第25話


 イコの目的地は、スタークの魔導書庫だった。


「うわぁ…この場所は?」


 古代の英知が集結するこの場所を見て、ミームは心から感動しているようだった。余談だが、解放の手順は、イコの頭上のスタークにより省かれている。ミームにばれぬように細心の注意を払いながら、イコが解読しているフリをしつつ解放するといった手順を用いて、行動の違和感を最小限に抑えた。


「とある魔物が使っていた魔導書庫だ。所謂、隠し部屋だな」

「隠し部屋…初めて来ました。す、凄いです。これって、所有権はどうなってます?」


 ミームの質問は、政府が管理する魔導書庫なのか?という意味である。


「俺が発見したんだが、政府には報告していない。する必要もないしな。そもそもバヘイラ迷宮寺院は、ほぼマイクロスクロール社の持ち物で、発見物は我が社の財産だろ?」

「な、なるほど。上手く制度を利用したんですね」

「利用したのか…それともされたのか」


 イコは、ボーっと魔導書庫内から目的の書物を探している。ミームは、イコの言葉の真意が見えず、それを聞き出す気にもなれなかった。何か踏み入るべきではない、大きな力の渦の中に、彼が沈んでいくように見えたからだ。渦に触れれば、自分も沈み込むことになってしまう。彼女の触れるべきその時は、イコから助けを求められた時だけ。でなければ、彼を更に奥へ沈み込ませる為の重しになるだけだ、と自分に言い聞かせて。二人の間には、透明度の高い壁があるようだった。


 イコは、自分がバルに利用されたようにしか思えなかった。彼女は、この場所が魔導書庫であること、新計画の起点になるのがバヘイラ迷宮寺院であること、そうした事前情報をいくつも加味した上で、イコへ隠し部屋の地図を売ったのだ。つまり、現状は全てバルの手のひらの上である可能性が高い。彼女の上司としての手腕には、イコも溜息をつくことくらいでしか抵抗できない。彼女の手のひらの上で踊るたびに、自分が深海から引き上げられていくような感覚があった。背の高い木の並ぶ、苔むした森という地上の深海から出てきたイコを、どうにかして深みから引き上げようとしている。あるいは、深海魚のような、未知から与えらる発見と発展が、彼女の目的なのかもしれなかった。


「おっと、こいつだな。さっき見た文字が何個かある」

「該当する時代の魔導書を探していたんですね。古代言語を解読する為に。…でも、魔導書を見つけられても、同じ古代言語で書かれている限り読めないのでは?」

「探してたのは、魔導書の中でも入門編の教科書みたいなやつだ。ダンジョンコアに描かれた魔導陣を見た時に気付いたんだが、時代が違っても構造式みたいな根っこには、そこまで差がないように思えた。だから古代の教科書があれば、こっちの魔導の知識と合わせて、見知らぬ魔導言語を解読できるんじゃないかってな」

「言語の違う教科書を読むって、知識があっても離れ業だと思いますけどねぇ…」


 イコの手法は、言語解析の定石なのかもしれないが、定石だからと言って、その場で簡単にできるかと問われれば、答えは否定に偏るだろう。イコの言葉を疑っていた訳ではないが、自分には到底実現不可能であることを理解しているミームは、唖然としながら彼に呆れるだけだった。そんなミームの視線の中で、イコは机の上の魔導書をどかして、そこに魔導陣を描き始めてしまった。魔素のない彼には、意味のないことなのでは?と思いつつ観察していれば、直ぐにミームにも魔導陣の内容が理解できた。たまに自分も扱う魔導だったからだ。


「ミームの分も必要になるだろ?俺じゃ起動できないから頼んだ」


 ほとんど魔導を起動したことのない男の構築した魔導陣、起動するのにやや不安があるものの、魔導陣には特にミスも見当たらず、ミームは起動の為に手を乗せた。但し、起動前に重要なことを確認するべきだと彼女は思った。


「…あの、何に写本するんですか?流石の魔法でも、無から有を作るのは…」

「…ん?ちゃんと木製の机に書いたぞ?」

「えっと…確かにありますけど?」

「だから、机が本になるんだから、何も問題ないだろうに」


 イコがそう言った瞬間、何故か頭上のスタークが何度も飛び跳ね、彼の脳天に柔らかな刺激を与え始めた。しかし、マッサージ以下の攻撃力しか持たず、イコの思惑を阻止するには至らない。どことなく、ミームはスタークの表情に怒りが見えた。この魔導書庫の机を本に変換しようとするのに、どうして一介のスカル・スライムが怒るのだろうか。それになにより、そんな錬金術のような魔導が実現可能なのだろうか。 工業用に、物質を加工する為の機構を動かす魔導ならあれど、直接変換する魔導などない。それが可能ならば、鉄を黄金に変えられてしまうし、世界の経済概念は根底から崩壊することになる。だがしかし、そんな技術をいけしゃあしゃあと使おうとする イコの表情に、悪びれる様子もなければ、当然の技術であるかのような趣すらあるのだ。ミームは、もはや酷くなっていく頭痛に耐え切れず、考えるのを止めてしまった。右手に魔素を通すと、それに反応して魔導陣が淡く光を返す。光は魔導陣を中心に机を侵食し始めた。更に経過を見守っていると、光が徐々に魔導陣へと収束し、最終的に写本元と同様の形状を取った。


「…うわぉ。本当に上手くいっちゃった」


 ある種の失敗願望のようなものが、ミームの中には渦巻いていた。これが可能だという知識があるだけで、いつか身に危険が迫る可能性すらあるほどに、秘匿すべき技術の一つであることは、誰に確認するまでもないことだった。


「さてと、それじゃ最終階層に戻ろう。こっからは、地道な努力だけが活路だ」

「はぁ…結局、今日も残業は確実ですね。残業するのに場所は関係なしかぁ…」

「まぁ同じ地下だけどな。苔むしたくっさい場所が、俺達にはお似合いなのさ」


 そんなイコの言葉を否定しようと口を開くも、ミームは悪あがきをするのに疲れ、適当に相槌をうって会話を終わらせる道を選んだ。疲労は作業だけに付随せず、イコという存在そのものにも内包されているからだった。

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