第12話
そこは深い森だった。砂漠のオアシスとは対極的に、その場所にだけは樹木がなく、当たり前のように不可思議な位置に家が建造されている。イコは、建造物を確認すると、座標にミスが無いことを安堵した。家主を訪ねようと、彼は一歩目を踏み出す――も、それは予兆で終わり、一同が辿りついて少しのタイミングで、勝手に向こうから扉が開いた。不意に子供が口を開くように、それは何の予感も感じさせない空間の動きだった。
扉から、男が一人。森の奥深くであるにも関わらず、彼には、女性が生まれつき持つ上品さと清潔感のようなものが備わっていた。真っ白なローブには、泥や草一つもついておらず、所々に青い花と赤い鳥の刺繍が施されている。薄い金色の髪は、太陽から差す透明な光を内包している。少しの皺を刻んだ顔は、彼がもう若くないことを説明していた。
「やぁ、イコ」
茫洋な男は、イコにだけ挨拶をした。こちらまで彼が近づいてくると、目を閉じていることにチェリアは気付いた。イコは、疑問気に男を見るチェリアの為に、事情を説明することにした。
「父さんは、盲目なんだ」
「…え、父さん?」
チェリアは、盲目という情報よりも、イコの父親だという点に驚きを隠せなかった。そうした私生活の面は、同僚に対して透明にしているのが彼だったからだ。
「あぁ、客人がいるのか。………そ、その声、じょ、女性なのか!?まったく女っ気のないイコが、女性を実家に連れてきたのか?…そうか。もう二十代も後半、そういう時期になったか。どれ、中でゆっくりと話を聞くよ」
「違う、父さん。チェリアだけはありえない。それよりも、重傷者がいる。彼を治療してほしくて、ここへ来た」
「え、イコさん?今、チェリア「だけは」って言いました?グーでズドンですよ?」
「せめてパーでバチンがいいんだが、お前だって俺のこと嫌いだろ?」
「嫌いだったら、危険の多いダンジョンにまでついて行きますか?」
イコの目を真っ直ぐに見て、チェリアは答えた。予想とは真逆の答えが返ってくると、イコは言葉を詰まらせてしまった。後輩とは余り関わらないようにしてきたはずで、好意とは真逆の位置にいるはずだった。
「経済的には、イコさんに嫁ぐのありです。理想を言えば、階級が低いですけど」
「…すんごい打算的な考えに基づく結論だな。急に好意を見せられるよりはマシだが、流石の俺でもちょっとだけ傷ついたぞ」
「でも「あり」か「なし」かの話ですよね。普通にアリですよ。それに、イコさんみたいな人は、きっと独身で生涯を終えますから、好意的な後輩がいる内に、唾を付けとくべきだと思いますけどね。イコさんが財産の全てを懸けて愛してくれるなら…考えます」
「財産の全てを懸けて愛するって、初めて聞く恐ろしいフレーズなんだが…」
貪欲な後輩を前にして、イコは呆れて溜息を落とした。
「お二人さん、夫婦漫才はそれくらいにしてくれないかな?治療が終わったよ」
いつの間にか、アデルはバイルゥの側にいた。当たり前のような顔をしているが、霊的な存在よりも気配がなく、イコはおろか、バイルゥの側で治癒魔導をかけていたチェリアすらも、目の前にいる彼に気付くことができなかった。
「も、もうですか?」
男の接近に驚きつつも、チェリアは眼下のバイルゥを見下ろし、火傷の回復を確認、それから生命維持をしていた魔導を解いた。バイルゥの回復を喜びつつも、今日何度目かの驚愕が、素直な感情を抑制してしまう。バイルゥは、間違いなく重傷であったはず。どんな魔導を用いても、ここまで速く治癒が終わるはずがない。それに何より、まだ目を覚ましてはいないものの完治しているようだった。それは常識的に、どう考えてもあり得ないことだった。
「…この男は何者だ?」
異常とも言える光景に、ウィッチはイコの側に寄ると、小さな声で質問した。
「あぁ、自己紹介が遅れてしまったね。私はアデル、アデル・チャリティーだ」
「…ッ!?」
小声であったのにも関わらず、当然のようにアデルから返事が返ってくる。視力の無い代わりに、他の感覚器官が鋭敏になっているのだ。言葉にならない驚愕の後、目を真ん丸に見開いたまま、ホラー映画さながらにチェリアが倒れてしまった。ウィッチに襲われた疲労感も重なり、彼女の体は既に限界だったようだ。現代魔導の知識を、ほとんど持ち合わせないウィッチは、その反応からアデルが只者ではないことを間接的に理解した。
「あらら、彼女も倒れちゃったのかい?えっと、チェリアさんだったかな?」
と、アデルはイコを見た。
「正解だ。寝ている方はバイルゥだ」
「了解。それじゃぁ二人は家で預かるよ。目が覚め次第、家に返すさ」
「何から何まで助かるよ、父さん。次は菓子でも持ってくる」
「そいつは良いね、その時はゆっくり話そうじゃないか。…あぁ、それとそこのウィッチ君、君は中々に高位の魔生物だよね。敵意が無いから見逃していたけれど、バイルゥ君の火傷に君の魔素が見えたよ。元は人間のウィッチだ。今回だけは、魔素に呑まれたとして見逃してあげるけど、次はないよ」
ウィッチの背筋に寒気が走る。純粋な恐怖は、魔物になってからは一度たりとも抱いたことのない感情だった。盲目という弱者の皮を被った化物が、アデルの中にちらつくのを濃密に感じ取っていた。
「何も分からぬフリをしていただけか」
「私が万全だと、色々な機関がうるさくてね」
「化物を野放しにすれば、いずれ大きな厄災となる。強者として当然の宿命だ」
「寂しいけど、そう考える人は多い。だから森の奥深くに住んでいるんだ」
会話を終える代わりに、アデルは宙で指を動かして魔導陣を描いた。マイクロスクロールを用いない魔導の起動手法で、空間に魔素の線を描いて魔導陣とする。何らかの記憶機構に登録された魔導陣を呼び起こすより、とても長い時間を要することから余り使われない手法である。水彩画のようにサッと描きあげられた魔導陣により、チェリアとバイルゥが宙へ浮き上がった。アデルの指が操舵をしているようで、その後を追うように二人は宙に描かれた透明なレールを辿った。
「さて、二人は…中に入るかい?」
「いや、やめておく。こいつもいるしな」
イコは、隣に立つウィッチを気だるげに指さした。
「確かに、それがいいだろうね。では、また今度」
軽く手を振ると、アデルは家の中に戻った。その場に取り残されてしまったイコとウィッチの目が合う。無論、ウィッチに目はないが、そうした様相をしていた。
「さて…と、俺も家に帰るとするかな。お前の魔導書庫は、また次回だ」
「では、イコ殿の魔導書を見せてくれたもう」
「その件か。自宅にあるからくればいいさ。…あぁ、でもその見た目はまずいか」
当たり前のように横にいるが、宙に浮く頭蓋骨とローブは、彼が魔物であることを証明するばかりで、まるで隠そうとはしていなかった。
「変身魔導は使える…が、何に変身すれば都合がいい?」
「何にって…また難しい質問だな」
妙案なく二人が困っていると、眼前をポヨポヨと球体が通り過ぎていった。イコは、その姿を暫く視線だけで追いかけていた。
「丁度いいや、あれで」
「まさか、最強の一角である吾輩が、最弱に擬態することになるとは…な」
ウィッチは、眼前を通り過ぎていくスライムを見送ると、そのまま人差し指を動かし、宙に魔導陣を描いて起動した。体が中心へ吸い込まれるように球体を成すと、やがて球が地面へと落下する。端的にその姿を形容すれば、顎のない人間の頭蓋骨を被った黒いスライムだった。
「まさかスカル・スライムが、こんな場所にいるなんてな」
スカル・スライムとは、顎のない頭蓋骨を被ったスライムである。柔らかな体を外敵から守るために、何らかの生物の頭蓋骨を被る防御法を開拓した種族だ。人骨はとても珍しい部類に入るが、使い魔として都市に帯同しても、何ら罪に問われることはない。
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