことがございます。スープに入っていた毒が、パンよりも遅い、遅延型の毒だったらどうします?」


 エミリーの言っていることは正しい。

 でも、なぜだか、気持ちがついていかない。


「魔獣さんのところへは、もう少し後でもいいでしょ」


 心の整理をつけてから魔獣のところへ行きたかった。

 エミリーが何か言いたいような表情をしていたが、博美は部屋にあるドレッサーへ向かった。


「ちょっと髪の毛を整えてからね。魔獣さんを驚かせようと思うの。このメイドの格好で、髪型も変えたら、わたしってわからないでしょ」


 ドレッサーの前に座って、鏡を見ながら髪を束ねる。ドレッサーの上にあるヘアゴムとヘアピンをつかって、掴んだ髪を上で巻き付けようとするが出来ない。


 手が震えて出来ないのだった。


 平気だ、大丈夫だ、と自分に言い聞かせるようにしているが、自分の食事に毒が入っていたことで博美は動揺していた。


「私がいたします。博美様」


 そんな博美の様子を察したように、エミリーが声を掛けてきた。


「うん……。これまで仕事ばかりで、わたし、髪型なんて気にしたことないから、女性らしい恰好や髪型とか詳しくないの。これからは、いろいろとやっていかないとね。だって髪のアレンジなんて大学を卒業してからしていなかったから」


 一方的に博美はペラペラとエミリーに話しかけていた。そうしていないと、落ち着かなかったからだ。


 さきほど口にしてしまった水やスープにも毒が混入されていたかもしれない。いつ効果が現れるか……。本当なら、すぐにでも魔獣のところへ駆け込み、見てもらいたかった。でも、どうしても魔獣にそのことを知られるのが嫌だった。


 命を狙われている――。そんなことを魔獣に伝えたら、彼がすごく心配するような気がしたからだ。そんな心配する彼に、どう声をかけていいのか、分からなかった。


 いつものように、強気のわたしはどこへ行ったのだろう。


 そんな思いで博美はいつしか口を閉じ、エミリーから髪のセットを受けながら鏡の前で、じっと自分の姿を見つめながら、頭では魔獣のことばかりを考えていた。エミリーの方も、黙って、手を動かしている。


 髪のセットが終わると、鏡越しに、エミリーが聞いてきた。


「これでどうでしょうか」


 エミリーが黒のワンピースの上にかけていた白いケープを外した。


 フィンガーウェーブのレトロな髪型は、少しキツイ博美の顔つきに似合っていた。黒いワンピースにも上品で可愛らしく映る。


「すごく素敵」


「気に入っていただき、ありがとうございます」


「ありがとうね、エミリー」


「どういたしまして」


 エミリーの表情から地下へ行く覚悟ができたでしょうと言われているようだった。

 案の定、エミリーがそのことを口にした。


「それでは、魔獣さんのところへ行きましょうか」


「ええっと、でも身体は大丈夫だから……」


 博美は立ち上がると、自分の身体が何ともないというように、クルリと回ってみせた。


「ね、大丈夫でしょう」


「いいえ、ダメです。そして、この食事も調べてもらいます。さあ、行きますよ、博美様」


 ワゴンを押して廊下に出たエミリーに、ため息をついた博美は追いかけるように後を追った。


 そうして、地下の階段前でエミリーが言う。


「博美様は先に魔獣さんの部屋へ向かってください。私はこれらの物を魔獣さんの部屋へお持ちしますので」


「その料理を下に運ぶんでしょ。一緒に手伝うから」


「いいえ。私一人で、大丈夫ですから、先にどうぞ」


「二人だったら、このワゴンのまま、階段を持って降りられそうでしょ」


「もしかして博美様、一人で魔獣さんのところへ行くのが嫌なのですか」


「もういいじゃない。魔獣さんのところへ行かなくても」


 博美はこの件をうやむやにしたかった。


「まだそんなことをおっしゃっているのですか。では、こうしましょう。魔獣さんの部屋に一緒に行きましょう」


 ワゴンをそのままにして、エミリーが博美の後ろに立つ。


「足元を付けて下さいね」と、急かすように言う。


「ええっ!? あ、はい……」


 そうして、しぶしぶ、博美は階段を降りて行った。


 地下に付いた途端、エミリーはサッと視線を走らせて、誰もいないとわかると、あの話題に触れた。


「博美様、あれは絶対にロドリック様の仕業ですね」


 歩き始めた博美の後ろでエミリーが言う。


 そうよね、やっぱり避けられない話題よね……。


「そうかな……」


 誤魔化すように博美は言った。


「博美様もおっしゃっていたではありませんか。ロドリック様が博美様の部屋にいらっしゃったときに様子がおかしいと」


「そうだけど……」


「博美様、きちんと明らかにするべきです」


「でもね、エミリー、こんなことぐらいで魔獣さんの部屋に押し掛けるなんて」


「博美様、こんなことって何ですか!」


 怒っているエミリーの声に反応するように、魔獣がこちらを見ているのが見えた。


「もし毒入りパンを召し上がっていたら、今頃、博美様は倒れられていたのですよ……。いいえ、お命さえ危なかったのですよ!」


 エミリーが毒入りだ、なんだと、後ろから言ってくる。


 魔獣がすごく驚いた顔になっている。


 ああ、聞かれちゃった……。


 そうして魔獣の部屋に付いた。


「ごめんね、魔獣さん。エミリーが心配性で、魔獣さんにどこか異常がないか魔法陣で見てもらった方がいいって言うの」


「魔獣さん、まずは博美様をお願いしますね。その後、証拠の毒入りの食事をお持ちするのでそちらを次に見てください。食事に毒が入っていたら、証拠となり、ロドリック様を問い詰めることができましょう」


 そうしてエミリーはワゴンを取りに、また廊下へ出て行った。


 正しいと思ったことに一直線に行動を起こせる彼女は正しい……。


 しかし、そのエミリーの行動に、気持ちが付いていかないのが今の博美だった。


 わたしは殺されかけた……。


 向こうの世界でも交差点で背中を押され、こちらでも毒を食事に入れられた。


 いったい、わたしの何が悪かったのか――。


 今はそんな思いの方が大きくなっていた。


 ううん、わたしは悪くない。


 殺されるようなことなどしていない。


 本当に……? 自分の判断が正しい、それを実行し、達成することだけが目的で、そこに周りの人の気持ちを汲んでいたのだろうか。


 そんな気持ちのせめぎ合いだった。


 だから、えてそのことに触れない様に、博美は考えないようにしたかった。


 そんな博美に、優しく魔獣は声をかけた。


「どうされたのですか?」


「実は、今朝の食事に……」


 上の部屋にいたときは、心配する魔獣にどう対処すればいいか考えていた。


 だが、実際に彼の顔をみると、涙がこぼれそうだ。


「ごめんね、ちょっとこうしていいかな」


 博美は魔獣に抱き着いた。


 最初は驚いた様子の魔獣だったが、博美を受け入れるように優しく包み込んだ。


 あたたかい。ほっとする。


 魔獣が優しく博美の髪の毛をなでてくれている。


 自然と涙が滲む。


「あのね……」


 博美は抱き着いたまま、毒の入った食事、元の世界であったことを魔獣に聞いてもらった。


 話し終えると、博美は心が落ち着ついた。


 うん、魔獣さんに聞いてもらったおかげだ――。


 こんな穏やかな気持ちにさせてもらったのだから、お礼を言わないといけない。


「聞いてもらって、ありがとうございました」


 博美は、顔をあげた。


「いえ、僕で良ければ、なにか出来ることがあれば」


 優しい笑顔で魔獣は言った。


 彼の前で平気なフリして、カッコつけるつもりだったが、こうして甘えてしまった。


 けれど、甘えついでに、こうして目の前にいるのだから、もうちょっとぐらい触ってもいいよね。


 もふもふ、もふもふ。


 博美の手が自然と伸び、魔獣の腕をなでるように触り、そして彼の腕を引っ張り、丸椅子に座らせていた。


 ああ、なんて触り心地がいいの。


 この肌ざわり、いい匂い。


 魔獣の手を自分の頬でスリスリしながら、思っていた。


 モフモフの腕の中で、もう一度抱きしめられたい。顔をうずめたい。


「ええっと」


 戸惑ったように魔獣が博美を見上げる。


 ピンっと立った耳がピクピク動いているのが、可愛すぎる。

 

 その耳をハムハムと甘噛みしたい。

 

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