二章 愛娘見守り日記(1)

 「おはよう、百合ゆり

 「おはよう、瑞樹みずき紀子のりこ

 百合の明るい声がコンピュータに埋め尽くされた部屋のなかにこだまする。モニターに映る明るい笑顔がとても魅力的だ。

 百合は今朝も元気に通学している。黄色を基調にしたブレザーとチェックのミニスカートという制服がよく似合う。真面目で清楚で、しかもかわいい。小走りにかけるとヒダヒダのスカートがめくれあがり、うっかりすると太ももの奥のほうまで……なぜ、いまどきの学校はどこもかしこもこんなにスカートが短いのだ!

 かがむとパンティーまで丸見えになりそうなスカート丈のどこに、どんな教育的意味があるというのだ! おかげで百合のかわいい脚が世の男どもに丸見られではないか!

 そもそも、こんな短いスカート、痴漢を誘発しているようなものだ。守るべき生徒たちを無用な危険にさらすとはまったく、なんとけしからん!

 い、いや……私が百合のスカートの裾あたりをアップにしているのは決してやましい気持ちがあってのことではないぞ。病気などにかかっていないか、素肌のチェックをしているのだ。断じて、世の男どものようにいやらしい気持ちではない!

 娘を見守る親心だ!

 私の心配りがあってこそ、百合はこれまで病気らしい病気ひとつすることなく健康に育ってきたのだ。何が悪い!

 モニターのなかの百合はふたりの友人と挨拶を交わすと駅に向かって歩き出した。

 毎朝、私を会社に送りだしたあと、朝食の後片付けをすませ、近所でふたりの友人と待ち合わせ、一緒に通学するのが百合の日課だ。そして、そんな百合を会社――《毒狼どくろ》ではなく、表会社の『聖狼せいろ超電子産業』――の最上階にある社長オフィスのさらに奥にある秘密の部屋から、昆虫型監視ロボットを通じて見守るのが私の日課だ。もちろん、百合は私が常に見守っていることを知らない。決して出しゃばらない慎ましい親心というものだ。フッ。

 百合のふたりの友人は高橋たかはし瑞樹みずきくんと佐藤さとう紀子のりこくん。ふたりとも成績優秀、品行方正な優等生だ。ご両親もそれぞれ立派な仕事についておられる。瑞樹くんは歳の割に背が高く、長い髪をたなびかせたおとなびた少女だ。アイドルになってもおかしくないくらいの美少女――もちろん、百合ほどではないことは言うまでもない――でもある。

 紀子くんはやや地味な顔立ちだが、メガネをかけたとても賢そうな少女だ。実際、成績は学年トップである。

 将来の夢は瑞樹くんは外交官になって世界平和のために働くこと、紀子くんは医師になって医師不足解消に少しでも役立つことというのだから頼もしい。まずは百合にふさわしい友人と言える。

 お互いによい影響を与えあい、立派なおとなに成長することだろう。なんといっても、この年代における友人の影響は大きい。ろくでもない友人をもてば本人も堕落だらくするし、すぐれた友人をもてば本人もより高まる。その点、こんな友人に恵まれた娘は幸せ者だ。私もおおいに喜んでいる。もちろん、百合にふさわしくないと思えば即座に排除してやるつもりだが。

 モニターから三人の明るい声が響いている。

 「ねえねえ、昨日の『ガクロウ』、見た?」

 「もちろんよ。翔斗しょうとくん、昨日もカッコよかったあ」

 「そう? あたしは五郎ごろうくんがいいけどなあ」

 「ええっ~、吾妻あずま五郎ごろう? まあ悪くはないけど……でも、ちょっと地味っぽくない?」

 「でも、とってもいい人だわ。やさしいのが一番よ」

 「んっ~、でもねえ……」

 「あたしは加藤かとう先生がいいなあ」

 「げえっ~、マジィ? 紀子、趣味悪ぅ~」

 「なによう」

 三人は楽しげにおしゃべりしながら歩いていく。歳相応の話題が微笑ましい。

 『ガクロウ』というのは最近の中高校生の間で人気の学園ドラマだ。百合がファンだということを知って以来、私もDVDに録画してこっそり見ている。とある高校を舞台に起こる数々の怪奇事件を主人公・にれ翔斗しょうととその相棒であるイイズナのコリューが解決していくというストーリーなのだが……そうか、百合は吾妻五郎くんが好みか。

 安心した。彼はいい若者だ。他人の幸せを喜び、他人の不幸を悲しむことのできる心をもっている。そんな少年を好む百合はやはり、心やさしい子だ。

 格好よくて頼りにはなるかもしれないが、いかにも不良然とした楡翔斗などに憧れられては親としてはたまったものではない。加藤先生というのもいい。真っ当なおとなに憧れを抱くのは成長期の子供にとって有益なことだ。しかし……瑞樹くんが楡翔斗のような不良を好むとは意外だった。となると、彼女との付き合いは考えたほうがいいかもしれない。少なくとも、交友関係をチェックしておく必要はありそうだ……。

 一〇分ほどの距離を歩いて駅に到着する。

この時間の駅はいつも通勤・通学者でいっぱいだ。ホームに並び電車をまつ。電車がやってきてホームに停車する。ドアが開く。車内はすでに混雑しているが、降りてくる乗客はほとんどいない。この辺りは住宅地で職場や学校などはほとんど存在しないのだ。必然的に百合はすでにいっぱいの車内にむりやり体をねじこむようにして入っていくことになる。

 私は毎朝、このときが心配でたまらない。ただでさえ小柄で華奢な百合は高校生やサラリーマンたちの間に埋もれてしまう。もちろん、我が聖狼超電子産業が総力を挙げて開発した――何しろ、開発費だけで会社が傾くところだった。《毒狼》で得た資金をまわすことでようやく乗り切ったのだ――カのように小さい監視ロボットはどんな混雑になろうとも百合を見逃すことはない。

 しかし、とうの百合は身動きひとつできずにいかにも息苦しそうだ。かわいい顔が歪む、電車が揺れるたびに周囲の人間の体がぶつかってきて押しつぶされそうになる。ああ、まったく見ていられない。だから、運転手を雇って自動車通学できるようにしようと言ったのに。うちにはそれぐらいの金銭はあるのだから。それを百合は『わたしひとりそんなことしたら悪目立ちしちゃうじゃない』と断ったものだ。

 貧乏人の子供らに遠慮して特権の行使をよしとしないとは百合はなんとやさしい子なのだろう。しかし、おかげで毎朝の通学地獄だ。おまけに周囲の不埒な男どもは百合の背が低いのをいいことに、上から胸の谷間を覗き込もうとする……心やさしい人間がそのやさしさゆえに損をするなど、世の中まったくまちがっている!

 いや、のぞくだけならまだいい。身動きひとつできない満員電車内で私が一番心配するのは……これだ!

 超小型昆虫型監視ロボットのカメラを通じて私ははっきりと見た。一本の醜い手が伸びて娘の清楚な尻をさわるその瞬間を。私は腰を浮かせた。頭に血がのぼった。モニターに食ってかかろうとした。両の目は鬼のごとく血走っていたにちがいない。

 ああ、いますぐ娘のもとに飛んで行けないこの身が恨めしい。いっそ、肉体をもたぬ守護霊であったなら、いついかなるときも娘とともにあり、守ってやれるものを。

 私自分の無力さに身悶えした。

 だが、しかし!

 百合はそんじょそこらのかわいいだけの少女ではない。私のすべての能力を受け継ぎ、正義のスーパーヒーローとなるべく鍛えられてきたスーパーガールなのだ。卑劣な痴漢ごときに遅れをとるはずもない。

 痴漢の手が尻にふれたかどうかのうちに百合の右手が電光のように後ろにまわり、手首を握りしめ、ねじりあげた。男の悲鳴があがる。百合は大きな目をキッと怒らせてその男、四〇代の中間管理職とおぼしき男をにらみつけると、大声で叫んだ。

 「この人、痴漢です!」

 周囲の乗客の目が一斉に男に向かう。男は見るからにうろたえた。辺りをきょろきょろし、逃げ出そうとした。しかし、百合はその卑劣な犯罪者の手首をしっかりと握りしめ、はなそうとしない。男はさぞ驚いたことだろう。幼い頃からありとあらゆるトレーニングを重ねてきた百合は見た目よりもはるかに力がある。やすやすと振りほどけるものではない。それでなくとも身動きとれない満員電車だ。逃れられるはずもなく、周囲の視線にさらされている。

 ふっふっ、いい気味だ。恥知らずな犯罪者め。卑劣な不道徳者め。我が愛娘の清楚でかわいらしい容姿にだまされて手を出すからこうなるのだ。もちろん、百合の容姿にだまされるその趣味のよさだけは誉めてやるが。

 百合は男の手首をつかんだままはなさない。男の手首にはくっきりと百合の指形がついていることだろう。私はその光景に満足した。モニターの前で脚を組み、心満ちた思いでコーヒーを飲んだ。

 電車が駅に着いた。百合は男を引きずりおろし、駅員に突き出した。

 「二度とこんなことをしないよう、うんと懲らしめてやってください!」

 妥協のない口調でそう告げる。いや、実に痛快だ。まったく、卑劣な犯罪者に遠慮は無用だ。世の中がよってたかって甘やかすからつけ上がり、のさばるのだ。犯罪者など即刻、社会から排除するにしかず。百合はそのことをよくわかっている。我が娘ながら実に頼もしい。

 ところで、百合たちの本来、おりる駅はまだ先だ。駅員に痴漢を突き出したあと、すぐに電車に戻る。瑞樹くんと紀子くんが囃し立て、百合の勇気を称賛する。百合は笑顔でふたりに応じながらハンカチを取り出し、右手を丹念に拭くとそのハンカチを駅のゴミ箱に放り込んだ。うんうん。あんな卑劣な犯罪者の手首をじっと握っていたのだ。さぞ気持ち悪いことだろう。その気持ちはよくわかる。できることならいますぐ飛んでいって消毒液で拭いてやりたいぐらいだ。

 痴漢はといえば、『ほんの出来心です』、『家族や会社にはどうか内密に』とか言いながら駅員に連れられていく。年齢と着ているスーツからしておそらく会社では部長クラスであろう。妻も子もいるにちがいない。今夜にはニュースになり、その行為が全国に知らしめられることだろう。会社にもいられなくなり、家族にも愛想をつかされる。四〇代にしてひとり、路頭に放り出されるわけだ。もちろん、そんなことで我が愛娘の尻を汚した罪は消えはしない。

 私は男の顔を記録すると《毒狼》の部下に連絡した。

 「この男をすみやかに抹殺するように」

 命令に応じる部下の声を聞いて、私は満足して通信を切る。それにしても世に卑怯者の種は尽きまじ、だ。百合が電車通学するようになってから目撃した痴漢どもをもう一〇人以上も抹殺しているというのに一向にいなくなる気配がない。正義の戦いはまったく果てしないものだ。

 電車が百合たちのおりる駅に着いた。その他大勢と一緒に電車をおり、駅前の通学路を通って学校に向かう。学校前では門に立っている教師に挨拶しながら、制服を着た少年少女が続々と門を通って行く。

 ……本当は私は女子校にやりたかったのだ。しかし、通学可能範囲に女子校がなかったので仕方なく共学にやることにした。そのことを私はいまだに後悔している。やはり、引っ越ししてでも女子校にやるへきではなかったか。とはいえ、私にも通勤の問題がある。まさか、ここまで大きくなった本社ビル――しかも、秘密基地つき――まで引っ越させるわけはいかないし……。

 かわいい娘をもった父親の悩みは尽きることがない。

 やきもきしているところにいかにも頭の軽そうな少年――いや、小僧――が百合に向かって駆けよってきた。

 「よっ、高嶺たかみね

 通り過ぎざま、百合の尻をぽんと叩いていく。

 「きゃっ!」

 百合はかわいい悲鳴をあげて両手で尻を押さえて飛び上がる。

 不埒ふらちな小僧は三メートルほど走り去ってから振り返り、手をあげて叫んだ。

 「相変わらずいい尻してんな。オヤジどもにさわらないよう気をつけろよ」

 「もう、新堂しんどうくん!」

 頬をふくらませて怒る百合を尻目に、新堂とかいう糞餓鬼は笑いながら去っていく。

 百合は姿の消えたその場所を両手に腰を当てた仁王立ちの格好で、頬をふくらませたままにらみつけている。

 「もう。新堂くんたらいつもいつも馴々しいんだから」

 瑞樹くんが笑いながら言った。

 「あはは、怒らない、おこらない。あいつ、百合のことが好きなんだからさ」

 「好きならどうして人のいやがることをするのよ」

 「それが男ってもんよ。いつまでたってもガキなんだから」

 「失礼だわ、そんなの」

 「そんなこと言って、百合だってまんざらでもないくせに」

 なんとしたことか。瑞樹くんがからかうように言うと、百合は頬をかすかに赤く染めた。

 「な、なに言うの! あたしはそんな……」

 「あはは、赤くなってる、赤くなってる」

 「ち、ちがうわよ! これは怒ってるから……」

 「隠さない、かくさない。だって、オヤジ相手なら容赦なく突き出すあんたが新堂には何も言わないじゃない。それって、心を許してるってことでしょ?」

 「そ、そんな……!」

 百合はますます赤くなる。

 「ふふ。お似合いよ、百合ちゃん。新堂くんってあれでけっこうやさしいし。ぴったりだと思うわ」

 「紀子まで!」

 百合の顔はいまや風呂あがりのように真っ赤になっていた。

 私は無言で通信機を操作した。部下に向かって指示する。

 「この小僧を転校させろ。できれば地球の裏側にでも。どんな手を使ってもかまわん。なに? 理由だと? バカ者! 理由などどうでもいい! 総統の命令が聞けんのか、さっさと手を打たんか!」

 私は叩きつけるようにして通信機を切った。まったく、気の効かん部下だ。総統の胸のうちぐらいそれとなく察しんか。無能な部下をもつと苦労する。

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