一二章 娘と、そして、妻との三人デートに胸が熱くなるのを止められない

 日曜日の朝がきた。

 抜けるような青空が広がる、雲ひとつない絶好のピクニック日和びより。てるてる坊主をいくつも作ってぶらさげていた百合ゆりの願いは見事に通じたのだ。私はいい気分だった。やはり、世の中、努力は正しく報われなければならない。

 庭に出て空を見上げている私のもとへ、バスケットを両手にさげた百合が元気よく駆けよってきた。

 「ねえ、パパ、早く行こう、早く、早く」

 足元にじゃれつく子イヌのように私にせがむ。きらきら輝く目がまるで宝石のようだ。

 今日の百合はフリルのついたピンク色のブラウスにフリルのミニスカート、ハイソックス、それに丈の短い上着という格好。いつになく女の子らしい服装だ。私とお出かけということで思い切りめかし込んだのだろう。姿ももちろんかわいいが、それ以上に心がけがかわいい。

 ……ああ、いつまでこうして父親とでかけることにときめいてくれるのだろう。百合もいつか親など相手にしなくなり、私ではない、他の男の前でこうしておめかしし、はしゃぐときがくるのだろうか……いや、とんでもない! そんな日をこさせてなるものか! 百合を他の男などには渡さんぞ。私から百合を奪おうとする不埒ふらちな輩は、《毒狼どくろ》の総力をあげて闇から闇へほうむってくれる!

 ――いままでも似たようなことはやってきたが、これからはなお一層、徹底しよう。

 そう決意する私であった。

 「ほら、ねえ、パパ。早くいこうったら!」

 決意に燃える私の横で、私の服の裾などをひっぱりながら百合がせがむ。私はたちまち顔中をにやけさせて答える。

 「ははは。大丈夫だよ。遊園地は逃げたりしないよ」

 「だって、一分でも長くいたいんだもん。早く着けばそれだけ長くいれるじゃない」

 言いつつ百合はガレージに向けて走り出す。

 「先に車に乗ってるらおっ。早くきてねえ」

 ミニスカートをひらひらさせて元気よく走っていく。

 ――ははは、みたか。この百合を私から奪うことなどできるものか。

 優越感にひたりながら私は、百合を追ってガレージに歩き出した。

 日曜とあって遊園地はさすがに込んでいたが、入場制限されるほどでもなく、すぐに入ることができた。人込みができてはいるが、遊園地という場所からすれば適度な賑やかさと言えるだろう。ひとっこひとりいない遊園地、というのはむしろ、ホラーの世界であろう。

 百合は遊園地に入るなり、両手を広げてあちこち駆けまわった。やはり、まだまだ子供だ。こういう場所にくると意味もなく楽しくなるらしい。弁当をつめたバスケットは私がもつことにして正解だった。百合にもたせていたらぶんぶん振りまわして中身をぐちゃぐちゃにしていたろう。

 そんな百合を私はじっと見つめる。楽しそうな我が子を見つめる。これ以上の幸せがほかにあるだろうか。しかし――。

 残念なことにすべての人間がその幸せを手に入れられるわけではない。一度は手に入れても卑劣な犯罪によって奪われる人間は大勢いる。もし、百合を誰かに殺されでもしたら……そんなことは想像もしたくない。

 たとえ、犯人をこの手で八つ裂きにしたところでこの世で一番大切な宝物を失った喪失感が埋まるわけもない。被害が出る前に人の皮をかぶったケダモノどもを刈り取らなければならないのだ。だから――。

 私は正義の黒幕をつづけるのだ。まだ幼い娘に大きな負担をかけることを承知の上で。

 ――すまない、百合。身勝手な父を許せ。

 その代わり、何としてもお前は守る。

 私は心のなかで改めてそう誓った。

 そうこうしているうちに百合ははしゃぎすぎて他人とぶつかりそうになった。私はあわてて声をかけた。

 「こらこら、百合。はしゃぎすぎだ、危ないぞ。迷子になったらどうする」

 「もうっ。パパったらいつまでも子供扱いして。百合はもうそんな子供じゃありませんよお~だ」

 百合はそう言って私に向けて舌を出してみせる。こういうところがやはり子供だ。

 「たったいまぶつかりそうになったじゃないか」

 「あ、あれは……たまたまよ、たまたま!」

 百合は顔を赤く染め、頬をふくらませてそっぽを向いた。それでもまるでスケート選手のように身軽な動作で私の隣に並ぶとほっそりした手をのばして私の手をぎゅっと握りしめた。

 ……ああ。小さな手から伝えられるこの暖かさのなんと感動的なことか。いつまでもこうしていたい。私は心から思った。

 その遊園地は昔とちっとも変わっていない。雰囲気も、アトラクションの種類も、家族連れで賑わうその様子も、何もかも昔のままだ。

 ――なつかしい。

 あの頃は良く家族で遊びにきたものだ。私と、百合と、そして――咲の三人で。ふと、私のすぐ横を歩きながら微笑みかけてくる妻の姿が脳裏に浮かんだ。

 その姿はあの頃といささかも変わらない。変わるわけがない。妻はもう二度と変わることはできないのだ。私とふたり、百合の成長を見守り、共に年老い、人生を熟成させていく……。

 そんな時間はさきにはもうないのだ。

 ――咲は死んだのだ。

 いまさらながら、その思いが胸ににじんだ。目頭が熱くなった。あふれる思いを抑えきれず、涙を流していた。

 「どうかした、パパ?」

 百合の声がした。心配そうに私の顔をのぞき込んでいる。

 私はあわてて涙をぬぐった。百合に微笑みかけた。

 「な、なんでもない。ちょっと目に埃が入ってね」

 「ふ~ん、そう? なら、いいけど。じゃあ、早く行こ。ほら、こっちこっち」

 「おいおい、まってくれよ、百合」

 百合が走り出す。私はあわてて後を追う。

 ……いけない、いけない。いくら咲のことが懐かしいからって娘の前で涙ぐんでしまうなど。こんなことでは咲に叱られてしまうな。

 『そうよ、あなた。百合を不幸にしたりしたら絶対に許しませんからね!』

 そう私を叱りつける咲の声がした。そのことが私はたまらなく嬉しかった。

 ――ああ、任せてくれ、咲。百合はきっと、おれが幸せにしてみせる……。

 青空のもと、人の賑わう遊園地で愛娘と手をつないで散策する。ありふれた日常。当たり前の時間。しかし、悪の首領などをしているとその当たり前の日々の大切さがよくわかるのだ。それを破壊しようと企む外道どもの存在をしるだけに。それだけに、こうしていられる時間がたまらなく愛おしい。私はその愛おしい時間を心から楽しんだ。

 「おっ、みろ、百合。メリーゴーラウンドがあるぞ。乗ってきたらどうだ。写真を撮ってやるぞ」

 私の言葉に百合は頬を赤く染めた。

 「もうっ、よしてよ、パパ。百合はもう、あんなものに乗るほど子供じゃないわ」

 「『あんなもの』はないだろう。昔は大好きだったじゃないか。パパが『もう帰ろう』って言っても、『もう一回、もう一回』ってせがんで、結局、日暮まで……」

 そう言うと百合はますます赤面した。息をつまらせたような表情になる。

 「昔はむかし。中学生にもなって木馬なんか乗れません!」

 ふうむ。そういうものか。子供は子供なりに成長したプライドがあるらしい。

 「それよりほら! あれ乗ろう、あれ!」

 と、百合は弧を描いて滑走するジェット・コースターを指差した。

 「むっ……。ジェット・コースターか」

 「あれっ、パパ? ひょっとして絶叫マシン、苦手なの?」

 「バカを言いなさい。パパに苦手なものなんてあるものか」

 「本当だとも。百合こそあんなものに乗って大丈夫なのか? 恐さのあまりおもらしとかするんじゃないか」

 私の言葉に百合は耳まで真っ赤に染めた。

 「女の子に向かってなんてこと言うのよ! もうっ、パパなんてだいっきらい」

 言うなり百合はかけていく。私はあわてて後を追った。

 ともかく私たちはジェット・コースターに乗り込み、ふたりして思う存分、絶叫して楽しんだ。ホラーハウスに入って楽しそうに悲鳴をあげる百合に抱きつかれ、三D映画を見て、ミニ動物園でウサギやシカと戯れた。楽しく時間を過ごしたところでちょうと昼になった。動物園のなかの芝生に腰を下ろし、自慢の弁当を披露する。

 どうだ! おにぎりに一口ハンバーグ、タコさんウインナーに卵焼き、リンゴのウサギだってあるぞ。百合が一筋の汗を垂らしながらじっと見つめる。感嘆の表情、というやつだ。

 「……色も形も大きさもバラバラ」

 見た目は悪いが味はいいのだ! 男はいつの時代も中身で勝負。

 私は堂々とあぐらをかき、おにぎりを頬張った。百合もそれにつられて、というか、父親に対する義理、という感じでおずおずとおにぎりをつかみ、口に運んだ。表情が一変する。

 「おいしい!」

 「どうだ、百合。パパを見なおしたか」

 「うん、パパ。心配してごめんね。これならいつでもお嫁にいけるよ」

 「バカ。お嫁にいくのはお前だろう」

 「えっ~、百合、お嫁になんかいかないもん」

 「ほう。でも、仕事に生きる女になるのか。それもよかろう」

 「もう、意地悪!」

 百合は怒ったようにそっぽを向く。こんなやりとりができるのは何とも幸せなことだ。

 百合はどうやら弁当に満足してくれたらしい。……よかった。どうにか父親の面目を保てたようだ。これで失敗していたらと思うと冷や汗が出る。

 昼食を終え、腹ごなしの散歩をしていると、ヒーローショーをやっているのに気づいた。タイトルは、

 『激闘! 白百合仮面ユーリ』

 ほう。こんなものまでやっているのか。私は顎に手を当て感心した。

 「見てみろ、百合。白百合仮面ユーリのヒーローショーだそうだ。こんなこともしてるんだなあ。どうだ。見ていってみないか?」

 「えっ~、でも、ヒーローショーなんて……」

 「いいじゃないか。パパだって元・男の子だからな。こういうのはなつかしいんだよ」

 「もう! パパったらユーリのことになる夢中なんだから。百合よりあの子のほうがいいって言うの?」

 百合は頬をふくらませて文句をつける。さぞかし奇妙な気持ちだろう。自分自身に焼き餅を妬いているのだから。私もミスターFに何度となく嫉妬してきたからよくわかる。

 「はははっ。とんでもない。百合より素敵な子なんて世界中、どこにもいやしないさ。ただ、ちょっと昔を思い出したいだけだよ」

 しぶる百合の背中に手をまわし、私たちは入場した。正義のヒーローが怪人と戦う昔ながらのヒーロー物。ただ、観客に二〇代の青年男子がやたら多いのが違和感があった。

 ――いわゆる『オタク』という連中か。むううっ。こんな男どもが百合のことをいやらしい目で見ているのか……。

 そう思うと腸が煮え繰り返った。

 だが、それはともかく、ヒーローショー自体はよくできていた。着ぐるみも精工にできているし、アクションも迫力がある。とくにユーリ役のスーツ・アクター――いや、アクレス、なのか?――が、すばらしい。軽快で小気味よいアクションは本物とみまごうばかりだ。

 「なかなかどうして。見事なものじゃないか」

 私が言うと百合が得意げに言った。

 「でも、本物のほうがずっとすごいよね」

 「ああ、もちろんだ」

 私は心からうなずいた。

 「本物のユーリはさぞすばらしい心をもった純粋な女の子なんだろう。正義を愛する心と勇気とをあわせもったさぞ高貴な魂の持ち主にちがいない。そんな子供をもてたらおや冥利みょうりに尽きるというものだ」

 「本当、パパ? 本当にそう思う?」

 「ああ、本当だもの」

 すがるような目付きで尋ねる百合に向かい、私はあらんかぎりの愛情を込めた視線を向けて答えた。ユーリの正体を知っていることを告げることのできない父親としての精一杯の応援だった。

 私の言葉がよほどうれしかったのだろう。百合は小さく舌を出して『へへっ』と笑ってみせた。そんな百合を私は思わず力いっぱい抱きよせていた。

 遊園地から帰る頃には日はとっぷりと暮れていた。一日中遊びまわって、すっかり疲れたのだろう。百合は夕暮空の下を走る自動車の後部座敷で横になり、リズミカルな寝息をたてている。

 そんな百合の様子をミラーに映して眺めながら、私は胸に一筋に痛みが走ることを禁じ得なかった。

 ――ゆっくり寝みなさい、百合。

 私は心に呟く。

 ――目が覚めたら……かつてない戦いがまっているのだから。

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