第40話 エミリーの正体(前編)【魔獣ジュリアス視点6】

 王子の部屋で事件を起こした翌日、ロドリックさんが兵士の人を引き連れて僕の部屋にやってきた。


「ハロルド王子の寛大なお心で、お前は地下から出られないだけの謹慎処分となった。ハロルド王子に感謝するように」


「ありがとうございます」


「そしてあの人とも会わない様にと伝言を預かった」


 あの人……、博美さんの事だ。


「わかりました」


 そうしてロドリックさんは、僕の部屋の外に見張りの兵士を置いて出て行った。


 博美さんと会えない日が続いた。


 そんなある日、ノックの音がした。


 コンコン――。


「はい」


「失礼します。魔獣さん」


 エミリーさんが入って来た。


 あれ? 扉の前には兵士の人がいたはずだけど……。


 そんな僕の表情を読んだ様に、エミリーさんが言う。


「見張りの兵ですか? 向こうの廊下で寝ていらっしゃいますよ」


「はあ……、そうですか」


「博美様から差し入れを預かってきました。街で買ってきたクッキーです」


「ありがとうございます。博美さんにもお礼をお伝えください」


「かしこまりました」


 ロドリックさんから謹慎中と言われ、上に行かない様に言われた。けれど、これまでと同じ生活だ。ただ違うのは、あの日以来、誰も部屋に来なくなって残飯を届ける人も来なくなったことだ。まともに食べ物を口にしていない僕からすれば、食べ物をいただいて本当にありがたかった。


 博美さんに持って来てもらいたかった……、なんて思ったら罰当たりかな。


 博美さんは、どうしているのだろう。

 元気かな。そんなことを毎日思っていた。


 僕は思い切って博美さんのことを聞いてみた。


「博美さんはお変わりございませんか?」


「それが……。本当ならば、博美様ご自身が来られたかったのでしょうが……」


「え?」


 僕の胸の鼓動が速くなる。


「博美さんに何かあったのですか?」


「先日、博美様と街で買い物に出かけましたら、フェンリルが現れまして」


「フェンリル……、もしかしてドワーフ族と一緒にいた狼ですか? カルロスさんの足を噛んだ狼が、暴走して魔物に覚醒してしまったのですね。博美さんは無事ですよね、何もなかったのですよね」


 僕は身を乗り出して聞いた。


「ええ、ご無事ですよ。私が申しているのは危険な魔物となったフェンリルがいたにも関わらず、私のことを心配して戻って来られたお優しい博美様が今日はここへ来られない理由です。ドワーフ族のガンディさんの鞄を売るために、今日はショーンさんとの契約に博美様も立ち会っているということです」


 ドワーフ族のガンディさん? ショーンさんとの契約?


 ええっと、カルロスさんを噛んだフェンリルはどうなったのだろう?


 僕の頭の中は情報過多で何が何やらわからなかった。


「あの、博美様は大丈夫だったのですよね」


 とにかく博美様のことが心配だった。


「ええ、もちろん、ケガひとつありませんからご心配なく」


 よかった。


 そんな僕にエミリーさんがこれまでの経緯を教えてくれた。


 街に現れたフェンリルの暴走は食い止められ、そのお礼にドワーフ族のガンディさんからカバンをいただいた博美さん。聞けばガンディさんの村では大雨で工房が流されてしまい、武具がつくれなくなった。村の再建に何か力になれないかと博美様が思っていたところ、翌日、商人のショーンさんがハロルド王子の屋敷に博美さんを訪ねてきた。フェンリルの暴走で博美さんと別れたままだったショーンさんは、博美さんの無事を確かめるためにこの屋敷に来たそうだ。そこで博美さんは、村の再建のためにドワーフ族の人が売っているカバンを買い取ってくれないかとショーンさんに話を持ち掛けた。そうして博美さんが契約書のたたき台をつくり、今日は博美さんがショーンさんとガンディさんとの取引に立ち会うとのことだった。


「ですから、博美様はどうしても今日は外せないため、私が魔獣さんに差し入れのお菓子をお持ちしたのでございます」


「それはわざわざ、ありがとうございました」


 本当によかった。博美さんも無事で、そして心優しい博美さんはドワーフ族の村のために、契約にも立ち会っている。

 それを聞いた僕は、博美さんから元気をもらったように嬉しくなった。


「魔獣さんも思いませんか? 本来ならば聖女には博美様のようなお方が相応しいのではないかと」


「え?」


「これまで博美様のお傍にいましたが、知れば知るほど自分のものにしたいぐらいと思うほど魅力的な人です」


 言いながら、エミリーさんの様子がどこかおかしい。薄かった赤い瞳がどんどんと血のような赤色になり、声の調子もなんだか低くなって、僕をじろりと見る。


「ハロルド王子が博美さんの魅力に気づけば絶対に手放さないでしょう。ここで閉じ込められているあなたのように。第二夫人、いや、第一夫人として博美様を迎えることになるでしょうね」


「ハロルド王子と博美さんが……」


 僕は胸の奥が苦しくなった。


「お二人が結婚するとなった日には魔獣さんはどうします?」


 低い声でエミリーさんが先を促すように聞いてくる。


「マユ様が聖女と決まったのですから、そのような話をしても……」


「そうですね、聖女様はマユ様に決まった。本来は博美様がなられるべきでしょうが。まあ、ハロルド王子がそう決められたのですからしょうがありませんよね。そういうわけで、明日、博美様はお金を貰ってこの屋敷を出て行かれるでしょう」


「明日!?」


 急なことに僕は頭が真っ白になる。

 だが、当然のことだ。

 

 彼女はいつまでもこの屋敷に縛られている理由はない。

 僕のように……。


「ロドリック様が明日お金を用意すると、博美様に伝えたようです。まあ当然のことですよね。勝手にこちらの世界に召喚され、聖女じゃないから屋敷から追い出されるなんて、ひどい話ですよ。お金ぐらいきっちりいただかないと……、ねぇ、魔獣さん」


「そうですね……」


「元の世界にも戻れない。博美様お可哀想に」


「……」


「でも、致し方ございません。博美様もこちらの世界で生きていく、そんな覚悟をもって、前向きにこの世界で馴染もうとされているのですから。魔獣さんは、博美さんが出て行ったら、どうされますか?」


 探るような赤い瞳でエミリーさんが僕を見てきた。


「僕には関係ありません。僕は一生この地下から出られることはないのですから」


「ですね……、失礼しました」


 そう言いながら、エミリーさんは何か言いたげな顔で僕を見る。


 博美さんを召喚した僕を責めに来たのだろうか。


 そうだ、僕が彼女を召喚した。


 責められる理由もある。


 そんなときだ、エミリーさんから、魔法の力をぐんぐんと感じる。


 その力が徐々に強まっていって……。


「じゃ、俺がいただいてもいいんだ」


 エミリーさんの声が男性の声に変わった。


「あなたは……」


「俺?」


 僕は最初からエミリーさんに違和感を持っていた。


 もしかして変化の魔法を使っているのじゃないかと疑ったときもあった。


 けれど、自分の姿をずっと変化し続け、保ち続けるには相当の魔力が必要だ。そんな芸当が出来るのは、特別な才能や特殊な訓練を受けた人じゃないと無理なはず。僕は、これまでそんな人と出会ったことも無く、そのようなことを軽々しく口にすること出来なかった。


 だって普通の人間じゃ無理だから。


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