一一章 修行だ、修行だ、修行だあっ!

 ……というわけで、私は翌日、さっそく料理の本と食材とを買い込み、社員食堂のキッチンを借りて料理修業に精を出すことにした。百合ゆりの前であれだけの啖呵たんかを切ったからには家で修業する姿など見せるわけにはいかない。表向きはあくまで何もしていないように見せかけて、それでいて極上ごくじょうの弁当を披露ひろうして、『パパってやっぱりすごい!』と、尊敬されたいものである。

 女子社員に頼んで教えてもらうつもりだったが、若い男性社員のほうがむしろ上手だったのは時代というものか。まあ、教えてもらえれるなら性別などかまわない。

 「ほら、タマゴが焦げてますよ!」

 「鍋が吹きこぼれてますってば!」

 「ハンバーグはちゃんと空気抜きしないと破裂しますよ!」

 ……意外と料理は強敵だった。これなら悪党どもをぶちのめすほうがずっと簡単だ。

 ともかく、料理はできあがった。卵焼きのはずのいり卵、スープのはずのお焦げ、ハンバーグのはずの肉そぼろ、ご飯のはずのお粥を並べ、教師役の社員たちと一緒に試食にかかる。

 「おっ、味はそんなに悪くないじゃないですか」

 「当たり前だ。料理ぐらい、できんでどうする」

 「……でも、この見た目は」

 「うっ……」

 「それにしてもいきなり料理なんてどうしたんです? 家族サービスでも?」

 「うむ。娘を遊園地に連れていってやろうと思ってな。そのための弁当作りの練習だ」

 「きゃあ。娘さんのために料理の特訓なんて社長さん、やさし~」

 女子社員に黄色い声でそう言われれば私としても悪い気はしない。しかし、それにしても――。

 なんと平和な光景だろう。《毒狼どくろ》の極悪人どもではない、いたって善良な普通の社員たちとの語らいは実にこころいやされるひとときだ。

 何ともほっとする。人生は生きるに値する、とそう感じられる。この社員たちを守るためにも正義の黒幕としての活動はつづけなければ。この生命あるかぎり……。

 「でも、それなら何がなんでもちゃんとした弁当を作らないといけませんね。失敗したりしたら父親の面目丸潰れですよ」

 その言葉に他の社員たちは一斉に笑い出した。だが、私は笑わなかった。これ以上はないほどの真剣な面持ちでうなずいた。

 「当然だ。そこでだ……」

 私は胸を張って社員たちを見回した。

 「日曜日まで教師役兼試食役、よろしく頼むぞ。君たち」

 その瞬間、その場にいた社員たちの表情が一斉にこわばったように見えたのはきっと私の気のせいだ。うん、そうに決まっている。そうだな、諸君?

 もちろん、料理の修業にかまけて百合を見守ることを怠るような私ではない。仕事の合間に時間を作っては秘密オフィスで監視ロボットから送られてくる映像をチェックする。

 おっ、ちょうど昼食時か。百合はいつものとおり瑞樹みずきくん、紀子のりこくんと席を囲んで弁当を食べている。

 「えっ~、百合、今度の日曜日、お父さんと遊園地、行くの?」

 「うん、いいでしょ」

 うらやましそうな瑞樹くんにニコニコ顔で答える百合であった。

 「いいなあ、うらやましい。うちのお父さんなんて家族サービスなんてちっとも考えてくれないもんなあ」

 「うちのパパだって同じよ。百合のパパは特別なの。あんなに娘を大事にしてくれるパパなんて他にいないわ」

 紀子くんに言われて百合は自慢げな表情した。

 「百合ほど父親萌えな娘も他にいないと思うけどね。どうせ、食べきれないほどお弁当作っていく約束したんでしょ?」

 「あっ~、それが……」

 「なに? どうしたの?」

 「それがその……パパが今回、妙に張り切っちゃってて……お弁当は自分が作るって……」

 「ええっ~!」

 瑞樹くんと紀子くんがそろって驚きの声をあげた。その声に百合の方こそびっくりした様子だった。

 「な、なによ、そんなに驚くことないじゃない」

 「えっ~。だって、ねえ……?」

 「……うん」

 「なによ、紀子まで」

 「だって。百合のパパってたしかにカッコいいし、仕事はできるんだろうけど、家事とかは一切できなさそうじゃない?」

 「そうそう。あれはきっと若い頃からモテて、モテて、自分で料理とかはいっさいせずにすんだタイプよ。きっとメチャクチャになるわよ」

 「そんなことない! パパはなんでもできるんだもん。お弁当だってきっとちゃんとしたのを作ってくれるわ」

 「ふふ~ん。それが甘いのよ。あんたみたいな父親萌えな娘にはわからないだろうけどね。世の中に完璧な人なんていないの。百合のお父さんだってできないことのひとつやふたつや三つや四つ、ちゃんとあるわよ」

 「そんなことない! 百合のパパはなんでもできる」

 「まっ、こっそり用意していくのね。そうしたら娘の準備のよさに感激するわよ」

 「必要ありません」

 「そうよ、瑞樹。そんな必要ないわ」

 紀子くんが瑞樹くんに反論した。いつも冷静で知的な彼女はさすがに見る目がある。

 「いざとなればコンビニで買ったお弁当をつめなおせばすむ話だもの。食べられないものが出てくることはないわよ」

 ……どうも人間、勉強ばかりしているとひねくれるようだ。百合にはあまり『勉強しろ』などとは言わないことにしよう。

 「もうふたりとも、失礼なんだから。パパはそんな卑怯なことせずに、ちゃんとお弁当を作ってくれるわ。見てなさいよ」

 百合は本気で怒った様子でふたりの友だちに宣言した。百合は本当にいい娘だ。私に対して何と言おうと他人に対しては私をかばってやまない。これは何としても娘の期待に応えなければ。今日から料理修業のための残業だ。もちろん、社員たちにも付き合わせる。さあ、張り切っていくぞ!

 日曜日が近づくにつれ、百合の態度が目に見えてそわそわしたものになっていた。一日に何度もなんども食い入るようにテレビの天気予報を見つめ、てるてる坊主を作ってぶら下げたりもしている。

 どんなに遊園地行きを楽しみにしているか、わかりすぎるぐらいにわかる。百合もやはり、まだまだ子供。遊園地行きを決めて本当によかった。

 私はつくづくそう思う。

 そして、私自身が悪の秘密結社の首領となったことも。

 普通、テレビのヒーロー物ではこんなときに限って悪の組織が事件を起こし、台無しになるものだ。その点、私の場合は私自身が首領なのだから、その間、何もしでかさないよう厳命できる。邪魔される恐れはない。安心して準備できるのだ。

 それに、天気にだって邪魔させずにすむ。もしも、空模様が今回の父娘デートを邪魔しようとするならば、《毒狼》で開発した超高性能ミサイルで雲を吹き飛ばしてやるまでだ。悪の首領たる私にはそんなこともできるのだ。

 いやまったく、我ながら正義の黒幕作戦は大成功だ。

 そして、土曜日の夜。私にとっての勝負のときがやってきた。この日のためにわざわざ買ってきたエプロンをぎゅっとしめ――気分はほとんど佐々木小次郎との決戦を前にタスキがけする宮本武蔵である――はやる気持ちを押さえて台所に乗り込んだ。

 鍋とフライパンを用意し、食材を並べ、準備万端。包丁をかまえ、いざ調理……と、意気込んだところで気がついた。

 醤油しょうゆはどこだ?

 目につくかぎり、片っ端からドアを開けてみたがどこにもない。といって、百合に聞きにいくわけにはいかないし……さすがにあせった。

 すると、キッチンの入り口からこっそり様子を覗いていた百合が遠慮がちに言った。

 「あの……お醤油なら床下なんだけど」

 言われてみるとなるほど、床の上に大きなドアがついていた。まるで気づかなかった。これが床下ユニットとかいうやつか。開けてみるとなかにはたしかに醤油があった。その他の調味料も一通り入っている。

 なるほど。百合は調味料の類はここにこうしてまとめて入れてあるのか。これは覚えておこう。次の機会にあわてなくてすむ。

 私がそう思っていると、百合が片手を後ろにまわし、もう一方の手を口もとに当てた姿勢で目の前に立っていた。不安げに私を見る。

 「……ねえ、パパ。やっぱり、百合が作ろうか?」

 「何だ。百合はまだパパのことが信用できないのか?」

 「だって……」

 と、うつむき加減の上目使いに私を見る。一言いいたげにちょっと唇をとがらせしてみせる。

 ――お醤油の場所もわからないんじゃ……。

 そう言いたいのがよくわかった。

 いかん。このままでは父親の権威に傷がつく。私はあわてて威厳ある父親の口調を作った。

 「心配いらないから早く寝なさい。疲れてるんだろう。子供はおとなよりもずっと多く眠る時間が必要だ」

 「うん。でも……」

 「何だ? まだ、何かあるのか?」

 「ねえ、パパ。やっぱり、百合も一緒に作るよ。ふたりで食べるんだもん。そのほうがいいでしょ」

 と、百合は体を前に倒し、ちょっとねじりながら、かわいらしい上目使いで私を見上げる。ほっそりしたウエストに後ろに着きだされた小さなヒップ。ぴったりしたジーンズをはいているせいで形がくっきりとわかる。前にかがんだTシャツの襟元からは若々しい素肌がのぞき、歳のわりに大きな胸の割れ目が……。

 幼いくせに妙にコケティッシュなポーズたった。まだ一三歳のくせにどこでこんな芸当を身につけたものか。

 正直、そんなかわいいポーズでおねだりされて危うく承知するところだった。だが、たとえ愛娘といえど幼い色気などに篭絡ろうらくされてなるものか。これは父としての威厳をかけた戦いなのだ。なんとしても私ひとりでやり遂げ、娘の尊敬を勝ち取らなくてはならない。

 私はともすればにやけさがろうとする顔を必死に引きしめ、キッチンの入り口を指で指し示しながら重々しい口調で言った。

 「さあ、もう寝なさい。子供が夜更かしをしてはいけない」

 「……はあい」

 百合は渋々うなずいた。不満げに私を見上げ、唇を突きだした表情がやはり、思わず抱きしめたくなるほどかわいらしい。

 百合をキッチンから追い出して、私の戦いははじまった。米を炊き、食材を刻み、肉ダネを混ぜ、せっせと弁当作りをすすめる。そんな私の様子を影に隠れてこっそり百合が見守っていたりする。百合は気づかれていないつもりだろうが、もちろん、私から見れば見え見えだ。よほど私のことが心配らしい。少々しゃくにさわりはするが……やっぱり、うれしい!

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