第7話


 山間の側面に、深い夜を閉じ込めたかのような、黒い鳥居が貼り付けられている。 一般的な鳥居とは異なり、通るべき道は扉によって塞がれていた。そこに着けられた日輪のような取っ手は、龍の瞳のような鋭利な光を放っており、侵入者の来訪を拒む威圧感を備えていた。この奇異な扉の奥こそが、ダンジョンと呼ばれる魔物の巣窟である。「バヘイラ迷宮寺院」と呼称されるメジャーな迷宮だ。


 現代社会において、基本的にダンジョンは国家の所有地であるが、莫大な資金を投じれば、権利の一部を購入することができる。とても高額な為、ほとんどの場合は企業単位での購入となる。マイクロスクロール社は、ここバヘイラ迷宮寺院の企業利用権利を購入しており、そのグレードは最も高く、「ほぼ」会社の所有地だと言っても過言ではない。


 バイルゥは、龍の瞳のようなノブを握り、そこへ魔素を流した。すると、こちらから何をするでもなく、扉がズズズゥと鈍い音を奏でながら開き始め、隙間から噴き出した湿っぽい木の香りが一同の鼻をくぐった。イコは、ダンジョンだけが醸し出すことのできる深海のような暗い未知と、それによる恐怖を混ぜた特有の空気感に体を震わせた。


 迷宮内部も、門に設けられたルールを守るように、黒い木材により建造されていた。洞穴のような通路を構成する木材は、所々朽ちており、物言わずとも長い年月を来客者たちに伝えている。年老いた情報屋の皺が、他業者よりも深いように、情報の価値は年月により保護され、保持され、誇張される。彼または彼女の話に真実が無くとも、解像度の低い曖昧な情報は、拾得者たちにある種の覚悟を与えてしまう。イコたちがダンジョンを観察して得る情報には、そうした側面的なおぞましさが張り付けられていた。


「…久しぶりに来たなぁ」


 バイルゥは、壁面の黒い朽ち木に触れながら、感慨深そうに口を開いた。


「本当、いつ来ても不思議に思える。なんか…独特なんだよね」


 鼻を擦りながら、チェリアもバイルゥに同調する。独特な異臭が彼女の鼻を舐め、その香りを彼女の鼻に直接塗り込んだ。まとわりつくような匂いが、この場所を忌避すべきだと彼女へ訴えかける。


 そんな二人を置いて、何故かイコが先頭を歩き始めてしまった。大きなリュックサックを、まるで美女の尻のように揺らしながら歩いている。半ば呆れながら背後から彼を眺めるチェリアは、いつの間にか彼の手に、一枚の地図が握られていることに気付いた。彼女はイコに駆け寄ると、早速その地図について問い詰める。


「…あの、それって?」

「あぁ、ダンジョン業務に携わってる知り合いの上司から買い取ったんだ」

「じょ、上司って誰ですか?」

「バル・ギャリックさんだよ。知ってるだろ?」

「…え、えっとぉ、誰でしたっけ?」

「はぁ…ちゃんと覚えとくべき人物だぞ。彼女は、魔導開発部門の統括部長だ」

「えぇッ!?めちゃくちゃ花形の偉い人じゃないですか!?」


 チェリアは、大袈裟に数歩下がって驚いてから、直ぐにガバッと元の位置に戻り、イコの手元の地図を確認した。「買い取った」という部分に、違和感を覚えたのだ。バヘイラ迷宮寺院は、とても有名なダンジョンであり、昔から地図はある。無論、わざわざ上司から地図を買い取る必要などない。だが何故かイコは、買い取ったと証言していた。


 同じ疑問を抱いたのか、バイルゥもイコの横で地図を覗き見ている。二人とも地図に夢中で、イコに肩をガツガツとぶつけてしまう。肉体派の二人に囲まれ、とても歩きにくく何度も足を躓かせるイコ。ゆらゆらと蛇行運転しながら、一同は先へ進んだ。


「そう言えば、前に来たときと違って、魔物が少なくなってない?」

「あぁ、それは俺も思ってた。てか一度も出会わないって…枯渇でもしたのか?」

「ふぅん…俺は初見だからよくわからないけど、確かに出会わんな」


 一応は警戒をしているらしく、バイルゥは地図から視線を外して周囲を見た。さながら太古から残る廃墟のように、そこに生命体の気配はなく、一同の無機質な足音を、朽ちた木々が吸収して小さく留めている。空間に広がる空虚感は、バイルゥへと具体性のない違和感を蓄積していった。迷宮の異常事態は、国家の緊急事態に繋がる可能性があり、簡単に見逃すと痛手を負うおそれがある。この頼りない二人に付いてきたことで、何か大きな渦に巻き込まれるような予感を、バイルゥは感覚的に迷宮から受け取っていた。


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