第29話
イコは、頬を赤らめつつ盛大に酔っぱらっているミームに視線を戻した。
「とまぁ、なんやかんやで俺は魔導が好きだって気づいたんだ。何が言いたいかっていうと、学問である魔導に挫折なんてないってことだ。重要なのは、好きか嫌いかだけだ」
「…深いですね」
うっとりとしながら、また彼女は酒を飲んだ。
「まぁそんな崇高な話じゃなくてな。それ以降、俺には劣等感が付きまとった。結局のところ、我流で勉強するよりも、魔導学院に通ってる奴の方が凄いんじゃないかってな」
「…その気持ち、凄く解ります。…私も、ここ最近は自己嫌悪ばっかり上手くなって」
「でも自己嫌悪に溺れて、何もしなければ敗北感だけが残るだろ。何よりも、好きなことで味わう敗北感ほど不味いもんはねぇ。だから金賞を取った。俺だって凄いんだぞ!ってな。笑えるだろ?子供みたいでさ。でもそれでいいんだ。心から好きなことで、大人になる必要なんてない。子供みたいに純粋であるべきなんだ」
「…子供みたいに…純粋であるべき」
ミームは、ボーっとグラスを見つめていた。それから急に、イコの肩をグイっと掴み、強引に自分の方へ寄せた。何が起きたのか理解できず、イコは瞬きを繰り返した。
「わ、わらしぃもぉ…魔導が好きれぇぇえぇぇす!!!」
そう叫ぶと、最後の力を使い果たしたのか、糸の切れた人形のように、ミームはその場に突っ伏した。ズンッという、重たい頭蓋が机にぶつかる音は、聞いていて心地のいいものではなかった。死んだのではないか?と、イコはミームに耳を寄せる。すると小さな寝息が聞こえてきて彼女の生存を確認できた。無事に苦手分野も越えた所で、イコは精神的な疲れから溜息をついた。
「ここ最近、魔法解放軍とかいう組織が、テロを画策しているという噂があるのよ」
ビクッと震えて、声の方向を確認すれば、いつの間にかラナが隣に戻っている。その奥を見れば、机の上に突っ伏すチェリアの姿が見えた。
「最悪の場合、エキスポの参加者が減る可能性だってあるわ。規模によっては、株価が落ちるかもしれない。一難去ってまた一難とは、まさにこのことよね」
先ほどまでの質の悪い酔っ払いは息を潜め、今は真面目な会社員として隣に座っているようで、凄まじい落差にイコを寒気が襲っていた。
「テロ組織…ですか?そう言えば、警備員に捕まった時に聞きました」
「…イコってば何をしたの?確かに捕まるような人だとは思っていたけれど」
「え、今なんて?いや、普通に我が社を眺めてただけです。どうにも警戒態勢を強化してたみたいで、間が悪かったっぽいです」
イコの言葉を、ラナは吐き捨てるように鼻で笑った。
「自意識にしっかり刻み込んでおいた方がいいと思うけど、あなたは凶悪な犯罪者面はしてないけれど、知的な犯罪者面を三回殴ったみたいな顔をしてるわよ」
「三回も殴る必要あります?」
「まぁ聞いてよ」
「いや、聞いてますけど、付随する刃物のサイズが大きすぎて」
そのまま言葉を紡ごうとするも、バッとラナに手で口をふさがれてしまった。枝豆の塩味がイコの口内に忍び込むと、その気まずさからイコは口を閉ざしてしまった。
「テロ組織のトレードマークは鷲の羽、噂の領域を出ないけど、既に何社かはメッセージを受け取っているみたいなの」
「メッセージって、テロ組織が何を送るんですか?」
「噂って言ってるでしょ?実際にメッセージを公にしたら、どの企業も消費者に不信を抱かれる可能性があるから、当然秘匿しているわね」
「…あぁ、確かに。でも穏やかじゃないですね」
「まぁねぇ、そんな組織があるとして、特に我が社は狙われやすいと思う。なんせ、どの企業よりも優れた業績を誇るんだから」
と、ラナはちょっと自慢げに胸を張っている。イコは彼女の横で、酔いに乱される思考の奥深くへ潜り始めていた。記憶は濁りに濁り、裸眼では何も見えそうにない。しかし、羽の話を聞いた時に、既視感に海馬が揺れたのだ。とても速く、瞬間的なひらめきは、イコの指の隙間から逃れ、どこかへ泳いで行ってしまった。
ドサッ、何かが落ちたかのような音が隣から聞こえた。イコは記憶遊泳を止めて、隣をチラリと確認する。すると遂にラナまでもが潰れてしまっていた。
「はぁ、今日はもうお開きだな」
若干の頭痛が、何かをアピールするようにイコの脳を刺激する。それでも脳は、刺激から閃きを見いだせず、イコの記憶を静かに閉じてしまった。
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