第20話


 頭に籠る少しの熱を冷ます為に、イコは頭上にスタークを乗せていた。亡霊に近い存在だからか、通常のスライムよりもひんやりと冷たかった。上司がいるのは40階、地下から見上げるには気が遠くなるような距離だ。その距離は、エリートコースから雑草コースへと、残酷な現実を精緻に伝えている。地上階層は、地下よりも人目に映り易いからか、階層転移門から出てきて直ぐに、賑やかし程度の観葉植物が目にとまった。鉢植えに埋まった小さなヤシや、つる植物のツタが窓ガラスを塞ぐ柵に、獲物を捕らえた蛇のように巻き付いていた。青々とした観葉植物を見たイコは、地下で働く者達から養分を摂取しているようだと思った。窓から差す光と、それを受け止める植物たちは、地上階層を地下よりもずっと華やかに演出している。階層転移門から一直線に続く廊下には、左右それぞれに5つずつ扉がある。地下とは違い、ガラスによる透明化もされておらず、しっかりとプライベートが確保されていた。そんな廊下を最奥まで進むと、通路の行き止まりに両開きの扉が設置されている。少し気が重そうにラナが扉を叩いた。


「どうぞ」

「失礼します」


 中に入ってすぐに、イコだけが丁寧にお辞儀をしていた。普段なら礼節をわきまえるラナは、この場所に限り礼節を軽視し、普段なら礼節を軽視するイコは、この場所に限り礼節を重んじていた。


「悪いな、突然呼び出して」

「いえいえ、エリート様のお呼び出しですから」と、ラナが。

「おいおい、学友に対してその感じはないんじゃないか?」


 と、女性は寂しそうに笑みを零した。彼女の名前は「バル・ギャリック」、魔導開発部門の統括部長である。実質、マイクロスクロール社の事業の半分を取り仕切っているようなものだ。右半分が黒、左半分が白という、二色の髪色を持つ。学生時代の魔導実験により、彼女の髪色は二つに分かれた。そんな二色の長髪を、前髪を残してポニーテールにまとめている。やや光沢のある高級感漂うスーツは、バルの栄光と実直さを表している。彼女がラナの学友のバルであるように、イコにとってもバルは他人ではない。名実ともに、彼女はアデル・チャリティーの二番目の弟子である。つまり、イコの妹弟子だ。上司と部下、兄弟子と妹弟子という立場の複雑さから、イコは改めて関係性を構築するのが面倒で常に下手にでつつ、なるべく会話の時間を持たないようにしている。バルは秀でた魔導の才能を有し、三十前半という若き年齢でマイクロスクロール社の上位給与取得者の中にいるのだから、当然のようにイコに兄弟子であるというプライドなどなかった。


「さてと、イコ兄(にい)。今回ラナと一緒に来てもらったのには、当然のようにとても重要な理由があるんだ」


 バルもまた、アデルのようにイコに才能を見出して、兄(にい)と呼んで彼を慕っている。但し、イコの方が若く、その呼び方には若干の居心地の悪さを感じていた。通常ならば、履歴書だけで門前払いを食らってしまう程に魔素のないイコを、マイクロスクロース社に招いたのは彼女である。


 イコは、頭上でスタークがブルンッと揺れるのを感じた。おそらく、眼前にいるバルの内包する力に、大きな脅威を感じているからだろう、と直ぐに察した。


「以前にもラナには説明したが、直近のエキスポで我が社が発表する新計画「首都直下魔素脈化計画」の件で呼び出したんだ」

「例の計画ね。魔素粒子論における、魔導作用差問題の対抗策って話よね」

「その通りだ。兼ねてから、魔素粒子のサイズ差による魔導の作用差について、顧客からはクレームが入り続けている。個人間の魔素粒子のサイズは正直どうしようもないから、別にエネルギー源を用意してやろうって魂胆だ」


 同じ魔導を起動して、作用に差があるということは、同一の製品を顧客に提供出来ていないのではないか?というのが、この問題の根本にある。個人の魔素粒子サイズを変換することはできない――というのが、世界各国の高名な学者たちの結論である。だからマイクロスクロール社は、均一の魔素粒子サイズを持つ魔素を別で用意することによって、当該問題を解決しようとしていた。また、上記サービスを定期契約として一般流通させることができれば、大きな経済効果をも期待することができる。


「この計画が上手くいけば、大量の資金を投じた新製品がこけても、我が社は契約料金だけで潤って、容易に経営を安定化できる。クレームもなく、ストレスもない、そんな日々が我々に手招きしているというわけさ」


 蓄積された疲労からか、よくみると彼女の目には隈が渋滞を作っている。統括部長と言う立場が、どれほど彼女に疲労とストレスを蓄積しているのか、イコには想像することもできなかった。地下に籠り、愛する魔導をデバックし続けるだけの日々が、自分にはお似合いだと心から思った。


「で、我々は、魔導開発部門と魔具開発部門の二つで協力して、本計画を進めてるいるんだ。魔具開発部門は、地下に魔素脈を引く機構を開発して、我々魔導開発部門は、そのシステムを作ってるってわけだな」

「…計画の方針は理解できたけど具体性が見えません。二つだけ質問をしても?」

「イコ兄、そんな丁寧に頼まなくても、私は部下の意見に慎重になるタイプだ」


 と、バルは笑顔で答えた。


「ならよかったです。一つ目に、人体なら魔素を無料で生成できるのに、消費者は進んで契約しますかね?」

「良い質問だ。流通策として、魔素出力を一般平均の2倍近くにしようと思ってる。それなら、ほとんどの住民が契約することになるだろう」

「確かに、それなら流通を見込めそうです。では二つ目に、この広い首都に張り巡らせるほどの膨大な魔素を、いったいどこから用意するつもりなんですか?」

「ふむ、それならば、無限に魔素を生み出す機構を我々は知っているではないか」


 バルの笑みは、お前なら解るだろ?と、イコに存分に語り掛けているようだった。


「…まさか、人間なのかッ!?地下で働く俺達から――…」

「イコ兄、人間とは思えないほどに残酷な発想だぞ」


 明らかにバルは呆れていた。


「イコはね、部隊でも毎日のように後輩を道具みたいに扱ってるのよ。私も怖くてぇ」

「なんちゅう嘘をつくんだ!?道具みたいに扱ってるのはあんたの方だろ!」


 敬語を捨て去り、即座にラナの言葉を否定するイコ。彼女はわざとらしく口笛を吹き、真実を曖昧にしようとしていた。口を尖らせ、目を細めたその表情は、イコの怒りの琴線を指先で震わせる。それでも上司と部下という立場が歯止めになり、崖に突進するイコを緊急停車させた。逆らえば、追い詰められるのは彼女ではなくイコの方だった。


「ハッハッハ、仲が良さそうでよかったよ。イコ兄は、横暴で人づきあいが下手糞だったから、更にその上をいく傍若無人のラナと相性がいいと思ってたんだ」

「イコが車だったら、私が一番うまく乗りこなせるでしょうね」


 ラナが自慢げに胸を張ると、ブルンッと揺れる山が、お互いの後に続いて数回のやまびこを繰り返していた。


「勘弁して下さい。最悪の運転手です」

「まぁ落ち着け、話が本題から逸れてる。人間を動力源にする発想には驚かされたけど、流石に非人道的過ぎるから、もっと視点を広げて考えてくれ」

「視点を広げる…ですか?…あぁ、でもあれは…」

「何?言ってみてくれ」と、バルが答えを急かした。

「…ダンジョンコアですか?」

「正解!で、そこにイコ兄を呼んだ理由があるんだ。まずは付いてきてくれ」


 スタッと身軽に立ち上がると、普段のデスクワークからは想像できない程に、バルの足は軽やかに動き始めた。普段から運動を欠かしていないことを、彼女の引き締まった体が雄弁に語っているようだった。親ガモに従う子ガモのように、二人は従順に後に続いた。

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