第9話


 ――1時間後、三人は魔導陣の前に座っていた。


「なるほど、解放されずに回ってくるわけだ。当たり前のように複数の魔導言語を用いてるし、既存のルールと違う部分まである。最適化される前の…昔の魔導陣っぽい感じだ」

「現代魔導の父、アデル・チャリティーが現れる前ってことですよね」


 ピクリと肩を震わすと、イコは無言で頷いた。観察だけでは解決に繋がらないと、手にはチョークが握られている。これはバイルゥから借りたもので、どのような依頼場所でも作戦会議が出来るように、と持ち歩いているらしい。チョークなら、安心して壁面の魔導陣にも書き込むことが出来るだろうと、貸し与えてくれたのだ。


「秀才揃いのマイクロスクロール社員でも解らないなら…諦めるか?ダンジョンなんて、長居するところじゃないだろ?俺なんて読めもしないぞ」

「その通りなんだけど、何故か魔物もいないし、もうちょっと頑張ってみようよ」


 バイルゥは、周囲を見回して首を傾げる。確かにチェリアの言う通り、魔物はいない。これが何かの前兆でなければいいが…と、億劫な気持ちを胸にしまい込んだ。


「わかった。魔物の気配すらないし、一階層なら出口も近いしな」


 何か力になれればと、バイルゥも真剣に魔導陣を観察し始めた。


「属性式が無いから、無属性ってのは確定なんだがぁ…」とイコが呟いた。

「確かに、魔導陣の中心に何のマークも入ってないな」

「あぁ。無属性なのを良いことに、めちゃくちゃ複雑にしてやがる」


 イコとバイルゥが意見を交わしていると、チェリアが魔導陣に優しく触れた。


「迷宮の入り口を思い返すと、こんなギミックを作れるのに自動ドアじゃないなんて、ここを作った何かは非効率的ですよね。…イコさん、飴下さい。脳が糖分を欲しています」

「…あん?今なんて言った?」

「飴を下さいッ!」

「違う、その前だ」

「…えっと、自動ドアぐらい付けとけドグサレ野郎!…です」

「よくやった。飴をやる」


 イコは、チェリアへと包装紙を剥がして飴を投げた。彼女は、それを綺麗に口で受け止め、幸せそうに頬を膨らませた。


「つまり、この壁面は自動ドアってことなのか?」とバイルゥが尋ねた。

「あぁ、多分な。…座標式って知ってるか?」

「もちろん。例えばFBを発動して、それがどこに到達するかってやつだろ?」

「半分くらい正解だな。FBの場合、出発点の座標も含まれるんだ。例えば、手から発動するのか、それとも地面から発動するのか、あるいは壁か、とかな。まぁそんな式が、この魔導陣には百通りくらい書かれてる」

「ひゃ、百通りだと!?」

「残念ながら事実だ。これが自動ドアだとして、最初にドアがあるべき地点の座標指定が出来てないんだ。数字を一から整理して、正確な並び順通りに治せば、取り合えず第一関門突破ってことになる」

「第一関門って、まだまだ沢山あるってことか?」

「沢山って程じゃないさ。これ含めて三つくらい怪しい場所があるかな」

「いや、それでも気が遠くなりそうだ」

「まぁそう言うな。偉大な発見ってやつは、得てして地道な努力の累積だ」


 イコは、まず最初に魔導陣に記載されている数字の箇所をチョークで囲んだ。それから床に数字を書いて並べていく。壁面も床も天井も黒く、チョークの白がやけに目立っていた。黒と白の対角的な色合いは、より意識を先鋭化させていた。程よい集中状態にも助けられ、30分ほどで数字を並べ終えることができた。


「あぁ、チェリア。修正を頼めるか?」

「ガッテンです」


 チェリアは、魔導陣に触れると、その奥の壁面に魔素を通した。すると、線が生き物のように浮かび上がって動き始める。小さな蛇が彼女の思い通りの形を描き、魔導陣を正しく導く。魔素が練りこまれた特殊インクは、描かれた下地に魔素を流すことで、インクを再編集することができる。


「これで数字のパズルは終わり…と。次は、摩擦係数だな」

「また面倒くさそうなぁ~」とチェリアがぼやいた。

「これ、あえて扉の摩擦係数を上げて、仮に魔導陣を修正しても動かなくしてる。一見修正されたように見せかけて…ってやつだな。だが先に気付けば何の問題もない」

「意地悪ですねぇ。私だったら来るもの拒まずなのに」

「恋愛観の話か?誰も来ないからだろ?」

「来ますから!!………きっと」

「なんかすまん。ところで、摩擦係数は消しちゃっていいぞ」


 イコは、サッと消していい箇所をチョークで囲む。


「わ、わかりました」


 文字の蛇は、下に落ちると床に馴染んでシミを作った。


「次は余分な儀礼式の削除だな。結構あるから、一つ一つなぞるぞ。この魔導陣が起動しなかった一番の問題点だな。魔素の流れを乱してやがる」


 儀礼式とは、魔導陣を構成する文字や模様を省く線部分のことである。複雑な線は、全て魔素の通り道となり、正しい順序で他の魔導式を読み取れるようにしている。例えば、炎のハリケーンを作る場合、火を先に起こしてから、それを渦状に回転させるといったように、優先順位付けの要となるのが儀礼式だ。


 早速イコは、余分な儀礼式を全てなぞった。イコのチョークを辿るように、手早く削除が行われていく。チョークそのものが、そうした特別な力を持っているかのようだった。


「…よし、これで終わりだ。起動してみてくれ」


 イコの指示に従い、チェリアが魔導陣を起動した。


「…うっ、結構な魔素量を持っていきますね」

「だろうな。そう書いてあったから」

「さ、先に言ってくださいよ!」


 文句を付けながらも、彼女は魔素を流し続けた。少しだけ息が荒くなった頃に、ようやく魔素の注ぎ込みが終わる。…おそらく、中に入る資格があるかどうか試してるんだろうな。それにしても流石の魔素量と根性だな。才能豊かで素直に羨ましいよ、とイコは、背後から彼女へ羨望の眼差しを送っていた。


 扉の動きは、手書きのアニメーションのように、フレームレートが低かった。逐一座標を指定しつつ動く仕組みで、それが動きから滑らかさを奪っているようだ。魔導陣を中心にコマ送りで左右へと別れ、朽ち木が壁の奥の秘密を明かした。意味深な黒が、一同の緊張感を高めていた。


 扉の向こう側は、それほど広い部屋ではなく、縦横十メートルほどしかなかった。小学校の図書室のような背の低い本棚が立ち並び、それが童話を聞く子供のように、こちらを見つめている。入って左手には、執務用の豪奢な机が置かれていた。乾いたインクに刺さった羽ペンが、人が出入りしなくなってからの年月を沈黙の中で回答していた。


「…これ、大当たりだな。ちっさいけど、魔導書庫だろ?」


 子を撫でるように、背の低い本棚に手を置くと、バイルゥがポンと優しく叩く。少しだけ舞った埃は、長い年月を越え微笑みを零したかのようだった。ダンジョンにおける魔導書庫とは、太古の英知が集結する場所。魔導社会が形成された昨今、価値は宝物庫よりも高い。剣を握る冒険者よりも、マイクロスクロールを持つ冒険者の方が圧倒的に多く、屈強な肉体を持つバイルゥですらも、そんな冒険者の一人である。


「浅い階層の隠し部屋だったからな。魔導書を読んでみないことには、年代までは解らないが、高確率ではぐれ魔導士が隠れ家にして、研究してたんじゃないかと思ってたんだ。ある程度の推理に基づいて、大枚叩いて地図を買ったってわけさ」

「未開錠で発見できたのは幸運でしたね!本棚にびっしりと宝が詰まってます。…それにしてもぉ、いくらかかったんです?」

「1000枚」

「銀貨?」

「金貨」

「…ハハハ、えぇッ!?」


 金額の話をしていただけなのに、何故かチェリアは片膝をつき、息を荒げていた。守銭奴のチェリアからすれば、衝撃の金額だったのだ。因みに、金貨一枚は、日本円だと約1万円に相当する。


「いくらデバック課が歩合制だからって…ちょ、貯金上手ですね」

「まぁな。部隊内でもラナさんの次に貰ってるし、趣味も魔導開発だから、ほとんど金を使う場面がない。俺は一発でドカンッタイプだ」


 デバック課は歩合制であり、部隊ごとに出来高で給与が付与され、それを隊長が振り分ける。ラナは優秀な社員に出し渋るタイプではなく、特にイコは部隊内でも優遇されているのだ。最低額のチェリアでも、一般的な新入社員の二倍~三倍程度を受け取っている。


「そんな投資したのか。俺だったら高級車を買うかな。資産としても腐らんし」


 と、意外にも堅実なことを「冒険者」のバイルゥが言った。魔導書庫は、即金として大当たりの部類に入るが、国からの報奨金が金貨500枚支払われるだけだ。つまり、これを国に献上するとしても、投資の半額しか手元に戻らない。


「お前達、重要なことを忘れてないか?」

「…そっか!このダンジョンは、マイクロスクロール社の持ち物です!」

「正解。ダンジョン内の拾得物、発見物の権利は、全て我が社のものだ。通常なら国へ献上することになるが、俺はここでゆっくり研究できる。その為の金貨100枚、俺にとって魔導は、高級車以上の価値があるんだ」

「ま、趣味趣向は人それぞれか。お前が満足出来たんなら護衛の甲斐があったかな」


 ニヒルに笑うと、バイルゥは壁に寄りかかり、後はどうぞと手を振った。


 そんな彼をよそに、チェリアは執務席に座った。机上には、一冊の魔導書が開かれた状態で置かれている。心配そうにイコが横から覗き込むと、そのページには一般的な魔導陣しか描かれていなかった。魔導言語はAELF言語で、太古の魔導書で間違いなさそうだが、魔導陣全体のスッキリとした無駄のない形は、今時のものと遜色なかった。この時点でイコは、この魔導書庫は、とても優秀な魔導士の隠れ家だったのだと確信を得た。そうして彼が思考に溺れていると、チェリアは御馳走を前にした子供のように、両手を素早くこすり合わせてから、フゥーっと息をかけ、ガバッと一気に魔導書を持ち上げた。瞬間、イコの目に表紙が映ると、そこには何らかの魔導陣が描かれていた。


「あっ待っ!?」


 不気味な違和感と恐怖を覚えたイコは、咄嗟にチェリアを止めようとするも、時すでに遅しとばかりに、魔導書が光り輝き始めてしまった。


「あわわわわァッ!?」


 驚いたチェリアは魔導書を放すも、既に一同の視界を純白が支配した後だった。視界に溢れる白は、とても瞬間的なもので、死という身近な概念を、ギュッと濃縮したかのようだった。

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