第9話

文化祭が終わっても僕たち二学年に限っては、その浮かれた空気が漂ったままだった。というのも、あと一週間足らずで修学旅行に出発するからだ。文化祭とほぼ同時進行で計画が進められてきた旅行の行き先は、定番中の定番、京都だった。海外に旅行する学校も多い昨今に、僕たちの高校は国内で、しかも頑なに毎年京都なのだ。その分、多少贅沢な旅ができるらしい。

 適当に班分けがなされて、グループごとに巡る場所を決めて、部屋割りを言い渡される。着々と準備が進む中、僕は周りのはしゃいでいる空気とは裏腹にどんよりとしていた。

 理由は単純で、光月だった。

 文化祭の帰りのあの一件以来、彼女は僕を避けている。学校にいるときは、ごく普通に話す(とは言ってもあまり話してはくれない)のだが、休みの日などは決して二人で出かけようとはしてくれなかった。習い事の発表会が近いから、とか、いろいろ理由を話されたが、そんなのは今迄だってあったことで、彼女自身が避けているのは明らかだった。

 僕は嫌われてしまったのだろうか。

 それが頭を過ぎっただけで、僕はそのまま倒れて、ごろごろともだえ苦しみそうになる。せっかく彼女と仲良く慣れたのに。恋人にまでなれたのに。僕は無意識のうちに、何かをやってしまっていたのかもしれない。

 覚悟を決めてきちんと話すのが良いのはわかっている。でも、臆病な僕の悲観主義者の部分が、その決断に待ったをかけ続けているのだ。時間がたてば経つほど、悪くなっていくのもわかっているのに。

 もちろん、僕のこんな悩みに相談に乗ってくれる人間など、ごく限られてくるわけで、結局それについて意見を述べたのはやはり茂樹だった。

「う~ん」

 僕が一部始終を話すと、彼はあごに手を当てて考え込むしぐさをした。そのまま唸って、僕を見据えた。

「藍川光月がとんでもなく特殊な女の子じゃなければ……考えられる理由は一つしか見当たらんが。仙は、なんにも気づかないか?」

 茂樹は渋面で言った。

 一通り考え抜いた。だが、わからないから相談しているのだ。僕は頷いた。

「仙」

「なに」

「あほ」

「え?」

 あまりに脈絡のない貶(けな)しに、僕はきょとんとした。

「あほ過ぎて、付き合いきれん」

 やれやれといった様子で目をそらし、それからしようがないという表情でため息を吐いた。

「教えるのは簡単だがな、これはあえて自分で気づいたほうがいい」

 茂樹は言った。整った二枚目顔が、理想的な微笑をする。ほんと、格好いいと思う。

「ま、ヒントくらいは出しておくか。仙は鈍いからな。原因はお前だけど、だからと言ってお前が悪いってわけじゃない。藍川さんも悪くない。あとは……坂崎昌子。彼女も悪くはないが、原因のひとつかもしれないな」

 意味不明にぽんぽんと言って、少し満足げに茂樹は笑った。彼の中で、何らかを楽しんでいるのだろう。

「そして最後にもうひとつ。彼女は仙を嫌いになんてなってないと思う。むしろ、逆だろうな」

 小さく息をついて、「それじゃ、がんばれ」と言い、彼は購買に向かっていった。

 ありがたいのやら、あまりありがたくないのやら。

 僕はさらに悩み続けることになった。

 修学旅行の現地行動で、光月と一緒の班になれなかったことはある意味幸運で、Kれどやはり残念だった。仮に一緒の班だったら、なんとなく仲直りするきっかけぐらいはつかめたような気もするが、でも僕のこの心境を考えるとどちらでも同じだったような気もした。

 彼女と共に行動できない修学旅行に、必要以上の気合が入るはずもなく、僕はあらゆる決定を班員の茂樹とその他友人たちに任せることにした。

 僕は何とか最低限のコミュニケーションを保ちつつ、必死に答えを探していた。光月が僕を避けている理由。あの日突然大きな声を上げた理由。ずっと元気がなかった理由。

 行きの電車の席から、首をひょっこり伸ばすと、丁度彼女の顔が見えた。僕と目が合うと、大きな瞳をひときわ大きくして、すぐに目を逸らしてしまう。

 ため息が出た。

 光月とまともに話ができないのは、正直なところ思った以上に深刻で苦しかった。ほんの数ヶ月前は見ているだけで良かったというのに。人間とは欲深いものだ。ひとつが満たされれば、次のひとつを満たそうとする。などと考えて、頭を左右に振る。そんな哲学的なことを呑気に考えている場合ではない。

 金閣寺を見ても、銀閣寺を見ても、清水寺を見ても、答えなんて見つかるはずもなかった。僕たちの班は回らなかったが、悟りの窓をのぞいてもきっと結果は同じだったであろう。ただなんとなく思いついたのは、やっぱり僕が悪いということで、何か気に障ることを言ったのだろうということくらいだった。あとはずっと、同じようなことをぐるぐる、ぐるぐる考え回してしいるだけなのだ。

 何をしていても今ひとつ上の空な僕を友人たちは心配し始めていた。体はいたって健康であることを示すために、殆ど無理やりにテンションをあげて皆で土産を買いに行くことにした。周りに気を使わせるのは、僕の最もさせたくないことだ。

 草団子や八橋と、後は煌びやかなハンカチ、扇子、巾着、と、男の僕が見て欲しくなるようなものは殆どなかった。その反面、女性が京都を喜ぶ理由が少しわかった気がした。小物ひとつとってみても、とても雅で可愛らしいデザインのものがたくさんある。そしてそれらは、他にはない和風でお洒落なものばかりだった。

 僕は早めに両親への土産を適当な菓子の詰め合わせに決めて、何か興味を引くものはないかふらふらとしていた。そこで、ふとあるものを見つけた。

 貝殻だった。

 白くて小さな二枚貝。僕は思わず、それを手にとって見た。何なのだろうと思い、横を見ると、隣にその貝が開いた状態での見本が出ていた。

 どうやら、口紅のようだった。その独特な赤に僕は目を奪われた。桃色でも赤でもない、その中間のまさに薄紅色。それがなんとも、美しい色だった。その瞬間、僕の頭に浮かんだのは、光月だった。この慎ましやかで柔らかい色は、きっと彼女に良く似合う。

 僕はこっそり、それを買うことにした。きちんとプレゼント用に包んでもらった。そこで僕は思った。いや、決心したといったほうが良いだろうか。

 話をしよう。分からないなら、直接聞けばよい。それで、もし僕が悪いなら必死で謝ろう。それでいいではないか。そう、思ったのだ。

 決めたら、なんだか気分が浮き上がってきた。

「茂樹」

「なんだ?」

「僕、わからないからさ」

「ああ」

「直接本人に聞くことにしたよ」

 僕が言うと、彼はじっとこちらを見て、いつかのように笑うようにため息をついた。

「正直に聞けば、何とかなると思うんだ」

「……ほんと、仙はどこまでいっても仙だな」

 彼はそれだけ言って、軽く二回頷いた。

「お前らしくていいよ」

 実際に少しだけ笑っていた。

「よくわからないけど、ありがとう」

 僕は言った。

「わからないなら、礼なんていうな」

 そういう彼の顔は優しく思えた。

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