第16話

 会議室の前に着くと、先に来客を案内した別部署の人間がラナにそれを伝えた。報告によると、来客は二人であるはずなのに、私語を慎んでいるようで、会議室からは声が聞こえなかった。沈黙が中にいる者の礼節を感じさせ、歴戦の営業マンであることをラナに予感させた。回答はどうあれ、いい取引が出来そうだと意気込んでからラナは扉を開いた。室内には男女が二人、第零部隊の入室に合わせ、ウィーンガシャンと音が聞こえそうなほどにキビキビと立ち上がった。お互いにお辞儀をしてから、ラナとイコは右のソファへ向かう。二人掛けのソファが対面に二つ並べられており、その間には膝丈くらいのガラス製の机が置かれている。先ほどの別部署の同僚が、ある程度対応をしてくれたのか、机にはコップが二つ並んでおり、そこから湯気が立っていた。ラナが手指示で対面のソファを指すと、サッともう一度お辞儀をしてから営業相手の二人組は座った。その後に続いてラナも座るも、イコは座らなかった。会議室は縦横二十メートル程度の広さがあり、中心にて恋人同士のように向かい合うソファだけでは、余白を埋めることはできていなかった。観葉植物や棚が余白をついばむも、スズメほどに小さな口では、逆に空白を強調するだけだった。中心部が強調されたこの会議室には、誰しもがほどよい緊張感を持ち込むことになる。イコは、コップ、ポット、茶葉を棚から取ると、それで紅茶を作り始めた。今日も有益な魔導の取引になるのではないかと、彼は茶を入れつつ笑みを浮かべた。新たな魔導の知識を前に、探求心と好奇心を静かに震わせているのだ。二人分の紅茶を持つと、イコもようやく席に着き、片方をラナに渡した。普段ならばガン無視をするところを、ラナは礼節を重んじるフリをする為に、イコへ小さくお辞儀を返した。


「早速ですが、私はマイクロスクロール社:魔導開発部門:デバック課:第零部隊をまとめる隊長のラナ・トリノと申します。隣はN・イコ・ラスです。仕事の虫でして、魔導陣を語らせれば右に出る者はいませんが、やや礼節の足りない奴でして、私が代理で紹介させて頂きました」


 何か言葉を紡ぐ前に、イコの口は封をされてしまった。


「丁寧にありがとうございます。優秀な部下をお持ちなようで羨ましいです。私はハムサン株式会社:営業部門:魔導営業課:チームAのヘイム・トリトットと申します」


 丁寧にお辞儀をすると、彼のオールバックが天井から差す灯りを反射した。見る者に疑問を与えない程度の、しかし清潔感を高めるよう量のワックスは、彼の人間としての品を効率よく高めていた。肩まで柔らかく尖るスーツは、角にならない角に柔らかさを連想させ、その輪郭を持って人柄をまろやかにしている。理想の瞳、理想の鼻、理想の口、理想の輪郭、画家が偶像を詰め込んだ抽象画とも言える人物画のような、とかく彼のルックスは、ある種の偶像的な整い方をしていた。それは、隣に座る女性も同様である。


「同じく、ユメリル・アンダーソンと申します」


 丁寧なお辞儀と共に、一つだけ開いたボタンから、彼女の秘境が瞬間的に覗く。スーツ姿は、彼女のスタイルを自慢げに語り、より神々しさを強調してしまっていた。

 

 その場にいるのがイコ以外の男性だったならば、会議室によって高められた集中力を、全てこの美しい女性へ集結させていたことだろう。眼鏡をかけ、前髪を少し長めにしているのも、自分のルックスに営業を妨害させないためなのかもしれなかった。


「こちら、つまらないものですが」

「ありがとうございます」


 そう言うと、ヘイムが紙袋をラナに渡した。紙袋に描かれた絵柄から、ラナは高級な茶菓子だと気づいた。しかし、ハムサン社にとって残念なことに、彼女はこうした間接的な評価点の積み重ねを営業に含めるタイプではなかった。後での楽しみが一つ増えたと、やや口角を持ち上げてお辞儀を返した。無論、その微笑みをヘイムは好意的に解釈してしまっていた。利口な者ほど、無意味の中に意味を見出して足を滑らせることがある。お茶を一口含んで唇を軽く湿らせて、彼は焦る心を落ち着かせつつも静かに笑みを零していた。


「早速ですが、商品を拝見させて頂いても?」

「はい。少々お待ちください……こちらが「魔導正否判定魔導陣」になります」


 ヘイムは、スクロールを開いてから机に置いた。名称から想像するよりも、遥かにシンプルな魔導陣だな、とイコは感じていた。魔導式の簡略化が、節々で行われているのではないかと、儀礼式(線)に魔素が通る順序で一つ一つに視線のメスを入れていった。


「こちらは、魔導のデバックを簡易化する為の製品になります。どのような魔導開発企業でも、魔導のデバックには多くの人件費を必要としています。その一部を代替えする為の新たな選択肢であると考えて下さい。弊社では、この製品一つで作業効率を二倍に出来ると考えております。では、実演致します」


 テストケース用のFBの魔導陣を用意していたようで、ヘイムは魔導正否判定魔導陣の上にそれを重ねた。イコは、FBの間違いに一目で気づいていた。但し、それは実に巧妙な間違いで、専門家でもなければ気付くのは難しそうだ、と素直に思った。


「こちらのFBのスクロールには、意図的に小さな間違いが作ってあります」


 簡単な事前説明の後で、ヘイムは魔導陣を起動した。すると、ビーッという耳を指すような音が鳴った。一般的なラインを、ちらりと跨ぐ程度の不快感のある音だった。


「素晴らしいでしょう?このように、下に重ねた正否判定魔導陣は、上に重ねられた魔導陣の間違いを見つけると音を鳴らすのです。反対に音が鳴らない場合、魔導陣は正常であり、その場合も上に重ねられた魔導陣は起動しません。動作確認の為に、安全なテストルームなどに移動する必要もないのです」

「それは素晴らしいですね。手元で拝見しても?」

「えぇ、是非ご確認ください」


 ヘイムは、手を伸ばすラナにスクロールを渡した。彼女は、暫く弄ぶように指で儀礼式を追うと、満足したのか一つ頷いてイコに託した。先ほどは、提示後直ぐにFBの下に隠されてしまったので、ようやくイコは間近でじっくりと観察する機会を得た。そうして何らかの確信を得たのか、ちらりを視線を上げてヘイムを確認するように見た。



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