第13話

高校最後の文化祭を終える頃、僕たちの進路はほぼ決まり、あとは年明けの受験に向けて地道な穴埋めをしていくという段階に入りつつあった。

 茂樹は弁護士を目指すとかで、国立大学の法科と、あと幾つか私立も受けておくらしい。どこも、僕では及ばない偏差値の大学ばかりなのは、さすがだと思う。

 光月は、いろいろ悩んでいたが、結局推薦枠を使って大学に行くことにしたようだ。それも結構有名な女子大で、ひとつの高校につき、一人、ないしは二人という推薦枠を難なく獲得してしまう彼女も、はっきり言って感嘆のため息しか出ない。

 そして、僕は―。

 とりわけ勉学やら偏差値やらと相性良かったためしのない僕は、第一志望をそれなりに高めの私立大学において、それ以外を文学部に力を入れている順に二、三校ピックアップした。

 僕たちには、もう本当に遊んでいる時間はなくて、自己学習と特別講習の行ったり来たりで毎日を消化していた。

 受験組みの僕らとは違い、光月は残った高校生活をのんびりと過ごすのかと思いきや、そうではなかった。光月には、年末に行われるピアノのコンクールがあったのだ。そのために、先生に付きっ切りで特訓を受けているらしい。彼女も彼女で頑張っているのだ。本当に、適当に人生を送らない人なのだと感心する。彼女は何に対しても、頑張りすぎるように見えてしまう。それは僕が、あまり多くのことに頑張らない人間であるためになおさら目だってそう見えることもあるだろうが、それを差し引いても、光月は何でも真剣にやり過ぎる。いつもそこを尊敬すると同時に、心配になる。少しはうまいこと手を抜けよ、と言いたくもなる。

 僕は、彼女の頑張らなくても良い場所でありたいと思う。

 僕たちの交際は続いていたが、やはり会う機会は断然減って、また彼女も自ら僕のために気を遣ってくれているようだった。会いたいのは、きっと同じだろうに。

 十一月の中旬に久しぶりのデートをした時、彼女は終始、何かを言いたげにしては戸惑っているように見えた。

 僕が聞くと、彼女は「うん」と言って話し出そうとして、口籠った。三回目に聞いたとき、光月はやっと覚悟を決めたようで、やけに真剣な顔で僕を見た。

「聞いてほしいことがあるの」

 あまりに真面目な空気が流れて、僕は緊張する。別れ話でも切り出されそうな緊迫感があった。

「実はわたし、イギリスに行くの」

 ものの喩えではなく、僕はポカーンとしてしまった。そんな僕を見て、光月はあわてて訂正する。

「違うの。留学とかではなくて、ほら、今度音楽コンクールに出ると言ったでしょう?そのために、三週間前から向こうに渡って、慣らしながら練習することにしたのよ」

 そこまで聞いて、僕はホッと胸をなでおろした。

「なんだ、ビックリしたよ。あと数ヶ月で、超遠距離恋愛になるのかと思った」

 安堵のため息を吐きながら僕が言うと、光月は少しだけいたずらっぽく微笑んで、

「そんなことあるわけないわ。それに、もしそうなるようならば、真っ先にあなたに相談するもの。一人で決めるなんて、ありえないわよ。でも、離れるのが嫌だと思ってくれて嬉しいわ」

 と言った。

 僕はきっと、彼女以上に嬉しかった。それはもちろん、数秒だけ勘違いした光月の海外留学が違っていたことではなくて、もし海外留学をするならば、僕に相談してくれると言った彼女の言葉にであった。

「だから、十二月の頭には向こうに行くの」

「学校は、どうするの?」

「それは特別な許可をもらっているわ。遠征という名目でね。幸い、出席日数も足りているし、受験もないから。学校側としては、これでわたしが入賞でもしたら良い宣伝になるから、よく計らってくれたみたい」

「そうか。じゃ、もうちょっとで出発なんだ」

「ええ。十二月の二十三日が本番で、いろいろな関係で一日は向こうにいるから、一緒にクリスマスは迎えられないけれど……」

「いいよ。帰ってきてからクリスマスをやろう。年内ならセーフってことでさ」

 そう言うと、彼女は嬉しそうに笑った。

「がんばれって言葉、あんまり好きじゃないけど、頑張ってきなよ」

「はい。少し寂しいけれど、頑張ってくるわね」

「ああ。本番の前の日に、電話をするよ」

「ありがとう。楽しみにしている」

 僕は微笑み返しながら、心の中で考えてみた。多分、想像しているよりもずっと寂しい思いをするのだろうな、と思った。そしてその寂しさの振れ幅が、彼女と同じだといいと願った。

「もう少し時間とお金があればな。その場に行って応援したいんだけどね」

 すると光月は首を横に振った。

「そんな……電話してくれるだけで十分よ。あなたの言葉は、わたしを強くしてくれるから」

 光月は、僕を喜ばせる天才かもしれない。彼女の言葉こそ、僕を勇気付けてくれる。光月は、いつでも僕のほしい言葉をくれる。それが彼女の自然な振る舞いからなのか、はたまた特有の思いやりからなのかはわからない。でも、僕も同じように彼女の望んでいる言葉をあげられていたらよいと思った。

「仙君、なんか頼もしくなったわね」

「そうかな」

「前は凄く謙虚というか、自信のない感じがあったけれど、最近は堂々としていることが多くなって、格好がいいわ」

「ありがとう。でもきっと、僕がそうなれたのは君のおかげだよ」

「わたし?」

「そう。君が僕に、自信をくれたんだ」

「わたしは、何もしていないわよ」

 そういう彼女に、僕は小さく首を振る。

「僕を好きになってくれたから。僕はそれで、どれだけ強くなれたか分からない」

 僕の本心だ。

 誰かを好きになり、誰かから好きになってもらえたとき、人は変われるのかもしれない。変化なんてないと思っていた僕が、こんなにも変われたように。


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