一七章 娘が捕らえられただと⁉ 傷ひとつでもつけたら許さんぞ!

 逃げるだと?

 どういうことだ?

 せっかく占拠した国会議事堂をこうもたやすく明け渡すつもりなのか。奪い取った戦車やマシンガンは、実行隊員たちはどうする? 隊員が捕まり、自白させられれば、《毒狼どくろ》の秘密がばれてしまうではないか。

 シン・グは組織を潰すつもりなのか?


 まさか。そんなはずはない。では、何を考えている。やつは何のつもりなのだ?

 私は混乱した。シン・グの狙いが読めずにあわてた。だが、それどころではなかった。秘書Rはアクセルを踏みしめ、ハンドルを操作し、戦場を離脱した。場違いな高級車は裏口から出ていった。

 いかん。このままではシン・グを逃がしてしまう。シン・グの乗る車はむろん、ただの高級車などではない。《毒狼》幹部用に作られたモンスターマシンだ。パトカーなどでは追いつけないし、ライフルで狙撃したぐらいではびくともしない。ヘリで追おうにも対空ミサイルを完備していて余裕で撃墜できるというすぐれものなのだ。

 やつを追うにはこちらもそれ相応のスーパーマシンが必要になる。

 あの男が何の目的も、計画もなしに逃げたりするはずがない。必ず、何かの狙いがあるはずだ。その目的を知らなくては。このまま逃がすわけにはいかない。

 「ユーリ!」

 私は百合ゆりに連絡した。突然、マスクのなかに響いた私の声に百合は驚いたようだった。思わずマスクの上から耳を押さえ、呟いた。

 「ミスターF?」

 「ユーリ、テロリストたちのリーダーが裏口から逃げた。銀の高級車だ。追え!」

 「え、でも……」

 「心配いらん。その場は機動隊に任せて、とにかく裏口に急げ」

 「わ、わかりました!」

 百合はいつでも素直だ。私ことミスターFの指示どおりに戦いの場をはなれ、裏口に向かった。ここで私はにんまりと笑いながらリモコンを操作する。

 ふふふ。百合の驚く顔が目に浮かぶ……。

 裏口にやってきた百合が見たもの。それは一台のバイクだった。

 「これは……」

 呟く百合の声が私のマスクに届く。驚いたときの癖で両目を大きく開き、口元に手を当てる姿を思い浮べながら、私は得々と解説する。

 「君専用のスーパーマシン、その名もL.フレイムだ!」

 バイクに乗らない正義のヒーローなど正義のヒーローではない!

 その当然の哲学に従い、百合のデビューを決めたときからその体格にあわせ、ちゃんと用意しておいたのだ。

 純白のユリの花を炎に見立てたそのデザインは可憐で美しく、それでいて精悍。まるで宝石でできた戦乙女のよう。まさに百合のためと呼ぶにふさわしい美しいマシンだった。

 「そのマシンならばリーダーの車を追うなど簡単だ。さあ、乗りたまえ、ユーリ。正義のために!」

 私はユーリに語りかける。もちろん、一三歳の百合は免許などもっていない。バイクに乗ったことなど一度もない。だが、AIによって操作されるオート・バランス・システムを搭載したL.フレイムは自転車よりも簡単に乗りこなせる。まして、百合の身体能力なら不安などいっさいない。

 「わかりました!」

 百合は力強くうなずくとL.フレイムに飛び乗った。驚きの声が届く。

 「すごい! 私の身体にぴったり。まるで測ったみたい」

 そう文字どおり測ったのだ。百合のシャワーシーン映像をコンピュータで解析して……いや、そんなことはどうでもいい。とにかく、これさえあればシン・グを追える。私は今一度、叫んだ。

 「さあ、いけ、白百合仮面ユーリ! 君の手で平和を取り戻すのだ!」

 「はい!」

 百合はそう答えるとL.フレイムを発進させた。エンジン音が鳴り響き、タイヤが回転し、炎を思わせるユリの花の車体が大気を斬って走り出す。

 最初はゆっくりと。すぐに加速してF1カーすら遠く及ばない速度をもって。

 はじめて乗るにもかかわらず、百合は完璧にL.フレイムを乗りこなしていた。疾走しっそうする車体にブレはなく、風圧に押されている様子もない。しっかり前傾姿勢でハンドルを握りしめ、操作している。振りまわされている様子はない。

 さすがに我が娘だ。

 マシンに対する天性の勘をもっている。

 その様子に満足し、私も私自身の乗る車を発進させた。

 私の、いや、ミスターFの愛車の名を『サンソン』。代々にわたってパリの死刑執行人を務め、かのフランス革命のおり、ルイ一六世の首を刎ねた一族の名を冠するスーパーマシン。

 見た目はごく普通のスポーツ・カー。だが、むろん、中身はまるでちがう。戦車砲をも跳ね返す電子結合強化殻に守られ、対空ミサイル、一二.五㎜機関銃二門を備え、最高時速七六〇キロ、超音波破砕砲までも装備し、戦車と正面衝突してこれを粉砕できるというモンスター。私の自慢の正義のスーパービーグルなのだ。

 機械の身体をもってよみがえった現代の犯罪者処刑人を駆り、私はシン・グと、シン・グを追う愛娘まなむすめの後を追った。

 シン・グは郊外の人里はなれた高原へと逃げていった。そのルートを見て私は首をひねった。この先にはとうに打ち棄てられたホテルがある。赤字つづきで倒産し、解体費用もないのでそのまま放置されている無人の廃墟……というのはあくまでも表向きで、実は我が、《毒狼》の秘密基地のひとつなのである。

 《毒狼》の中枢はむろん、聖狼せいろ超電子産業本社ビルの地下にある秘密会議場なわけだが、まさか、いくらなんでも表の顔である本社ビルにいかがわしい連中を出入りさせるわけにはいかない。そのため、悪事の拠点としてこのような施設を数ヶ所に用意してあるのだ。

 シン・グはその基地に逃げ込もうというのか。しかし、部下たちは国会議事堂においてけぼりにしていたのではなかったか。単身、逃げ込んでどうする? 基地の位置を教えてしまうだけではないか。いったい、やつは何を考えているのか……。

 私の疑問を尻目に、シン・グはやはりホテル前に車を停車させた。秘書Rとともに外に出る。変わることのないどこか微笑を含んだような表情のまま、涼しげに立っている。自分を追ってくる正義のヒーローの訪れをまっているようだ。

 百合がやってきた。

 L.フレイムにまたがって。

 百合はふたりの姿を確認した。L.フレイムを停めた。地面に降りた。シン・グ、秘書Rと百合が対峙する。

 私は三人に見つからないように近くの物陰にサンソンを停め、監視ロボットを通じて様子をうかがっていた。

 三人のうち、最初に口を開いたのはシン・グだった。胸に手を当て、微笑を浮かべ、貴婦人を前にした紳士のように礼儀正しく挨拶する。

 「はじめまして、正義の騎士どの。我が名はシン・グ。悪の秘密結社、《毒狼》の幹部」

 「そして、わたしは……」

 むせ返る色香が蝶のように舞うような、そんなセクシーな仕草でウェーブのかかった長い髪をかきあげながら、秘書Rがつづいた。

 「秘書R。マイ・ロード、シン・グの右腕。よろしくね、正義の味方さん」

 ちょっと身体を斜めに曲げ、左手を腰に当て、右足を曲げ、右手でチュッと音をたてて投げキスをしてみせる。その妖艶さはまさに魔女。男心をとろけさせるサッキュバスだ。

 ――ああ、百合。頼むからこんな女にはならないでくれ。いつまでも清楚で純真な娘であってくれ……。

 百合は視線をめぐらし、ふたりの悪党をじっと見つめた。

 「観念……したの?」

 マスクに包まれた顔をかすかにうつむけ、上目使いに尋ねる。不審そうに、というのではない。そうあってほしいと望むような問い方だった。

 もとより、心やさしい百合のこと。いくら悪人とはいえやっつけるのは気が引けるにちがいない。

 改心し、自ら捕まってほしい。

 そう願っているにちがいない。だが、百合にはかわいそうだが、このふたりはそんな殊勝なタマではない。私はそのことをしっている。残念だが。

 「まさか」

 と、シン・グは百合の心をあざけるように微笑んでみせた。

 「おれは君をここに招待しただけさ。そして、君は来てくれた。それだけのことだよ」

 「……あなたの部下は今頃、全員、警察に逮捕されているわ。ふたりだけで何をするつもりなの?」

 「あいにくだけどね。白百合仮面。おれの部下はひとりも捕まってはいないよ」

 「どういうこと?」

 「交番や自衛隊基地を襲い、国会議事堂を占拠したおれの部下たちはとっくに全員、引き上げさせている。あそこにいたのは洗脳して部下にでっちあげただけの一般市民さ」

 「なんですって⁉」

 ――なんだと⁉

 百合の叫びと私の驚きが同時に起こった。洗脳しただけの一般市民だと?

 くそっ、どうりで見覚えのない顔ばかりだと思った。そうであればあのマネキンのような無表情さも、異常なまでに使命に従順な態度も納得がいく。自我を奪われ、ただ、指令のままに操られていたのだ。なんとかわいそうなことか……。

 ……いや、ちょっとまて。ということは、百合は……百合は……。

 百合もそのことに気づいた。気づいてしまった。その恐ろしい現実に。数歩、後ずさった。いやいやをするように首を左右に振った。マスクのなかの愕然とした表情が目に浮かぶようだった。

 秘書Rが笑いながらその事実を指摘した。

 「そうよ。正義の味方さん。あなたは操られているだけの罪もない市民を殺したの。何人も、何人もね。うふふ。かわいそうな人たち。自分を守ってくれるはずの正義の味方に殺されたなんて、さぞ悲しいでしょうね」

 「そんな……そんな」

 百合はかぶりを振りながら呟く。

 すっかりショックを受けている。秘書Rはさらに追い打ちをかける。

 「それとも、正義のためなら罪もない市民を殺すこともいとわない、ということかしら? まあ、立派な信念だこと。あなたのほうがよっぽど危険なんじゃないかしら? ご遺族の意見をぜひ、聞いてみたいものね」

 口元に手を当て、ころころと笑う。

 ええい、何という卑劣な女だ! 自分たちでそう仕向けておいて他人のせいにするとは! 私は思わず百合に声をかけていた。

 「ユーリ!」

 「……ミスター……F」

 「まどわされるな! 犠牲になった人たちは気の毒だが、そう仕向けたのはやつらだ。責任を負うべきはやつらであって君ではない! 気をしっかりもて」

 「でも……でも、殺したのはたしかに……わたし……」

 「ユーリ!」

 私の叫び声に百合はビクン、と体を震わせた。

 「ショックを受けている場合か! よく考えろ。そいつらを放っておければまた同じことが起きるのだぞ。犠牲になった人々に申し訳なく思うならそいつらを倒せ!」

 「ミスターF……」

 私は息をついて気を落ち着かせると、やさしい声を出した。

 「……覚えているかい? 昔、言ったことがあるね。『君の《力》は悪を倒すために神さまが与えてくれたものだ』と。ならば、神さまに委ねればいい。君のしたことが罪だというのなら、いずれ神さまが君を罰するだろう。そのときがくるまでは《力》を与えられた責任を果たすんだ」

 「………」

 「……できるね、ユーリ。君なら」

 「……はい」

 百合は小さくうなずいた。その短い答えのなかにどれほどの思いがこもっていることか。私は幼い娘の健気さに涙を禁じ得なかった。

 百合は立ち直った。両足を踏張り、身体を屈め、いつでもふたりに飛びかかれる姿勢を問った。シン・グが感心したような声をあげた。

 「ほう。もう立ち直ったのか」

 「冷たい人ねえ。悔やんでももらえないなんて殺された人たちがかわいそう。涙が出ちゃう」

 「黙って!」

 秘書Rのわざとらしい言葉に百合は叫んだ。

 「もうそんな言葉には惑わされない! 犠牲になった人たちのためにも、新しい犠牲を出さないためにも、あなたたちを倒す!」

 「できるのか?」

 シン・グが笑いながら問い返す。

 「ふたりぐらい……」

 百合が答える。

 シン・グは『ちっちっちっ』と人差し指を振ってみせた。

 「ふたりじゃないんだ」

 「えっ?」

 「言ったろう? 部下たちは全員、引き上げたさせた、と。では、彼らはどこにいるのかな?」

 ――まさか。

 パチン、とシン・グは指を慣らした。

 そのとたん、ホテルの部屋という部屋に電気がつき、窓からもれる光があたり一面を照らし出した。百合はあまりのまぶしさに一瞬、顔をおおった。どこに隠れていたのかと思うほど多くの人間が姿を現し、手にしたネットガンを一斉に発射した。

 「きゃあっ!」

 百合の悲鳴があがった。

 高速で射出されたネットが幾重にも重なり、百合を地面に組み伏せた。百合はなんとか脱出しようともがくが幾重にも重なったネットは互いにからまり、もつれあい、まるで一枚の壁のようになっていた。スーツで強化されているとはいえ、人間の力でどうにかできる情況ではなかった。

 シン・グがネットに押しつぶされた百合に近づいた。相変わらずのほのかな微笑を含んだ表情が癪にさわる。

 シン・グが百合の前に膝をついて座った。微笑みながら言った。

 「さて。では、まずは正義の味方の素顔でも拝ませてもらおうかな」

 シン・グの手が百合のマスクに伸びる。

 「いやっ! やめて」

 百合は必死にもがき、顔を左右に振って逃れようとしたが、ネットに身体の自由を奪われた身ではどうすることもできない。シン・グの手がマスクにかかり、はぎ取った。

 「ほう」

 と、シン・グの口から感嘆の声がもれた。

 「これは、これは。勇ましい正義の騎士どのがこんなかわいらしいお嬢さんだったとはね」

 キッ、と百合はシン・グをにらみつけた。

 シン・グはマスクを手に立ちあがった。楽しそうに秘書Rを振り返った。

 「まさに、期待どおりの展開だな」

 「ええ、本当に」

 秘書Rはうなずいた。

 「とっても清楚で可憐でやさしそうで。うふふ。裸にむいてたっぷりかわいがってあげたいですわ」

 小指を真っ赤なルージュを塗った唇に当てて、ころころと笑う。その言葉だけで娘がどうしようなく汚された気がして、私は押さえきれない怒りを感じた。

 「くっ……!」

 百合が唇を噛みしめた。目に力を込めた。《力》が発動した。放たれた《力》はシン・グを直撃し、その身体を吹きとば……すはずだった。だが――。

 そうはならなかった。

 シン・グは何事もなかったかのようにその場に立っている。百合の放った《力》はどこへともなく消えてしまった。百合は大きな目をいっぱいに見開いた。愕然がくぜんとしてシン・グを見上げた。

 「そ、そんな……」

 うめく百合のこめかみを一筋の汗が流れ落ちた。

 そんな百合を嘲笑あざわらうかのように秘書Rがトランク・ケースほどの大きさの機械をもちあげてみせた。

 「これ……何かわかる?」と、秘書R。

 「自らの精神力をもって物理現象を引き起こす君の《力》には敬服する」

 シン・グが静かに言った。

 「だがね。どんな力で引き起こされたにせよ、その現象自体はあくまでも物理的なものなんだよ。君はただ、大気を圧縮して撃ち出しているに過ぎない。その程度のことなら機械でもできるし、同じ力をもつ機械を使えば相殺できるんだよ」

 「そんな……」

 頼みとする《力》を封じられて、百合は全身を小刻みに震わせた。

 「さて。それではそろそろ眠ってもらおうか」

 シン・グは再び百合の前に屈み込んだ。ポケットから小さなビンとハンカチを取り出した。ビンの蓋を開け、なかの液体をハンカチに振りかける。シン・グは濡れたハンカチを百合の口元に押しつけた。

 「ん……むむっ」

 百合は何度かくぐもった声をあげた。すぐに静かになり、両目を閉じてがっくりと頭を落とした。

 そんな百合を見下ろしながら、シン・グはやさしい笑顔で語りかけた。

 「おやすみ、お嬢さん。目が覚めたら初体験がまっているよ」

 シン・グは立ちあがった。鋭く腕を振り、待機している部下たちに命じた。

 「騎士どのを地下牢にお連れしろ。丁重にな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る