第30話 フェンリルです(前編)

 

 エミリーが驚いた顔で、博美に尋ねる。


「では、誰もいない地下のお部屋で、魔法陣からサイモンと魔獣さんのやり取りが見えたということですか」


「うん、立体的な映像が浮かび上がって、声まで聞こえたからびっくりした」


「サイモンと魔獣さんは、どのようなお話をされていたのですか」


「ええっと、呪いとかなんとか……、そうそう。カルロスって人が、屋敷にやって来たドワーフの人が持っているカバンを取り上げた。そうしたら銀色の狼に噛まれたって。それが呪いになったとか、そんな感じだったかな」


 博美は覚えていることを全部エミリーに話した。すると、エミリーが腕を組み、難しい顔をする。


「呪い……、ですか。それに銀色の狼……。もしかするとフェンリルかもしれません」


「フェンリル?」


「はい。伝説の魔物フェンリル。ですが、ドワーフと一緒にいたとしたら、まだ大人になる前の幼獣かもしれません。しかし、今回のことで暴走しなければいいのですが……」


 エミリーが何かを振り払うように首を振る。


「あれこれ無用な心配をしても仕方がありませんので」


 そして博美に視線を向けたときには笑顔になっていた。


「博美様、街へ行ってみませんか? 魔獣さんはしばらく屋敷の外には出られないようなので、私が街を案内します」


 エミリーの申し出に感謝の気持ちはあったが、内心複雑な思いもあった。


 魔獣さんと先に約束していたのに、エミリーと一緒に街へ行くなんて……。後ろめたい気持ちもあるけれど、数日魔獣さんと会えないだけでこんなに寂しくなるなんて。


 会いたい……、会いたいな……。


 それにサイモンから助けてくれたお礼もまだ魔獣さんに言ってないし……。


「あ、そうだ! ねぇ、街でおいしい物を買ってきて、魔獣さんに差し入れするのもいいよね」


「それはいい考えですね。魔獣さんもお喜びになると思いますよ」


***


 二日後、ハロルド王子の屋敷の前に、立派な馬車が用意された。


 御者の人のエスコートによって博美が馬車に乗り込んだ。


 博美とエミリーが席に着くと、馬車が動き出す。


「昨日は、お休みをいただき申し訳ございませんでした」


 前の席のエミリーが謝った。


「全然気にしなくていいから。昨日は、ゆっくり屋敷の庭園を散歩したりして気分転換にもなったから。それにしても、よくこんな立派な馬車を借りられたね。てっきり、屋敷から街まで歩いて行くのかと思っていた」


 博美が革張りの立派な内装を見ながら言うと、エミリーも同意した。


「はい、わたくしもそのつもりでした。少し距離はございますが街まで徒歩で行けますので。なので今朝、博美様と街に出かけるとロドリック様にお話ししたところ、屋敷の馬車を是非とも使ってほしいとご用意してくださいました」


 その話を聞いて、博美は昨日のことを思い出していた。エミリーが不在だったので、博美は一人で広い庭園を散歩していた。そのとき黒の立派な馬車が何台もやってきて、屋敷の表玄関に停まると貴族風の威厳のある男性たちがぞろぞろと屋敷の中に緊張した面持ちで入って行ったのだ。そのことを言うとエミリーが教えてくれた。


「それはグリアティ家の一族だと思います。サイモンとカルロスのことで謝罪に来られたらしいですから。その後、あの兄弟も牢屋から出され、グリアティ家が引き取り、この国を出て行くことが決まったと聞いております」


「そうなんだ」


 グリアティ家との話し合いは無事に終わったってことだ。


 っということはグリアティ家から慰謝料などをガッポリもらって王子や宰相もご機嫌なのだろう。だから、この馬車を貸し出してくれたのだ。そう博美は思っていた。


 そんなことを考えている間に、街の外の広場のようなところで馬車が停まる。

 従者の手を借り、二人は降りた。


「うわぁ、カワイイ」


 博美が街の入り口で感嘆の声を上げた。

 ヨーロッパ風のレンガ造りの家や白い壁の家がならび、まるで絵本の世界のように可愛らしい。


「素敵な街だね」


「最近ではこの景観を気に入り観光客が増えているらしいです。小さな街ですがハロルド王子がこちらで住むようになり、名産品のワインが注目を浴びて、商人の口コミが各地へ広まっていることがきっかけだったと聞いております」


「商人?」


「あの人が、そうですね」


 エミリーが視線を向ける先には、特徴的な白い服装の男性がいた。白の丸い帽子にひざ下まで丈があるゆったりとした白いズボン、背中には箪笥のような行商用つづらを背負っている。


「大荷物だね」


「商人たちは、街から街へ移動しながら商売をしています。しかし最近では、この街のワインが王都で人気らしいので、仕入れに来たのかもしれませんね」


「え? ここって王都じゃないの?」


 思わず博美は聞き返した。てっきり、ここが王都とばかり思っていたからだ。


「もしかして博美様は、ここが王都だとずっと思われていたのですか」


 今度は驚いた表情でエミリーが聞き返す。博美がここを王都だと勘違いしていることに、今、知ったという感じだった。


「うん……、だってハロルド王子がいるから、てっきりここが王都だと思っていた。それに宰相も」


 そのことをエミリーに尋ねようとしたときだ、突然「キャー」っという叫び声が聞こえた。

 

 振り返ると、街の人たちがこちらに向かって走って来ていた。


 すれ違いざまに言われた。


「あんたたちも街の外へ逃げろ」

 

 皆、顔色を変えて必死の形相で、さきほど博美たちが入って来た街の門に向かって逃げていく。


「博美様、わたくしたちも一旦、街の外へ」


 エミリーの声と重なるように、

「おかあさぁん」

 と女の子の泣き声が博美の耳に聞こえてきた。


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