第7話

がらりと変わった、というと少し語弊があるが、僕の生活は確実に変化していた。

 自ら率先して言いふらすことはしなかったが、とりわけ隠していたわけでもない僕と光月との交際は、徐々にクラスメイトの知るところとなった。その反応の殆どは、賛成でも反対でもなく、『どうしてなのか?』(つまり、どうして藍川光月と付き合うことになったのが僕なのか)といった疑問めいた意見だった。その所為か、僕は前より話しかけられる機会が多くなった。男子からも女子からも。そういう意味では、注目されるようになったわけだ。

 僕は性格上、そして話の技術上、さして興味の無い話であっても他人に合わせて盛り上げる、という芸当が得意ではないし、正直出来ない。その為、方向性の全く違う人たちとは今まで通り話せなかったが、僕の価値観と遠くはない人、比較的近い人とは、誰とでも話せるのだということを思い知った。そして同時に、そういった話せる(・・・)人(・)とは、無理(・・)を(・)して(・・)話さなくて(・・・・・)も(・)大丈夫(・・・)なのだ(・・・)ということを知った。僕に興味を持ってくれる(例えそれが僕というより光月に関わっていたとしても)以上は楽に会話ができる。決して深い仲とはいえないが、僕の交友関係は一気に広がりつつあった。

 そして―。

 僕の高校生活はもう少しだけ、変化を遂げる。

 文化祭の準備が始まった頃、夏休みの宿題で書いた読書感想文が市のコンクールで大賞に入ったのだ。

 このご時世に、地味な感想文コンクールで大賞をとったところで、文章を生業としようとしている僕本人は嬉しくても、一般生徒の間で騒がれることなどないと思っていたが、それは違っていた。

 これを境に、僕はちょっとした有名人になってしまった。

 その影響を受けて、僕の所属する文芸部も注目され始めた。文章を書きたい、色々な本を読みたいと言う人がたくさん集まってきたのだ。

「現代文なら、水無月に聞いたほうがいいな」

「あたし国語不得意だから、教えてもらおうかな」

「水無月君、物知りなのよ。話していると、色々ためになるの」

「テンションは低いけど、話すとなかなか変わっていて面白いんだよ」

「面白い本を探すなら、水無月に聞くといい」

「小説書きたいから、文芸部は入ろうか。まずは水無月に聞いてみて……」

 とにかく僕は、声をかけられることが驚くほど増えた。頼られるようにもなった。日々が急激に加速していく感じがした。

 話す人が増えて、おそらく世の中でいう『友人』の和が広がっても、僕個人の考え方は変わらなかった。相変わらず話題は偏っていたし、コミュニケーション能力は低いままだ。誰彼構わず巻き込んで騒ぐのも好きじゃないし、学校で二、三回話しただけの人間とどこかに出かけるなんて概念は、全く持って持ち得なかった。それでも、何度も誘われると断りにくいし、勉強を教えて欲しいと頼まれれば、無碍に嫌とはいえない。僕の時間がそうやって削られていっていることに深刻に気付いたのは、もう少し後のことだった。

「受賞からこっち、仙はすっかり人気者だな」

 ダンボールを下書きの線どおりに切り抜きながら、茂樹が言った。文化祭を一週間後に控えたこの日の午後は、各クラス出し物の準備時間に当てられている。僕たちのクラスは、簡易的な喫茶室のような、ドリンクバーをやることになった。その為の外装を作っているのである。

「正直、こんなに注目されるとは思ってなかった。みんな、物珍しいから騒いでいるだけだと思うけど、最近確かに忙しくなった気がする」

「お前もお前で、律儀だからな。どうでもいいやつらは軽く流せばいいのに、一人一人きちんと受け答えしてるんだろ?そりゃ時間もなくなるわな」

 茂樹はため息混じりに言う。

「だって、僕は好きじゃないけど、わざわざ遊びとかに誘ってくれるのを断るのは気が引けるし、勉強教えてくれって言われたら、それこそ断り難いよ」

 僕が言うと、

「真面目すぎるのも、お前の長所であり短所でもあるところだな。もう少し器用になれ」

 と宥めるように言った。

 茂樹の言うことはわかる。彼の言う「器用になれ」とは、人を見極めて上手く接しろということだ。つまりは、誘う友人が、あるいは教えを請うクラスメイトが、流行りに流されてそうしているのか、それとも本心でそうしているのかを見極めて対応するべきだということを言っているのだ。だが、そんな他人の心の中を覗かなくてはわからないようなこと、どうやって見極めろというのだ。話術に長けていたり、心理学なんかを齧っている人間ならば少しはどうにかできるかもしれないが、僕はどちらにも明るくはない。要領のよい人生なんて縁遠いのだ。それに、そんなふうに人を疑って、選別するようなこと、したくはない。

「水無月君って、最近格好良くなったよね」

 そんな風に言ったのは、クラスメイトの坂崎昌子だった。

 彼女とは、文化祭の作業分担で同じ外装の仕事になってからよく話すようになった。少し話してみると、彼女はなかなか読書家で僕の読んでいない本も多く読破していて、読もうと思ったが、なんとなく機会を逃してやめておいた本の殆ども読んでいた。黙々と作業するよりも多少なりとも会話があったほうがよい。そんな理由で、きっと僕と彼女は話していたのだと思う。少なくとも僕は、そうだった。

「水無月君は、藍川さんと付き合っているのよね?」

 僕はそれに頷いた。

「でもなんか、そんな感じしないよね、見てると」

「どういうこと?」

「ほら、恋人同士の男女が一緒に居ると、なんとなくあるじゃない?独特の空気みたいなものが。水無月君たちには、それがないなって思って」

 恋人同士の独特な空気。

 それとはなんだろうか。いや、確かに言われてみれば、僕の周りの友人を見てみても『二人は付き合ってます』と知らされる前から、この二人はそれっぽい、と思ったことは何度もある。つまり、そういう空気が僕と光月にはない、といわれているのか。

「ま、そういうカップルがいても不思議じゃあないか。あっ、でも、藍川さんみたいな人と付き合うって、大変じゃない?」

 こちらを殆ど無視して、彼女は自分のテンポで会話を進めていく。この手のタイプの人間は、僕自ら話題を探そうとしなくて済むので話しやすい。

「大変って、よくわからないけど、何が大変なの?」

「だって、藍川さん、絵に描いたような人じゃない。小説とか漫画とかから出てきたような。可愛いし、頭いいし、優しいし、何でも出来ておまけにお金持ちでしょ?なんでも揃ってる人と付き合うと、どうしても自分と比べるだろうし、それに吊り合おうとして頑張らなくちゃ、とも思うでしょう?だから」

 僕は少しだけ納得しながらそれを聞いていた。彼女の言うことはわかる。そのとおり、光月は何でも揃っている、何でも出来る理想的な娘だ。比べて僕は、出来ることと出来ないことの差が激しいし、得意なことの方が少ない。家柄だって、特に名家の生まれでもないし、財閥の御曹司でもない。両親は揃っているが、いたって普通の家族だ。何を基準にするのが正しいかは別にとして、吊り合っているかどうかと聞かれれば、吊り合っていないといわれるかもしれない。実際に少し前の僕は自身でそう考えている部分もあった。だが、それが何であるのか。それがどうしたのか。人と人が出逢って惹かれあうことに、そんなことは何の関係もないのだと僕は知った。藍川光月がそれを教えてくれた。誰かを好きになるのに、理由はないし、いらないと言ってくれた。どう見ても吊り合わない僕を好きだといってくれた。世界の真実が僅かに見えた気がした。僕はあの時、何かから救われ、何かを手にしたのだ。だから、吊り合わなくて大変なんてことはない。

 しかし、「大変」と言うべきことがないわけではない。

 逆にいえば、生きてきた環境も生活も違う一人の人間と一人の人間が、互いの価値観に深く触れ、干渉しあうのだから、大変でないことなんて何一つない。でもそれが付き合うことであり、交際することなのだ。けれど、その「大変」は、決して苦しいものではない。

「大変さ。でも、それは相手が彼女だからじゃない」

 僕は言った。

「どういうこと?」

「人を好きになるということ自体が、きっと大変なことなんだよ」

 僕が言うと、坂崎昌子は不思議そうに首を捻った。

 彼女は、それからも僕に声をかけてくることが多かった。

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