第8話
――そうして、一同は目的地に辿り着いた。
ダンジョン巧者である二人にも地図を共有したおかげもあり、ここまでのルートにミスはないはず。魔物の存在しないダンジョンでは、焦燥から不用意なミスを犯すようなこともないはず――だというのに、チェリアは目的地を眺めて首を傾げていた。
「…ただの壁じゃん」
三人は、なんの変哲もない黒い朽ち木の壁の前で、ボーっと壁面を眺めていた。
「騙されましたね?」
チェリアは、グリンッと音が鳴りそうなほどに急激に九十度ほど首を回し、イコの顔面を両目でとらえた。余りに不気味な動きに、イコは視線を合わせぬよう努めた。
「いや、騙されてない…と思うが。明らかに他と違うだろ?」
「…他と?う~ん、特に差はないですね」
「バイルゥ君は?」
イコの急な「君」付けに、バイルゥはビクリと肩を震わし不快感をあらわにした。
「呼び捨てにしてくれ。横暴な口調のあんたに君付けされると具合が悪くなりそうだ」
「言っておくがバイルゥ、お前もめちゅくちゃ横暴な口調だぞ」
「俺は粗暴な冒険者だからいいんだ。お前はサラリーマンだから駄目だ」
「うるさいな!冒険者だって契約社員みたいなものだろ!」
「二人ともうるさい!ここはダンジョンの中だよ!」
ポカンッと二人同時に頭を小突くチェリア。バイルゥはムスッと口を尖らせ、イコは頭を抱えて転がっている。二人の肉体強度には、随分と差があるようだった。
「敬語云々の会話で、どうして喧嘩が始まるんですか!?」
バイルゥは、チェリアの説教を煙たげに耳を塞いで封殺していた。
「壁が朽ちてない!ここだけ綺麗なのはおかしい!そうだろ?」
チェリアを黙らせる為に、バイルゥが先ほどの問いかけに大きな声で回答した。
「へぇ、正解だ。意外に知性的なんだな」
「冒険者は観察が命だ。チェリア以外のどんな冒険者でも気づくだろうな」
「…チェリアは、職場でも注意散漫で、よく期限を間違えたり、取引先に連絡し忘れたりするんだよ。気合満々なところは買うんだが、もう少し慎重になってほしいところだ」
「それ冒険者時代からだぞ。あいつは無警戒に進み過ぎて、よく魔物に襲われて、踏んだり蹴ったり戦闘を繰り返すことが頻繁にあった」
「なんだよ。俺達、似た者同士だったみたいだな」
そう言うと、イコはバイルゥへと視線を合わせ、手を差し出した。バイルゥも無言で頷くと、イコの手を力強く握り返した。チェリアという宿敵の前に、男同時の熱い友情が生まれた瞬間だった。
「ちょっと!その仲直りの仕方は、流石にムカつく!私はしっかり者なんだから!」
腕をピンと真下に伸ばして講義するチェリアに対して――…
「「いや、それだけはない!!!」」
掛け声なしに、二人の息がぴったりと合う。八月の晴れ間に、集中豪雨をくらった若人が、空を見上げてボーっとするように、チェリアは唖然としていた。頭上から落ちてくる想定以上の水量により、強制的に思考を洗い流されてしまったようだった。
「で、どうしてここだけ壁が朽ちてないんだ?」
「単純に、他よりも特別な処理が施されてるからだろうな。この部屋だけは、朽ちたら困るってな」
「なるほど。ってことは…この中は宝物庫か?だからお前は地図を買い取った」
「それはないさ。ここは第一階層、宝物庫にしちゃ浅いだろ?」
「意外にダンジョンのセオリーを知ってるんだな?」
「セオリーっていうか…まぁいいさ。とにかく開ければ解るだろ?」
「だな。どうすればいい?」
イコは、リュックサックを下ろし、中からもう一枚の紙を取りだした。
「おっ?いいもの持ってんじゃねぇか」
横からバイルゥが覗き込むと、そこには隠し部屋解放手順という題名が書かれていた。
暫く二人で紙を眺めてから、イコがチラリと肩眉を持ち上げてバイルゥを見る。するとバイルゥは、首を左右に振って何かを嫌がった。そんな二人のやり取りに疑問を持ったチェリアが、イコの手元にある紙を覗き込もうとする。イコはサッと紙をたたみ、それを防いでしまった。
「チェリア、お小遣いが欲しいだろ?」
「欲しいです!」
即答である。目が弧を描くほどのイコの悪い笑みに、彼女は気付けなかった。
「じゃぁ、そこの綺麗な壁の前で、両手を上げてもらえるか?」
「はいッ!」
ピンッと真っ直ぐに真上へ両手を伸ばし、何かを期待するようにイコを見る。
「次は足を開いて蟹股に。それから伸ばした両手を動かして、腕自体は上に向けたまま頭を触れ。お前の大好きそうな頭の悪いハートマークをイメージしろ」
「いえっさ!」
「で、そのまま床に魔素を流してくれ」
「やぁッ!」
ガコッ…ガシャガシャガシャ…ガシャンッ!綺麗な木材の壁が、まるでスライドパズルのように動きだし、その内側をあらわにした。新たな壁が現れただけだが、ここが目的地で間違いないようだった。
「よし、よくやったチェリア、報酬だ」
「ワンッ!」
元気に差し出されたチェリアの手に、イコは一つだけ飴玉を乗せる。再度思考停止したチェリアは、暫く飴玉を眺めていた。包装は剥がされ、剝き出しのベタついた果実は、彼女の手の平でネットリと転がる。飴玉が動く度に成長する違和感が、彼女の中でようやく怒りに転換した。
「なっ…なんですかこれは!」
「飴だよ!飴なんだよ!」
怒声に近いほどの大声で、チェリアの抗議を制圧する。朝の彼女を彷彿とさせるほどの逆ギレに、チェリアは自分がどれほど愚かっだのだろうかと、何故か反省してしまった。
「金でも貰えると思ったのか?労働を舐めるなよ」
あえて静かな声で、チェリアを諭すイコ。典型的な祖母のよく仕掛ける罠に引っかかってしまったチェリアは、静かに飴玉を口へ放り込んだ。やけに甘い桃味の飴は、冷え切った彼女の心を優しく温めてくれた。
「それで、この魔導陣を…どうすればいいんだ?」
チェリアの労働により現れた新たな二枚目の壁には、魔導陣が描かれている。人類の身長に肉薄するほどの大きな魔導陣は、来るものを拒む異質な存在感を放っていた。
「手順書には、ここまでしか書いてない。この先は、自分でどうにかする必要があるみたいだな。取り合えず起動してみるか」
「おいおい、やめておけ。ダンジョンにある大半の魔導陣は罠だぞ。起動すれば、最悪の場合全員でお陀仏だぞ」
「まぁ任せておけ。こう見えても俺は専門家だ」
確かにその通りだ、とバイルゥは黙って見守ることにした。イコとチェリアがいくら頼りなく見えても、魔導開発に携わるマイクロスクロール社の立派な社員なのだ。イコは、そっと魔導陣に近づくと、他二人に何の断りもなく魔導陣を起動してしまった。
「あっ!?」
と、バイルゥが不安そうに声を上げたが、特に何も起きなかった。疑問気に首を傾げる彼の横で、対照的にイコは確信を得た表情をしている。
「まさか迷宮で、職場みたいなことをすることになるとはな」
「……てことは、デバックですか?」
「あぁ、この魔導陣はバグってる」
イコは、ニンマリと笑った。
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