第16話
エピローグ
「そうですか。では、もう中学生のころから、いろいろ、文章を書き始めていたと」
目の前の女性は、詳細にメモを取りながら、一生懸命に取材をしている。なんかの雑誌のインタビューだとか言っていたが、よくは分からない。あまり、興味がないのだ。
それは昔も、作家になった今でも変らない。
「では次の質問です。先生の作品は生と死をテーマにしたものが多いですが、これまでの六作すべてハッピーエンドで終わっていることに、何かこだわりがあるのですか?」
それまで無難な答えを模索して答えてきた僕だが、そう質問されて、少し考えた。ほんのわずかに、昔を思い出す。
僕は誰かの死を、上手く受け入れられない人間だった。
それはきっと、人生で初めて経験した『大切な人の死』が、あまりにも壮絶で、あまりにも非現実的で、そしてあまりにも美しすぎたから。
こういうことは、最初の一歩躓くと、中々取り返しが付かないものだと、心底思う。
僕は小さく息を吸って、インタビュワーに微笑みかけた。
「ええ。こう考えたことは、ありませんか?自分が、誰かの書いた小説の登場人物だと。ほとんど描かれない通行人かもしれない。町並みの描写で書かれるだけの、後姿の客かもしれない。でも、もし主人公だったら――」
心の中に、とても物悲しい『染み』のようなものが、じわりと広がっていくのが分かった。
「素敵な恋をして、好きな人を見つけて。ちょっとあり得ないようなドラマチックな展開に遭遇して。そんな幸せなときに、恋人と死に別れてしまうなんて、あんまりじゃないですか。病気にしても事故にしても、人間の力の及ばないものに対しては、どうすることもできない。それが、作者の一存で、死んだ方が面白くなる、なんて勝手な考えでその幸せな二人は、絶望してしまうんですよ?僕たちの人生が誰かの小説ではない証拠なんてない。そう考えたら、小説を書く側の僕たちは、その人たちの運命を操ってしまうことになります。なら、二人は幸せになってほしい。本当の死が、二人を別つまで」
僕が言って、インタビュワーの女性をみると、彼女は小さく何度か頷いて、また何かを書き込んでいた。
「登場人物に、とても愛情を注いでいらっしゃるんですね」
僕はそれに頷いて答えた。
彼女を失った日から、もう随分と経っていた。
一生懸命、僕は生きてきた。そしてこれからも、生きていく。あれから、何度か恋もした。しかし、僕の中であそこまで強く人を想ったことは、未だにない。
藍川光月。
僕から離れない幻想。
僕の世界を変えてくれた人。
彼女が居なければ、僕はきっと、今のように僕を受け入れることが出来なかっただろう。自信も、誇りも、一生持つことがなく終っていたかもしれない。
彼女は僕を救い、僕を愛し、そして僕の目の前から居なくなってしまった。
確かに、僕たちの恋は、見た目には派手で激しい付き合いでは、なかったのかもしれない。だが、僕たちは紛れもなく、その恋に身を焦がしていた。
なぜなら彼女は死してなお、会いたいと願い僕の前に現れ、また僕も、彼女のために命を捨てる覚悟を、本気でしたのだから。
「もしよろしければ、次の作品の情報を、少しだけ教えてもらえませんか?題名が決まっていれば、それだけでも」
女性は興味津々に尋ねる。
僕は幾つか、小説を書いてきた。
それは幸運にも、他の人に評価され、曲りなりにも『小説家』のようなもので、僕は生計を立てている。
そのどれもが、僕と彼女の恋を書こうとして、どうにも上手く行かず、路線を変更せざるを得なくなってしまった失敗作だった。
毎度、心を抉るつもりで書き始めては、その痛みと虚しさに耐えかねて、物語を『捏造』する。そうした結果、決まってどれも、誰も死なない、多くの人都合の良い、捻りのない物語になった。
それでも、それを『読みたい』と思ってくれる人がいることは、きっと、特別過ぎる幸福なのだろうという自覚はある。
僕の小説家のような人生は、常に光月の死を、客観的に受け入れるための何かだった。
擦れた皮膚が分厚くなっていくように。
常在する痛みに、感覚が麻痺していくように。
ほんの少しでも当事者である実感が薄れるのを、待っているような時間だった。
しかし、彼女が居なくなって二十年。
僕はついに、それを描きあげることができた。
痛みながら、悼みながら、傷みきってしまった心で、僕は嘘偽りなく、彼女との物語を書いた。
今でも僕は、君の笑顔を思い出す。
それはまるで、季節はずれに返り咲く菫の花のように、淡い輪郭でぼんやりと光る。
「そうですね、では、タイトルだけ」
僕は静かに息を吸い込んだ。
「『勿忘菫』」
了。
勿忘菫 灰汁須玉響 健午 @venevene
ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?
ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます