一三章 何でこんな非道ができるのか。怒りに体が震えて止まらない 

 その日。シン・グの計画はついに発動した。

 深夜零時を過ぎた頃。ありふれた町中に、駅のホームに、賑わう繁華街に、シン・グの直属の部下たちが派遣され、行動を起こしはじめた。

 彼らはいずれもまだ二〇代の若い男女であり、見た目はどこにでもいる普通の若者たちだった。普通の外見を、普通の服装に包み、普通に歩いている。その中身が普通ではない、恐るべき犯罪者たちであることなど、すれちがった人々の誰ひとりとして気づくことはなかっただろう。

 そのうちのひとりが何気なく交番に近づいた。落とし物を届けにきた善良な市民のように。気づいた警官が椅子から立ちあがった。

 「何か……」

 警官が言いかけた。その瞬間、部下の手が閃き、ナイフが警官の喉を深々とえぐった。血がほと走り、警官は声をあげることすらなく倒れた。自分の身に降りかかったことが一切、理解できなかったにちがいない。床に倒れた警官のうつろな目は『なんで……?』と、問いかけていた。

 部下は倒れた警官のそばにかがみ込むとその銃を奪った。異変に気づいて奥にいたふたりの警官が姿を現した。二度、銃声が響いた。部下は現われた警官を立て続けに射殺した。そのふたりの分の拳銃も奪い、服の内側におさめ、何事もなかったかのように携帯を取り出す。

 「A-1、第一計画完了。これより、第二計画に移行します」

 単に予定の行動を予定どおりにこなしただけ、というビジネスマン的に冷静な声が、《毒狼どくろ》秘密会議場に響く。その声にオペレーターが応じる。

 「了解。即座に移動し、所定の位置にて待機。連絡がありしだい、行動せよ」

 「了解」

 部下はやはり冷静に応えると携帯をしまい、交番を出た。自ら殺した三人の警官の死体をあとに、どこまでも普通の市民のように歩き出す。その場で起きた異変に気づいた市民は……やはり、誰もいなかった。

 それが皮切りだった。それから続々と同種の連絡が会議場に届いた。

 「A-2、第一計画完了」

 「B-8、第二計画に移行します」

 「C-12、所定の位置に到着。連絡があるまで待機します」

 続々と届く報告にオペレーターが休む間もなく応えていく。

 その声を聞く私は全身をわなわなと震わせていた。奥歯をぎゅっと噛みしめ、指が蒼白になるほど強く、椅子の肘掛を握りしめた。両足を踏張り、ともすれば動き出そうとする足を押さえつける。

 この一晩だけで――それも、一時間とかかることなく――国内300ヵ所の交番が襲撃された。そして、そこにいたすべての警官が殺され、銃を奪われたのだ。

 目的を達した部下たちはそのまま所定の位置に移動し、用意されていた車に乗り込んだ。さらに、次の地点へと移動して仲間と合流、十数人ずつの複数のチームを組み、第二計画に取りかかった。

 これらのチームの向かう先。それは――。

 自衛隊基地。

 ダイナマイトを満載した車に火をつけて突っ込ませ、ゲートを破壊。粉々に吹き飛ばされ、炎の舞うなかを部下たちの操る車が次々と乗り込んでいく。基地内に入ったところで車を降り、外に出る。

 何事かと殺到した自衛官や基地関係者を、警官から奪った銃で片っ端から撃ち殺す。わずかのブレもなく相手の眉間を撃ち抜き、空になった銃は放り捨て、新しい銃に取り替える。発砲をつづけながら、泰然と歩いていく。

 あわてもしない。

 怯えもしない。

 ただ、自分のやるべきことを黙々とこなし、遂行していく。

 銃だけでなく、ダイナマイトもつかって障害物を排除しつつ、部下たちは戦車に乗り込み、発進させる。自ら死体の山と化せしめた基地を尻目に市街へと乗り出していく。

 この間、ただの一言もなし。

 部下たちは声による一切の指示のないまま、これだけのことをやってのけたのだ。その姿は私には人間ではなく、殺人ロボットの群れにしか見えなかった。

 私はそのありさまに震えを禁じ得なかった。体の芯が凍りついたような寒さを味わった。

 黙々と『殺人と襲撃』という『作業』をこなすその姿もたしかに恐ろしい。だが、私が本当に恐かったのは、こんな恐ろしい犯罪に手を染める若者がこれほどに存在する、という事実だった。

 本来ならば多感であり、立派な社会の一員となるべく修業中であるはずの世代の若者たち。

 そんな若者たちが感情の欠片も見せることなく、社会に対する卑劣な犯行を黙々とこなしている。

 どうして、そんなことができるのか。

 家族や友人に対して申し訳ないと思う気持ちはわずかもないのか。殺人に対する恐れを感じることはないのか。 

 わからない。

 私にはまるでわからなかった。

 唖然として見つめる市民の目にその威容をさらしながら、戦車は市街地を走り抜ける。奪取された十数台の戦車は夜明けまでにある一ヶ所に集まり、その場を占拠した。

 国会議事堂を。

 地下深くに作られた《毒狼》の秘密会議場に、面白がっているとしか思えないシン・グの声が響いた。

 「チェック」

 その声に命じられたかのように、戦車の群れに占拠された国会議事堂に朗々たる声が響きはじめた。

 「『平等』とは何か。『公平』とは何か。利益は一部の金持ちが独占し、損失は全員で分かち合うことか。否、断じて否。そんなものであるはずがない。平等とは、公平とは、『誰もが等しく幸せになれる』ことを意味する。

 しかるに、現在の世界はそうではない。一部の金持ちのみが利益を独占し、彼らの暴走によって生み出された損失は、マネーゲームに参加することすらできない一般市民に押しつけられる。そして、その事態を招いた金持ちたちは何ら罰せられることなく、責任を問われることすらなく、一般市民の犠牲によって救済されるのだ。

 いまや医療も、教育も、金持ちだけの独占物になろうとしている。金持ちたちの踏み台にされ、貧困を押しつけられた人々は自分の子供に充分な教育を与え、貧困から脱出する足掛かりを与えることすらできない。『自己責任』の美名のもとに見捨てられる。

 金持ちたちは塀に囲まれた都市に閉じこもり、自分たちだけの繁栄はんえい謳歌おうかし、そこに参加できない人々はゴミ溜めのなかに放り出される。きれいな空気も、清潔な水も、新鮮な食料も、夜を照らす電気も、すべては金持ちだけの物。一般市民の手からは奪われつつある。

 それが民主主義か。

 『民衆の、民衆による、民衆のための政治』という理念は、精神はどこにいった。もはや、この現状を変革し、真に民主的な世界を築くためには武力をもってする他はない!

 そのために我々、《叛斗はんと》はったのだ。

 善良なる一般市民よ。

 真面目に日々の労働にいそしむ人間が使い捨てにされる社会が望みか。

 病気の我が子を医者に見せてやることもできない社会が望みか。

 子供たちが将来の希望を見出だすことのできない社会が望みか。

 そんなはずはあるまい。

 ならば起て、国民よ!

 《叛斗革命》に参加せよ!

 当たり前の市民が当たり前に幸せになれる社会、金持ちたちにコケにされ、踏みつけにされることのない社会を自らの手で勝ち取るのだ!

 ともに戦おう、同志諸君!

 この機を逃せば二度とチャンスはない。我々の愛する子供たちは永遠に金持ちたちの踏み台にされ、コケにされつづけることとなる。

 我が子を思うならば同志諸君、我らとともに戦おう。いまこそその時なのだ……」

 テレビから国会議事堂を占拠した武装集団のメッセージが流れてくる。

 さすがはシン・グ。

 アジテーションというものを心得ている。

 もちろん、こんなものは自分の野心を隠すための美辞びじ麗句れいくにすぎない。

 だが、一般市民はそう冷静に受けとめてくれるだろうか。テレビ画面を見つめながら、私は限りなく陰欝いんうつな気分になった。

 当然のことだが、国会議事堂が占拠されたその日から、テレビも、ラジオも、新聞も、毎日二四時間、この件に関する報道ばかりをするようになった。テレビ欄は朝から夜まで政治的な特別番組で占められ、それ以外の番組は一掃された。

 さすがにこんな大事件が起きたとあっては能天気な恋愛物や、代わり映えのしない殺人ドラマなどを流している余裕はなくなったのだろう。

 市民生活は不安におおわれ、外出する人の数はめっきり減った。市街はどこも静まり返った。機動隊が議事堂を包囲した。朝から番まで政治家たちの討論が行なわれ、説得が試みられた。

 マスコミは我先にと取材を申し込み、武装集団の言い分を垂れ流した。おかげでいまや《叛斗》のメッセージは隅々にまで行き渡り、しらぬ者はいないまでになっている。

 すべてはシン・グの予定どおり。

 事前に報告された予想とあまりにもそっくりな展開なので薄気味悪くなったほどだ。

 自衛隊の出動がかからないのも予想どおり。普通ならば国家の中枢が占拠されたとなればただちに軍隊が出動し、排除するものだろう。実際、議事堂を占拠しているとはいえ、《叛斗》の戦力はたかだか戦車十数台にすぎない。自衛隊がその気になればたやすく壊滅できる相手にすぎないのだ。国会議事堂も灰になるだろうが、建物などまた作ればいい。必要なのは一刻も早く秩序を取り戻すことだ。ところが――。

 日本では自衛隊の出動には何かと制約がある。それに何より、複数の自衛隊基地があっさり破られたことが人々を不安にさせていた。

 ――自衛隊幹部や高級官僚のなかに《叛斗》のシンパがいるのではないか。

 その思いが幽霊のように、政治家のみならず一般市民の背後にまで漂っていた。

 ――自衛隊を出動させたら《叛斗》に合流してしまうのではないか。

 その不安が足枷となり、自衛隊への出動命令は出されないままだった。

 やむなく機動隊が包囲することになったわけだが、防弾チョッキや拳銃などで戦車の群れ相手に戦えるわけもなく、遠巻きに見つめているのが精一杯だった。

 政治家が入れ替り立ち替り現われては説得などをつづけていたが、《叛斗》は自分のメッセージを一方的に流すだけで一切の交渉には応じようとしなかった。むろん、それもシン・グの指示である。

 私はテレビのチャンネルを次々と替えた。局のひとつに見知った顔の政治が現われ、発言していた。

 「……周囲を完全封鎖することによって兵糧攻めにし、投降をうながす……」

 バカな!

 そのあまりにのんきな発言を聞いたとき、私は思わず吐き捨てた。

 あのシン・グがそんな手が通用するほど間抜けな計画を立てるものか。彼らは知らないことだが占拠した実行部隊に対する補給態勢は完璧なのだ。

 まったく、敵を知らないとは恐ろしい。恐ろしすぎることだ。しかし――。

 敵を知っていることもまた恐ろしい。

 シン・グの計画が進んだとき……私はシン・グを制御できるのだろうか?

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