八章 そうだ、こいつがいたんだ。《毒狼》の宝剣

 「よくも、雁首がんくびを並べられたものだな」

 《毒狼どくろ》の秘密地下会議場。

 バカバカしいほどに高いドーム型の天井をもつその部屋のなかで、長方形の重厚な会議卓の上座、入り口にもっとも近いその席に座りながら、私は居並ぶ幹部たちに向かって手厳しい口調で言った。

 普段ならば幹部たちによって続々と行なわれる悪の成果報告によってまがまがしいながらも活気にあふれているこの部屋は、開設以来かつてない陰欝いんうつな雰囲気に包まれていた。

 幹部たちはいずれもうなだれ気味で、視線を会議卓に落としている。これもまた、いつもは私に向けてギラギラした視線――隙あらばとってかわってやるぞ、という視線――を向けているのとは対照的だ。

 マスクの上からも悄然しょえぜんとしているのが手にとるようにわかる。私に叱責しっせきされ、処分されることを恐れているのだ。マスクのてっぺんの、いかにも悪役らしいとんがった飾り部分まで垂れさがっているように見える。

 私は両の目に力を込め、視線をめぐらして幹部一人ひとりをじっくりとにらみつけた。私の目――というよりも、マスクにつけられた目の文様ににらまれた幹部たちはみな、同じ反応を示した。

 にらまれていることに気づいてハッとして顔をあげ、こちらを見、私の視線のなかに怒りを感じとってあわてて視線をそらすのだ。そして、視線を床に落としたまま小さくなって震えている。膝の上の握り拳が小刻みに震えているのや、唇をぎゅっと噛みしめている様子までが目に見えるようだった。

 まるでボスイヌににらまれた下っぱのノライヌ、いや、ヘビににらまれたカエル、いずれにせよ、今までのふてぶてしい態度とはまるでちがう。

 ――う、うれしい。

 そんな幹部たちの姿を前に私は内心、歓喜かんきにひたる。この悪党どもをうなだれさせているのが何を隠そう、我が愛娘まなむすめだからだ。

 「ユーリとやらが現われて三ヵ月……」

 私は可能なかぎり重々しい声を出した。

 「その間、我々の計画した数々のデモンストレーション――貯水池への投薬、原子炉爆破、伝染病ウイルス奪取計画、警視庁コンピュータ・データ抹消計画――が、ことごとくユーリなる仮面の小娘に阻止されている。あまつさえ、国内三ヶ所の大麻密栽培所が焼き払われている」

 そう。この三ヵ月、百合は大活躍だったのだ。いくら組織のトップである私のサポートがあるとはいえ、悪党どもの立てた極悪非道な計画をことごとく阻止し、善良な市民の安全を守ってきた。

 おかげで作戦を指揮していた幹部たちは組織内での立場も、悪党としても面目をすっかり失い、うらぶれているのだ。ああ、まったく。人の道を踏み外した外道どものみじめな姿を見るのは快感極まりない。

 ざまをみろ、悪党どもめ、ケダモノどもめ。きさまらはもはや人々に害なす恐怖の存在などではない。狩られるのをまつだけの哀れな小動物に過ぎんのだ。恐れろ、怯えろ、己がしてきた行為の報いにおののき、地獄にちろ!

 わあーはっはっはっ!

 喉元まで出掛かったその笑いを私は間一髪のところで飲み込んだ。いや、まったくもってそれは並の苦労ではなかった。飛びあがるほどに痛く舌をかみ、両腕を組んで両手の指で二の腕をつねりあげ、両足に渾身の力を込めて踏ん張って、ようやくこらえたのだ。幹部たちが怒りと感じたのは実は、笑いを押し隠すための必死の演技だったのだ。

 まったく、いまほどマスクを用意したことを正しく思ったことはない。マスク抜きでは愛娘の活躍を喜ぶ目尻の下がったにやけ顔も、歓喜に満ちあふれた得意顔も、すべて見られてしまう。そうなればさすがに悪の組織のトップではいられない。

 一方でユーリの人気は――当然すぎるほど当然だが――鰻登うなぎのぼりだった。

 いまやその存在は国内のみならず、諸外国にも報道され、テレビを見る人間なら『白百合しらゆり仮面かめんユーリ』を知らない人間はいない、とまで言われるようになっていた。ネット上ではユーリ・ファン・クラブが何十と林立し、映像や怪しげな情報がやりとりされ、巷では正体をたしかめようとするマスコミが走りまわっている。

 子供たちの間では『自分も大きくなったらユーリになる!』が合い言葉だ。百合の活躍が未来を担う子供たちに良きモデルを提供しているのだ。正義を学んだこの子らはさぞ立派なおとなとなるにちがいない。

 百合の父親として、また、ユーリのプロデューサーとして、私は鼻高々なのだ。

 ……ただひとつ、腹に据えかねることがある。いつの間にかネット上では『素顔予想』などが流行りだし、ユーリの素顔をてんで勝手に想像してはイラストにしたて、発表することが行なわれるようになった。それらのイラストはファンの投票によってランキングづけされ、並べられる。

 私はこの間、現在一位のイラストを見たのだが……ふざけるな! 何だこの絵は! 

 目玉ばかり大きくて頭も軽ければ尻も軽そうな小娘ではないか!  おまけに何だ、あのスカートの短さは。パンツまで丸見せだったではないか。

 まったく、侮辱している!

 思わずパソコンの前でデスクをドン、ドンと叩いてしてしまい、おかげで驚いた百合が私の部屋に飛び込んできて、ユーリ・ファン・クラブのHPを見ていることを知られてしまったのだ。そのときの百合の視線の冷たいこと……。

 「パパ、いい歳してそんな子のファンなの?」

 ああ……!

 百合が、あの百合が私に向かってあんな冷たい口調で言うなんて。あのときの百合の視線と口調とを私は一生、忘れないだろう。

 くそうっ、何もかも見る目のないバカなファンどものせいだ。百合はな、百合はなあ、あんな軽薄そうなハレンチ娘などでは断じてない! もっとずっとかわいくて、ずっと清楚で、ずっと真面目で、ずっと賢くて、それから、それから……とにかく、ずっとすばらしい娘なのだ。

 それをあんなアーパー娘として想像しおって!

 いっそ、『これがユーリの正体だ!』と百合の写真を公表してやろうかとどれほど思ったことか。

 もちろん、そんなことができるはずはない。

 正義のヒーローが正体を明かすなどもってのほか。それでなくても百合の写真を公開したりしたら本人にどれほどの迷惑がかかることか。

 何しろ、あの百合のかわいらしさだ。

 公表したが最後、全国にファン・クラブができるのはもちろん、芸能界入りをすすめるスカウトどもが殺到し、追いまわすにちがいない。

 そうなれば平穏な学生生活など夢のまた夢。勉学や交友関係にも悪い影響があるだろうし、正義のヒーローとしての活動にも支障が出る。

 言いよってくる不埒ふらちな男どもも激増するだろうし、ストーカー化するやつもひとりやふたりではあるまい。

 そんな連中につきまとわれたらどれほど恐ろしく、不安な思いをすることか。

 といって、心やさしい百合に力ずくで排除するなどできるはずもなく、陰湿な精神攻撃を受けつづけることになってしまう。それだけで百合の繊細な神経は壊れてしまうだろう。

 大切な娘にそんな思いをさせてたまるか!

 それらを思い描き、私は必死に誘惑に耐えた。椅子に座ったまま両手両足を持ちあげ、体をまるめ、ぶるぶる震わせながらようやく耐えたのだ。

 その苦労がわかるか!

 ドン!

 と、気づいてみると私の目の前でデスクを叩く大きな音が響いていた。怒りのあまり我を忘れ、思わず両拳で思い切り会議卓を叩いてしまっていたのだ。

 ――まずい。ここは、《毒狼どくろ》の秘密会議場だった。

 いまの自分の立場を思い出し、冷や汗が流れる。あわてて手を引っ込め、幹部たちの様子をうかがう。

 ――怪しまれていなければいいが……。

 そう不安になったのだが、それは杞憂きゆうだった。私の視線を受けた幹部たちは今まで以上にオドオドした様子で視線をさっと後ろにそらす。この場から逃れたいと思っているのが一目瞭然だった。どうやら、幹部たちは私の怒りを自分たちに向けられたものだと勘違いしたらしい。

 ――これはいい。

 私はマスクのなかでにんまりと笑った。こいつら相手にこの怒りを発散させてやる!

 「おかげで!」

 ドン!

 私は再び会議卓を叩く。

 幹部たちが一斉にちぢこまる。

 「我が《毒狼》の名はいまや正義の味方にやられる間抜けな悪役、ユーリを呼び出すための前座扱いではないか!」

 ドン!

 ドン!

 幹部たちが縮まる、ちぢまる。

 「『《毒狼》が出た』と聞けば、ユーリファンの子供たちが喜び、馳せ参じる始末! 親は親でそんな子供たちを微笑ましく見つめているのだぞ! すっかりなめられているではないか。そもそも、《毒狼》の恐ろしさを世間に見せつけ、言いなりにさせることを目的としたデモンストレーションなのだぞ! それを喜ばれてどうする! 悪党としての矜持は、魂はどこへやった!」

 ドン!

 ドン!

 ドン!

 私が会議卓を叩くのにあわせ、居並ぶ幹部たちは手と足をもちあげ、背をまるめて体をちぢこまらせる。一糸乱れぬその姿。なんだか、ダンスの練習でもしているような気分になってきた。

 「幹部ナンバー8」

 私は喉も破けよとばかりに雷鳴のごとき声を張り飛ばした。

 「ハ、ハハッ!」

 名指しされた幹部のひとりが背筋を伸ばし、体を硬直させる。それでもこちらを見ることができず、前方をじっと凝視しているのは心底から私を恐れている証拠だ。

 「前回のデータ抹消計画の責任者はきさまだったな」

 「はっ……」

 「失敗は死をもってつぐなえ、バカ者め!」

 私は右腕を振りあげ、会議卓のスイッチに拳を叩きつけた。たちまち幹部ナンバー8の座っている席は電気椅子となり、恥知らずの悪党の体を数万ボルトの電流で焼き尽くした。

 「ぎゃあああっ!」

 幹部ナンバー

8の絶叫が響く。

 電流に撃たれた全身を突っ張らせ、手足をピンとのばし、体中から青白い光を放ち、自ら照明となって周囲を照らす。だが、それも一瞬、絶叫はすぐに去り、後に残ったものは、もはやピクリとも動くことのない死体と、肉の焼け焦げたあとの異臭だけ。

 ――快感……!

 うっとりと――。

 私はその思いにひたる。肘掛けをぎゅっと握りしめ、天井を見上げる。口からは吐息がもれ、閉じた目からは思わず涙がにじむ。

 ――これだ。私はこれがやりたかったのだ。

 心からそう思う。

 善良な市民の安寧あんねいを破る悪党どもをぶち殺し、平和と安全を守ること。

 それこそ、私が物心ついたときから望んできた夢。いや、『物心付いた』どころではない。まだ転生する前の、一度目の人生の頃からずっとずっと思い描いてきた夢。正義のヒーローの行い。それをいま、行なえているのだ。それも反撃される恐れなしに、堂々と。

 なぜ、いままで誰も気がつかなかったのだろう。

 そうだ。

 悪を根絶する最良の方法は国家権力にものを言わせて取りしまることでもなければ、正義のヒーローが孤高の戦いを繰り広げることでもない。自ら悪の組織の首領となってトップ・ダウンで粛清しゅくせいしていくことなのだ。

 正義を愛する善良な心の持ち主自らが悪の組織の首領となって悪人どもを集め、管理すれば、世の中から野放図のほうず悪行あくぎょう駆逐くちくできる。短気なチンピラどもがカッとなって人を殺す、などということを減らせるのだ。警察なり、正義のヒーローなりに情報を渡し、確実な抹殺まっさつも行なえる。

 それに何より。こうして首領自らが『失敗は死をもって償え!』という規範きはんを見せておけば、その他の幹部たちも部下に対して同じようにふるまうだろう。

 部下は部下で『おとなしく殺されてたまるか!』と、下剋上げこくじょうこころざすにちがいない。かくて、組織内は血みどろの抗争で満たされることになる。

 何しろ、もともとが『良心の欠片もなく』、『悪いことが大好き』という外道どもの集まりなのだ。自己保身のために他人を殺すことをためらうはずがない。

 かくして、組織員同士の死刑の連鎖によって組織は内部から壊滅することになる。

 悪党同士が勝手に殺し合い、数を減らしてくれるならこんなにいいことはない。

 誰の迷惑にもならない。

 善良な市民諸君が毎日の生活を脅かされることはなくなるのだ。いやいや、それどころか悪党どもにとってもこれはすばらしいことだぞ。何しろ、大好きな人殺しが存分にできるのだから。

 うれしくないわけがない。

 正義を愛する者による悪の組織のプロデュース。

 それこそ、善良な市民と悪党、双方を満足させる究極の提案。

 おお。

 私はまさに平和で安全な世界を作る最高の方法を見つけ出したのだ。

 やがては同志を見つけ、このやり方を世界中に広めよう。そうすれば、いつか悪のいない世界が訪れる。親が手塩にかけて育てた五歳の子供を犯罪者にレイプされ、殺されることのない世界。人類が夢見た理想の世界が。

 もちろん、この私、高嶺たかみね志狼しろうの名前が歴史に残ることはないだろう。だが、それでいい。『正義の黒幕』として理想世界の建設に貢献できれば満足だ。私はそれで幸せなのだ……。

 「総統閣下」

 うっとりと――。

 理想世界への夢想にひたっていた私の意識を現実に引き戻したのはいたって冷静な、それでいてどこか笑いを含んだような響きをもつ独特の声だった。

 その特徴的な声の質だけで誰が言ったのかはすぐにわかった。私の意識はたちまち甘美な夢想から厳しい現実へと引き戻される。

 私は目を開いた。天井を見上げていた顔を発言した幹部に向けた。その幹部は私の視線の先で小さく右手をあげていた。

 ナンバー4。

 名前をシン・グ。

 またの名を――。

 《毒狼》の宝剣。

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