第42話 悪魔の囁きです

 博美が夕陽の差し込む部屋に戻ると、エミリーがお茶を用意して待っていた。


「ただいま」

「博美様、お疲れさまでした」


 エミリーが椅子を引き、博美に聞いてくる。


「ガンディさんとショーンさんの契約は無事に終わりましたか」


「うん、ばっちり。ショーンさんも興奮していたよ。拡張収納機能がついた鞄が手に入るんだもの」


 席に着いた博美は温かいお茶を飲みながらお菓子に手を伸ばし、あの晩のことを思い出していた。


 ガンディから受け取った鞄には拡張収納機能がついていた。驚いた博美はお菓子の紙袋を出したり入れたり、繰り返していた。その光景を思い出したのか、エミリーもクスクス笑う。


「あのときの博美様の驚いた顔が」


「素敵なバックだと思って、何の気なしにお菓子の袋を入れてみると、いくらでも入って、自分の思い通りに出せるんだもの。びっくりした。前にエミリーが教えてくれたじゃない。拡張済みのコインポーチのことを。でもガンディさんの鞄なら、お金だけじゃくて、なんでも自由に取り出せるし、中で入れ替えも出来るんだもの。すごい鞄よね。不思議なのが、どうしてあのバッグがこれまで売れなかったんだろう。あれほど熱心にガンディさんが売りに回っていたのに」


 率直な疑問を博美は口にしていた。


「ガンディさんは収納機能が付いていることを相手に説明されなかったのではありませんか」


 その言葉に、博美はピンときた。


 博美へ鞄を渡す際にもガンディは拡張機能のことを話さなかった。思うに、それはドワーフ族では、鞄に拡張機能が付いているのは当たり前のことなのだろう。そのためわざわざ相手に説明しなくてもわかるだろうとガンディは考えていた。業界内の常識みたいなことはよくあることだ。博美も、向こうの世界でコンサルタント契約の際には相手に丁寧に説明することから始めていた。こちらが当然と思っていることが、相手が知っているとは限らないからだ。


「種族によって違う感覚ってところだね」


「なんだか楽しそうですね、博美様」


「新しい発見がどんどん出てくるからね。それに今日は、契約の場に立ち会ってガンディさんとショーンさんの喜ぶ顔を見られたから」


 契約の際、ガンディは本当にあれほど高く鞄が売れるとは信じていなかったようで、ショーンさんから渡された大金と、商人ギルド発行の小切手を見たときは目を丸くしていた。


「ガンディさんの村では引き続き拡張収納バックを作られるのですか」


 まだまだ需要があるのだから当然のエミリーの質問だ。だが博美は首を振る。


「ううん、ガンディさんの村ではもう鞄は作らないって。ショーンさんから受け取ったお金で十分、村の再建も出来るらしく、お釣りがくるぐらいだって。村の工房が元に戻ったら、また武具を作るみたい。わたしもそれがいいと思う」


 コンサルタントとしていろんな中小企業を見てきた博美には、お金儲けも大事だが、やはり長年続けてきた技術などは継承されるべきだと思っていたからだ。


「明日は、博美さんの番ですね」


 エミリーの言葉に博美は感慨深いものがあった。

 長かったような、短かったような、そして今にして思えば、あっという間だった。


「あのことを魔獣さんにお話をしなくていいのですか」


 エミリーが聞いてきた。


「魔獣さんには明日、驚いてもらいたいから、サプライズ。今日は、ありがとうね。お菓子を魔獣さんの部屋に持って行ってもらって。どうだった、魔獣さん元気にしていた?」


「それが」


 沈んだ顔をするエミリーに博美は問いただす。


「どうしたの、魔獣さんに何かあったの? 謹慎処分だけで、これといった罰はなかったんでしょ」


「それが……、ここ数日、魔獣さんは何も食べていらっしゃらないみたいで随分痩せてられました。地下へ向かう階段や魔獣さんの部屋の前には兵士がいたので、誰も残飯すら届けなかったようです」


「ひどい……」


 博美は愕然とした。


 誰も魔獣さんのことを気にかけていないの?

 信じられない。


 そんな怒りを滲ませて席に座っている博美の背後に、エミリーがスッと忍び寄る。そして爛々と赤い目を輝かせながら腰を曲げ、博美の耳元で囁いた。


「博美様、ひどいですよね、許せませんよね。彼らは魔獣さんを地下に閉じ込めただけではく、食べ物さえ与えていなかったのですよ。彼らは本当に明日、魔獣さんを自由にするつもりがあるのでしょうか」


 エミリーの言葉に、博美は昨日の出来事を思い浮かべる。


 博美の部屋に、慰謝料のお金の準備が出来たと宰相が言いに来た。その際、用意した慰謝料で魔獣を引き取るつもりはないかと、話を持ち掛けられていたのだ。


「博美様、彼らはまた嘘をつくつもりですよ。博美様に毒入りパンを食べさせようとしたときのように、約束など守りませんよ。これまでの彼らの行動を見ているとわかりますよね。彼らは悪辣で反省もしない人間なのですから」


 博美は座ったまま、エミリーの話を聞いていた。


「やはり彼らには罰を与えないといけません。博美様なら大丈夫です。正義のため、この世界の平和のために、そのお力を使うのです。今しなければ手遅れになりますよ。そのお力で彼ら全員を呪い、天罰を与えましょう!」


 ガタンっと席を立った博美。その後ろではエミリーが耳まで裂けた赤い口で、仕上げとばかりに言葉を続ける。


「そうすれば魔獣さんも自由になります。もうこの屋敷に縛られることもないのですから、博美様も魔獣さんと幸せになれます。今から王子の部屋へ行かれるのですね。お覚悟ができたようでエミリーは嬉しく思います」


 そういったエミリーが赤い目を爛々と輝かせ、満足げに耳まで裂けた口で笑みを浮かべていた。


 だが、博美が言う。


「今から行くのは王子の部屋じゃない」

「へ?」


 素っ頓狂な声でエミリーが聞き返した直後、博美はガンディから貰った鞄を手に取り、振り返った。


「今から外の庭へ行くの」


 慌てて耳まで裂けた口元を隠したエミリーが聞き返す。


「お庭へ?」


「そう。石ころをたくさん集めるの。これぐらいの」


 博美が手のひらで指を使って、石のサイズをエミリーに見せた。


 それを見たエミリーがしばらく黙りこくる。そして何かに気づいたように笑いだした。


「ハハハハハ! あなたはいつも私の予想を上回る。わかりました。私もお手伝いをいたしましょう」


 嬉しそうにエミリーが言うと、博美がうなずいた。


「お願いね。この前、エミリーがいないときに、屋敷の広い庭園を探索したでしょ。そのときに、いいサイズの石ころがある場所を見つけたから」


「最後の仕上げに私もご一緒いたします。あなたの方法で、彼らをぎゃふんと言わせましょう」


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