第26話 ~佐藤マユside6~ 来る奴、逃げる奴

 マユは呆気に取られた様子で、宰相を見ていた。


 毒入りパンを食べて一命を取り留めた宰相は、料理長が持って来たサンドイッチをむしゃむしゃと食べていたからだ。


 マジ、信じられねぇ。

 コイツ毒入りパンを食べて死にかけたのに、サンドイッチ食ってやがる。


 こっちはあの様子で、食事さえ通らないのに。


 マユと同じく王子も食欲がないようで、部屋のカウンター席で酒を飲んでいた。


 満足げに食事を終えた宰相は、つい数時間前まで苦しんでいたのが嘘のように、笑みを浮かべていた。


「ふぅ、お腹いっぱいで生き返ったようです」


 コイツ、どういう神経しているんだ。


 マユは相手にしてられねぇと思い、にっこりと笑いながら、夕陽が差し込むカウンターに移動した。カウンターの席に腰かける王子に水の入ったコップを持って行ったのだ。


「ハロルド王子、お疲れさまでした。宰相もご無事でよかったですね」


「ああ、マユも驚いただろう」


 ハロルド王子も疲れた様子だ。


「はい。突然のことで、私は茫然と立ち尽くすしかありませんでした。しかし、さすがハロルド王子です。あのような状況で瞬時に動けるなど、本当にすごいです」


 マユは、キラキラした目で王子を見る。


「まあな、これまで俺は様々な困難を乗り越えてきた。あれぐらいのことはどうってことはない。しかし、さすが万能薬だ。噂どおりに解毒剤効果もあったわけだ」


 ハロルド王子は、空になった透明の瓶をマユの前で振ってみた。

 中身は一滴もない。


「万能薬って、すごい効果があるのですね」


「ああ、値段もすごいがな」


 え? 値段もすごい?


「本当にもう大丈夫なのだな、宰相」


 王子が問いかけたると、ソファに座っていた宰相が慌てて立ち上がり、頭を下げた。


「ハロルド王子、万能薬をわたくしのために使って下さり、ありがとうございます」


「まあ、宰相の命が助かったんだ。これで良かったんだ」


「ハロルド王子はわたくしの命の恩人です。この屋敷と同じぐらいの値段のする万能薬をわたくしのために使って下さったのですから」


 はあ? あんな薬がこの屋敷と同じぐらいだと?


 マユは驚きのあまり王子を見たが、王子は満足げに腕を組んでうなずいている。


「宰相の無事を考えれば安いものだ。なあ、マユ」


「え? ええ、本当に」


 マユは頬をピクピクと引きつらせながら返事をした。マユはもう一つ、水の入ったコップを宰相にも手渡そうと思ったがドンっとカウンターに置いた。


「どうした、マユ?」


「あ……、いえ、宰相がご無事で本当によかったと思いまして」


 あんな薬が、この屋敷と同じ値段だなんて……。

 マジ信じられぇ……。


 この屋敷の物はすべて私の物になるはず。そんな高価なものを、婚約者の私に相談もなく使いやがって、マジむかつく。

 あぁ、マジむかつく。


「マユも万能薬を飲みたかったのか? だが、万能薬を飲んだからって若くなるわけじゃないからな」


 どういう意味だよ、人をババァみたいに言いやがって。


 マユはぎこちない笑顔を王子に向けた。


「さすが王子様ですね。本当に太っ腹ですこと。このお屋敷と同じ値段の薬を惜しげもなく宰相さんに飲ませるのですから」


「そうだろう。アハハハハ」


 笑ってんじゃねーよ。

 結婚したらこの屋敷の高価なものはすべて私が管理してやるからな。


「マユ様、それはわたくしのための水でしょうか」


 宰相から言われ、マユは水の入ったコップを握りしめたままにになっていることに気が付いた。


「ああ、ええ。そうです」


 しょうがなくマユは宰相のところへ行き、手渡した。


「ありがとうございます。いただきます」


 一口、ごくりと飲んだ宰相が、目を見開く。


「なんとこれは!」

「どうした宰相!」

「え? なによ」


 毒なんて入れてないからな。


「マユ様、これは……?」


「そこにあったお水ですが、私、おかしなものなんて入れていませんよ」


「はい。とてもおいしいお酒で、わたくしの疲れも吹っ飛びそうです」


 なんだよ、このおやじ!

 ややこしいこと言ってるんじゃねーよ。


 マジびびったじゃねーか、ただの酒かよ!


「あら、ごめんなさい。間違ってお酒を渡しちゃったみたいで。ホホホ」


 ったく、いちいち、つまんねーことで驚くんじゃねーよ。


「いやぁ、こんなにおいしいお酒は初めてです。あぁ、飲み干すのがもったいない」


 ソファに座る宰相は、ちびちびとマユから受け取ったグラスに口を付けていた。


「ハロルド王子の部屋にあるお酒なのですから、もちろんおいしいに決まっていますわ」


「いや、俺がさっきマユから手渡されて飲んだのは、ただの水だったが」


「宰相は、毒の影響で頭がまだぼんやりされているのでしょう」


「そうだな……。しかし、あの女をどうするかだ……」


 ハロルド王子が腕を組み、考え込む。


 その通りだ。あのバリキャリをどうやって追い出すかだ。


 あの女のせいで私の物になるはずだった万能薬という高価な薬まで失ったんだから……。


 そのとき、突然、部屋の入り口で大きな声がした。


「おい! 聖女は居るか!」


 声の方向に視線を向けると、人相の悪い男がずかずかと部屋に入って来ていた。ガタイのいい男は革の装備品を身に着け、その手にはキラリと光る剣を握っていた。


 それを見て、飛び上がる様に宰相がソファから立ち上がった。


「な、なんですか! サイモン! その武器は! しかも魔獣まで連れてくるなど」


 宰相が言うように後ろには、魔獣までいた。

 しかも魔獣は、ぐったりとした男を抱きかかえている。


 もう、なんなのよ、次から次へと!


 マユが眉間に皴をよせていると、王子が動いた。


 ハロルド王子は壁に掛かっている剣を取ると鞘を捨て、剣先を男に向ける。


「サイモン! 貴様、ここをどこだと思っている。俺の部屋だぞ! それなりの覚悟があって、この部屋に乗り込んできたのだな」


「もちろんですよ、王子様」


 ヘラヘラと応えたサイモンだったが、


「こっちはそれなりの覚悟があるんだよっ!」


 剣を向けたまま、二人は睨み合っていた。

 そんな緊張状態のとき、魔獣が口を開いた。


「申し訳ございません。カルロスさんが呪いにかかってしまって」


 王子が魔獣が抱きかかえている男へ視線を向けた。


「呪いのかかったやつを連れてきたのか、ちっ」


「の、呪い……」


 宰相は魔獣が抱きかかえた人物をみると怯えた表情になる。


 ったく、なんだよ、呪いがどうしたんだよ。


 そういえば、あのバリキャリが呪いって言葉を発したときもこの二人は怯えていたな。


「すぐに出て行け。そんな呪いのかかったやつを持ち込むな!」


「王子さんよ、そんな冷たいことを言わずにさ」


 サイモンは魔獣に顎で指示を出す。それを受けて魔獣はぐったりとした男をソファに寝かせた。


「くそ、そんなところへ呪いのかかった奴を置くな」

「そうです。すぐに燃やしてしまいましょう」


「なんだと! カルロスを燃やせって言うのか?」


 サイモンの迫力に宰相が小声になる。


「い、いや、ソファのことを言っただけで」


「ね、見てくださいよ、皆さん。カルロスが呪いに掛かってこんな姿なんですよ」


 その男の顔は黒ずんでいた……。

 これが呪い……?


「でね、そちらにいる聖女様に呪いを解いていただこうと思いまして」


 そう言ったかと思ったら、素早い動きでサイモンがマユの後ろに周りこんだ。そしてマユの首元に剣の刃を向ける。


「さあ、女! いますぐカルロスの呪いを解け」


 マユは首元のキラリと光る刃を見下ろしながら、震えた声で言う。


「そ、そんなの無理に決まっているでしょ。呪いなんて知らないし」


「呪いを知らないだと……、ふざけるな! お前は聖女だよな。さっさと呪いを解けよ」


 マユはすがるような目で、王子に助けを求める。


「王子様……、助けてください」


 だが王子は何事もなかったかのように剣を鞘に戻しながら、つぶやいた。


「なるほど、サイモンはマユに用事があるのか。それならしょうがない」


 それならしょうがない……?

 はあ?


「ちょ、ちょっと……、王子様どこへ」


 部屋を出て行こうとする王子にマユは助けを求めるように手を伸ばす。だが、キラリと光る刃がマユの頬に近づくと、耳元でサイモンが言う。


「聖女様よ。その美しい顔に傷をつけられたくないだろ」


 ハロルド王子は振り返る。


「マユ、後は頼んだぞ。俺がいても仕方がないだろ。さあ行くぞ、宰相」


「は、はい」


 王子と宰相は部屋から出て行ってしまった。


 沸々と怒りが湧き上がってくるのをマユは全身で感じていた。


 信じられねぇ……。

 アイツらマジで信じられねぇ!!!!


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