二一章 天も見よ! これが我ら家族の愛の力!

 部屋のなかを優しい光が照らしだしていた。

 照りつけるような太陽の光ではない。すべてを優しく包み、癒やすような、安らぎに満ちた月の明かりだ。そんな光が部屋中に満たされ、百合ゆりの姿を照らし出していた。

 木の葉が舞っていた。

 優しい光が満たす部屋のなかに、木の葉が舞い落ちていた。

 ハシバミの葉だ。

 シンデレラの母親の墓に植えられた木。

 シンデレラに金と銀を落とし、美しいドレスで着飾らせた木。

 その木の葉がいま、部屋中に舞い散り、百合の体を包んでいた。

 何が起きているのか、誰にも分からなかったにちがいない。あのシン・グでさえ、突然の出来事に唖然あぜんとし、あんぐりと口を開けてその光景に見入っているしかなかった。

 しかし、おれにはわかっていた。何が起きているのかが。

 そう。

 おれにははっきり見えていたのだ。

 優しい光が降り注ぎ、ハシバミの葉が舞い落ちるその場所に、ひとりの女性の姿が浮かんでいることが。

 ――さき

 おれは叫んだ。

 そう。そこにいたのはまぎれもなくおれの最愛の妻、百合の母親である咲の姿だったのだ。

 咲は百合に向かって優しく微笑みかけた。その身が百合の体に吸い込まれた。その瞬間、おれはすべてを悟った。

 咲は百合として転生したのだ。

 百合本来の人格を奪うことなく。その力を高める存在として。

 それこそが咲が転生者として付与されたスキル。言わば、二重存在。ふたりがひとつとなることでその能力を飛躍的に高めるスキル。まさに、子を思う母の愛が具現化した加護のスキルだった。

 おおっ……。

 おれは声をあげた。

 百合のなかにかつてない力があふれるのを感じる。そして、そして――。

 なんと言うことだろう。百合のなかに埋め込まれたおれの心臓。その心臓がいま、その力を放ちはじめた。

 おれが超能力を失ったのは心臓を取り出した副作用のせい。ずっと、そう思ってきた。

 そうではなかった。

 副作用などではなかった。

 おれの超能力はまさに心臓そのものに宿っていたのだ。数年の時をかけて百合の体に馴染み、一体化していたおれの心臓はいまこのとき、百合のためにその力を発揮しはじめたのだ。

 百合の体が光に包まれた。

 そこにいたのはもはや、いままでの百合ではない。夜空に輝く星のドレスをまとった新しい百合、いや、新しいユーリだった。

 その美しい姿をシン・グは、唖然として見つめていた。

 終わりだ、シン・グよ。

 おれと咲はいま、百合のなかでひとつとなった。百合はもはや私と咲の娘というにはとどまらない。おれたち両親の愛をその身に宿した愛の化身。

 シン・グよ。いかにお前が世界に愛された男であろうとも、お前はひとりだ。おれと咲に愛された百合にかなう術はない。

 百合のなかで《力》があふれかえった。

 まるで、卵のなかからいまにも孵化しようとする雛鳥ひなどりのように。

 力はますます大きくなる。それでいてちっとも激しくない。むしろ、優しい。

 そう言える《力》。

 その《力》が部屋中を満たした。爆発した。あくまでも優しく、抱きしめるように。さしものシン・グが為す術もなく吹き飛ばされた。壁に叩きつけられ、床に転がった。唖然としたまま天井を見上げていた。

 「負けた……? おれが? この転生者シン・グが?」

 そんなことがあり得るのか。

 そう思っているのがはっきりわかる声で呟いた。

 突然――。

 部屋が業火に包まれた。破損したパイプから吹き出したガスに引火したらしい。

 「いかん、ユーリ、すぐに逃げるんだ」

 私はとっさに『ミスターF』に戻り、百合にそう指示した。

 「で、でも……」

 百合はためらった。その視線の先。そこには逆巻く炎の向こう、床に転がったまま天井を見上げているシン・グの姿があった。

 「このままじゃ彼が……」

 「気にしている場合ではない! このままでいくら君でも脱出できなくなるぞ!」

 それでも、百合は動かない。どうしても、『人を見捨てる』ということができないのだ。私はやむなく姿をさらした。強引に百合の体を引っ張り、ホテルの外に連れ出した。

 そのさなか、私は見た。シン・グが喜びに打ち震え、叫ぶその様を。

 「ふ、ふふ、ははは、やった、やったぞ! 生まれてはじめて失敗した、負けることができた! これで目標ができた、挑むことのできる相手ができた。幸せだあっあああああ!」

 その声を耳に残しながら――。

 私は百合を連れてホテルを脱出した。

 ……燃えている。外に逃れた私と百合の目の前で、古びたホテルに偽装した悪の秘密基地が燃えている。

 「……ミスターF」

 百合が私に話しかけてきた。すがるような視線が痛々しい。

 「あのとき……あれは」

 百合が何を言いたいのか。私には手にとるようにわかった。百合もまた気がついたのだ。あのとき、何が起きたのか。私は静かにうなずいた。

 「そうだ。ユーリ。君は母上の愛に救われたんだ」

 私の言葉に――。

 百合はうつむいた。低い嗚咽の声がもれた。涙がボロボロとあふれ出していた。

 私はそっと百合の体を抱きしめた。

 私の腕のなかで――。

 百合は思い切り泣いていた。

 ……そして、百合は帰ってきた。

 私たちの家へと。

 私は一足先に家に帰り、ミスターFとしての衣装を脱ぎ捨て、高峯たかみね志狼しろうとしてベッドに戻っていた。

 本当なら出迎えてやりたい。

 よくやったと声をかけ、力いっぱい抱きしめてやりたい。

 しかし、それはできない。私は百合にとって帰るべき場所なのだ。正義のヒーローとしての戦いを終え、日常の世界へと戻る場所。それが父親としての私。だから、私は何も知らないままでいなくてはならない。百合の正義のヒーローとしての顔など何も知らず、日常の世界で娘を受けとめなければいけないのだ。

 だから、私は眠っている。ベッドの上で、寝ている振りをしている。

 ――《毒狼どくろ》は解散させよう。

 私はそう決意していた。

 ヒーローになりたい。

 その私のエゴによって百合には途方もない重荷を背負わせてしまった。

 もういい。

 もう充分だ。

 どんなヒーローにも引退の時は来る。その責務から解放され、安息の時を迎える日が。

 百合にとっていまがまさにそのときだ。百合はもう充分に戦った。これからは普通の女の子として、普通の人生を送るべきときなのだ。

 そのためにできるだけのことをしよう。父として精一杯、娘を愛そう。将来、彼氏を連れてきてもあまり物わかりの悪いことは言うまい。例え、結婚し、私のもとを離れる日がきたとしても……決して泣くまい。笑顔で見送ってやろう。

 ――できるわけがない。

 それはわかっていたけれど――。

 とにかく、私はそう誓った。

 そして、翌朝。

 暖かい空気と、たいそう食欲をそそる匂いに誘われて私はキッチンに入った。中学校の制服の上からエプロンを着けた百合が振り返った。とびきりの笑顔で私を出迎えてくれた。

 「おはよう、パパ! 朝ご飯できてるよ」

 そう言って笑顔で迎えてくるのはどこにでもいる一三歳の娘。正義のヒーローなどではない、当たり前の暮らしを送る、当たり前の女の子だった。

 私はそのことに心から安堵した。

 そして、心から笑顔で答えた。

 「ああ、おはよう、百合。いつもありがとう」

                 完

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ヒーローなりたや、ウン十年 〜超能力者として現代転生したので、悪の組織を立ち上げ愛する娘を正義のヒーローとしてプロデュース!〜 藍条森也 @1316826612

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