一九章 縄で吊るされ、拷問を受ける娘の姿に真の正義のヒーローを見た!

 私は《冬の狼》の衣装を――大いなる喜びをもって――脱ぎ捨てると、ミスターFの姿となって百合ゆりが囚われているはずの地下牢へと向かった。

 当然のことながらこの基地はシン・グ直属の部下たちでいっぱいなわけだが、見つかる恐れはない。何しろ、私が、《毒狼どくろ》を作った目的は悪党どもを傘下に集め、抹殺することにあったのだ。

 裏切ることが最初からの目的なのだから《毒狼》のありとあらゆる基地・設備には部下たちの知らない――もちろん、シン・グやその他の幹部たちもしらない――秘密の抜け道や仕掛けが縦横じゅうおう無尽むじんに張り巡らされている。それらを使えば誰にも見られることなく基地の反対から反対へ抜けることなど、しごくたやすい。

 地下牢を前にして私は脚をとめ、大きく深呼吸した。はやる気持ちを押さえるためだ。尋問中というからには百合の傍にはシン・グの直属の部下が――おそらくは秘書Rが――いるはず。うかつに姿を見せて百合を人質にでもされたら元も子もない。慎重にいかねば。

 私は例の極小昆虫型監視ロボットを飛ばして地下牢の様子を盗み見た。すると、すると――。

 おお! 何ということだ。そこでは百合が、私の大切な娘が衣服のすべてをはぎ取られ、一糸まとわぬ裸体をさらしているではないか。おまけに、両手両足をローブで結ばれ、宙吊りにされている。

 しかも! その輝くばかりの白い肌のあちこちには赤いミミズ腫れの跡。まちがいない。むち容赦ようしゃなく打たれた跡だ。

 その姿を見たとたん、私はめまいを感じた。泡を吹いて卒倒しそうになった。その衝撃から立ち直ると今度は例えようのない怒りが心の奥底から沸き上がってきた。

 ――おのれ、シン・グめ。あの外道め! まだ一三歳の少女をこのような目に遭わせるとは何と非道なやつ。やはり、あやつは生かしておいてはならない。何としてもこの場で始末をつけてやる。

 私はその決意を新たにした。

 しかし、それにしてもこんな真似を実際にするやつは……。

 私は百合の周囲を確認した。

 やはり。

 やつがいた。

 シン・グの側近中の側近、ウェーブのかかった長い髪がゴージャスなムードを醸し出す美女。

 秘書R。

 秘書Rは宙吊りにされた百合の目の前に妖艶ようえんな笑みを浮かべて立っていた。楽しくてたのしくて仕方がない、という表情だ。右手には鞭。黒皮のその鞭の表面にはうっすらと赤い跡……。

 ――百合の血だ……!

 その思いとともに頭に血がのぼった。怒りが炸裂し、身体がバラバラになるかと感じた。そのまま飛び出さなかったのは単に、怒りのあまり全身が硬直してしまい、動けなかったからに過ぎない。そうでなければ問答無用で秘書Rを殴り殺していたところだ。

 私の怒りも知らず、秘書Rは口元に鞭を手にして右手を当てて、喉を仰け反らせ、淫蕩いんとうな様子で声をたてて笑った。

 「おほほほほっ、いい様ね、正義の味方さん。恥ずかしいわよねえ。倒すべき悪の手先にこんな目にあわされているんだもの。恥ずかしくて、恥ずかしくて死んじゃいたいぐらいでしょう? でも、とってもお似合い。清楚な女の子がイジめられている姿って本当にそそるわあっ」

 残念なことに――秘書Rの言葉のなかに何かゾクゾクさせられるものがあるのはたしかだった。

 百合はそんな秘書Rをきっとにらみつけた。

 おお。

 百合はまだあきらめていない。敵に囚われ、こんな目にあわされながらも、戦う気力を失ってはいないのだ。それでこそ正義のスーパーヒーロー。

 私は百合を心から誇りに思った。

 秘書Rは百合ににらまれても怒った様子はなかった。むしろ、好意的、と言ってもいいくらいの笑顔で見た。

 「あら、素敵な目。清楚でかわいらしい上に気が強いなんて、なおさら素敵だわ。そんな子を泣かせる瞬間が最高なのよねえ」

 言いながら秘書Rは左手をのばした。真っ赤なマニキュアを塗った人差し指が百合のふくらみかけた乳房に迫る。ふくらみの上に走る赤い筋にふれた。ツツッとなぞるように移動させる。

 「……! いやっ!」

 さすがに百合は叫んだ。顔を恥ずかしさに真っ赤に染めて、秘書Rの魔指から逃れようとする。しかし、しょせん、両手両足をロープに結ばれ、宙吊りにされている身。体を左右によじるのが精一杯で逃れようなどない。

 秘書Rは百合のそんな様子に興奮させられたのかますます指の動きを強めた。人差し指の腹を乳首に押し当て、こねまわす。目が爛々らんらんと輝き、舌なめずりしている。

 「うふふっ。楽しいわあ。こんなところ、まだ誰にもさわられたことないんでしょう? お姉さまがはじめてなのね。感激しちゃう」

 あろうことか、秘書Rは指だけではなく、真っ赤な唇まで百合の乳房に近づけた。ぷくっと飛び出したピンク色の乳首をその口に含む。

 「いやっ……!」

 百合は再び叫んだ。必死に身体をねじった。気丈に堪えようとするその目からは涙がにじんでいた。

 私はその様を見ながら全身をわなわなと震わせていた。人間、あまりに怒りすぎると返って全身が硬直し、指一本動かせなくなるのだということを、私はこのとき、生まれてはじめてしったのだ。

 秘書Rが百合の乳首から口をはなした。ピンク色の健康的な乳首と淫蕩な赤い唇との間に透明な唾液の橋がかかった。秘書Rは異様に輝く目で百合を見上げながら言った。

 「どうお? 恥ずかしいでしょう? たまらないでしょう? お姉さまってこういうことが大好きなの。あなたがあんまり強情だともっともっと恥ずかしいことやっちゃうから。だから、言っちゃいなさいな。あなたのバックは誰? あなたの装備は誰が用意したものなの? あなたの、いわゆる正義の秘密基地はどこにあるのかしら?」

 秘書Rはささやくように、歌うように、奇妙なイントネーションをつけて尋ねる。百合はそんな秘書Rを涙をいっぱいにためながらも、唇を噛みしめ、キッとにらみつけた。

 「バックなんていないわ。あたしはひとりでやっているのよ。それに、恥ずかしくなんてないわ」

 「なんですって?」

 『恥ずかしくなんてない』

 そう言い放った百合の言葉に秘書Rがはじめて怒りを見せた。眉をつりあげ、唇をねじまげ、目に鋭い光を宿して百合をにらみつける。その表情はまさに鬼女。百合の毅然きぜんとした態度がこのゲス女の正体を暴こうとしているのだ。

 百合はそんな秘書Rをにらみつけ、なおも毅然とした態度で言った。

 「自分が大切だと思ったことの結果だもの。どんな目にあったってへっちゃらよ。恥ずかしくなんてない。むしろ、誇りだわ。恥ずかしいのはあなたのほうでしょう!」

 「なんですって?」

 「犯罪に走り、ご両親や家族を裏切り、大勢の人を不幸にする。そんな真似をして恥ずかしくないわけがないわ。 少しでも人の心があるのならすぐに自首して前非を悔いなさいっ!」

 「きさまあっ!」

 百合の叫びを聞いて私は感涙にむせんでいた。あの百合が、ついこの間まで赤ん坊だと思っていた百合がこんなにも立派に育っていたとは。

 ずっと、ずっと、見守っていたつもりだった。

 その成長ぶりはすべて把握しているつもりだった。

 とんでもない。

 百合は私が思っていたよりはるかに立派に成長していた。子供というものは親のしらないところでこんなにも成長するものなのか。

 私の頭のなかで百合との思い出が走馬灯のように駆け巡る。物心ついたときから将来の正義のスーパーヒーローになるべく育ててきた。

 スポーツも勉強もどんどんやらせた。

 一緒になって野山をかけ、スキーやサイクリングに出掛け、スポーツ・ジムで体操をした。毎日、学校の勉強を見てやりもした。その一方で正義のヒーローの何たるかを懇々と説いて聞かせた。

 「いいか、百合。世の中にはな。気のやさしい善良な人間を食い物にする悪いやつがいっぱいいるんだ。そんな連中から罪もない人々を守るのが正義の味方だ。スーパーヒーローだ。とってもやりがいのある、格好いいことなんだよ。百合はそうなるかい?」

 「うん、パパ。百合、おおきくなったらせいぎのすーぱーひーろーになる!」

 あぐらをかいた私の脚の上にちょこんと座り、バナナのような小さな手を広げ、はじけるような笑顔で言ったものだ。あの頃の百合はまだ幼稚園だったが。ほんの昨日のことのような気がするのに……。

 そしていま――。

 百合はまぎれもなく、正義のスーパーヒーローになっていた。

 私はマスクの上からとめどもなく涙を流す目を押さえた。

 「きさま、きさまっ、きさまあっ!」

 恥ずかしがることもなく、恐がることもせず、毅然として意見する百合の態度がよほど逆鱗げきりんにふれたのだろう。秘書Rはいまや妖艶な悪女の仮面を脱ぎ捨て、下劣で凶猛な鬼女の姿をあらわにしていた。鞭を振り上げ、百合の裸体を無茶苦茶に叩く。

 「この生意気な小娘が! きさまは意見などできる立場じゃないんだ、うちひしがれろ、はいつくばって許しを乞え、それがきさまに許された唯一の道なんだ!」

 叩く、

 叩く、

 叩きまくる。

 皮が皮膚を叩く音が室内に響き渡り、血がしぶき。それでも百合は悲鳴ひとつあげなかった。血がにじむほど強く唇を噛みしめ、声ひとつもらすまいとしている。

 ――こんなやつに悲鳴なんて聞かせてやるもんか……!

 そう決意しているのだ。どこまで立派な娘なのだろう。神など信じない私だが……このときばかりはこんな娘を与えてくれた神に感謝した。

 そして、百合の毅然とした態度は私にかけられた呪縛をも解いてくれた。私はその場に飛び出した。秘書Rが振り向いた。顔中に汗が吹き出し、乱れた髪が張りつき、目と唇を歪ませたその表情は、一気に一〇〇歳も歳をとったように見えた。

 いや、あるいは本当に、人の生き血を吸って若さを保ってきた老婆なのかもしれない。

 だとしても、私には関係のないことだ。私は腕をのばした。秘書Rを殴り飛ばした。

 下劣な鬼女は人形のように吹き飛んだ。壁に頭が叩きつけられ、破裂した。シン・グの側近を務めた魔女のあっけない最後だった。

 百合をはずかしめておきながら、苦痛を感じることもなく一思いに死ねたのだ。感謝してもらおう。

 私は百合に近づいた。娘をいましめるロープを解き、そっと床におろした。

 百合はさすがに立っていられず、その場にへたり込んだ。

 私も膝をついた。マントを外し、百合の肩にかけてやる。百合はマントを両手でつかみ、私を見上げた。私はできるかぎりのやさしい声で言った。

 「かわいそうに。よく耐えたね」

 変声機を通したその声は高嶺たかみね志狼しろうのものとはまっちくちがう。正体がバレる恐れはない。

 「あなたは……?」

 「ミスターF」

 『パパだよ』と言ってやれないことに胸の痛みを感じながら、私は答える。

 「あなたが……ミスターF」

 「そうだ」

 私はうなずいた。さして、ひとつの包みを差し出す。

 「これは……」

 「君の新しい力。L.レオタードだ」

 「エル……レオタード?」

 「そうだ。いままでの君の戦いを分析し、調整した新しい強化スーツ。従来のスーツよりあらゆる面で強化されている。これを着て最悪の敵を倒すんだ」

 私は百合にシン・グの計画を告げた。悪魔の世界征服計画を。

 聞き終えた百合は|愕然(がくぜん)として私を見た。

 「そんな……そんなことを……」

 「そうだ。やつらはそれほどの恐ろしいことを計画している。許すわけにはいかない。許してしまえば悪の秘密結社によって支配される暗黒世界がやってくる。それでなくともその計画の途中で死ななくていい人がどれほど死ぬか。とめなくてはならない。いま、倒さなくてはならない。そして、それができるのは君だけなんだ。できるね、ユーリ?」

 「……はい」

 ユーリは答えた。決意を込めてうなずいた。スーツとマスクを受け取った。包みを手に立ち上がった。ひざまづいている私は百合の裸体を見上げる格好になった。まだ幼いその体は傷だらけだった。あちこちに秘書Rにつけられた鞭の跡が走っている。それでもなお――。

 その姿は眩しいほどに輝いていた。

 私は思わず言っていた。

 「ユーリ。傷だらけでも君は美しい」

 「……ありがとう」

 そして、百合はユーリとなった。新式のスーツとマスクを身にまとい、走り出す。

 シン・グを倒すために。

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