第15話 毒入りパンです(前編)

 博美はカーテンを開け、窓を開けた。


 爽やかな風に乗って、快適な朝を感じていた。


「カラっと晴れてよかった。街へ出かけるのに、いい天気」


 そう言いながら、うーんっと、両手を伸ばしていると、コンコンコン――。

 ノックの音がした。


「はい」


 博美が返事をすると、外から女性の声がした。


「おはようございます。エミリーです。お着替えの服をご用意いたしました」


「どうぞ」


「失礼いたします」


 青いワンピース姿のエミリーが扉を開けて入ってくる。


 昨夜、魔獣の部屋から戻ってくると、博美の部屋に艶のある赤い髪を後ろで一つにくくり、そばかすが印象的な女性だがいた。身の回りの担当となったメイドで、エミリーと名乗った。そうして博美が部屋でお酒を誘って、エミリーとはすぐに打ち解けた。


 お互い、明け透けな物言いの良く似た性格だとわかり、気が合った。そのときに教えてもらったのが、この屋敷のことだった。黒いワンピース姿のメイドは屋敷の三階で王族の身の回りをしている使用人で、青いワンピース姿のメイドは来客や他の雑用を兼任しているらしい。


 そして今、エミリーが手に持っているのは、昨夜、博美が頼んでいた黒いワンピースと黒のローファの靴だ。


「ありがとう、エミリー」


「いいえ。ロドリック様から魔獣さんの外出の許可もいただきましたので」


 エミリーは、このように頼んだ仕事は間違いなくこなす、有能なメイドらしい。


 これまで博美はアシスタントを使わず、一人で仕事を進めることが多かった。人に頼むことが苦手だったし、何より情報が漏れることを気にしていた。それはコンサルタントとして、周りに隙を見せず、足をひっぱられないように仕事をしてきたからだった。

 女という理由だけで、マイナスからのスタートだった。そんな男たちを見返すため、舐められない様に、身を守るようにパンツスーツとヒールを履き、男たちのなかで負けじと張り合ってきた。

 だが、この世界では、そのような鎧など必要なかった。そもそも、自分はこの世界のことを教えてもらわないと生きて行けない立場なのだ。だからこそ、魔獣やエミリーの前では、素直に、この世界のことを教えてもらっているうちに、心の鎧までなくなったような、すっきりした気分だった。


 誰かを頼り、頼むことで心に余裕も出来たように感じていた。


「仕事が確かだね、エミリーは」


「お褒めいただき、ありがとうございます。今から博美様のお着替えを手伝いますね」


 そう言いながらエミリーは、黒いワンピースを広げて、博美の着替えを手伝う。


「しかし、珍しいですよ。博美様」


「珍しいって、何が?」


 頭からワンピースを被り、顔を出してエミリーに聞き返した。


「クローゼットには、あのような豪華なドレスがありますのに、どうして、このようなメイドの格好を?」


「ドレスねぇ……。だって、街へ行くのにドレスじゃ動きにくいでしょ」


「そうですが、それを我慢するのも淑女の務めではありませんか」


「淑女? わたしが?」


「そうですね、博美様ですもの」


「いやいや、ちょっと、エミリー、それどういう意味よ?」


「昨日の夕食のマナーは、それはもう、大変ひどいものと聞いております」


 エミリーが信じられないというような顔で首を振った。


「ああ、アレね。うん、あれは自分でもヒドいと思う」


 笑いながら応えた博美は、黒のワンピースの背中のファスナーをエミリーに閉じてもらった。


「博美様、とてもお似合いでございます」


「ありがとう」


 直後、ノックの音がした。


「はい」


 博美が声をあげると、扉の向こうから声がした。


「朝食をお持ちしました」


 博美が頷くと、エミリーが扉を開く。


 エプロン姿のメイドがワゴンを部屋に運び込む。


 それを見たエミリーが、ワゴンを押すメイドに尋ねた。


「朝食は、食堂ではなかったのですか?」


「あ、あの……、それが」


 メイドが言葉に窮していると、後ろから宰相が現れた。


「おはようございます」


 ニコニコと人の良さそうな笑顔をつくる宰相に、博美も満面の笑みで応える。


「おはようございます。こちらのワンピースと靴をお貸しくださり、ありがとうございました」


「いえ、構いません。さっそくですが、朝食のことでお話が」


「はい」


「実は、昨夜遅く、王子が体調を崩しまして、本来なら朝食も皆でご一緒するの予定でしたが、誠に申し訳ございません。このような事情ですから、お客様にも、こうしてお部屋にて食事をお願いすることになりました」


「わかりました。王子様にお大事にと、お伝えください。……あ、そうだ! 後ほど、お見舞いに伺いましょうか。たしか三階が……」


 博美の言葉に、焦ったように宰相が慌てて手を振った。


「いえ、いえ、そのようなお気遣いは結構でございます。ハロルド王子は、今日一日、安静にしているだけでいいと、薬師が申しておりますので、ご心配には及びません。そういうことですので……。ええっと、そうだ。わたくし、急用を思い出しました。これにて、失礼いたします」


 宰相がそそくさと逃げるように出て行こうとする背に、博美が声をかける。


「あの」


「えっ!? は、はい!」


 びくりと肩を震わせ、宰相が振り返った。


「エミリーさんからお聞きになられていると思いますが、今日は魔獣さんと街へ出かけようと思っています」


「ああ……、はい、はい。それはもう承知しております。王子の許可も出ておりますので、屋敷の外へ魔獣が出ても問題ございません」


「ありがとうございます。そちらでご用意されたものをいただきましたら、すぐにこの屋敷からおいとまさせていただきます。そうなりましたら、こちらとも縁が切れ、世間一般のことを知っておかなくては思い、魔獣さんに街での買い物や一般常識を教えてもらうことにしましたので」


「それはよろしいことでございます。こちらもお渡しするモノをただいま準備しておりますので、もうしばらくお待ちください。そうそう、忘れていました。まずは一部ですが、こちらをお持ちください」


 宰相はポケットから、小さな布袋を出すと、博美に手渡した。


「お買い物されるのに、必要でしょうから」


 貨幣が入っているようだ。


「ありがとうございます」


「それでは朝食をごゆっくりお楽しみください」


 そう言い残し宰相は出て行った。エプロン姿のメイドは白い手ぶくろをすると、ワゴンからテーブルに料理を移動させる。


 テーブルの上には、皿に乗ったベーコンや卵、そして魚料理やフルーツ、野菜が並べられた。


 そして最後に大きな丸いパンを持つと、なぜかメイドの手がぷるぷると震えている。


「どうしました?」


 エミリーが聞くと、


「い、いえ……、あの、すみません」


 そう応えたメイドは緊張した面持ちで、大きな丸いパンをブレッドナイフでカットし、皿の上にカットしたパンを置くと、ペコリと頭を下げて「失礼します」と部屋から出て行った。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る